6.
「ああ──そう言えば」
本当になんとなく。如何にも「ちょっと思い出したんだけど」と言わんばかりの物憂い調子で、姫様は俺へと視線を転じる。
「お前は、私を随分と過大評価してくれていたな。英雄のようだと、お前の兄のようだと思ってくれたのだったな。だがこれで分かったろう。それは嘘だ。全部嘘だ。そもそも、」
唇だけで小さく笑い、そして彼女の表情はまた雲間の闇に飲まれて消える。
「私は無条件でお前に親切にしたわけではない。お前と初めて話したあの夜、私はお前が家族を大事に思う人間だと知った。母を、兄を、妹を、あれだけ愛おしく語るお前なら、私の事だって好いてくれるのじゃないかと思ったんだ。こんな私にだって、優しくしてくれるのじゃないかと思ったんだ。だからこそ、私はお前に親身にしたんだ。醜くて、浅ましいだろう? 軽蔑してくれていい」
そういえば俺も、姫様の家族を語る時の遠い眼差しが不可思議だった。一番近いはずの人たちの話なのに、どうしてそんな目をするのだろうと疑問でならなかった。
同じように俺の態度は、姫様にとって未知のものめいて映ったのだろう。
「この世界に独りきりのお前は私を頼るほかにない。囲い込んで側に置いて離さずにいれば、ずっと私を必要とするしかない。そう考えて代わりにしようとしたんだ、私は。孤独なお前につけ込んで、アンリの代わりにしようとした。でも、駄目だった」
夜の奥で、深く寂しい嘆息が響いた。
「お前は自分の翼を持つ鳥だ。私のつまらない思惑なんて平気で飛び越えてしまえる。なんだってできてしまうんだ」
「なんだってできるのは、姫様のほ──」
「違う!」
途端、姫様は声を荒らげて立ち上がった。きっと強く俺を睨む。
「私は何一つだって上手くやり遂げられやしない。確かに私はタルマを助けた。スクナナに手を差し伸べた。でも本当にあのふたりを救ったのはお前だ。本当になんでもできるのはお前の方だ。タルマに自分で踏み出す勇気を与えて。スクナナを人の輪に馴染ませて。どちらも私がしてやりたくて、でもできないままでいた事だ。なのに私より後からやって来て、お前はそれをなんでもないようにしてのけて!」
激情のままに姫様の細い手が、俺の胸ぐらを掴んで揺さぶる。
俺は抗わない。ただされるがままになっている。
「お前はずるい。ずるい、ずるい、ずるい! いつの間にかたくさんの人に囲まれて楽しげにしていて、なのに私はそれを輪の外から見ているしかないんだ。私だって、私だってお前のようになりたかった。ごく普通に皆に好かれたかった!」
綺麗で、頭が良くて、冷静で、判断力があって、なんでも出来て、なんでもこなせて。
俺は姫様の事をそんなふうに思っていた。
だけど今。見上げるばかりだったこの人が、俺は初めて同年代の女の子なのだと気がついた。こんな華奢な肩に色んな荷物を背負い込んで。それでも前を向いて 凛と背筋を伸ばしていたのだと気がついた。
ずっと姫様を見ていたはずなのに、俺は少しもその心を思ってなかった。
「……すまない」
ずるずると力なく、姫様の両手が落ちる。
目を閉じて、深く息を吸い。
「すまない、ハギト。身から出た錆だというのに八つ当たりをしてしまったな。不出来ゆえの甘えだと、寛恕して欲しい」
やがてまぶたを開いた彼女は、月に照らされながら微笑んだ。いつも通りに。
辛い事も苦しい事も悲しい事も、みんなみんな心の奥に押し込めて凍らせて。
そうして姫様は不敵に笑う。不敵を装って笑うのだ。
「最後に礼を言っておこう」
静かに姿勢を正して立って、姫様は淡い表情で目を細める。
月影は彼女の雪の肌を引き立てて彩って、その様はひどく儚くて、神秘的で、今にも溶けて消えそうだった。消えてなくなりそうだった。
「お前にとって、この世界への召喚はとんだ不運で、どうしようもない災難でしかなかったろう。けれど私はお前がこの世界に来てくれて、ここに居てくれて嬉しかった。ありがとう、ハギト。私はお前に出会えて、幸せだった」
