13.
さて。
結局のところ俺たちの計画は実に簡単かつ簡潔で、まずは俺が厩までタマちゃんを護衛。タマちゃんを救援要請に送り出し、俺は応接室へ向かって姫様との合流を図る。それだけである。
要は姫様が自棄っぱちをしないように邪魔に入って、でもってなるたけ時間を稼ぐ。俺のするべきはそれだけだ。
タマちゃんの方に待ち伏せの危険が考えらたりもするけれど、実家と折り合いが悪いみたいだけど、あの子は大貴族のお嬢さんだ。なら迂闊に危害を加えらたりはおそらくないだろう。
弟さん一派だってこれからやこの後を考えているはずで、わざわざ敵を作ったり支持者を減らしたりするような行為は慎むはずだ。
まあこうしてみれば余計が消えて整理がついて、やるべきがすっきりと見えてくる。
後はできる限りをするだけだ。
そうして思案を凝らして心を定め終えたなら、本来は巧遅よりも拙速の時間となるわけなのだけれど。
乗馬の心得があるとはいえ、現状のタマちゃんはワンピースタイプのエプロンドレス姿。流石にその格好で騎乗するわけにはいかない。
しかしながらタマちゃんの部屋は1階、鎧男の陣取る応接室の近くであるから、着替えを取りに行くのはよろしからぬ雰囲気で、俺の服と靴を貸し出す運びになったのだ。
やっぱり他人の服を着るのには抵抗があるらしく、タマちゃんは少しばかり困り顔だったけれど、背に腹は変えられない。サイズが合わないのも裾を折ったり靴の隙間に布を詰めたりで誤魔化せば、当座凌ぎにはなるはずだ。
勿論女の子の着替えを覗き見るなんて真似はできないので、俺は自分の装備を抱えて部屋の外に出た。その内訳は剣と革鎧一式だ。
剣の方は正式な支給品だけれど、このところ一緒にナナちゃんのしごきをくぐり抜けてきた相棒だ。グリップは俺の手によく馴染んでいる。ショートソードとでも言うべきサイズなので、屋内での取り回しに不便もない。
でもって革鎧。
こちらは「武器はともかく防具は自分に合ったものを早く用意して、それに慣れておくべきだ」という主張の元、ナナちゃんに街に引っ張っていかれて新調した品だ。
ブーツと篭手に鉢金、それから腰、胴、肩を覆う鎧部分。それら各パーツは、手に持てばそれなりの重みが感じられるものなのだけれど、身につけると重量が上手く分散されるのか、さほど負荷には感じない。
購入前に入念なチェックをナナちゃんがしてくれただけあって、体にフィットしてるし動きやすい。
「かわのよろい」なんて言うとちょっぴり弱めの防具っぽい気もするけれど、でもこれ何の革で作ったものやら、かなり丈夫で強靭だ。同じ材質のものに剣を撃ち込ませてもらったら、その硬質の手応えに驚かされた。
ちなみに篭手部分は特注だそうで、どう加工されてるんだか五本指にちゃんと分かれて小器用に動かせるようになっている。ただし形状は左右非対称。ちゃんと防具として肘までをガードしてるのは右手側だけで、左側はまんま革グローブといった感じ。
いや左手首に翻訳さんつけてるから、どうしても体の形に合わせたものと相性が悪いのだ。かと言って「翻訳さんなしなので意思疎通ができません」てのは非常にまずい。
ところでこの革鎧の代金、実はナナちゃん持ちである。
年下の女の子にお金出させるとか駄目だろうと断ったのだけれど、
「僕からの……ううん、僕とノノからのお礼。これくらいはさせてよ。してもらうばっかりで何も返せないのって、結構心苦しいんだからね」
そう言われて押し切られてしまったのだ。
まあその後爺ちゃんから遺産もらったりしたので、この借りは返してやろうと思っている。返済だ、なんて言ったら絶対嫌な顔するだろうから、滅茶苦茶頑丈な魔法の剣でも探し出して贈ってやるつもりだ。
