1.
結論から言うと、俺の監禁生活は三日で終わった。
一日目は前述の通りである。金を募れるレベルのひどい境遇だった。
でも二日目は前日と様相が違った。
部屋に誰も来なかったのだ。部屋の前で見張りしている兄ちゃんもそわそわして落ち着かない。俺が声をかけてもびくびくするばかりで、昨日の尊大さはかけらもない。というか俺に対して敬語である。あと持ってこられる食事がなんか豪華になった。
何だかよく分からないが扱いがよくなって、しかも放置していてくれるならこれ幸いだ。食べるだけ食べてから熱の名残の眠りを貪った。
その甲斐もあったのだろう。
三日目の朝には、風邪はほぼ駆逐されていた。頭痛がするほど高かった熱も大分下がって、若干のだるさは残るが動く気力は充実している。
自慢じゃないが部でも走り込んでたわけだし、体力と回復力にはそこそこの自信があるのだ。まあ兄貴ほどじゃないけどさ。
でもってその三日目だ。
体調の確認と、寝込んでた体をほぐす意味とでストレッチをしていたら、外からがやがやと大勢の声がした。
なんだなんだ何事だと身構えたら、初日この部屋に居たあの成金爺ちゃんを筆頭に集団が押しかけくるところだった。部屋に入りきる人数ではないから当て推量だが、その数およそ十数名。
彼らは体当たりのような勢いで部屋のドアを開けるや、一斉に地面に額づいた。いい大人どころかご年配の方々までが、揃って全面かつ無条件降伏の体勢である。
「お許し下さい!」
「ご寛恕を、どうか、どうか!」
「お願いです、なんでもします、助けてください!」
……いやなんだこれ。
というか土下座って、世界共通なんだなあ。
「えーと。話が見えないんですが?」
「あなた様への無礼の段、どうかお目こぼしください! この通りです!」
「我らが無知であったのです。お慈悲を!」
「何卒寛大なお心をお示しください!」
口を開いたら、直後揃ってまくし立てられた。
いかん。話が見えないどころか話にならない。
ちなみにこの間も土下座状態はキープされたままである。地面に額を擦りつけるというよりも、叩きつける勢いになっている。正直引く。集団ヒステリーかなんかか。
何やら助けを求められているのは分かるし、できるなら協力もしてやりたいが、しかし全然顔も知らないような人に「許してくれ」と言われても、何をどう許せばいいのかさっぱりである。
まあちょっと落ち着きなさいよどうどうどうと鎮撫して、代表者一名に喋らせたところでようやく俺にも事情が知れた。
曰く、「昨日からこの館──俺が幽閉されていたのはこの成金爺ちゃんの館であったそうな──に死病が蔓延している」。
たった一日でありながら、病は恐ろしい勢いで感染拡大し、立ちどころに死者までもが出た。
つまり昨日俺が放置されていたのは、その騒ぎに右往左往していたからであるらしい。
そして彼らは更に曰く、「これほどに驚異的な病気が突発的に発生するとは考えられない。ならば原因はただひとつ。他世界から強制召喚し、手荒く扱った実験体。彼の呪いに違いない」。
いやいやいやいやちょっと待て。
一般的地球人は魔法とか呪法とか使えないから。
それは俺の所為じゃないと否定しようとして、はたと気づいた。
「その病気って、どんな具合になります?」
「は、はい! 罹れば高熱を発します。体を震わせながらうわ言を繰り返し、短時間で死に至るのです」
……すぐには声が出なかった。
嫌な予感は的中だった。俺はその症状について、よく聞き知っていた。
──今年の風邪は質が悪い。
──とにかく高い熱が出て、人によっては比喩抜きで、ガタガタ震えたり譫妄状態になったりまでするらしい。
流行したのは俺の世界の風邪だ。
爺ちゃんたちの憶測は、大きく外れてはいなかった。つまり感染源は俺である。病は俺から蔓延ったのだ。亡くなった人もいると聞いていたから胸が悪くなった。
