2.
さて。
快気祝いの日取りが決まるまでの間、俺も遊んで過ごしてられるわけじゃない。最近は午前中、今までならナナちゃんと訓練をしていた時間に、姫様の随伴する事になっているのだ。
まず姫様の一日のスケジュールであるが、午前中はお城で人と面談。昼は偉い人と会食をして午後は帰宅。お屋敷で面談で出た話とか要望とかをまとめて政治担当の人たちに書類として落とし込む、ってな具合が基本である
予定がなければ昼は帰ってきてタマちゃんお手製のを食べてるし、夜は俺に礼儀作法とかダンスとかを教えてくれてたりもするのだけども、これは一先ずさておいて。
この面談部分に立ち会って色んな人との顔合わせをするのと、聞いた話に対して俺なりの意見を具申するってのが現状の俺のお仕事であるのだ。あと面会待ちの人が多ければ、そっちに行って雑談に付き合ったりもする。
俺にとっては礼法やら話術やらの勉強の場であり、来客に対しては暇つぶしにもなる客寄せパンダって寸法だな。
当然ながらだけどこの役目、最初は滅茶苦茶緊張した。
だって俺のミスは姫様のミスになっちゃうわけだし、うっかり偉い人の足踏んだりしたらどうしよう、みたいな。
あとナナちゃんにもさんざん怒られた。「言葉使いがなってない」とか「身だしなみが悪い」とか「立ち姿勢が歪んでる」とか「一人でちゃんと馬に乗れないからって姫様の馬車の同乗するのは如何なものか」とか「それも含めて最近姫様との距離が近すぎる」とか。
いや君は俺のお母さんか。
とか反論したいとこだったけども、うちのおふくろはもっと容赦ない言葉の刃を振るいそうな気がする。ナナちゃんでよかったと、忠告部分も含めて感謝しておく。基本、俺の為を思って言ってくれてるわけだしな。
でもまああれこれ含めて数日で大体慣れた。
こっちの世間が狭い感じが幸いして、来客の顔ぶれはおおよそ決まりきっている。お陰でそれぞれの顔と名前も手早く一致して、話のネタにも困らなくもなった。もうわりと気楽に冗談だって言えちゃう雰囲気である。
ちなみにそんな俺の仕事ぶりに対するナナちゃんの評価は「ハギは神経が太すぎ。図太すぎ!」である。
しかし俺をそう評するナナちゃんこそ、武装を認められた近衛兵という事で誰が来ようと直立不動。いつもぴしっと鋭い眼差しで正面を睨んでいる。
ただでさえ目つきが悪く見えちゃう子なので、これは大変おっかない雰囲気を醸し出していてよろしくない。もうちょっと笑顔を増量した方がいいのではなかろうか。
でもって訪問者のいない間は、それまでの事を書類に起こしている姫様の補佐に従事する。
とはいえ残念ながら未だこちらの文字は、「英語と互角かちょっとマシ」ってレベルでしか読めない。これじゃ作業の役には立てないので、姫様の様子に気を配って声かけられたらご要望に応えるのがメインだ。
「ハギト」
「はい、どうぞ」
「ハギト」
「その書類だったらこっちの山に入れてたけど」
「ハギト」
「もうそろそろの予定だけど、ちょっと遅れてるかな。確認してくる」
「ハギト」
「了解。帰りの馬車の手配しとくよ」
みたいな感じ。
自分では上手い事やってのけてるつもりだったのだけど、
「シンシア様、少し外してもよろしいでしょうか」
今日は突然ナナちゃんがそう切り出して、じとっと剣呑な視線を浴びせてきた。え、俺なんかミスった?
