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病は君から  作者: 鵜狩三善
特別なんかじゃない
67/104

1.  ※

 もしあなたの周囲に傑出した人がいないなら、

            あなたがそれにならねばならない。


                      ──ユダヤのことわざ






 気がついたら、家族四人でいつものように食卓を囲んでいた。

 寝ぼけ眼のおふくろと杏子がよろよろと席に着いて、兄貴が作った朝食を俺が台所からテーブルに運んで、そうして「いただきます」。

 なんて事のないただの日常風景なのに、ひどく懐かしくて涙が出た。

 何故だろうと首を捻っていると、兄貴が俺に向けて何か言う。けれど何を言っているのかが聞き取れない。わんわんと耳鳴りが始まって、誰の声も聞こえない。

 そうするうちにすっと周囲が暗くなった。俺だけが暗闇に切り取られて、他の三人は卓に着いたまま、足も動かさずにすいすいと遠ざかって。そうして俺独りが、そのまま置いてけぼりになる。

 待ってくれと手を伸ばして、それでずきりと肩に痛みが走って目が覚めた。


「……」


 俺はベッドに横たわって、それだけは夢と違わず、天井に向けて片腕を突き出していた。ぼーっとした目に映る風景は、まるで見知らぬものだ。洋間の一室なのだろうけれど、元の俺の部屋でも、こちらの俺の部屋でもない。

 そんな「元」だの「こちら」だのという自分の思考で、少しだけ頭がはっきりとする。


 ──ああ、ここは俺んちどころか日本じゃあないんだっけ。

 

 首、肩、肘、手首、膝、足首。

 全身の関節に満遍なく鈍い痛みがあった。こめかみにずきずきと脈打つみたいな疼きがある。高い熱が出ている印だった。

 その所為か、どうにも頭がよく回らない。

 幾度か目を(しばたた)かせてていると、突き上げたままの俺の手に誰かが触れた。手のひらをそっと(くる)んで、体に沿わせて横たえる。

 俺が動いた拍子ではだけた掛け布団を静かに直して、ぽんぽんとあやすように上から叩いた。 

 ぼんやりとしたままの視界が、誰かの影だけを捉える。


「大丈夫だ。私は側にいる。お前を置いてどこへも行かない」


 影はやわらかくそう言って俺の額に触れる。よく知っているのに思い出せない、けれどひどく安心する声だった。

 そういや昔から熱を出すと、おふくろとか兄貴とか杏子とかが、入れ替わり立ち替わりで側に居てくれたものだっけ。

 多分、俺は少しだけ笑った。

 それからまた目を閉じて、とろとろと眠りに落ちていく。




 そんな具合に短い覚醒を繰り返して、俺がようやく復活したのは数日を経てからの事だった。

 姫様とタマちゃんが交互に回復魔法を施術してくれるお陰で、もうすっかり肩の傷は塞がっていたりする。

 そして外傷は治せても腕がちゃんと動くかは保証外との事であったのだけれども、幸いこちらも若干痛みが残ってるくらいで、ほぼ問題なさそうな様子。やっぱり凄いぞ回復魔法。正しく使えば実に頼もしいぜ。

 でも大怪我の治療ってのはとんでもなく消耗するものらしい。あのふたりにはいくら感謝しても足りる事がなさそうだ。

 しかし今はけろっとしているものの、実は俺、一時期は結構危篤状態だったらしい。万一に備えてすぐに駆けつけられるようにと、俺が寝かされていたのは姫様やタマちゃんの私室のすぐそばのひと部屋にだった。道理で見知らぬ風景で、そりゃ俺もつい心細くなったりするわけだ。

 ちなみにぼんやりとながら意識を取り戻した後は、とにかく事あるごとにナナちゃんが顔を出しに来ていた。あまりに頻繁なので、「怪我人を起こすな。眠れるだけ眠らせてやれ」と姫様に叱られたくらいである。

 しょんぼり俯くその有様ははしゃぎすぎて怒られた子犬のようで、悪いけれどちょっと笑ってしまった。勿論じろっと恨みがましく睨まれた。あ、いや、俺の事心配して来てくれたのに、なんかごめんな。

