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病は君から  作者: 鵜狩三善
ニーズホッグ
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11.

 半月ばかり続いていた爺ちゃんの遺産絡みのごたごたが、その日ようやく落着した。

 ミニオン爺ちゃん直筆の正式な書面があったのがやはり強くて、ぶっちゃけほぼ俺の総取りである。

 いや寝耳に水の話だったし、当初はびた一文受け取るつもりなんてなかった。だけど交渉の場でもらった爺ちゃんの遺言状の複写を読んだらさ、「こちらで暮らしが立つようにするのがせめてもの罪滅ぼし」みたいな事書いてあって、すげぇ俺の事心配してくれててさ。

 ならありがたく頂戴して、俺の持ち込んだ風邪で迷惑被った人へなんかする基金みたいなのを作れたらと思ったんである。まあそんなの設立して運営する手腕は俺にはないから、またしても姫様に投げっぱなしになりそうな辺りが実に駄目な感じ。

 その他の不動産は「もらっても維持するのが大変ですよー」というタマちゃんのアドバイスに従って、遺族の皆さんに調度ごと格安で売りつけた。ただし俺が喚ばれた場所である、例の別荘だけは確保。姫様がまだ何か調査中らしいし、それなら「俺のもの」って事にしておいた方が色々と融通が利く。


 とまあ結論として並べればこれだけの話がずるずると長くもつれたのは、一重に爺ちゃんの遺族の皆さんの粘りのお陰だ。

 爺ちゃんに家庭はなくて、近しい家族もまるでない。それでもわっと湧いてきた遠縁の方々と言えばおおよそ想像がつくだろう。義理に訴え人情に働いて、延々「お金と権力を見返りとして寄越せ」と遠回しアピールを繰り返されたんである。

 人間って欲の皮が厚くなると、当初はびびってた病魔にだって食ってかかれちゃうものなのだ。

 いや翻訳さんが話し手の意図を汲んで訳してくれるってのもあるんだろうけど、「遺言状はなかった事にもできたのに正直に伝えたんですよ。お分かりいただけますよね?」みたいに、言葉の端々に恩着せがましいというか見返りを求めてるというかなニュアンスが粘っこくまとわりついてきて心底嫌になった。きっと綺麗事なんだろう。でも、利害損得だけの人間関係ってなんか苦手だ。

 タマちゃんが同席してくれてたからその後二人でお互いに愚痴れて救われたけど、俺一人でこれに当たってたら、もう人間嫌いになって引きこもってたかもしれない。

 この手の人間を遠ざけるべく奇矯(ききょう)を装って男言葉を始めた姫様の心持ちが、肌で理解できた気がした。


 さて。

 そんな次第を報告すべく姫様を待っていた俺であるのだけれど、どうした事か、今日に限って姫様の帰宅が遅い。日が落ちて通いの人たちが引き払ってもまだ戻らない。

 このところは大抵夕暮れには帰ってきていたから、ここまで遅いのは久しぶりだ。

 何か突発事態でもあったのだろうかと窓を開けて正門を眺めていたら、鼻先をいい香りがくすぐった。

 タマちゃんが仕込みをしているのだ。でもってこの匂い、今日の献立は多分オートミールっぽいあれだ。

 こちらの穀類を煮てふやかしたもので、俺の世界の粥に似てると発言したところ、以来ちょくちょく出してくれるようになったひと皿である。

 本来なら味も素っ気も薄い一品なのだが、俺の口出しの結果、香辛料とほぐした肉、細かく刻んだ野菜も一緒に煮込んだ雑炊風味の何かへと変質しつつあった。

 俺への気遣いでなく姫様のウケもいいっぽいので、改良を重ねれば異世界交流の結果誕生した合作料理第一号として根付くかも知れない。

 ただこれ、とても味噌を投入したい気持ちになるんだよな。味噌とか醤油とかみりんとかって、一体どうやって作るのだろうか。もっと勉強しておけばよかった。

 連想でぼけーっと呑気に郷愁に浸っていたら、そこに轍の音が届いた。姫様のお帰りだ。

 が、館からの明かりに照らされて見えた図で、俺は出迎えに参上じようとした足を止めた。

 姫様の馬車に続いてもう一台がやって来ている。

 馬で姫様に随伴してるはずのナナちゃんの姿が見当たらないのは、おそらく刻限が遅くなったから直接ク族院に向かわせたとかそんな感じなのだろうけど、しかし予告もなしにお客さんとは珍しい。