あの爺ちゃんエロそうな感じだったし、可愛い女の子が笑顔になる使い道ならきっと散財も咎めまい。
……などとすぐおちゃらけた方に思考がいくのは、やっぱり吹っ切ったつもりでも、まだ怖さが体の芯に残っているからなのだろう。
防具があるから制服で立ち回ったあの時よりも大分安心とはいえ やっぱり俺に命の取り合いをする覚悟なんてない。でもどうしても避けて通れないなら、それをしなけりゃならないとも思う。
鎧の着用も訓練のうちだったから、ここまでを身につけるのにさほど時間は要していない。
仕上げに剣帯を巻き、例の魔法瓶ふうの細長い水筒ともども愛刀を腰に差す。そして、もうひと振りの剣を片手に取った。別段ナナちゃんの真似して二刀流をしようってわけじゃない。あれは物凄い腕力か技術がないと、多分曲芸になるばっかりだと思う。
まあこれは借り物なので、ちゃんと返しておこうってだけの話だ。
支度を終えて窓から中庭の様子を伺っていると、そのうちに音がして俺の部屋のドアが開いた。
「ごめんなさい、お待たせしました」
出てきたタマちゃんは、その蜂蜜の髪をひとまとめに結わえて、きりりと表情を引き締めていた。
……のだけれど。
俺はついその格好を、上から下まで眺めてしまった。
「わたしの服は後で回収しますから、部屋に置いたままにしておいてくださ……あの、ハギトさん? わたし何か変ですか?」
俺の視線に気がついて、タマちゃんは小忙しくあちこちの裾を引っ張ったり伸ばしたりする。
いや如何にも女の子な空気を持ってるのタマちゃんが、ぶかぶかだぶだぶな俺の服を着たりすると、妙な色気が出るんだなあ。
「ごめん、全然変とかじゃないんだけど、いつもと印象が違ったもんで」
「ハギトさんもその格好、いつもと違って凛々しいですよ」
「馬子にも衣装って感じだけどな」
「いえいえ、そんな事ありませんってば」
お互い口だけはいつも通りを装いながら、俺たちは早足に歩き出す。
中途で靴の合わないタマちゃんがひどく動きにくそうなのにやっと気づいて、少しだけペースを落とした。こういうところが、我ながら未熟だ。
幸い、と言うべきなのだろう。
俺とタマちゃんは何の妨害も受けずに厩までたどり着く事ができた。おおよそのところで、俺たちの読みは正鵠を射ていたものらしい。
心得があると言い切っただけあって、到着してからのタマちゃんの行動は素早かった。
鞍を置き馬銜をつけて馬を引き出し……っておいこら馬。お前タマちゃんに妙に懐いたみたいな鳴き声出してるけど、俺の時は一度だってそんな素直で殊勝な態度した事ないだろ。こいつとはやはり相容れないと再確認である。
それにしても明かりの乏しい中だってのに、タマちゃんの動きには危なげも淀みも全然なくて、手馴れてるんだなって感じがする。例の条件反射の所為で外出しにくい状況なだけで、元来は活発な子なのかもしれないと思わされた。
そうしてテキパキとたちまちに跨って駆け出すばかりの支度を整えてしまった彼女であるけれど、しかしすぐには騎乗せず、自分のぼんの窪の辺りへ両手を回してもぞもぞと動かしている。
一体何をしているのかと思ったら、どうやらかけていた首飾りの鎖を外していたものらしい。胸元から抜き取ったそれを手にして寄って来て、
「ハギトさんハギトさん、少し屈んでいただけますか」
「え?」
「これ、お守りなんです。まだ作りかけですけど、受け取ってくださいな」
言いながら袖を引き、頭と胴体を取り払った、両翼だけの鳥みたいな意匠の首飾りの本体を、俺の目の前で振ってみせる。
あ、そうか。
俺が受け取って自分で鎖を結ぼうとすると手が肩より上に行っちゃう事になるから、タマちゃんがつけてくれるって話か。
