8.
姫様があんまりに思わせぶりな言いをするから場が混乱したけども、種を明かせばなんて事はない。ラブレターとやらの正体は、先日のパーティに居たお嬢さん方からのものだった。
全部未開封の未読ではあるけれど、まあ差出人が何者かを説明してもらえば、俺にだってそれが社交辞令的なものであるとの見当はつく。
「言うなれば政治的な擦り寄りだ。私やお前に協力を約束すれはアンリ一派に角が立つ。だが恋文ならばあくまで一個人の感情として始末がつけられなくもない。ただこの量については、お前の自業自得だぞ」
「え、俺なんか悪い事しました?」
「ああ。お前は私の使い魔という触れ込みだった。私が主でお前が従。そうした絶対的な構図と認知されていたわけだ。だが、お前は先日、私をアンリから庇ったろう?」」
はい。タマちゃんに「やめなさい」って言われたのに、頭に血が上って突撃かましました。すみません。
「あれでお前は知らしめてしまったのだ。お前にはお前の明確な意志があるのだと。私に絶対服従ではないのだと。私とお前は不即不離ではなく、お前には人間的感情があって、しかもお人好しで扱いやすそうだと認識されてしまった。私にもアンリにも取り入る地盤がない者は思ったろうな。『この世界に来たばかりの病魔ならば』と。組み易しと見た相手の篭絡を狙うのは当然で、そう思わせたのは、間違いなくお前自身だ」
あー、そういう発想になるのか。
姫様の飾り物、唯々諾々という事だけ聞く存在じゃなくて自分で判断して動く人間と判明した。なら上手く取り入るのも、ひょっとしたら姫様から切り離して自分たちで担ぎ上げるのも可能かもしれない、みたいな。
「更に、だ。お前はお前は病禍の根源、死病を撒いて一国を震え上がらせた男だ。それが自由意思において、公然と私に肩入れしてみせた。アンリに付き従っていた者たちが、それをどう受け取るか、想像に難くないだろう?」
「……つまり俺、脅しちゃいました?」
恐る恐るの確認に、姫様はこくんと頷いた。
姫様を侮辱すると病魔が怒る。イコール「姫様に従わないと病気に感染させるぞ分かってんだろうな」の図式の完成である。これが威圧でなくてなんであろうか。
全然意図してなかったとはいえ、なるほど、タマちゃんが制止するわけだ。後への波及を考えずに動くとこうなるのだな。
まあでもそうと分かってたって、あの時の俺に我慢するって選択肢はなかったろうけど。
「そうした有象無象が私に流れて、アンリの足元が崩れた。そして見通しがよくなってみれば、あれの船は存外に穴空きだった。それでますますに人が離れた。残念ながら弟に、心中覚悟で力を貸そうとする者はいなかったらしい」
自分が有利になってるってのに、ひどく憂鬱に姫様は告げる。
ただ私見を付け加えておくならば、アンリ一派が減った一因に、姫様と見比べちゃったってのが確実にあると思う。
弟さんもまあ美形ではあるけれど、姫様はその見た目に加えて存在感というか、衆目を惹きつける半端ない磁力みたいなのを持っている。
でもってそんな外見の差みならずで、あの罵詈雑言で包み紙の下を披露しちゃってた。
テレビやラジオに代わるものがないのからも知れるように、一部の例外を除いて、こちらの魔法は肉眼での視界に射程が依存している。術者の見えないもの、見えない場所には効果が及ぼしにくい。
これはつまり情報の伝達が遅いって事を意味する。
人の評価、世間の評判ってのは対面した人間の伝聞による噂話が基本であって、実際の自分を知ってもらう機会ってのは非常に限られてるのだ。その人をよく知るには直接会うしかないって事になる。
歴史小説なんかを読んでて、登場人物が巷間の評判を気にする下りが出てくると、「いや別にそこまで気にしなくても」とか思ってたんだけど、これは結構怖い。「お前こういう奴なんだろ?」って話がひとり歩きしちゃうわけで、知らない間に知らない相手の印象が決まってると思うとかなり怖い。いつの間にか病気を治す神様に祭り上げられちゃってたとかはその一例であろう。
なんで、こちらの人は風聞をとても気にする。
こないだみたいに間近で多くの人と接するチャンスは非常に稀で大切で、一期一会の気持ちが大切になってくる。
なのにそんな場でああいう事をすればどうなるか。悪いけど、弟さんがその見事な見本だ。俺も本当に気を付けないとな。
「えと、残念でしたね、ハギトさん」