 とまれ来客なら、俺は顔を出さずに自室で大人しくしていた方がいい。俺を見ると、反射的に逃げ腰になる人は少なくないのだ。

 遺産問題の報告はまた後日にするとして、今日はもうちょい読み書きの自習でもしておこう。



 だが、呑気に机に向かっていられたのは、それからほんのわずかな時間だけだった。


「ハギトさん!」


 ばたばたと常になく慌ただしい足音が聞こえたかと思ったら、ノックもそこそこに俺の部屋の扉が押し開けられる。

 飛び込んできたのはタマちゃんだった。よほど一生懸命走ってきたのか、ふわふわの金髪が乱れに乱れてただならぬ様子だ。


「どうした? 何があった?」


 驚いて腰を上げる俺に駆け寄ると、タマちゃんはぎゅっと両の袖を掴む。


「姫さまがアンリさまとお戻りになられて、それでお二人でお話をするからって! わたしはお止めしたんですけど、でも姫さまは『大丈夫だから』って!」


 俺はちょっと考えてから、「タマちゃん」とできるだけ静かに名前を呼んで、そっと手のひらで背中を叩くのを繰り返す。


「よしよしタマちゃん大丈夫。姫様が大丈夫って言ったんなら大丈夫だ。だから深呼吸しよう。それからゆっくりて話して。そうすれば、もっと大丈夫にできるかもしれない」


 タマちゃんは泣き出しそうに目を見開いた後、小さく震えつつも俺の指示に従った。「すってー、はいてー」の声に合わせて呼吸を整え、やがて真っ白になるくらい強く俺の袖を握り締めていた拳を緩めた。


「じゃあ確認しよう。姫様と一緒にアンリが来たって?」

「はい。お城からお二方で帰っていらっしゃいました」


 なるほど。俺の見たもう一台の馬車は弟さんのだったってわけか。


「来たのは弟さんだけ? 他には誰かいた?」

「御者をしてらした方がご一緒に入って来られてます。この方が姫さまとアンリさまのいらっしゃる応接室の前に立ち塞がっていらっしゃって。しかもその、鎧を着込んで武装してらっしゃるんです。でも姫さまは大丈夫だからって!」

「よしよし、どうどう。もっかい深呼吸しような」


 タマちゃんを(なだ)めながら、俺は頭の片隅であいつだろうと見当をつける。

 ロイド・デルパーレ。アンリの腹心だという、あの鎧男だ。

 あのプライド高そうなヤツが御者役をしてたってのは意外だが、よく考えたらフルプレートの完全武装で馬車の中に入れなかったのだな、多分。

 しかし姫様はなんだって、こんなきな臭いどころか確実な火種を懐に招き入れたりしたんだ。


「ところでナナちゃんは? 一緒には戻ってきてない?」

「はい。ヴァンさまはいらっしゃいません。その、おそらく姫さまが先に帰されたのだと思います」


 言外に「この状況を姫様が望んで作った」ってな意味が含んだ言葉だった。

 そりゃ俺にも噛み付いてきてた姫様の忠犬たるナナちゃんだ。姫様が望んだって、弟さんとのこんな形の会見は絶対に邪魔したに違いない。


「分かった。じゃあ万一に備えて警護の人を」

「いないんです」

「え?」

「交替の方が、まだいらしてないんです」


 ちょっと待てよ、どうなってんだ。

 この館周りは治安がいいって事で、俺が来た当初はおっちゃんらも夜になると、通いの人たちに付き添う形で撤収してってた。

 でもおっちゃんからおかしな王族警護部隊の親切とここの警備引継ぎの話を聞いて、そして当初から姫様が示唆していた可能性の敵の存在を鑑みて、夜間もいくらか人に居残ってもらう体裁になっていたはずである。


「……あ。ひょっとしてナナちゃんちの方に人を割いたから?」

「はい、多分」


 タマちゃんが言葉を濁す。

 実際問題として、現在ここの警備に当たっているのは件の新設部隊だ。もう人が集められて訓練も開始されていたから、姫様もこれを白紙に戻すわけにはいかなかったのだ。

 どうにも信用しきれない経緯のあるこれへの対策として、姫様は旧警護のおっちゃんらを私兵として再雇用した。ナナちゃんちにおっちゃんらを簡単に派遣できたのもこの辺りが理由だ。

 でもそのお陰で現在、姫様の居るこちらこそが無防備になってしまっている。

 くそ、なんだこれ。

 なんだこの嫌な感じのパズルのピースは。


 有り体に言ってしまうなら、この館の護衛を好き放題に動かしてそれでも危機感がなかったのは、姫様の実力に依るところが大きい。

 武装した人間数名を鼻歌交じりに独力で制圧してのけるのがナナちゃんであるけども、そのナナちゃんと同じかそれ以上に姫様は強いらしい。本来なら身辺警護とか要らないレベルである。

 よって姫様がその気になれば、完全武装の鎧男だって手玉にとれるはずだ。何の不安も心配もない。


 ──でも、その気にならなかったら?


