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病は君から  作者: 鵜狩三善
ニーズホッグ
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2.

「とまあそういう次第で、働かせてもらう形に落ち着きました」

「おめでとーございます」


 昼食を経て続くスケジュールは語学講習。

 授業の前に昨日の顛末(てんまつ)()(つま)んで説明すると、タマちゃんはぱちぱちぱちと大いに拍手をして祝ってくれた。なんだそのノリは。


「ありがとうございます。ご心配おかけしましたが、今後ともよろしくお願いします」

「いえいえー」


 本気で迷惑と心配と面倒をかけっぱなしだったからきちんと頭を下げたところ、タマちゃんはやわらかく手を振って、それから「ほら、言った通り全然大丈夫だったでしょう?」と得意顔でにふふと笑った。


「でもお祝いはしましたけど、大変ですよ、きっと」

「え、何が?」

「姫さまについていくのが、です」


 持ってきてくれた言語教材を卓上に並べる手を止めて、タマちゃんはちらりとこちらを見た。


「誰にでも手を差し伸べに行くんです、姫さまって。以前もハギトさんにはお伝えしましたよね。『私が欲しい時に助けはなかった。だから私は助けるんだ』って、そう言って走ってちゃうんです。でもってやっぱり以前お話したように、自信満々そうでとっても自信がない方です。なのでなんでも一人で、独力でやっちゃおうとするんですよね」


 そして小さくため息をつく。

 

「しかもなまじっかできる人ですから、それで全部解決してきちゃうんです。本当は、もーちょっとわたしを頼っても欲しいんですけど」

「困りものですな」

「困りものです」


 この辺の相槌の呼吸は、すっかり縁側でお茶を飲むお爺ちゃんお婆ちゃんみたいになってきた。

 それにしてもうちの姫様は全力で「お姫様」って肩書きの似合わない御人(おひと)である。王子様の助けなんて一瞬たりとも待たないタイプだ。

 そして今更ながら再発見。

 最前「ナナちゃんの敬語はなんか人を遠ざける垣根みたいだなー」なんて思っていたのだが、よく考えたらタマちゃんもめっちゃ丁寧語だった。

 でも壁めいた印象はまるでなくて、これは彼女の人当たりの良さと雰囲気に起因するのだろうか。「丸い卵も切りようで四角、ものも言いようで角が立つ」みたいな。いやちょっと違うか。

 あとこういう事言うとナナちゃんに、「どうせ僕はいつもトゲトゲぴりぴりしてるよ!」と怒られそうでもある。うっかり口走らないように用心用心。


「それはともかくタマちゃんさ」

「ふい?」


 あ、ちょっと噛んだ。


「はい、なんでしょう?」


 俺の視線に気付いたのか、タマちゃんは軽く口を尖らせて言い直す。


「何か欲しいものってない?」

「え? なんですかいきなり」

「いやさ」


 こちらの支度はおよそ整え終えたので、俺は席に腰を下ろした。

 卓に両肘を乗せた腕組みの格好で、きょとんと止まってしまったタマちゃんへ続ける。


「俺、こっち来た当初からタマちゃんには、色々と先回りして気遣ってもらってお世話になりっぱなしでさ。凄いありがたいと思ってるんだ。だからずーっとなんかお礼しなきゃと思ってたんだけど、そこに加えて今回の一件だろ。あんまりにしてもらうばっかで情けなくて、ここらでひとつびしっと恩返しをせねばと」


 いやそういうの本人に直接打診するのはどうなんだって話ではあるけども。

 一応俺だってサプライズで贈り物を、とか考えてはしてた。

 タマちゃんこの前はアクセサリのカタログっぽいの見てたし、ならそっち系の小物を見繕って、なんて漠然と予定を立ててもいた。

 姫様から頂戴できるお給料がこちらの世界水準でどれくらいのものかはさっぱり分からないけど、あと食費や家賃を払った方がいいのだろうかなんて問題もあるけども、そこらの話は一先ずおいて、お世話になった人へ感謝の気持ちを形で表そうと思ってはいたのだ。