考えるまでもなく、永訣の言葉だと分かった。
ここで引き止めなければ、彼女は一生手の届かないどこかへ行ってしまう。そう思った。
「──姫様!」
ベッドの上で膝立ちになり、咄嗟に手を伸ばして、俺は姫様の手首を捕まえる。
はっと怯えた顔が振り返る。いつも困っている誰かに差し出し続けてきたその手は、今は頼りなく震えていた。
けれど息を飲んで動きを止めたのはほんの一瞬だけの事。
姫様は俺の手を逃れようとすぐに激しくもがき出し、くそ、ついで利き手を出したのが失敗だった。それを抑えようと力を込めた途端に、刺された肩に痛みが走って、俺は眉をしかめる。
「痛い痛い痛いって! 傷に響くから暴れるな!」
「ならば手を離せばいいだろう!」
「嫌だね。絶対に嫌だ」
自分の言葉の通りに、俺は力を緩めない。がっしり掴んで離さない。
これでも一応ながら、毎日武器ぶん回して鍛錬に励んでるのだ。魔法強化してならともかく、素の姫様の細腕にやすやす振り解かれたりするもんか。
「勝手に最後とか言うな。痛くてたまらないのに笑うなよ。俺はな、俺は、そんな顔が見たくて君を助けたんじゃない!」
怒鳴りつけると、姫様はびくりと身を竦ませる。
そのひと呼吸の隙を盗んで、俺は掴む箇所を手首から肘へと滑らせた。そうして強く引いて、半ば引き倒すように、寝台の上に無理矢理姫様を座らせる。
まあ、お金持ちの家のでかいベッドだからこそできた仕業だ。俺んちみたいな一般家庭の寝床面積で同じ真似したら、まず間違いなく俺と姫様が正面衝突してたろう。
「何をす──」
「うるさい。いいから聞け。すっげぇ色々言いたい事があるからちゃんと聞け。全部聞き終えるまでは絶対離さないからな」
ぐっと顔を近づけて、鼻先に噛み付くようにして宣言する。
好き放題に指すだけ指して投了だなんて、そんなのは認めない。俺にだって手番を寄越せってもんである。
「俺、姫様の事はいつも凄いと思ってる。尊敬もしてる。でもこの件に関してだけは、君は阿呆だ」
「なっ!?」
「下心があった? だからなんだ。ちょっぴりでも善意以外のものが混ざってたら、それはもう間違いなのか? そんなわけないだろう。綺麗なだけの人間なんているもんか」
──ようこそ、ニーロ・ハギト。
──私がお前を歓迎しよう。私は、お前を歓迎しよう。
あの日、姫様のくれた言葉が頭を過ぎる。
きっと君は知らないんだ。あれがどれだけ俺を救ってくれたか。あれがどれだけ俺の支えになったか。
その事は何があったって嘘にはならない。姫様が俺にしてくれた事は、少しだって色褪せやしない。
「初めてここに来た時、言ってくれたろ。姫様は俺に『ようこそ』って言ってくれたろ。取り繕ってたけど俺はあの時本当に一人ぼっちで心細くて、だから泣きそうに嬉しかった。どんな思惑があったって構うもんか。それで俺が姫様に救われたって事実が変わるわけじゃない
下心があって何が悪い。思惑があってどこが悪い。それで助かる人間がいるなら、喜ぶ人間がいたなら、それは全部善行だ。姫様の本音がどうあろうと、俺は俺が助けられたって思ってる。感謝してる。それだけが俺にとっての事実だ」
例えば電車の中で、誰か席を譲ったとする。親切の気持ちの中に、「周りにいい事をしたって思われたい」って心があったとする。ならそれは、厳密には偽善となるのかもしれない。
でも実際に座れて助かった人は確かにいるのだ。なら、それでいいじゃないか。
「姫様は分かってたはずだ。俺が、ちょっと優しくしてやれば間違いなく縋ってくる奴だろうって。そこにつけこんで、説明も何もなしに使い魔にでも何でもしてしまえばよかった。絶対服従させてしまえばよかった。浅ましいなんて自称するなら、それくらいの仕業をしとかなきゃだ。でも姫様はしなかった。できたにも関わらずしなかった。やろうと思わなかったんだろう? そういう事を『したくない』って思える人を、俺は軽蔑なんてしない」