 俺が案じたのはそこだ。

 弟さんは姫様の、おそらく唯一のウィークポイントだ。

 そもそもからして弟さんのこんな訪問、普通ならば通らない。

 姉とはいえ不仲を公衆の面前で披露して、敵意を叩きつけたその後である。言わば政争真っ只中で、そんな相手が自分に都合良く面会してくれるとか、俺なら到底考えない。門前払いされて当然だろうし、それが当たり前だと思う。 

 なのにわざわざ人払いまでして自宅に連れ帰って二人きりで会談をするとか、姫様の身内への甘甘っぷりがにじみ出る感じだ。

 でもってこれまた普通なら、そんな無茶なアポなし突撃を受け入れてくれた時点で、ニアリーイコールで和解が可能と考えるだろう。

 実際それは、弟さんさえ折れれば可能なはずだ。多分姫様は家族ってのを、それくらい大事に、大切に想ってる。


 だけど。

 俺の印象だとあの弟さんの目には、歪んだレンズがすっぽりと嵌ってる。

「世界を見るのは自分の目」とはよく言ったもので、だから弟さんには世界そのものがひん曲がって見えているのだろう。

 おそらく彼にとって姫様が差し伸べる手は、謀略という名の刃の切っ先としか感じられない。

 その根底にあるのは怯えだ。

 親から投げ渡された王位継承権。弟さんの唯一の拠り所であるそれすらも、姫様がその気になれば容易く奪いとれるものだと恐れて、恐れ続けて、それを自分の中の真実にしてしまった。

 本物の姫様、本当の彼女ではなく、その影ばかりを見て。

 自分の思い描く姫様の大きな影からから逃れられなくて。

 そうして、疑心暗鬼に囚われている。

 俺も仰ぎ見る側だったから、そういうの、なんとなく分かってしまうのだ。

 本来ならこういう偏見のレンズは、親がぶん殴ってでも外すものだと思う。というか実際俺はそうされた。

 でもこの姉弟の母親は早くに逝去していて、父親は残念ながら、そういう仕業を成せる人物ではなかったようで。つまり弟さんのレンズはとうとう外れなかった。

 だから俺もタマちゃんも不安に思うのだ。

 今、図らずも事態は弟さんの恐れた通りの形で推移している。彼は相当追い詰められている。

 そんな人間がわざわざ会いにやって来る。二人だけの密室会談を希望する。

 何を思ってかは知らないが、どうも良くない匂いしかしない。


 そこへ加えて姫様の性分だ。

 あの人はどうも、自分自身をひどく軽く見る時がある。

 例えば俺を助けに来てくれた時だってそうだ。

 俺からすれば完璧すぎるくらいのヒーローだったけれど、あの行動にはかなりのリスクがあったはずである。

 ミニオン爺ちゃんからの手紙があってにしたって、それも完璧な情報じゃない。予想外想定外で命を落とすリスクだってあった。重要人物である姫様が真っ先に乗り込む局面じゃあなかったはずだ。

 なのにあの人は来た。

 それは軽挙妄動でも自信過剰でもないと断言できる。だってあの人、自分が死んだ後の事まできっちり手配をしていた。

 だからこそ逆に、「自分はどうなっても構わない」という自身の軽視が透けて見えるようで怖い。

 であるからこそ俺は、弟さんとのやり取りの挙句で姫様が捨て鉢になってしまわないかと、自分さえいなければアンリは幸福になるなんて考えてしまうのじゃないかと、その諦念を危惧(きぐ)してしまう。

 最悪の光景が脳裏を過ぎって、ぞくりと悪寒が背筋を走った。胃の奥から苦いものがこみ上げる。


「……」


 そっとまた袖を掴まれて、そこではっと我に返った。間近の距離から、不安に揺れる瞳でタマちゃんが俺を見ている。

 おっと、いかんいかん。落ち着け俺。冷静になれ。俺までパニクってどうすると、強く唇を噛む。

 大丈夫。姫様は大丈夫。あの姫様なのだから、大丈夫じゃないわけがない。


「よし。俺たちは俺たちにできる事をしよう。タマちゃんも手を貸してくれ」


 自分に言い聞かせながら、不敵めかして口の端を釣り上げて見せた。

 何か具体策があるわけじゃない。何もかもこれから考えるような状況だ。けれども女の子を心細くさせとくのはよろしくないだろうってな見栄である。

 それからふと「今の笑い方、ちょっと姫様っぽかったな」なんて気がついて、俺はまた少しだけ笑んだ。

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