……やっぱこれ、俺が悪いのだろうか。
言うなれば俺も被害者なわけだし、不幸な事故という事にしてしまいたい。でも積極的に咳を吐きかけてやったりもしたし、まったく害意が介在しなかったとは言い難い。
そういえばこの一団の中に、あの眼光男は不在のようだ。無事なんだろうか。
ぐるぐると取り留めない思考を抑えて、俺は片手を挙げた。
「とりあえず、ですね。俺の服と靴、返してもらえる?」
「ただちに!」
爺ちゃんが顎をしゃくると、廊下に控えていたうちの一人がふらふらしながら走っていって、わりと直ぐに戻ってきた。受け取って、一先ず着替えるからと全員を部屋から追い出す。
そうして作った時間で考えた。
亡くなった人たちには悪いが、これはいい交渉材料なのではあるまいか。
飲んで一発即全快とは行かないけれど、戻って風邪薬を取ってくれば、少なくとも症状の緩和くらいはできるだろう。死ぬ人だって減るはずだ。
意を決してから学生服に袖を通し、またドアを開けた。
落ち着いて話ができないとまずいので、代表者として爺ちゃんだけを招き入れ、俺には治療も何もできない事を正直に伝えた。
「だからさ、俺を元の世界、元の場所に戻してもらえないかな。そしたら特効薬とはいかないけど、薬を用意してくるからさ」
言った途端、爺ちゃんは青褪め、そしてわなわなと震え出した。
「そ、それはその、帰らないと手に入らないものなのですかな? 素材さえ揃えばここで調合はできないものでしょうか?」
黙って首を振ると、爺ちゃんはがっくりと肩を落とした。
おそらくこの爺ちゃんも風邪に捕まっている。だから周りの病状を見て、死の恐怖にひどく怯えている。縋れる最後の希望は俺だったのに、脆くもそれは打ち砕かれた。
そう考えれば、うなだれてしまう気持ちもよく分かる。
けどもまあ、俺の方も負けず劣らずで絶望風味だったりする。
だってどうしてそんな問いが飛び出たのかと、爺ちゃんの顔色とを考え合わせれば推測がついてしまう。
あそこまで平身低頭しておきながら、俺の提案に対して別の方策を出す。それは「やらない」のではなく「できない」。そういう意味で、そういう事だろう。おそらくそういうふうに受け止めるべきだ。
つまり、俺を元の世界に送り帰す術はない。
何とも言えない感覚が背筋を這い登ってきたけれど、俺は頭を振ってそれを無視。とりあえずだがこっちは、今すぐ生きるの死ぬのに直結する話じゃないし、年寄りが気落ちして弱ってるのを見るのはそもそも趣味じゃない。
というわけでせめてもで、爺ちゃんを宥めて慰めて元気づけ、ぽんぽん背中を叩きながらあれこれと説いておいた。
しっかり食べてできるだけ暖かくしとくといいとか、罹患者と接触したらうがいと手洗いを忘れずにだとか、感染拡大の危険性があるから今病気してる人はできるだけ外に出さないようにとか、あるなら長ネギを首に巻けとか。
「ほら、風邪を持ち込んだ俺が言うのもなんだけどさ、罹ったら絶対死ぬってわけじゃないんだし。爺ちゃんにだって家族とか孫とかいるだろ。爺ちゃんがいなくなったらそいつら絶対悲しむからさ、できるだけ養生してくれよ。ごめんな」
熱の出始めのような顔色だったから、話をどこまで理解してもらえたかは分からない。
でも意気消沈して抜け殻めいてしまった爺ちゃんは、俺の言葉のひとつひとつに熱心に頷いていた。
毒気も脂気もすっかり抜け落ちて、恰幅はそのままなのに、急に細く萎れてしまったみたいだった。最後にはとうとう、涙ぐみまでしていた。
聞き終えてから爺ちゃんは、連中を連れて立ち去り、俺はその背中を見送った。
すまない気持ちはあるけれども、医者ならぬ俺にはこれ以上何もできない。無力なもんである。
それからも館のあちこちから、咳の音は絶えずに聞こえた。




