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病は君から  作者: 鵜狩三善
邂逅の夜
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2.

 世界史の授業で、コロンブス交換という言葉を習った。

 東西大陸間の、人間を含めた動物植物文化文明思想芸能その他諸々の大規模交流を指し、アメリカ大陸到達で有名なクリストファー・コロンブスにちなんでこう呼ばれる。

 膨大な知識、物資、概念の流入と流出は多方面に多大な影響を与え、大きな進歩と発展とをもたらした。

 だが残念ながら、物事には良い面と悪い面とが必ずある。生じたのメリットばかりではなかった。

 この一大トレードによって、東西の病もまた交換されてしまったのだ。

 既知の病原菌が未知の病原菌としてそれぞれの大陸に渡り、免疫を持たない人間相手に猛威を振るった。そうして人がばたばたと死んだ。そりゃもういっぱい死んだ。


 俺がやらかしたのは正にこれだ。悪いとこだけのコロンブス交換だ。

 意図したしないに関わらず、自分の存在の所為で沢山が死んだという事実。それはぐさりと深く俺に突き刺さった。

 加えて、多分もう二度と元の世界には帰れませんという事実までもが同時公開である。

 ハートのタフさと精神的柔軟さを誇る俺ではあるけれども、このダブルパンチはかなり効いた。大ダメージだ。

 部屋の隅で膝を抱えていると諦念や絶望や虚脱感や虚無感なんかのネガティブな気持ちに絡め取られそうだったので、俺は動く事にした。

 兄貴曰く「後悔先に立たずとは、先ず行動しなければ後悔すらもできないという意味だ」。

 道に迷ったらとりあえず走れが家訓である。そのうち事故りそうな気がしなくもない。


 そんなわけで、爺ちゃんを見送ってから、俺は館の中を見て歩いた。

 もし動けなくなってる人がいれば看病なり何なりで助けになりたいと思ったのだが、大半が俺の顔を見るなりダッシュで逃げた。

 そうだよな、そりゃ逃げる。あっちからすれば俺は病魔の化身みたいなもんなのだ。逃げ出さない方がどうかしている。などと納得してはみたものの、やっぱり傷つく。俺の心はタフで柔軟で繊細なのだ。

 おまけに熱血思考の勇者様にも襲われた。


「見つけたぞ病魔め! お前を倒せばこの病も払拭(ふっしょく)されよう!」


 雄叫(おたけ)んで斬りかかってきたので、今度は俺がダッシュで逃げた。現役陸上部の逃げ足を舐めてはいけない……などと嘯い(うそぶ)てから、ああもう現役じゃないかもと思い至ってまたちょっと凹んだ。

 しかしこの手の(やから)がただ一名だけとは限らない。他にもいらっしゃりやがる可能性がある。となると、元の部屋に戻るというのは流石に危険だ命が危ない。

 襲撃者を振り切ったのを確認してから、俺は邸内探索に移行。使われてなさげな二階の一室を見つけて、そこに身を潜め──でもって、いつの間にか寝てた。

 完調じゃないのに頭使って走り回ってだったから、ひと安心したところで疲れがどっと出たものであるらしい。次にはっと気づいたら、日はもうとっぷりと暮れていた。

 うーむ、寝入っている間に見つかったりしなくてラッキーだった。こっちに無理やり喚ばれた時点で、悪い運は使い切ったのかもしれない。

 目をこすってから、さて、と両頬を叩いて気合を入れ直し耳を澄ます。物音は特に聞こえない。

 恐る恐るで廊下に顔を出してみると、屋敷には明かりのひとつも灯っていなかった。初日、連れ回された時にはあちこちにあった人の姿はまるでなく、ひょっとしたら邸内はもう無人なのかもしれないと思えた。

 結構広い屋敷だから、使用人とか住人とかもその分多かったに違いない。それが風邪を怖がって大移動したとなると、感染拡大が割と心配なのだけれども、これは今更しても遅きに失している。

 まあ爺ちゃんに警告はしておいたし、きっと対処はしてくれたと思っておきたい。

 すると俺が次にすべき現実的な行動はひとつ。食料の調達である。朝から何も食ってないので流石に腹が減った。

 台所を探し求めて、俺は廊下に滑り出る。

 薄暗い館の中は、ちょっとだけホラーハウスを連想させた。俺の知る日本式建築よりも天井が高く、その分雰囲気ばりばりである。

 ……いや別にビビってたりなんてしてないですよ。してないですってば。ええ、決して。

 差し込む三色団子の光で、廊下の窓際はそれなりに明るい。

 むしろ屋敷の中よりも、外の方がよっぽど光量があるのじゃあるまいか。思いながらちらりと前庭を見下ろしたら、そこに鈍くぎらりと光るものがあった。


「……」


 俺、数秒思考停止。

 何故ってそれは金属の反射光だったからである。しかもただの金属じゃない。その正体は槍の穂先と板金の鎧兜。つまりは人をぶっ殺す為に鍛えられた凶器の、怖い輝きだった。

 いつの間にやら館の前庭へ、びっしりと西洋風鎧武者が詰めていた。

 人が中に入って動いている鎧というのは初めて見たが、奇妙にずっしりとした現実感と物凄い威圧感とがある。反射した光を鈍いと形容したように、鎧はあまりきらびやかさのない、くすんだ色合いをしている。