お守りなんてまあ気休めだろうけど、その心遣いがありがたいよな。
思いながら言われた通りに身を屈めると、タマちゃんはちょっと爪先立って、正面から俺の首の後ろ側へと両手を回した。
……。
いやこれ、手を動かしてるタマちゃんは無心なのかもしれないけどさ。
されてる側の俺からしたら、頬がくっつきそうな距離にタマちゃんの横顔があるし、なんか女の子の匂いに包まれるみたいになってるし、そもそも抱きつかれてるのと大差ないような体勢だしで大変に気恥ずかしい。無意味に息を潜めたりしてしまう。
「はい、もういいですよ」
そんな俺の心中を知ってか知らずか、ふんわり囁いてタマちゃんが腕を下ろし体を離す。ほっと俺が息をついた、その離れ際だった。不意打ちでやわらかなものが頬に押し当てられた。
小魚のように一瞬で身を翻して逃げていった感触の正体は、あろう事かタマちゃんの唇だ。
「た、タマちゃん!?」
覿面に慌てふためく俺をくすりと笑い、
「姫様もそーですけど、ハギトさんも御自身を軽く考える方なので。だからこれはおまじないです。わたしがハギトさんの事を心配してるんだって、忘れないようにのおまじないですよ」
俺へは背を向け馬の方を向いて口早で捲し立てると、タマちゃんはひらり身軽に馬上の人となる。
「姫さまをよろしくお願いします。それから、ご無事をお祈りしています」
念押しめいてもう一度告げるや拍車を当てて、爪音も高らかに、矢のように夜へと駆け出していった。
それを追う影、阻む影、どちらもないのを確認してから、俺はおずおずと自分の頬を撫でる。そこにはまだ、タマちゃんの感触が残るみたいで。
うーむ。
手玉に取られる、ってのは、こういうのを言うのだろうか。
いかんなあ。こないだのラブレター音読事件以来、時々妙に意識してしまう。
とはいえタマちゃんだって、俺のことが嫌いだったりどうでもよかったりするならば、あんなおまじないなんてしてくれないだろうし。
所詮結局俺なんて、女の子にちょっと優しくされただけですぐ舞い上がっちゃうような生き物なんですよ。
そのまま「もしかしてひょっとしてタマちゃんってば俺の事を」みたいな自分に都合のいい妄想に浸りたいところだったけれど、残念ながら状況はそう呑気じゃあない。
俺は努めて頭を切り替え気を引き締めて邸内に戻り、ちょっとした仕込みをすべく厨房へ向かう。
と、その鼻先に異臭が香った。
それは何かの焦げる匂いで、確かに台所の方からしてきている。よもや誰かが火をつけたのかと大慌てで駆けつけたのだけれども、そうでないのはすぐに分かった。
発火用の魔符の上に置かれた寸銅鍋のその蓋が、全力でがたがたと不平をがなり立てている。俺は呪紋に触れて鎮火の合言葉を唱え、とりあえず蓋を黙らせた。
憶測するにさてはタマちゃんめ、料理中に姫様が帰ってきたので鍋を火にかけたまま出迎えに出て、でもって予想外の弟さんの来襲に出くわして大慌てして、それきり忘れ果ててたな。
このままバタバタして放置されてたら本当に火事になってたかもしれないけれど、ふむ。
ひとつ思いついて、俺は鍋の蓋を取って中身を確認。ちょっとおたまでかき回してみると、底の方はすっかり焦げついてしまっている。
タマちゃんが心を尽くしてくれたものを駄目にするのには罪悪感があるけれど、でもこの状態だし、今回ばかりは目を瞑ってもらえるだろう。
支度を整えてから、「ごめんなさい」とタマちゃんに心の中で手を合わせ、俺は鍋を片手で引っつかんで歩き出す。向かう先は勿論、姫様の居る応接室だ。
しかしナナちゃんにどやされそうな感想だけど、この篭手、鍋つかみとしても具合がいいな。