 とまれ「魔法じゃどうにもならない部分も多いですから、よく食べてよく寝てくださいな」とタマちゃんに言い渡されて、以降はひたすらごろ寝の日々である。


 ただなんというか、姫様がやたらと俺の世話を焼きたがるのには閉口した。

 いやありがたいんだけど、気持ちは凄く嬉しいんだけど、でも「利き手がまだ動かないから食事が不便だ」なんてボヤいたら手ずから食べさせてくれようとしたり、「気持ち悪いから体を拭いたい」とか言ったら自分で拭こうとしてくれたりとか、なんというかその、色々と困る類の親切なのだ。

 おまけに必死で断ると、


「そんなに私にされるのが嫌か。ではタルマとスクナナのどちらが所望だ」


 なんて不満顔で問い詰めてきたり。、

 いやなんでその二人の二択なんですか。俺が自分でやるって選択肢はないんですか。



 まあそんな私情はさておき。

 更に俺の容態が安定したところで三人が揃ってやって来て、そこで初めて、俺はあの一件のその後の顛末を聞く事ができた。

 まず弟さんことアンリ・アンデール。

 彼は王族暗殺未遂で捕縛され、尋問を受けている。とはいえアンリ自身も王族であるから、自宅に蟄居くらいの処罰であり、後継を外される以上の処罰はないだろうとの話だった。

 そして実は暗殺未遂よりやばい違法なマジックウェポン使用の件であるけども、これは俺と姫様と弟さんの三人しか目撃者がおらず、全員が口をつぐんでおけば問題はないとの事。


「あー残念だなー。弟さんには仕返ししときたかったんだけど、俺一人がそんな事騒ぎ立てても証拠不十分だろうし。それじゃあしょうがないよなー。証拠がないんじゃあなー」


 なんて感慨を述べておいたら、姫様に深々と頭を下げられてしまった。いやいや俺は復讐したかったって言ってるんだから、お礼するとこじゃないですよ?

 でもって比較的罪の軽い弟さんの罪を引っかぶせられたのがロイド・デルパーレだ。

 王族を謀って、犯行を教唆して、自らも加担して、まず処刑は免れない状況だとか。

 おまけにこの男と結んでいた連中は、「お前たちはどちらに味方するんだ? ん?」と姫様ににっこり微笑まれた途端手のひらを返して、山盛りの証拠を提出。温情を乞うている次第で助命嘆願なんかも集まりそうにない。

 ちなみにこいつ、火傷の痛みに呻いているところを()え無く御用となったそうである。どうも人を痛めつけるのは好きでも自分が痛いのは駄目だったようで、割れた窓の下から一歩も逃げていなかったらしい。

 自業自得ながら、踏んだり蹴ったりの結末だ。


 そうそう、そして俺の胸元からアンリの切っ先が逸れた件と雷撃の痺れからいち早く回復した件。

 これらは両方とも、タマちゃんがくれたお守りのお陰であると判明した。俺に秘められたスーパーパワーがぎりぎりで覚醒したのかと思ったのに、全然そんな事はなかった。

 そういやタマちゃんからは「魔法のお守りが作れる」って発言を以前聞いている。

 どうせ学業成就とか安産祈願とか無病息災とかそういうのであろうと思い込んで、「ふーん」と聞き流してた過去の俺を蹴っ飛ばしてやりたい気分になった。

 なんでもこれ、刀槍剣戟の難を封じて更には火雷水石に毒伏せまで施した逸品だとかで、タマちゃんが前見てたアクセサリーのカタログみたいな本、あれはこの為のお勉強であったのだな。