 でもそれが(かえ)って、実用品という印象を強く与えた。

 いやちょっと待てよ落ち着けなんだこれ。

 一体全体何事だと窓に寄ってよく見れば、彼らが居るのは庭にだけじゃなかった。

 明るい月のお陰でよく分かった。鎧の一団は、どうやらこの屋敷をぐるりと取り囲んでいるものらしい。この窓からは見えないが、きっと裏手までびっしりだろう。


 一瞬、ほんの一瞬だけ、拉致監禁された俺を助けに来てくれたのかなんて考えが頭を()ぎった。が、まず違うだろう。

 ちょっと自分の立場を、あちらさんの側から考えてみればいい。

 つまり「現れるや否や老若男女の区別なく死病を撒き散らし、三日でこの館を無人に変えて不法占拠した狼藉者」。わーい、明らかに悪役だ。

 するとこの十重二十重(とえはたえ)の包囲網は、正しく俺対策であろう。鎧武者の威容は見えているのじゃなくて、俺へのプレッシャーとして、きっと見せているのだな。過剰評価もいいところだ。そして平和的解決は望めそうもない。

 それにしても立てこもり犯の気分を味わえる貴重な体験である。いや味わいたくなんてなかったけども。


 ──ああ多分俺、ここで殺されるんだな。


 妙に落ち着いた、諦めたような気持ちで、そんな事を考えた。

 企ててでなくとも人を殺した俺は、裁かれて罰を受けるのがいいのだろうと思う。そうなるのが正しくて、そして楽なような気がした。


 その時、だった。



 無骨な鎧の群れの中から、人影が歩み出た。

 一切非武装の、優美なシルエットだった。ふんわり場違いに優美にたなびくスカートと(せな)に翻る長い髪から、それが女性であると知れた。

 月下。

 その人は悠然と歩む。

 ひどく姿勢がよかった。頭の上下動がまるでない、見られる事を意識したモデルみたいな歩き方だった。

 視線は、しっかりと俺に据えられている。

 明らかに俺がここに居るのを把握しているふうだった。

 いや、それは当たり前か。カーテンも何もない窓際、月明かりにもろに照らされながらちょろちょろと動いてたわけだから、注視している連中が気づかれない方がどうかしている。


 彼女は鎧の群れから完全に抜け出ると、包囲網と館の丁度中間地点で足を止め、こちらに向かって頷いて見せる。

 ちょっと考えてから理解した。

 あれは多分交渉役だ。慌てて窓を開けると、直ぐに凛然とした声が響いた。


「こちらに害意はない」


 綺麗に澄んでいるのに同時に冷たい厳しさを孕む、それは冬の結晶のような声だった。


「お前と話がしたいのだ。寄らせてもらうぞ」


 途端、鎧武者たちがざわめく気配がした。

 表情こそ見えないが動揺した雰囲気なのは明らかだ。この包囲といいこの反応といい、どうも俺に対してばっちり警戒している様子である。

 だというのに俺に対していきなりの接近宣言をしたものだから、それを暴挙と感じてうろたえたものなのだろう。

 そんな兵隊さんたちの狼狽を代表するように、鎧の列からまたひとり、鎧姿ではない人物が飛び出した。おそらく引き止めようとしたのであろうけれど、その動きは、しかし交渉役自身の手のひらで制される。


「私ひとりだ。他には誰も近づけない」


 再び宣誓がなされ、視線がひたりと俺を射た。

 慌てて首肯(しゅこう)し、それからこれじゃ見えないかもと気がついて、大きく手招きをする。

 応じて彼女はひとつ頷き、止めていた歩みを再開。館の壁際までやってくる。

 立ち位置的にはロミオとジュリエット、ただし男女逆ってな感じになった。いやバルコニーじゃあないけども。


 そうして俺は、間近にその人を見る。

 強く意志を湛えた薄紫の瞳が、逸らさずに俺を見返す。

 身にまとうのは意匠(いしょう)を凝らされたドレスだった。

 光線の具合で淡く黄金とも、輝く白銀とも見える絹糸のような髪が、更なる装飾めいてきらめかしく彼女を彩る。

 人の目を吸い付ける、強烈な存在感があった。まるで磁力みたいだった。

 おそらく俺とそう変わらない、少女と呼んでいい年頃のはずだ。なのにその立ち姿には風格すらが漂っている。

 もし仮に彼女が役者だとしたら、絶対に脇役は務まらない。舞台にこの人が出た瞬間、視線は一点に集中してしまう事だろう。

 立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹、歩く姿は百合の花。大仰なようだけれど、そんな賛辞がよく似合う。

「お前のかーちゃん美人だよな」「お前の妹可愛いよな」などとクラスメイトから賛辞を受ける新納家の女性陣ではあるが、そのおふくろや杏子ですらも、こうまで人目を惹きはしない。

 というかおふくろの方は花というより地雷である。もう全体的かつ全面的に地雷である。立てば爆薬座ればドカン。


 余談はさておき。

 目鼻立ちが整っているとか、美人だとか美少女だとか、そういう在り来りな感想に至れたのは、しばらくが経ってからの事である。俺はすっかり、彼女がまとう空気に飲まれてしまっていたのだ。

 比喩ではなく──いや俺にとっちゃ本当に比喩じゃないのだが──文字通りに住んでいる世界が違う。そんな印象だった。

 俺は多分生まれて初めて、人に見惚れた。


「シンシア・アンデールだ」


 ぼけーっとしていた俺を我に返らせたのは、彼女の名乗りだった。

 いかんいかん、きっと「なんだこいつ」とか思われてしまったに違いない。

 とりなそうとあたふたする俺を尻目に彼女は手で館の扉を示し、


「入れてもらうが、構うまいな?」


 言って、笑った。

 (あで)やかなドレスには少しも似合わない。

 けれど彼女自身にはひどく似つかわしい。


 それは、そんな不敵な笑みだった。

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