14.
「やはり来たか、使い魔」
応接室の前で仁王立ちになっていたフルプレートが、がちゃりと重い金属音を立ててこちらを向いた。既に抜き払った大剣を杖のように床につきたて、柄頭の上に片手を乗せた半臨戦態勢である。
ロイド・デルパーレ。
その姿と武装した人間の威圧感とに、心臓が早鐘を打ち始める。じわりと手に汗が滲むのが分かった。けれどその姿を見て、俺は同時に少しばかりの安堵を覚えてもいる。
こいつがここに居って事は、中の状況はまだ膠着したままって事だ。おそらくだけど姫様はまだ無事のはずで、つまりは間に合ったって事だ。
「ああ、お客様にお食事を持ってきたんだ。通してもらえるかい?」
「お二方は誰も入れるなと仰せだ」
切った張ったを始めるにはまだ少し遠い間合いで鍋を持ち上げて見せたけれど、鎧男の返事はつれない。
ま、そりゃそうだよな。俺も寸銅鍋こそ抱えちゃいるが、その他に皿も食器も所持しちゃいない。これで給仕と勘違いしてもらえたらびっくりだ。
「理解力が足りないな。邪魔すんなそこをどけって、遠回しに言ってやってんだよ。お前アンリの犬だろう。飼い犬なら犬らしく、命じられたらキャンと鳴いて尻尾を巻けよ」
「負け犬が、よく吠える」
天気の話題代わりの挑発を、鎧男は鼻でいなした。
あ、うん。まあそうですよね。言っておいてなんだけど、俺も自分で負け犬の遠吠えっぽいなと思ってた。ナナちゃんの乱入がなけりゃ、第一ラウンドは俺の完敗だったわけだし。
「しかし、だ。一度はこちらの浄瑠璃を破綻させてくれた貴様だが、今回は実に良く踊ってくれたものだ。礼のひとつもくれてやらねばな」
「……どういう意味だよ」
「ク族の一件を大仰に騒ぎ立てたのは貴様だろう? 近衛の野良犬を除くだけのつもりだったが 随分と奴らの守りに人を割いたじゃあないか。お陰でこちらが手薄になってくれた。これほど楽に運ぶとは思わなかったぞ」
近衛の野良犬ってのがナナちゃんを指すのだと理解したところで全貌が見えて、俺は舌打ちをした。
ク族の戦闘能力の高さは、この世界じゃ広く知られたものだ。
だから姫様にちょっかいをかけたいアンリ一派には、側に侍るナナちゃんの存在が邪魔だった。だから彼女への牽制として、ノノに手を出したのだろう。
誘拐自体は不首尾に終わったけれど、その後の俺のご注進と姫様のお人好しぶりの合作で、ク族院へ人を派遣するのは半ば常態になっていた。つまりこいつらは十二分な成果を得たってわけだ。
思えばこの鎧男、殊更に自分がアンリの一味であるのをアピールするようだった。あれはこういう副次効果を狙ってだったのだ。くそ、第一ラウンドを落としただけに留まらず、第二ラウンドは不戦敗だ。
しかもそっちが、ク族の方が本命じゃないってんなら。
「お前ら、姫様の命が目的か」
「そうだ」
確証のない憶測で詰め寄ると、鎧男は至極あっさり首肯した。
「デュマの筋書きでは弟を傀儡に姉を飼い慣らす運びだった。あの男はアンデールの姫君にご執心だったからな。だがあの女は弟より頭が切れる。神輿は扱いやすいものがいい。それにオレの都合よりもアンリだ。あの虚仮が姉の死を望んで止まるまいよ」
「いいのかよ、ご主人様を呼び捨てて」
「構わん。あのガキの機嫌を取るのはついさっきまでで終わりだ」
こんな輩が素直に弟さんに仕えてるわけがないだろうとは思ったけども、とうとう隠しもしなくなりやがった。
「今宵、乱心したアンリ・アンデールは姉の胸に刃を突き立てる。居合わせたオレは王族を獄に繋ぐを忍びなく思い、乱心者をその場で手討ちにし、その後悔を胸にステラ・アンデールの後見として玉座に侍るというわけだ」
ぺらぺらと語ってくれるのは結構だけども、いや誰だよ、ステラ・アンデール。まあ流れと苗字的に、まだ小さい姫様や弟さんの従兄弟再従兄弟の類なんだろうけど。