頭をフル回転させて言葉を紡ぎつつで、今更ながらに自覚する。
ああ、俺はずっとこの人に、姫様に惹かれてたんだな。
「忘れてるかもしれないけど、俺は前に伝えたぞ。『俺が姫様を嫌いになるなんて絶対にない』って。それでも足りないなら改めてもう一回だ。いいか、覚えとけ。今度は忘れるな。俺が姫様を要らなくなるなんて絶対にない」
「でも、でもお前には、お前の側にはタルマもスクナナも居て。それなら私はもう」
「誰かの代わりになる誰かなんているわけないだろうが! 大体なんだそれ。自分がいなければ皆幸せになるとか、なんだそれ? 馬鹿言うな。もし姫様がいなくなったら、俺もタマちゃんもナナちゃんも、皆揃って不幸になるに決まってる。姫様がアンリに思ったのとおんなじだ。なんでそんなになる前に言ってくれなかったんだ、縋ってくれなかったんだって、そう悔やむに決まってるだろ。そんなに俺たちは頼りないかよ。信用ならないかよ!」
姫様は抗弁しようとして口を開きかけ、けれど何も言わずに、そのまましゅんと俯いた。
破裂寸前の風船みたいに張り詰めたさっきまでとは違って、その様子にはどこか力が抜けた感がある。だから俺はちょっぴりだけほっとして、声を落とした。
「俺が何でもできるなんてのは、やっぱ違うよ。タマちゃんやナナちゃんの事だって、俺は最後のほんのひと押しをしただけだと思う。俺がたまたまその位置にいただけで、全部姫様の下地があってこそだ。そもそも二人が一番辛い時に、俺は間に合ってないんだぜ?」
それに、である。
もしたった一人の味方であるはずの姫様に、ある日唐突に一人でも歩けるようになれと言われたら。タマちゃんは見捨てられた、裏切られたって感じたんじゃないだろうか。
もっと周りと上手くやれって言われたら、ナナちゃんはそれを命令として受け取って、機械的に無感情にそれをこなすだけだったんじゃなかろうか。
結局俺のした事なんて、無責任な部外者だからこそ押し付けがましくできた仕業だ。
「姫様はさ、できなかった事に目が行き過ぎなんだよ。自分が何をしてあげたのかもちゃんと見るべきだ。手からこぼれたものよりも、すくい取ったものを知るべきだ。これはナナちゃんの受け売りだけど、『世界を見るのは自分の目、世界を思うのは自分の心』なんて言うそうじゃないですか。自分だけの視点だと、人間結構大切に気づかなかったり、大事を見落としてたりするもんなんです。だからちょっとだけ振り返って、それで自信を持ってください。自分がどれだけ慕われてるか、ちょっぴりでも気づいてください。オレもタマちゃんもナナさんも、皆姫様の事が好きだから」
やがて。
口は閉ざしたままながら、姫様がこくんとひとつ頷いた。
俺は詰めていた息を吐き出して彼女の肘から手を離し、でもってぎょっとした。掴んでた部分が、見事に指の形に赤くなってる。意識してた以上に強い力で握りっぱなしにしていたっぽい。
いやこれやばくないか。元の肌が白いだけに痛々しくて、俺、後で処刑されたりするんじゃあるまいか。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫だ」
姫様はふるふると首を振り、それからこちらを向いて口の端で笑う。
──あ。
まだ半分くらい泣き顔で、それでも自分を律して振舞うその姿を見た途端、不意に俺の中に蘇った光景があった。
それは親父が死んで、しばらくしてからの事だ。些細な事でおふくろと喧嘩をして家を飛び出して、それで泣いていた俺を兄貴が探しに来た時の事だ。ヒーローの条件を聞かされた折の事だ。
「泣いてちゃヒーローにはなれないぞ」
「泣いてなくてもなれないよ」
「いいや、なれるさ。その時そこに居る事。何かしようと思える事。ヒーローの条件なんてただそれだけで。それくらいの代物で。だからな、萩人。本当なら誰だって、誰かのヒーローになれるんだ」
