1.
この毒蛇はニヴルヘイムの泉に棲んで。
数多の眷属と共々に、世界樹の根を食んで蝕む。
──ニーズホッグ
姫様に頼み込んで正規雇用に漕ぎ着けた俺であるけども、実のところこれまでの生活に、それで大きな変化が生じたわけではなかったりする。
というのも結局のところ、俺の第一義は今だ病魔様としての飾り物的役割なのだ。
アンデール熱を流行らせ、また鎮めた存在。その俺を使い魔として従えているという事それ自体が、姫様の外交的立ち回りの武器になっている。
姫様は国を病禍から救った一種の英雄というわけで、だから本来は隠居した身であっても、その発言には逆らいにくくなる感じであるらしい。
つまり俺が姫様の側に居るのがポイントであって、俺本人が交渉の場に居る居ないはあんまり関係ない。
いや居れば居たで押し出しが利くのかもしれないが、弟さんに喧嘩売った時みたいな、無鉄砲なしゃしゃり出をしてしまうとよろしくない。折角の金看板に傷が付いて、逆に姫様の足を引っ張りかねない。
姫様の庇護の下にあるって事は、俺が下手を打てばその結果が姫様に向くって事でもあるのだ。タマちゃんやナナちゃんが気にしすぎるくらいに周囲の目に配慮する理由が、最近ちょっぴりだけ分かってきた。
よって俺は当座のうちは、健康的なひきこもりライフを満喫中するしかないんである。
「というわけで、昨日からナナちゃんの同僚になりました。改めてよろしくな」
なので翌日。
これまでと同じく稽古をつけに来てくれたナナちゃんに、姫様との仲直りの件を含めた報告をざっくりとたわけなのだけれども。
「謹んでお慶び申し上げます、ニーロ卿。今後もシンシア様の為、共に精進を重ねましょう」
返ってきたのは礼節を弁えたふうな、丁寧至極の物言いだった。
これ、俺怒ってもいいよな?
「……」
「どうかされましたか?」
「……」
「あの、ニ、ニーロ卿?」
無言でのしのし近づいて、怯えるナナちゃんの頭に不意打ち気味に手を伸ばす。そのまま髪をぐしゃぐしゃとかき回してやった。
「あ、ちょっと、やだ! やめてよ、やめてってば! 何するかな、もうっ!」
意表を突かれたのか、数秒されるがままになっていた彼女だけれど、すぐに飛び退って距離を取り、両手で庇うように乱れた頭を抑える。
「ナナちゃんさあ、そういう態度取って、俺が泣くとか思わなかった?」
「なんで泣くのさ!?」
「折角友達になったと思って親しく話しかけたのに、あんな返しされたら凹むだろうが!」
「だ、だって」
「だって、何!?」
詰め寄る俺に対し、じりじりと逃げ腰のナナちゃん。いつもと全く逆の構図である。
「……だって、なんか恥ずかしいし」
言いたい事があるなら最後まではっきり言いたまえよと促すと、きょときょと周囲を見回した後、顔を寄せてそう耳打ちしてきた。
男の子と一緒に遊ぶのは恥ずかしいみたいなアレか。いや小学生か君は。
「しょうがないでしょ! 同い歳くらいで気兼ねなく話せる相手なんて、今までいなかったんだから!」
俺の呆れ顔を見て取って、更に言い募るナナちゃん。
人との距離を取るのが下手だとは思っていたけれど、不憫系なのかこの子。
「そこまで無理に砕けて喋れとは言わないけど、それにしてもほら、もうちょっとなんか別の話し方とか態度とかあるだろ」
「ないの! 僕、友達いないし! 友達の作り方なんて知らないし!」
友達は作るものじゃなくてできるものだろ、とツッコみたかったが、そういえば思い当たる事がある。
以前姫様と話をしていた時の事だ。俺の身分である「高校生」ってなんだと問われて、結局日本の義務教育システムから何から全部を喋らされたのだけども、その折に姫様が「こちらにはそういう集団学習システムがない」みたいな事を言っていた。
基本的に家庭教師を雇っての個人授業が主で、例外は魔法の資質ある人間を集めて教える法王府の魔法塾くらい。
同じ年頃の人間が一堂に会する機会なんてはまずなくて、だから世間が非常に狭いのだ。つまり知人とか友人とかが大変出来にくいって寸法である。これに加えてナナちゃんには、ク族だなんて特殊性もあるわけで。