「ハギトさんは無茶なさる方っぽかったので、贈ろうと思ってちょっと前から作ってたんです。まだちゃんと完成はしてなかったんですけど、役に立って何よりでした」


 ご明察です。すっかり命拾いをしました。

 ついでにふと思い出してしまって頬を撫でたら、どうやらすぐさまで伝わってしまったらしい。タマちゃんがぽっと頬を赤らめた。


「でもでも、ハギトさんの事一番心配してたのは姫さまですからね。ハギトさんが目を覚ますまで、ずーっと側についてたんですから」


 不覚の反応を誤魔化すように、タマちゃんは急に声を大にする。 そうして俺は束の間の覚醒の折の心細さと、その時側にあった気配とを不意に思い出した。

 あれは姫様で、約束通りどこへも行かずにいてくれたんだな。


「『どうせ心配で集中できない。非効率だから政務の一切は委任する』なんて言って、お為ごかしやおべんちゃらのお見舞いも全部断って、どうしても離れないと駄目な時以外はわたしとヴァンさまも近づけないでふたりっきりで……いたっ!?」


 上がった悲鳴は、姫様に向こう脛を蹴っ飛ばされた事によるものである。  

 うん、口は禍の元だぜ、タマちゃん。


「まあ、私がお前を案じていたのは真実だ。なにしろハギト、お前は私の恩人なのだから。そして随分と遅くなったが、やっと言えるな」


 こほんと咳払いをしてから姫様は俺の枕元へと寄って、それから(うやうや)しく一礼をした。そうしていつものように、優しく不敵に笑んで見せる。

 楚々とした面立ちや美しく豪奢なドレスとはちぐはくだけれど、それは彼女にひどくよく似合っていて。


「──助けてくれて、ありがとう」


 ああ、俺はこの人を守れたんだ。

 この時になって、やっとその実感が湧いた。色んな人が力を貸してくれたお陰だったり、わりと無様を晒しもした。でも、俺はちゃんとやり遂げられたのだ。

 そうしてもうひとつ、今更みたいに分かった事がある。

 俺はきっと、姫様のこの笑顔が大好きなんだ。だからそれが失われなかった事が、こんなにも嬉しくて、誇らしい。

 急に胸が詰まって、どうしてだか俺の方が泣きそうになってしまう。


「残念だが、私はそろそろもう行かなければならない。このところの我が儘で迷惑をかけた分を、取り戻さなければならないからな」


 言葉を失くしている俺の頭をぽんとひと撫でし、姫様はナナちゃんへと視線を転じる。


「スクナナ、今日は別の者を護衛に連れて行く。お前はここに残って万全を尽くせ」

「はっ!」

「タルマはハギトに食事をとらせてやってくれ。お前の事だ、支度は整っているのだろう?」

「はい、もちろんですとも。ちゃんとスープの用意がありますよ。どうですか、ハギトさん。すぐにお持ちしましょうか?」

「あ、うん、お願いしてもいいかな」


 言われてみれば、結構な空腹だった。でもって頷いてから気づいた。

 ここしばらく、俺は変な周期で寝たり起きたりを繰り返していた。だのに目を覚ますたびにタマちゃんは、「すぐにお出しできるのがありますけど、お腹空いてませんか?」と訊きに来てくれてた。

 つまりこの子ってば俺がいつ起きてもいいように、常時準備してくれてたのだな。


「タマちゃん、いつもありがとう」

「いいえー」


 タマちゃんは、にふ、とものやわらかい微笑で受ける。

 そんな俺たちのやり取りを眺め終えると姫様は、


「では、後の事は二人に任せる。ハギト、タルマとスクナナの言う事をよく聞いて、養生するんだぞ?」

「俺は聞き分けのない子供かなんかですか」


 ツッコミを背中で聞き流し、そして部屋を出る直前で、姫様はふっと思い出したようにドアの隙間から頭だけを覗かせた。


「ああ、そういえばひとつ忘れていた。ハギトはまだ利き腕が上手く動かないようだ。食事の折はどちらかが面倒を見てやってくれ。ハギト自身が手を上げさえしなければ、タルマも側にいるのは平気だろう?」


 いや俺一人でできますから。独力で食べれますから。もうそんな重傷じゃないですから。

 などと抗弁するより早く、


「じゃあわたしが」

「では、自分が」


 それを契機にしたようにタマちゃんとナナちゃんが同時に一歩進み出て、直後、二人の間でばちっと見えない火花が散った。

 え、何、何、なんだよこの緊迫感。

 何故だか扉の向こうから、姫様の悪戯っぽい笑い声が聞こえた気がした。



挿絵(By みてみん)

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