俺に背を向けて語る兄貴は、確かに泣いていた。
あの頃は父親の死という不安と喪失から、うちには小さな不和と苛立ちがいつも積み重なっていた。当時中学生だったにも関わらず、おふくろを手伝って励まして、俺や杏子の面倒を見てと、兄貴は必死に立ち回っていた。
けれど当然ながら思春期の子供に、そんな何もかもが背負えるはずがない。重たくないわけがない。兄貴はいつも自分の力不足を感じていたんだろう。
誰にでもなれるというヒーローの条件。
それは強くなくても凄くなくても、それでも足掻こうという意思の表明であり、同時に垣間見せた兄貴の弱さでもあった。
兄貴だって、俺と同じだったんだ。
思うような自分になれなくて、歯噛みして地団駄踏んで、だけどそれは決して見せずに、必死に強い素振りで生きていたんだ。
だってそうじゃないか。「誰にでもなれる」って事は、裏を返せばヒーローだって普通の人って事だ。兄貴だけがそれに当てはまらない道理がない。
なのに、俺はそれを看過した。見て見ないフリをした。
兄貴は俺のヒーローだったから。なんでもできる万能の、憧れのヒーローであって欲しかったから。
その弱さを許せなくて、認められなくて、兄貴の涙の記憶に蓋をした。そうして甘えて頼ってもたれかかった。ヒーローの条件の実態なんて少しも見ずに、ただその言葉をおまじないのように覚えているだけだった。
くそ、どんだけ不詳の弟だ、俺は。
しかも姫様に対しても、まったく同じ真似をしでかしてる。
姫様は普通の女の子なのに、それなのにいつも背中をしゃんと伸ばして、英雄のように振舞っていたのに。
俺は彼女を特別だと思って、思い込んで、そこでそのまま思考停止してた。俺なんかとは違うんだって決めつけてた。
──自信満々そうですけど、本当はとっても自信がないんです。
──自分が誰かの役に立ててるのかって、誰かに必要としてもらえるのかって、それを気にしちゃう人なんです
タマちゃんからそう聞いてたじゃないか。「姫様を特別扱いしすぎだ」って言われてたじゃないか。
なのにやっぱり俺はそれを無視して、たまに見せる姫様のしくじりを、脇が甘いだの子供っぽいだのと評価していた。一体何様のつもりだよ。
憧れてるだけなのは楽だ。自分じゃ何もしなくていいから。
ようやく気づいた
ヒーローなんていなかった。どこにも。
俺の前にいたのはヒーローなんかじゃなくて、俺が憧れてたのはヒーローなんかじゃなくて。ちょっとだけ背伸びをして、少しだけ頑張る誰かだったんだ。
ヒーローの条件は、それは足りない勇気を振り絞る為の言葉だ。
自分に言い聞かせて、そうして一歩、前へ踏み出す為の言葉だ。
普通の人が誰かの為に普通でなくなろうとする。だから崇高で、だから尊くて、だからこそ。
「姫様。姫様はさ、特別なんかじゃない」
額がくっつくほどに近づいて、俺は彼女にそっと囁く。
「だからいいんだ。辛いのも苦しいのも嫌なのも、我慢しなくていい。今だってそうだ。俺に掴まれて痛かったなら、文句を言ってくれてよかった。遠慮なく引っぱたいてくれてよかった」
誰にだって苦しい時だって辛い時だってあるはずだ。寄りかかりたい時があるはずだ。
なのに皆が何もかもをヒーローに背負わせて押し付けたなら、それなら一体誰がヒーローを救うんだ。独りで立っていられる人間なんていやしないのに。
「もう一度言うよ。姫様は特別なんかじゃない。完璧なんかじゃない。ただの女の子だ。だから弱音を吐いたり不貞腐れたり、投げ出したり諦めたりしていいんだ。そんなの当たり前で当然だ。だからやっぱり当たり前で当然に、誰かを頼ったり、誰かに寄りかかったりしていいんだ。もし体面とか体裁があってそれが無理だっていうんなら、せめて俺の前でくらい、弱いままでいてくれないかな」
不出来な俺でも、このヒーローみたいな人の為の止まり木みたいなものに、それくらいにならなれないだろうか。
そんなふうに思う。