しかし考えてみれば一地域の子供が集まって授業を受けれる体制を整えるのって、教師教材建物なんかの準備を考えたら物凄く大変な仕業だよな。
まあそれはさておき。
「友達とまで行ってなくても、もうちょっと親しい相手はいるだろ」
「いないもん」
ああもう駄々っ子か。
「姫様は! 仲いいだろ!」
「シンシア様は主君だよ。友達だなんて恐れ多い」
しまった。ガチでご恩と奉公の関係だった。
あとあれだ、姫様は高嶺の花オーラがバリバリ出してるからな。いい人なんだけど見慣れるまでは圧迫感と、背筋をしゃんと伸ばしてなきゃいけないような雰囲気がある。気軽に友達だとかは呼びにくいかもしれない。
「そしたらじゃあタマちゃんは」
あの子ちょっと人見知りだけど温和だし癒し系小動物枠だし、姫様の味方同盟として親密だったりするんじゃないかと思ったのだが、ナナちゃんは眉根を押し揉んで、「あのねぇ」とため息のような声を出した。
「今はクルツって母方の姓を名乗ってらっしゃるけど、タルマ様の父方は大貴族だよ?」
「へ?」
「この前の夕餐会だって、タルマ様が全部を取り仕切ってたでしょ? ただの料理人にそこまでの差配が許されると思う? 仮に許されたとしたって、貴族社会の礼法に精通してなくちゃそんな仕事できっこないんだよ? 常識で考えてよ。身分のある人だって分かるでしょ?」
俺、こっちの常識には疎いんです。
しかし言われてみれば思い当たる節ばかりだった。姫様のスケジュール管理みたいな秘書めいた事もしてるし、俺に言葉を教える脇で手紙の返信の代書を認めてたし、何かと社交界にも詳しそうだったし。
というかそもそもタマちゃんは姫様に助けられた子である。つまり姫様がタマちゃんの境遇を知り得るくらい、姫様の近くに居た子って事である。当然ながら姫様は勿論この国で五本の指に入るくらい身分が高い人間であろうから、となればタマちゃんとその一家ってのもかなりの大身だと想像がつかなくもないわけで。
タマちゃんってば俺の知る中でもトップクラスに親しみやすい女の子だから素性とか全然意識してなかったけど、実は物凄いお嬢様だったのか。
「……あれ? ひょっとして俺って、今までものすごく失礼な事してた?」
「だーかーらー!」
タマちゃんにやらかしてきた所業を思い出して呟いたら、襟首引っ掴まれてがっくんがっくん前後に揺さぶられた。
「散々言ったでしょ、無礼な態度はやめなさいって! 聞いてなかったわけ? 全然聞いてなかったわけ!?」
すみません。もうほんっとすみません。あれって姫様に限定した話だとばかり思ってたんです。
というか炊事洗濯掃除を全部完璧にこなすお嬢様なんて予想外だ。
「とにかく、さ」
軽く突き飛ばすように俺を解放して、それからナナちゃんは目線を落として小さく囁く。
「だから僕は分からないんだよ。どうやって接するのが普通かとか、どうすれば嫌われないで済むかとか、そんなの全然分かんない。もしハギにこういうふうにしろっていうのがあるなら、それを教えてよ。それで僕に練習させてよ。でもできないでしょ、そんなの。面倒だし迷惑だし無理だし嫌でしょ。だから」
「いいよ」
「え?」
「別に面倒でも迷惑でも無理でも嫌でもないないから引き受けた。練習が必要だって思うんなら、好きなだけ俺ですりゃいい。いつも時間割いて稽古つけてもらってるんだ。それくらいわけもない」
俺になら失礼だの無礼だのがあったって問題ないだろ、と結んだら、ナナちゃんは目をぱちくりさせて、そこで今日初めて、ようやく肩の力が抜けた顔で微笑んだ。
「ハギってさ」
「何だよ」
「なんて言うか、ちょっと違うよね。異世界の人だからってだけじゃなくて、なんだか安心な雰囲気がする。触っても怒らない、人好きの動物みたいな」
「どういう例えだよ。あとあんまり気軽に触りすぎるとストレスでハゲるぞ。その程度にはデリケートだぞ」
「はいはい分かってる分かってる。ハギはデリケートだよね、デリケート」
ちゃんと友人同士の会話めいて軽口を応酬して、それからナナちゃんはその目にふっと真面目な色を浮かべた。
