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病は君から  作者: 鵜狩三善
My foot
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13.

 そうして、しばしの沈黙が降りた。

 決して気まずくはない、どこか優しくすらある静けさで、多分このまま「じゃあメシにしましょうか」とか言えば、ここまでの緊張なんて嘘みたいになって、なんとなく場は治まるだろう。そういう雰囲気だった。

 でも、と俺は思う。

 この空気は俺の現状と一緒だ。居心地のいいぬるま湯だ。

 その場しのぎのお座なりが、不安定なまま安定しているだけだ。

 分かってる。

 そんな状態が続けたって、きっとタマちゃんの言う通り、姫様は俺を見捨てたり見限ったりはしない。拾った猫に責任を持つみたいに、最後まで面倒を見てくれる事だろう。

 でもそれじゃ駄目だ。そんなのは駄目だ。

 俺はきちんと話さなきゃいけない。姫様の父親の死について。それを姫様がどう思ってるのかを確かめて、その上で俺の去就を決めなきゃならない。

 俺のするべき事、やりたい事ってのは、全部その後に来るべきだから。

 今日一日を経て、そうしようと決心してきた。


「……」


 なのに、いざ切り出そうとすると胸に重いものがこみ上げて息が詰まった。

 ナナちゃんが言っていた。「怖くて不安なのは、きっと大切でなくしたくないから」だって。

 その通りだと思う。俺にとってここの暮らしは、姫様やタマちゃんやナナちゃんと過ごすのは、もうとっくに大切でなくしたくない、日常のピースになってる。それこそ兄貴や杏子やおふくろみたいに。

 だからなあなあでも続けられるだろうそれをぶち壊してかねない話を切り出すのには、流石に勇気が入り用だ。

 だけどちゃんとした関係になりたいからこそ、最初に不安を残したくはなかった。この人の間に曇りを残したままにしておくのは、どうしても嫌だった。

 大切に思うからこそ、思っているからこそ、あやふやで曖昧なところに立脚したままでいたくなかった。

 多分、子供じみた潔癖さなのだとは思う。

「満点じゃなければ零点ってわけじゃないですよ」とは、タマちゃんに揶揄(やゆ)されたところである。俺の悪癖なのだろう。


 行動するのは確かに怖い。何もしないで、このまま揺蕩っているのはとても楽だ。

 だけどそれじゃ今までと一緒だ。何も変わらない、これまでの二の舞だ。ただ立ち竦んでいるのと同じだ。どこへも行けやしない。何にもできやしない。

 そもそも、我が家の家訓は迷ったら走れ、である。

 自分の足で走るのだ。前へ。前へ。その先へ。

 そうすれば少しだけでも風景は変わる。そこから振り返れば、自分が進んだ距離が確かに見える。仮令方角を誤ったって、その景色は自分で動かなければ決して得られないもののはずだ。

 決めたんだ。自分の足できちんと立とう、って。

 だから俺は動こうと思う。この空気を壊してでも。

 姫様に疎まれてるって、はっきり知る事になるかもしれなくても。


「えと、やっぱり俺の事、恨んでますよね?」


 ……うわあ。

 頭を抱えたくなった。

 壮大に決心していたはいいけれど、盛大に切り出しをミスった。なんかこう、もうちょっとなんかあるだろう。馬鹿か俺は。いや、俺は馬鹿だ。なんで思い悩んだ末の最初の一言がこんな台詞だ。頭が悪いにも程がある。

 なんかもう交通事故みたいな大惨事だった。

 飛び出し事故だ。前方不注意で車庫を出るなりトラックと正面衝突したみたいな感じである。


「……単刀直入だな」


 流石の姫様も虚をつかれた様子で、それだけを返すのがやっとだった。

 言葉を選ぶようにひと呼吸間を置いてから、


「まず詫びておこう。そもそも父の事を黙っていたのは私の手落ちだ。召喚者の親族である私に憎悪が向いて、余計な軋轢(あつれき)が生じるのは避けたかった。それで口を(つぐ)んでいたのであって、お前に悪意隔意があったのではないのは言明しておきたい。その上でお前の問いに答えるとしたら、思うところがないと言えば嘘になる、といったところだ」


 ですよねー。

 予想通りの肯定の返事だった。そりゃ親父さんの死に関わってた相手に何の感情も抱かないとかないだろう。

 だが受けた俺が口を開く前に、「決して勘違いをするなよ」と姫様は前置きし、そうして心持ち肩を落として、遠くの誰かを見るようにした。


「──父は、夢見がちな人だった」


 初めて姫様に会った、あの夜もそうだった。身近なはずの家族を思うその時、この人はひどく遠い目をする。

 その理由は、今ならば推し量れなくもない。


「今、近隣に戦争がない。水面下ではいざ知らずだが、人同士の争いは表面上は絶えている。平穏無事は重畳なのだが、しかしそれを停滞と感じる種類の人間がいる。戦乱と英雄とに憧れる類の人間がいる。私の父もそのひとりで、しかも自分が戦時の激流を決して泳ぎきれはしない事に少しも気づかないのだ」


 感慨されて思い出した。

 そういえば「自分の足元を見ないという点で、困った事に弟は父に似ている」なんて言っていたっけか。


「その父が、禁じられた血統術式まで用いた召喚で何をしようと考えたのかは想像の埒外だ。しかしいずれにせよ我が国にとって益のあるものではなかったろう。だから他世界干渉の第一例であるお前がその目論見を阻んでくれたお陰で、アンデールが被った害は軽度で済んだ、と言えなくもない。それに父の病死はそもそもから自業自得だ。お前に思うところがあるとは言ったが、それは恨みではない」

「いや、でも」


 俺にとってはひどくありがたい言葉であったけれど、思わず反論を口に出してしまう。

 だってそんな寂しそうな顔で、「父親の事はどうでもいい」なんて言われたら、ねえ?