「まったくだ。ラブレターを貰うのなんて初めてだから、ちょっと期待したんだけどな」
姫様の憂い顔を和らげる為だろう。タマちゃんが俺に振ってきたので率直な感想を述べたらば、そこで女の子二人がしげしげと顔を見合わせた。
「そうか。恋文は貰った事がなかったのか」
「ですね。書面では貰わなかったのでしょーね」
揃って一部を強調して、妙に含みのある言いをする。
「……なんですか、二人して」
「そうだな、お前の兄妹とご母堂が如何に優れた人物であったとしても、だ」
「ハギトさんの自己評価は、少しばかりじゃなく低いんじゃないかなってお話ですよー」
あれ、なんでここで俺が責められるみたいな空気になるんだ。凄く納得がいかないぞ。
抗弁したいところではあるけれど、2対1のハンデキャップ戦の上に、あちらのコンビネーションは抜群である。不承不承ながら、俺は諦めて口を噤んだ。
「まあその辺りは一先ず置く。だが」
姫様は言葉を切ると、ちらりと俺を見た。
「なんでもハギト、お前、夕餐の席では大層な人気者であったそうだな。綺麗どころに囲まれて、随分鼻の下が伸びていたと聞いている」
一体誰だ、わざわざそんな事ご注進したのは。
「いや俺は普通に」
「普通に、楽しそうでしたよねー」
よし分かった。君が報告者だなタマちゃん。
「まあご自覚ないみたいですけど、ハギトさんの普通って、こっちでは魅力的に見えたりなんですよ?」
曰く、そうやって権力周りに取り入ろうとする行動は、資質のない子が無理強い気味に負わされる役目であるらしい。
認められず貶められてきた、場合によっては家からもあっさりと切り捨てられる存在である彼女らにとって、ちゃんと一個の人格、一人前の人間として応対されるというのは心地の良い体験だとの事である。
「だからって一回会っただけのハギトさんに頼ったり縋ったりはありませんから、細かく気にする必要はないですからね。弱い立場に見えるかもですけど、皆強かですから」
うーむ。
先手で釘を刺されてたけれど、やっぱり色々思ってしまう。杏子と同じくらいの子たちなのに、あの子たちはなかなかハードな人生送ってるんだなあ。
タマちゃんの話に俺が神妙な顔をしているとその横で、姫様が「ふむ」と自分の顎に片手を添えた。
あ、これなんか悪い事思いついた顔だぞ。
「なあタルマ。そこの男に、たまには仕返しをしたくはないか」
「あ、したいです。すっごいしたいです!」
「え、ちょっとタマちゃん!?」
仕返しってなんだ、仕返しって。俺、知らないうちにタマちゃんに嫌われてたのか。そんなひどい事してたってのか。……いやでも怒られる心当たりは、少しばかりあるかもしれない。
「というわけだ、ハギト」
いやどういうわけだ。
「私とタルマに、その手紙を読む許可を貰えないか。まだお前はこちらの文字を自在に読むとはいかないのだろう? 誤読誤解でお前が迂闊な返信をして、言質を取られれば困りものだ。お前宛の私信ではあるが、そういった可能性を未然に防ぐ為の手を講じておきたい」
「んー、聞くだに社交辞令の挨拶みたいですし、まあ向こうもそれくらいは承知の上での手紙でしょうし、俺としては構わないですけど」
「助かる。では、少し席を外す」
姫様は手紙の束をまたまとめると、ちょいちょいとタマちゃんを手招きして外に出て行ってしまった。
「少し」と言い置いたからにはまた戻ってくるつもりなのだろうけど、一体全体何をしにいったものやら。
残された俺はすっかり手持ち無沙汰になる。仕方ないので手首肘肩首をぐるぐるして、その場でできるストレッチをこなしていたら、程なくして二人ともが帰ってきた。
てててっと小走りで来たタマちゃんが先ほどと同じように俺の左隣に腰を下ろして、あ、いやなんでそこで姫様まで右隣に来るんですか。どうしてそんな肩がくっつきそうな距離に陣取るんですか。
俺がおたおたと双方を見やると、タマちゃんはにふと企み顔で、姫様はふふんと不敵に笑った。
いかん。なんかこれ両手に花ってよりも、逃げられないように脇を固められた気ばかりがする。
「では始めようか」
「ええ、始めましょー」
そうして開始されたのが、俺への新手のいじめである。
何されたかって、読み上げられたのだ。美辞麗句を尽くした社交辞令のラブレターを。
いや「読む」って、代わりに読解要約してくれるとかじゃなくて音読かよ!