「特別なヒーローなんてどこにもいない。でも俺はここにいて、いつだって君の味方をしたいって思ってる」
だって特別なんかじゃない君は、誰より俺の特別だから。
そうして、しばしの沈黙の降りた。ひどく凪いだ気持ちで、俺は彼女の言葉を待っている。
「……そんな事、」
やがて月が満たす部屋の中、聞き取れないくらいに小さく姫様が呟いた。
「そんな事、誰も言ってくれなかった」
そりゃまあそうだろう。
だって姫様、何も知らない外から見てたら完璧超人だし。才能と自信に満ち溢れてて、人生順風満帆っぽいし。
実情を知ってる近くの人、つまりはタマちゃんナナちゃんは姫様に恩義があるって、その上立場ってものもある。
加えて必死で努力してる人、懸命に頑張ってる人に向けて、「そんな事したなくていいよ」なんて水を差す台詞は普通言えない。
無礼千万な俺が、こんなタイミングを得てこそだろう。
「私も、思ってもいいのかな?」
ちらりと俺の顔を見て、また視線を下に落として。
それから姫様はおずおずと手を伸ばして、俺の袖を指でつまんだ。
「ならば私も幸せになりたいと、そう思ってもいいのかな?」
「勿論。それ、俺の国じゃ基本的人権なんで」
えーと、何条だったか忘れたけども、「幸福を追求する権利は、人様の迷惑にならない限り最大限に尊重するよ」ってな条文があったはずである。いやもうびっくりするほどいい事書いてあるな、日本国憲法。
「だから他世界人の俺としては、こっちでもそういうスタンスを貫こうと思います。てなわけで、姫様はご存分に幸せになってください。誰憚る事なく、何一つ後ろ暗く思う事なく、当たり前に」
うん、と小さく頷いて、姫様は深く深く息を吐いた。
試すように、じっと俺の目を覗き込んで、
「ハギト」
「はい」
「責任は取ってもらうぞ」
「いや何の責任ですか」
……って、あれ? なんか既視感があるぞこの流れ。
「決まっている。私に、寄りかかる事を覚えさせた責任だ。言っておくが、私は重いぞ?」
「それなら、望むところです」
試すような眼差しを見つめ返すと、姫様はわっと頬を紅潮させ、まるで何かを待つように目を伏せる。
ほつれた前髪が額にかかって、妙な色気があった。月の施す陰影が普段の神秘的な印象をいや増して、ああ、やっぱこの子凄い美人だよな、なんて美術品のような顔に見惚れていたら、姫様は唐突に、とても不機嫌めいて眉を寄せた。
身を乗り出して手を伸ばして枕を取って、それでべしべしと俺を乱打し始める。
「ええい、気の回らない男だな、お前は!」
え、ちょっと待って。一体何のご乱心ですか。
「女の泣き顔をしげしげと見るなと言っている!」
「あ、いやでもほら、俺も前に泣いたとこ見られてるんで、これでおあいこ──」
「うるさいっ」
ばふ、と顔面に枕を叩きつけられた。大変やわらかいやつだから痛くはないけれど、なんたる理不尽か。理屈が通用してない。
仕方ないので左手を突いて、ベッドの上のままながら後ろを向こうとしたその途端だった。
「え?」
不意に、まったく突然に、姫様の体が俺の胸に飛び込んできた。俺の背中に両腕を回して、ぎゅっとかき抱くようにする。
「え、ええっ!?」
「……本当に、気の回らない男だな、お前は」
蚊の鳴くような声で姫様が囁く。
鎖骨の辺りに顔を押し当て、埋めるようにしているから表情は見えない。でも長い髪の隙間からちらりと見える耳の端やあらわになったうなじはのぼせたみたいに真っ赤になっていて。
これはその、怒らないよな? 怒られたりしないよな?
内心戦々恐々としながらも、俺は彼女の背におずおずと触れる。あやすようにそっと撫でると、やがてその体から、少しずつ強張り抜けていく。
「もう少し。もう少しだけ、泣く」
俺の腕にすっぽり収まったままそう告げて、やがて姫様は小さく体を震わせ始める。
その歔欷を聞きながら、「こんなに華奢だったんだな」なんて、今更な事を俺は思い知っていた。