「構わないが、どうした?」
「いえ、大した事ではありません。しばしニーロ卿をお借りします」
それから「ハギ、来て」と小声で囁くと、俺の手を引っつかんで歩き出す。
不思議そうな姫様を残して部屋を出て、扉を閉めるなりで襟首掴んでがくがく揺さぶられた。
「ちょっと何あれ! あれ何! なんで分かるの!?」
いやあれってどれだ。俺には君に言ってる事がさっぱりだ。
「こないだっから、シンシア様に名前呼ばれるだけで意思疎通してるでしょ! なんであれだけで通じるの!?」
「え、いやなんか、声の調子とかタイミングとかでなんとなく? というか耳がいいって言ってたし、ナナちゃんもてっきり分かってるもんだとばっかり……」
「分かるわけないでしょーが! なんかもう腹が立つんだけど!」
中の姫様に聞こえないようにという配慮だろう。小声で声を張り上げるという妙技を駆使するナナちゃんである。
付き合いの長い自分が置いてけぼりな悔しさは理解できなくもないけれど、あの、あんまがっくんがっくん揺さぶんないでください。舌噛みそうだから。
やたらと興奮気味のナナちゃんをどうどうと宥めて、
「でも姫様だって、なんとなくだけど分かってる感じだぜ?」
「そうかなあ? ……ひょっとしてシンシア様からハギは伝わっても逆は無理な一方通行だったりするんじゃない?」
ようやく俺の襟を開放しつつ、それでも疑い深い視線を向けてくる。
「じゃあ試してみようぜ。それが一番早いし」
「え、試すって──」
ナナちゃんが言い終わるのを待たずに扉をノックして顔を突っ込み、
「姫様」
「ああ、おおよそだが伝わらなくもないな」
呼びかけるとそういう返答だった。
「ほらみろ」と得意げに振り向いたら、ナナちゃんは俯いてぷるぷる震えている。
「し、失礼します!」
直後、弾かれたようにダッシュで走って行ってしまった。いやあの警護は。
「……ナナちゃん、どうしたんだろ?」
呆然と呟くと、姫様は大きなため息をついてくるくると自分の髪を弄び、
「状況は把握したが、私の口から語るのは憚られるな」
ちなみにナナちゃんはわりとすぐに戻ってきた。
でも俺とはその日一日、口を利いてくれなかった。なんだよもう。
そんな具合に午前中を過ごしたら、昼には俺は姫様んちに戻る。
姫様やナナちゃんと一緒の時もあれば、俺一人の場合もある。
後者の場合は万一に備えて護衛を、なんて話もあったけど、まだ陽の高いうちだしいざとなれば馬を全力疾走させて逃げるくらいはできるしとお断りしておいた。
すると姫様とタマちゃんとナナちゃんのそれぞれから、口々に「道草せずに真っ直ぐ帰りなさい」と言われてしまった。いや君らは俺のお母さんか。
でも真面目な話、あの風邪について俺を恨んでる人はいると思う。あの病禍の責はエイク・デュマのものって事になってはいるけど、やっぱり俺へ向く憎しみってのがあって当たり前だと思う。
なんでご忠告通り、寄り道なしの一目散で姫様んちに向かうのが常だ。たまに、ごくごくたまに、ク族院に顔出してノノと遊んでたりはするけど。
でもってそれから、昼食は主に二人か三人で取る。
姫様が外でなら俺とタマちゃんで。姫様が早上がりなら姫様を加えて三人で。俺がタマちゃんの前で手を上げても大丈夫になったからこそのお食事会スタイルってわけだ。
「姫さま以外とは、ずっとご一緒できませんでしたから」
なんて言って、タマちゃんはひどく嬉しそうに笑う。
俺は食事作ってもらってるだけの立場なのに、まるで凄くいい事してるような気になってくるから不思議である。
そういえば姫様に「タマちゃんが俺も大丈夫になりました」と報告した時、論より証拠とばかりに「いえーい」と二人でハイタッチして見せたのだけども、あの折の姫様は目をぱちくりさせた後、しばらく憮然としてご機嫌斜めだった。
あれは今日のナナちゃんの不機嫌に、何故だか通じるものがあった気がする。とりあえず女の子ってむつかしいと思う。
本来ならそれからはタマちゃんの授業かナナちゃんの訓練なのだけども、ナナちゃんの方はこのところお休み状態になっている。
以前から話を進めてる、姫様の近衛兵団の設立に彼女はおおわらわなのだ。
これはナナちゃんをトップに据えた少数精鋭の娘子軍という名目だけれど、実際はク族を馴染ませていく姫様の融和政策なのだろう。
だからこそナナちゃんが管理しきれる少人数だけを集めて、自分の目の届くところから始めさせてるわけだな。