しかも「初めて見た時からずっとお慕いしています」だの「運命だと思いました」だの「貴方を思って眠れない夜が続いています」だのの歯が浮いて小っ恥ずかしくなるような台詞を、目を潤ませて声音を使って熱演してくれちゃうのである。
そりゃまあさ、俺なんかに気がないのは分かってるけども。よーく分かってはいるけどもさ。
でもこれ、両脇から美少女にやられると冗談抜きで破壊力が高い。
芝居だ演技だと分かってはいても、そんな事言われたらうっかり勘違いしてその気になりかけるのが悲しい男の性だ。
小さく縮こまってぷるぷる赤面する俺を肴に、姫様とタマちゃんは二人仲良くきゃっきゃと笑い合っている。これがいじめでなくてなんであろうか。
ああもう恥ずかしいんですけど! 滅茶苦茶恥ずかしいんですけど!
正直男心を弄び過ぎだろうと思う。
「降参です。俺が悪かったんで勘弁してください」
「そうだな、あまり続けて拗ねられても困る。次で最後にしておいてやろう」
とうとう堪えきれなくなって卓に突っ伏すと、くすくす笑いながら姫様が言う。
え、まだ追い打ちがあるんですか。
「ハギト、私はお前が好きだ」
「え、ちょ、何言って……!?」
耳元で、声を落として囁かれた。これまでとはどこか違う言葉の調子だった。
思わず顔を上げかけると、そっと手を添えられて視界をテーブルに固定される。
「いつからか、お前の姿を目で探しているようになった。奪われたのは目ではなく、おそらく心の方こそなのだろう。喩えの装飾としてではなく、本当に私だけのものになってくれないか」
「ふんわり捉えどころがないみたいで。でもちゃんと芯があって、ご自身の足で前へ進もうとしてて。ハギトさんを見てると勇気づけられて、『わたしも頑張ろう』って気持ちになれます。ハギトさんは、わたしのヒーローで。だから」
姫様の言葉に被せるように、タマちゃんが続く。
「だからわたしもハギトさんの事、好きですよ」
やわらかい声音で言い終えて、そこですとんと沈黙が落ちた。
いや、正確には静かになってない。俺の心臓がばっくんばっくんいってる。動きを制する姫様の手は離れたけれど、到底顔を上げられそうにない。
ちょっと待ってくれ。これ冗談だよな? なんかの冗談だよな? 俺、からかわれてるんだよな?
でも二人の迫真の演技の所為か、まるで本音みたいに、本当の気持ちみたいに聞こえてしまって対処に困る。
無意識に身動きどころか呼吸も詰めていたら、
「──何を狼狽えている。ただの、冗談口だ」
かけられた言葉にちらりと見上げれば、姫様が実に人の悪い顔をしていらっしゃる。少しだけ申し訳なさそうな色があるのは、想定以上に俺のリアクションがアレだったからだろう。
逆側を見やると、タマちゃんがぺこりと頭を下げた。
まったくタマちゃんは人がいい。言って耳まで赤くなるくらいなら、無理に付き合わなくていいから。姫様の悪戯になんて付き合う必要ないから。
などと心の中ではツッコミを入れているけれど、でも俺の顔も多分、茹で上げたみたいになってるのだろうなあ。
「それにしてもいい実験になった。直接的な物言いならば、お前にも有効なのだな」
「ですね。こんなハギトさん初めて見ました」
溜飲が下がりますー、とタマちゃん。惑乱気味な俺とは対照的に、女の子チームは実に楽しそうである。
というかですね、人を間接攻撃無効なゲームキャラクターみたいに言わないでいただきたい。
「女性不信になりますからね。俺もう女性不信になりますからね」
もう一度顔を伏せて怨念めいて呟くと、
「すまなかったな。もうしない。これで私も気が済んだ」
姫様の指が髪を絡めて、俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
こんな事で機嫌を直すものかとそっぽを向いたら、今度はタマちゃんにふにふにと頬をつつかれた。
「わたしも調子に乗り過ぎました。ごめんなさい。明日はハギトさんのお好きな献立にしたげますから、許してくださいな。ね?」
いやあのタマちゃん。君、俺をどんだけ子供扱いしてやがりますか。