「シンシア様もこんなふうな気持ちなのかな。ふざけてるみたいなのに、伝えたい肝心なところは言葉にしなくても分かってくれてるみたいで。だからハギと話してるの、すごい楽しい」
そうまで言ってくれるのはとても嬉しいのだけれど。
頭を掻きながら昨日の体験を回想し、ふた呼吸だけ思案してから俺は結論する。
やっぱりお節介だろうと押し付けだろうと、ここはひとつ、動いておくべきところのはずだ。
「よし決めた。練習ついでに余計な世話も焼くぞ。ちょっと待っててくれ」
「え? ちょ、ちょっと、ハギ、どこ行くの!?」
軽いペースで走り出しながら考える。
俺の勝手な印象だけども、おそらく本来のナナちゃんは話し好きである。最初こそ無口で無骨っぽい印象があったが、それはこの丁寧口調が果たす部分が大きい。いやうちのおふくろみたいに一生涯敬語使わなそうな人生もどうだろうって感じだけども、逆に敬語まみれな人間ってのは、やっぱどっか周りに壁を作ってるっぽく見えるものだ。これを取り払えば、結構饒舌なタイプだと思う。
加えてナナちゃんは、話を聞こうとする姿勢が素晴らしい。この子が押しに弱いのは、誰の話へも最後まできちんと耳を傾けるからだ。その中にある相手の理屈と心情を理解しようとするからだ。
これらを総合して、その上でまたしても俺の勝手な見識で判断するに、ナナちゃんはきっと年上ウケがいい。
「というわけで引っ張ってきたのがミスターざっくばらんこと、この暇そうな警護のおっちゃん1号になります」
「おいこらどういう事だよ大将」
「あのハ……ニーロ卿、話が見えないのですが」
定位置にいたおっちゃんをろくな説明もなしに拿捕して引っ張って戻ったら、二人に揃ってツッコまれた。
まあおっちゃんはただのエロ親父に見えて頭と気の回るタイプだから、そのうちに俺の意図を読み取ってくれるはずだ。よって一先ずスルーして、ナナちゃんへ向けサムズアップ。
「スクナナさん、友達作ろうぜ!」
「は?」
ちなみにおっちゃん、この時点でもう大爆笑である。
「いやー、こんな若くて美人の友達候補たぁ照れちまうな」
「役得だろ?」
「全くだ」
腕を組んでうんうんと頷くおっちゃん。ナナちゃんは展開について来れてないっぽくて固まっていたが、我に返ると慌てて俺の袖を引いた。
「ハギ、あの、これ、どういう……!」
必死の小声に、俺は片目を瞑って見せる。
「真面目な話ですね、今日から正式に姫様のところで働かせて貰う事になりまして。その関連で、体の動かし方の専門家のふたりに、ちょくら意見を賜りたい感じになりました」
これまでもナナちゃんに稽古をつけてもらっていたが、その前のウォームアップは個別にやっていた。というか俺がナナちゃんが来るのを待ちながら先に軽く走ってたんで、大体いつもそんな感じになってた。
ナナちゃんはこっちの体を使った技術の専門家だし、郷に入っては郷に従えの精神で、俺が部活で習い覚えたトレーニング理論の諸々は、敢えて口にしていなかったのだ。
人体構造なんてそう変わらないとは思うけど、やっぱ謎のファンタジー世界だしな。
でもこっちで地に足つけて生きていこうと決めたのだ。それなら自分の知識の何がどう役立つのかをしっかり把握しておかねばならない。
「俺、前の世界じゃ体を動かす趣味があったんですけど、その経験がどこまでこっちで通用しそうか分からない。なんでこれから話す内容に、二人からツッコミもらえたらな、なんて思う次第です」
勿論これは大義名分である。
いや言葉通り俺にも実利はあるんだけど、一番の目論見はナナちゃんとおっちゃんを仲良くさせる事だ。
意見交換会であるから、ナナちゃんも怯まず闊達に話題に混ざれるだろうし、そうやって話してるうちに、自然と意識の壁もなくなるだろうってな魂胆である。
「……それならそうと、初めから仰ってくれれば」
「ま、大将がご希望ってんならこっちに異存はないぜ」
最初の「友達作ろう」でこの辺りの理由を察してはくれたのだろう。不承不承ながらといった感じでナナちゃんが頷く。
一方おっちゃんはといえば、聞き終えるやどっかり胡座をかいて、「さあ話せ」と言わんばかりの態度である。