勿論私兵の保有には反対もあったが、姫様曰く「あの暗殺未遂がいい口実になった」との事で、まったく転んでもただでは起きない人である。
とまれそういう次第で、本日は執務室で引き続き姫様のお手伝い。
……というのは名目で、ちょっと俺の相談を聞いてもらっていたりする。
実は怪我して寝てる間に、レナード・ソーンダイクって人と、俺は個人で契約をした。この人、木工品を主に取り扱っている人で、彼に竹とんぼと将棋セットの量産と販売を一手に任せたのだ。
いや単純な作りのものだし特許なんてないだろう世界だし、どうせ勝手に真似されるだろうと思っていたら、豈図らんや。
俺の許可を得て販売させてもらいたいという打診が十数件やってきたんである。
「でも簡単に作れるよな、あんなの」と首を傾げていたら、
「お前の手がけた品だ。許しのない模倣はよろしからぬと恐れられたのだろう。お前は、扱いを間違えると祟るからな」
いや祟らねぇよ。というか祟れねぇよ。
あと大変可笑しそうに仰ってますけども、そもそもその手の噂を流したのは姫様でしょうが。
「利をもたらす品かどうかは未知数だが、何にせよお前と私に繋がりを持てる好機と考えたのだろう」
俺にもちょうど思いついてた腹案があったから、じゃあこちらとしてもいい機会だと、信頼できそうな人をピックアップしてもらって商売を一任した。
公式快気祝いのパレードの折に竹とんぼが飛び交ってたのは、どうも彼の功績らしい。
ソーンダイク氏はこれを子供の玩具としてではなくて、「厄災を運んで飛び去ってくれる」という触れ込みの厄払いや病気平癒のお守りアイテムとして売りに出したのだとか。しかも「一度飛ばしたものには厄災が乗っているのでお焚き上げした方がいい」みたいな、複数本購入させて回転率上げる気まんまんの説明書きまでつけて。
そんな下地が、「病魔様の傷の治りと今後の幸福を祈って」って形であの竹とんぼ乱舞になったのだそうな。ああ、うん。民間療法ってきっと、こんな具合に出来上がるんだな。
まあそんなやり手さんなわけで、俺一人で太刀打ちするにはちょっと不安がある。ソーンダイクさんは全体的に気さくなのに時々目がひどく冷静で、「うわあ、商売人だ」って印象だ。
なので今後の細かい契約の話を取りまとめるその前に、姫様に色々とチェックとご指南をいただいていたってなわけだ。
駄目出しされたり助言されたりしていると、そこへノックの音が響いた。
「姫さま姫さま、よろしいでしょうか」
扉向こうからするのはタマちゃんの声だ。
どうしたもんかとおたつく俺をスルーして、
「構わない。入れ」
姫様がさくりと返答してしまい、そうしてドアを開けたタマちゃんは、何か言いかけたままの口の形で硬直をした。
「あの、姫さま?」
「何用だ? 見ての通り私は忙しい」
「……ハギトさんに膝枕されてくつろいでるようにしか見えませんけど?」
状況はタマちゃんの仰る通りである。
執務室のソファーに寝転がって、背中の下にクッションを敷いて高さを調節して、姫様は俺の膝を枕にくつろいでいる。
い、いやほらだって、「責任を取ってくれると、そう言ったぞ?」なんて姫様に上目遣いで言われちゃったら、そりゃ男の子的に断れるわけないじゃないですか。
「多忙の合間を縫っての事だ。大目に見ろ」
膝の上の人はころりと寝返りを打ってタマちゃんを見やると、そう開き直った。
「その割にわたし、よく目撃してるんですけど。ひょっとして毎日の事じゃないですか?」
「タルマ。お前は日に三度食べるからといって、平然と食事を抜くのか?」
まるで子供を諭す声音で姫様は問い返す。
いやあ屁理屈もいいところだなあ。それにしても姫様の髪、相変わらずいい手触りだなあ。
「ハギトさん!」
「あっ、はい」
気まずさのあまり半分現実逃避していたら、ぐりっと矛先がこっちを向いた。
「ハギトさんも、そんな『しょーがない姫さまだな、あはは』みたいな顔してないで、何か言ってあげてください!」
「いやでも」
「でもなんですか!」
「タ、タマちゃんが、前に『姫様を甘やかしてあげてください』って……」
「──ハギトさん」
あのあのタルマさん。目が笑ってないんですけど。見た目笑顔なのに、全然笑ってる感じじゃないんですけど。
「ものには、限度ってものがあるんですよー?」
……はい。すんませんっした。
俺がやり込められるのを見て、姫様はくすくすと、年相応の女の子めいて笑う。釣られてタマちゃんも小さく吹き出して、なんだか俺ばっかりが怒られ損な空気である。