 でもそこで飛び出たのが先ほどの、「タマちゃん超いいとこのお嬢様」なる事実である。

 すると安物の装飾品なんて嬉しくないよなあ。逆に始末に困らせてしまいそうだ。

 そんな事態になるくらいならという諦めの境地からの質問であったのだが、タマちゃんは「んー」と思案顔をした挙句、


「ハギトさんが危ない事せずに元気ですくすく育ってくだされば、わたしはそれで」


 孫を見守るお婆ちゃんか。

 お手上げ禁止条項さえなければ、ツッコミのチョップが炸裂していたところである。


「あ、じゃあ、今度またお買い物に付き合ってくださいな」


 そんな俺の何とも言えない表情を察したのか、タマちゃんが慌てて付け足す。


「いやそんなのお礼として要求されなくても、頼まれればいつだって行くから」

「ええっ!?」


 なんでそんなに驚きますか。そして困り果てますか。

 どんだけ欲のない子なのであろうか。


「……えっと。それなら、それならですね」


 タマちゃんは空けた片手をテーブルに乗せ、無意味にさらさらと表面を撫でる。


「わたしを、色んなところに連れてってくださいませんか?」

「色んなとこって、つまりどっかに旅行とか?」

「はい。そんなに遠出じゃなくてもいいんです。わたし、出歩きにくい(たち)ですから。どこでも物珍しいので」


 なるほど。

 事情を知ってる人間の付き添いなしで、タマちゃんが単身外出するってのはちょっと無茶だ。何かあった場合のフォローがないのはまずい。とてもまずい。

 だけどだからってこの子の性格的に、自分の散策に多忙な姫様を付き合わせたりはできなかったんだろう。逆に事情知ってて暇人な俺ならば、頼む相手としてうってつけってわけだ。


「オッケー、任せとけ。もうちょっとこっちに慣れたらになるけど、日帰りの遠足でも企画してみる」

「ありがとーございます」


 そうとなればまず先立つものの確保が最優先だ。

 行き先のピックアップは懐具合に合わせてになるけど、街近辺の穴場情報はナナちゃんが詳しかったりするだろうか。いやでもあの子友達いないから、情報網には期待できない予感がする。お姉ちゃんより人脈広そうなノノを頼るべきだろうか。

 しかしやっぱアレだよな。遠出するなら馬の練習はしとかなきゃならないよなあ。

 奴らと触れ合うのはどうにも気が進まない。特に肉食の方。あいつ俺の事絶対、「美味しそう」と思ってる節がある。

 あれこれと不安は過ぎれども胸を叩いて快諾すると、タマちゃんはふんわり笑って、それからすとんと腰を下ろした。


「あー……えーと、タマちゃん?」

「なんでしょうか?」


 可愛らしく小首を傾げているけども、いやちょっと待ってくださいよ。いつもと座る位置が違いませんか。

 普段はテーブルの対面側なのに、なんで今日に限ってぴたっと隣に陣取るんですか。なんでそんな近距離ですか。


「図々しくお願いしておいてなんですけど、本当は恩返しだなんて考えなくっていいんですよ」


 狼狽(うろた)える俺を尻目に、彼女は声を落として囁く。

 鼻先を、かすかに甘い香りがくすぐった。

 あれ。タマちゃん、薄くだけど香水つけてる?


「ハギトさんには全然自覚ないんでしょうけど──わたし、ハギトさんから、もうたくさんもらってますから」


 その言葉は、まるで俺が特別みたいな響きをしていて。

 気づいたら、アイスブルーの瞳がひどく近くで俺を映していて。

 吸い込まれるように、息を忘れた。


 上げかけた声が喉の奥で溶ける。

 静電気めいた弱い力で、どことも知れない急所を抑えられているみたいだった。

 動けるのに、動けない。動いちゃいけない。

 もし少しでも変化を与えたらその途端、何か不可逆の反応が始まってしまう気がしていた。


 そのままふたり、どれくらい黙りこくっていたろうか。

 不意に夢から覚めでもしたように、タマちゃんの頬にわっと朱が差す。我に返った彼女は大慌ての仕草で体ごと横へ、ぴんと背筋を伸ばしてテーブル側へと向き直った。

 それで、俺の方の呪縛も途切れた。

 タマちゃんの態度の所為でこちらも急に気恥ずかしさが湧いてきて、同じように真っ直ぐに卓へと向かう。タマちゃんの側に頬杖をいて、極力見ないようにしたりもした。

 がっちがちに隣を意識したふたりが、(かたく)なに正面だけを見つめるこの状況、(はた)からすればいい物笑いだったろう。

 というかちょっと待ってくれ。一体なんだこの空気。これ、どうすりゃいいんだ。


「……」

「……」


 ちらりと横目で盗み見ると、俺のみならず、タマちゃんも困り果てている様子である。

 なんとか現状を打破せねば。ええっと、話題。そう、話題話題。なんか話題。


「あのさ!」

「あのですね!」

「う」

「あ」


 心を決めて勢い込んだら、お隣さんとタイミングが被った。モロに被った。


「タマちゃん、お先にどうぞ」

「あ、ハギトさんこそ、お先に」


 ……いや本当になんなんだこの空気。

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