とまれそんなに思い通りに世の中が動くもんかよと言いたいところだが、おそらくこいつにはある程度の算段がついているはずだ。
そもそも大元の計画を練ったっぽいあのデュマは、姫様の父親を、つまりは王様を自分のプランに巻き込んでるのだ。かなり長期の根回しと手回しが施してあるに違いない。例えばこいつとって都合のいい証言しかしない目撃者がわらわら湧いてきたりとか。でなけりゃここまで強引な真似をやらかしはしないだろう。
だけどどんなにいい見通しがあろうとも、その未来と俺は相容れない。
姫様を傷つけようってその一点で、こいつと俺は、もう絶対に相容れない。
「しかしあの虚仮、想像以上に見事な姫君用の毒へと仕上がったものだ。当初は半信半疑だったが、乗ってみるものだな。デュマの見る目は確かだったというわけだ。弟との密会の場を整えてやると話を持ちかけたら、あの姫君が二つ返事で飛びついてきたぞ。お幸せな事だ。まだ姉弟の不仲を修繕できるとお思いらしい」
ロイドの舌は滑らかに踊る。
もう勝ちを確信していて、ついでに俺に負ける気は少しもしなくて、口が軽くなってるのだろう。或いは大詰めの緊張で、あちらも躁気味になっているのかもしれない。
ちらりと応接室の扉を一瞥し、なんとも小馬鹿にした調子で、
「できるわけがないだろう。無理に決まっているだろう。あれが姉の話など聞くものかよ。オレたちがどれだけ仕込んできと思っている。どれだけ長くあの虚仮の、嫉妬と猜疑と劣等感を注いで煽って膨らませ続けてきたと思っている。今更直接対面したところで、何一つ変わるものかよ」
──お前らか。
ちりちりと、胸の奥が冷たく沸騰する感触がした。
家族を語る時の、姫様のあの眼差しを思い出す。
──姫様にあんな顔させてきたのは、お前らか。
上手くやって幸せになりたいって気持ちは分かる。その為に努力するのも分かる。
でもならさ、周りも同じだって、なんで思いつかないんだよ。どうして「自分だけ」なんて考えで、他人を蹴落として見下す真似ができるんだよ。
「……だけど、よかった。朗報だ」
「何?」
「俺は人の心って、人と人との関係って、それが自然に形作られたのなら、横からはもうどうしようもないものだって思ってる。迂闊に手を出せばバラバラに崩れるジェンガみたいに。絡み合って解けない麻の糸みたいに。でも姫様と弟さんはそうじゃなかった。病根はお前らだってはっきり知れた。だから、『よかった』って言ったんだ。お前らみたいな分かりやすい悪党がいてくれてよかった、ってな」
「騙される方が悪い」なんて言いがある。
でも俺は声を大にしてこれに異を唱えたい。いや、騙す方が悪いに決まってんだろ。
だって能動がなけりゃ受動は存在しない。騙す奴がいなければ、騙される奴が出るわけないのだ。
正直なところを言えば、俺は弟さんが好きじゃない。あの僻みっぽくて神経質そうな性格とか、あんまり仲良くなれないかもなって思う。
けどもこんな事情があったなら、あのお人好しの姫様へのわずかな救いになるかもしれない。ならもう今すぐにでも、扉の向こうのあの人にそれを教えてやらなくちゃだよな。
「前向きなのご立派だが、さて使い魔、貴様に一体何ができる。気づいていないのか? 病魔としての貴様の能力は既に全てを封じられているのだぞ。一切の害意を抱いていない事の証明として、姫君は我々の目の前で術式を行使したのだ。使い魔の異能を禁じる術をな。つまり貴様はあの時と同じく、ただ一剣のみでオレと渡り合わねばならんというわけだ」
え、あ、うん。
凄い勝ち誇って言ってるけど、いやお前、ものの見事に姫様にだまくらかされてるから。俺にとっちゃそれって当たり前の事だから。
使い魔契約による禁止事項の設定なんてされたって、そもそも俺と姫様は使い魔とご主人様の関係じゃない。そりゃ使えば魔法は発動するんだろうけど、当然どこにも効果なんて出やしない。
びっくりするほど完璧な空手形である。