「ところでおっちゃん、その『大将』って何さ。この前まで『兄ちゃん』だっただろ」
「ああ、姫君様付きの従士になったんだろう? ならこっちからすりゃ貴族様みたいなもんだ。敬意を払わねぇとな」
いや全然払ってないだろ。
あ、でもナナちゃんもさっきから俺を、「ニーロ殿」じゃなくて「ニーロ卿」って呼んでいる。
すると姫様みたいな人の下で働く人間は、ご主人様と同じく、それなりの身分を有してるってのがこちらの常識なのだろう。俺の場合は思い切り(仮)とかついてそうだけど、思い返せばナナちゃんもタマちゃんに、「ヴァンさま」なんて敬称されてたし。
とまれ、そんなこんなで。
それから後は、三人で座学の時間になった。ストレッチや筋トレのやり方から走り方のフォーム、靴の重要性なんか至るまでを色々と語ったり語られたりである。
幸い俺の知識はおよそそのまま活用できそうであったのだが、しかし思った以上にナナちゃんの口が重い。土俵が専門分野であれば口も軽くなるだろうと思いきや、想像以上に借りてきた猫だった。
そろそろ日も天辺近くに差し掛かり、話のネタも尽きてきた。けどもナナちゃん自身の頑張りにも反して、おっちゃんと親しく話すまでには至っていない。
困ったな、もうちょいこの二人が打ち解けられそうな話題はないもんか。
などと思案していたら、
「ところで大将、宮仕えするなら武具の類は揃えたのかい?」
「武具?」
脇からひょいとそんな話題が投げつけられた。流石おっちゃん年の功。いい仕事だ。
目線でナナちゃんに解説を求めると、彼女はひとつ頷いて、
「シンシア様に仕えるのなら、訓練や模擬戦に用いるような出来合い、数打ちの品ではなく、オーダーメイドを揃えるべきだと思いま……思うよ」
「いざって時の武働きこそがオレらの仕事だからな。姫君様付きってんなら、それなりの得物に矢避け刃避け毒伏せってな具合の護符、呪紋入りの鎧くらいは誂えときたいところだな。あまりに装いが貧相だと、それは主の恥んなる」
そういやこっちじゃ、自前のマジックアイテムが高い時計やスポーツカーみたいなステータスシンボルになるのだったっけ。
でも参ったな、俺そんなの用意する金ないぞ。
俺が駄目が等号で姫様の恥に直結するとなると、実に困った話だ。
「ま、大将なら正装はあの服でいいんじゃねぇか。ほら、あの黒くて金ピカな」
あー、制服か。
言われてみればだが、確かに特徴的といえばこれ以上ないくらいに特徴的な品ではある。でもあれ本気でだたの布だから、防御力皆無なんだよな。
一度本気で殺しに来てる剣から必死で逃げ回った経験から言うと、頑丈な防具の安心感ってとてつもないものがある。防具は大事。マジで大事。
「うーん、ナナちゃんはどういうのがいいと思う?」
「っ!?」
問いかけたその途端、ナナちゃんは顔を茹で上げたように真っ赤にした。
二拍ほど間を置いてから俺はしれっと微笑んで、
「スクナナさんはどういうのがいいと思う?」
「ハーギー……!」
怨念めいた声で、ゆらりと立ち上がるナナちゃん。
やっべ、全然誤魔化せてねぇ。
やっちまった的表情を浮かべながら俺はじりじり後ずさり、やがて背を見せて遁走開始。
勿論ナナちゃんは全速力で追っかけてきて、ぐるぐる駆け回る俺たちに、おっちゃんまたもや大爆笑である。
「どうよ。いい子だろ」
「ああ、胸とか特にな」
結局鬼ごっこは時間切れ引き分け。
恨みがましい視線を残して、ナナちゃんは姫様と合流すべく退場していった。うーむ、明日が怖いぜ。
ともあれそんな彼女の背を見送りながら俺はおっちゃんに同意を求めたわけなのだけども、その返事がこれだった。この駄目人間が。
つい視線が行ってしまう気持ちは分からなくもないけれど、体面上もっかい言っておこう。この駄目人間が。
「ところで大将、お前さんさ。あれ、わざとやったろ」
「あれ?」
俺が首を傾げるとおっちゃん声には出さず、ゆっくり口だけを「ナナちゃん」と動かして見せた。さてはちゃんづけが恥ずかしかったな。