ただここでも姫様の行動が、やはりちぐはぐに感じられてならない。
あちらさんは俺の事をやたらと警戒してくれている。ならそれを手札に状況をより都合の良い方向へ転がしそうなものなのに、相手にただ唯々諾々と従うばかりだ。
「封じを解くには主の認可が要るが、当の姫君は扉の向こうだ。泣けども叫べども届くまい。オレとの力量差は骨身に染みていると思うが……さて、どうする使い魔?」
ロイドは大剣をぞろりと持ち上げ、威嚇するように強く、鞘の先を床で打ち鳴らした。
「どうする、だって? まるで俺が尻尾を巻くなら見逃してくれるみたいな言い方じゃないか」
「ああ、見逃してやらなくもない。だが貴様に選択肢はなかろうよ。今死ぬか、後で死ぬか。貴様にあるのはそればかりだ。所詮は使い魔の宿命だ」
一瞬何を言ってるのかと思ったけれど、ああ、そうか。使い魔条例のみっつめだ。
主人との距離が開きすぎると、それに応じて使い魔はあらゆる能力を喪失し、やがて死に至る。
実はこれ、ご主人様が死亡した場合にも適用されるものらしい。要するに主が死ねば使い魔も忽ちに弱って死ぬ。まさに一蓮托生。あちらさんの判断からすれば、俺はもう悪足掻きの死に物狂いで反撃するしかない状態ってわけだ。
追い詰めて抗わせて、それを薄ら笑いで叩き潰す。実にこいつらしい、嫌なやり口だと思う。
「つまりは手向かいするしかない、ってとこか」
まあ使い魔でない俺としてはダッシュで逃げたっていいのだけれど、姫様の事がある以上、結論は同じだ。そんな選択はありえない。それにタマちゃんからも頼まれてるしな。「姫さまをよろしくお願いします」って。
「手向かうか。そうか、歯向かうか」
肩を竦めて応じると、ロイドは嬉しげに喉の奥で笑った。
「この館の人間に決して手出しはしないと、オレの名誉にかけて誓っていたのだがな。しかし殺意を持って刃を向けてくるなら仕方あるまい。致し方あるまい。自衛の為だ」
「守る気の欠片もない誓い立ててんじゃねぇよ、鎧引きこもりの萎れ茄子が」
「シンシア・アンデール様は素晴らしい御方だ。実に純朴で純真で善良でお綺麗でお上品で、そして子供だ。口先だけの約束が、必ず履行されると信じ込んでいらっしゃる。貴様もその口か?」
声の調子は悪びれるどころか得意げで、俺はどっぷり辟易する。
そして心底から思う。
お前風情が、知ったふうに姫様を語るなよ。
「もう囀るな。お喋りは終いだ……と言いたいとこだが」
俺は体の前で持っていた寸銅鍋を、窓際に寄せて床に置く。
そうしてその影に隠していた、もうひと振りの剣を突き出して見せた。
「その前に、忘れ物を返しとかないとな」
実はこの剣、あの夜にナナちゃんが弾き飛ばしたこいつの持ち物である。捨て置いて逃げてったので、俺が拾っておいたのだ。
「あの時は必死で、落としたのに気付かなかったんだろ? そのうちにまた会う機会もあると思ってさ。大事に取っといてやったんだぜ」
当然、見覚えがあったのだろう。身構えかけていた鎧男の動きが一瞬止まる。
その瞬間に、俺は剣を床に放った。
がしゃりと音を立てて転がるそれを、遠慮なく土足で踏みつける。踏みにじる。
「丁寧に紋章も彫り込まれてるし、曰くある大事な剣なんだろう? 女の子ひとりに追い払われて逃げ出した時に落としたなんて知られたら、それこそ家名が地に落ちてたかもしれないな。いやあ、拾った俺が口の堅い奴でよかったなあ。感謝しないとだなあ」
「貴様……!」
兜に隠れて表情は伺えないが、鎧男は全身を震わせている。きっと顔を真っ赤にしてるに違いない。
プライドが高くて、実に挑発に乗りやすい性格で結構な事だ。冷静を失ってくれればその分、勝ち目が増えるってなもんだ。
「その足をどけろッ! 今すぐにだ!」
「どかしてみせろよ。お得意なんだろ、力づく」
怒声を柳に風と受け流し、俺は腰の剣を引き抜いた。