にしても、しかしあっさりと見抜いてくるもんである。これまた流石は年の功か。
平素からぽんぽんと口を滑らす俺だけど、たまにはまあ、狙ってやったりもする。
「ちょっとは緊張解れるかと思ってさ。いつもの真面目ぶった堅物モードより怒りんぼなあっちの方が、ずっと親しみが湧くだろ?」
「いいや、殺意が湧いたね」
「なんでだよ!?」
「若いもん同士の甘酸っぱい青春見せつけやがってクソが」
吐き捨てるとおっちゃん、俺にヘッドロックをかけて頭の天辺に拳をぐりぐりと押しつけてきた。いや痛い痛い。わりとマジに痛いって。
「しかし大将が、こういう善意の押し売りじみた真似をするってのは、ちょいと意外だったぜ」
「あー、それなんだけどさ」
ぐりられたままながら、俺は真面目に返答をする。
確かに普段なら、普通なら、俺はこんな無理強いめいたやり方はしない。というかこれまでだったらば、そもそも何もせず、見て見ぬふりで通してたんじゃないかと思う。
だけど、ちょっぴりでもあの人の背中を追いかけようって決めたばっかりだったし。
それに何より、と俺は再度、昨日の記憶を眺め返した。
ナナちゃんに連れられてク族院に入っ俺に、ざくざく突き刺さったのは好奇の眼差しだった。それは取りも直さず、あそこにク族以外の人間が立ち入るのが非常に珍しいって事の証左だ。
ナナちゃんの知り合いであったから、闖入した俺に向けられたのは興味と好奇心とになった。
けれどももし、俺がク族と全く無縁であったなら。降り注いだのはきっと、異分子への隔意の視線に間違いはなかったろう。
「今日いないいつもの面子は、弟さんの絡みでク族院の方に行ってんだろ? 『正規雇用されました』って俺が言う前から、おっちゃん俺の事『大将』っつってたもんな。先に姫様からおおまかの事情説明と通達みたいなのがあったんだろ?」
だから想像がつく。
ク族院に着いたおっちゃんらは十中八九、いや十中十で、やんわりとした拒絶に出迎えられている。
ちょっと考えてみればいい。要請を受けて警護に来たってのに、相手方がそんな雰囲気をが漂わせてたらどう思うか。勿論気分がいいはずもない。
そうしていらない溝が出来上がって深まってしまう。
そんな空気を緩和する為の架け橋は絶対必要で、この場合それができるのはナナちゃんだって俺は思った。
だって俺への視線をただ側に居るだけで変質させるくらいに、彼女はク族全体から信頼されている。
「だから、会っといて欲しかったんだ。警備の仕事は持ち回りの交代制だろ? おっちゃんが院に行くその前に、一度生のナナちゃんを見といて欲しかったんだよ」
なんとなくだけど、俺は知っている。
大きな単位で括ってしまうと、そこにそれぞれの顔は見えなくなる。
あのクラスの人間。あの学校の人間。、あの部活の人間。あの塾の人間。あの国の人間。
そんな具合にカテゴライズしてレッテルを貼り付けたその途端、個人の印象は消え失せてしまう。
個が寄り集まって出来上がるものなのに、どうしてかそれは曖昧模糊と有耶無耶に溶けて飲まれて、集団は集団としてのイメージばかりを膨れ上がらせる。
結果として相手をよく知らない、よく分からないままなのに、「なんとなく怖い」や「なんとなく嫌い」みたいなイメージ先行のマイナス感情が発生する場合がある。
そういうのが一等怖いと俺は思う。
「いい子だったろ、ナナちゃん」
ごつい腕から抜け出して、俺はもう一度繰り返す。
集団ではなく個人同士の話になるけれど、例えば俺とナナちゃんだって似たようなものだった。
最初俺はナナちゃんの事を、付き合いづらい相手だなと思ってた。ナナちゃんも俺の事を、自分たちの立場を危うくしかねない敵だって考えてた。
お互いをよく知らないままに、ただ「なんとなく」。
でも今、俺たちは結構仲がいい。少なくとも俺は、彼女の為に何かできたらなって思ったりしてる。
「『ク族』だなんて適当で大雑把にひとまとめした、そんなふわっとしたものをじゃなくてさ。あの子の家族を、守ってやってくれよ」
「……しょうがねぇな」
やれやれと呆れ顔をしてからおっちゃんは、ばしんと強く俺の背を叩いた。