「でも俺がもっと上手く立ち回ってたら、とか。そう思ったりはしませんか」


 正否は別の事として、感情のぶつけどころがあったっていい。俺に八つ当たりしてくれたっていい。

 そんなふうに考えて言いだったのだが、姫様は静かに首を振った。


「結果として父は死に、お前は無事だった。だが逆に、まるでこの世界に関わりがないお前が、只管(ひたすら)悲惨な目にあって命を落とす死ぬ可能性もまたあったのだ。それを鑑みれば、お前を恨む憎むなど、まして不当に当り散らすなど到底できるものではないよ。その上、お前はただ『死ななかった』というだけだ。お前の人生と運命は、捻じ曲げられて無茶苦茶になってしまっている」


 それから目を伏せて、少し調子を変えて姫様は続ける。


「私はもっと上手く立ち回れたはずだ。父とデュマ、それにミニオン卿。彼らの動きを(つぶさ)に察知し、行動を阻む事が出来たはずだ。それをしなかったのだから、私がお前を殺したようなものだ。私がお前の運命を捻じ曲げたようなものだ。お前の世界からお前を攫い、私の側に引き落として二度と帰れないようにしたという事だ。お前の家族とてお前を失って悲嘆に暮れた事と思う。すまない。全ては私の責任だ」

「いやいやいや、それは違いますよ姫様。そりゃ不可抗力もいいとこです。むしろ姫様は俺を助けてくれた側ですから。ひょっとしたら召喚を止められたかもって可能性なんて、絶対責める理由にはなりません。そんな文句、お門違いもいいところです」


 卓の空いたスペースに擦りつけんばかりに頭を下げられて、俺は大慌てで手を振った。

 すると姫様はすぐ顔を上げ、そしてふっと微笑んだ。


「卑怯なようだが、お前はそう言ってくれるだろうと思っていたよ。そして私がお前に言いたいのも同じ事だ」

「へ?」

「私が言いたいのは、今お前が口にしたのと同じという事だよ、ハギト。あれはお前にはどうしようもない、運命の落とし穴だったのだ。

何一つお前の望んだ事ではなくて、全て能動でない受動だ。風邪を引いていなければだのなんだのは、ただの可能性で、責める理由には決してならない。そういう事だ」


 あ、してやられた。

 自分で必死に言い募ってしまっただけに、俺にはもう返す言葉がない。

 もにょもにょと悔しく口だけ動かしていると、


「もし私が父を殺した相手として憎むのならば、それはお前を喚んだ人間たちになるだろう。だがそのうちの一人が私の父であるのだから、これはもう先に述べた通り、自業自得という事だ。『でも』も『もし』ももうなしだ。これ以上蒸し返すな」

「……はい。ありがとうございます」


 俺は頷いて、そして礼を述べた。

 再三になるが、姫様がそう言ってくれるなら、俺としてはありがたい限りなのだ。

 それにこれ以上この事に(かがずら)うのは、ただ自分が楽になりたいというエゴでしかないのだろうとも思う。


「父を悼み、振り返る事は無論ある。だが私は、後ろを見たまま前に走るほど器用ではない。そしてこうも思う。もう手の届かないものに固執して、今抱きしめているものを手放すのは愚かだ、と。私はそんなふうに大切な者を失いたいたくはない。覚えておいて欲しい、ハギト。私にはお前だって大切だ。タルマやスクナナと同様に、お前も私の家族のようなものなのだから」


 今度は遠い目ではなくそう言って、姫様ははにかむように、逸らした視線を床に落とした。


「だがもしそれでもまだお前の気が済まないというのなら、それならばひとつ頼みがある」

「? なんでしょう?」


 姫様にしては歯切れの悪い物言いだ。

 若干小さくなった声に釣られるように、俺は卓に身を乗り出した。


「言えた義理ではない都合のいい頼みだが、あまり私を避けずにおいてもらえないか。私とて鋼で出来上がっているわけではない。あまりすげなくされれば、胸も痛む」


 ちらりとこちらへ戻した瞳は姫様にしては珍しく不安そうな、例えるなら捨てられる直前の子犬のようだった。


「つまり、その、なんだ。……あまり私を嫌わないで欲しい」

「……」


 あまりの事に一瞬思考が停止した。

 いやいやいやいや。逆ですから。全然逆ですから。

 嫌われる心配をしたのもするべきなのも俺ですから。


「俺が姫様を嫌うなんてありません。絶対ないです!」


 でもって我に返ったら、テーブルに両手をついて力説していた。

 姫様はといえば唐突な俺の剣幕にたっぷりふた呼吸分はきょとんとした後、口元を握った手で隠して小さく笑っている。


「あー、うー、というかですね。俺、家族扱いしてもらってたんですか」

「なんだ? 扱いに不満でもあったのか?


 すごすごと席に座り直して咳払いして露骨に話題を転じると、姫様は引っ張らずに付き合ってくれた。


「いえ、基本的に飾り物呼ばわりされてたんで」

「ああ、この世界には、置き物を家族として大事に扱う地方がなくもない」

「いや絶対ないですよね、そんな地方」


 そうして、顔を見合わせて微笑んだ。

 これが最初の夜の焼き直しだと、ぎくしゃくをやめて仲直りする合図だと、勿論お互い分かってる。


「ただ、俺に嫌なところあったら遠慮なく言ってくださいね。あんまり甘やかしてもらってばっかじゃ何なんで」


 自分でも甘やかされてる自覚はある。

 流されまくらないようにと自戒を込めての発言だったのだが、


「分かっている。私だって身には染みている」


 ちょっぴり不機嫌めいて姫様は口を尖らせた。

 あ、しまった。弟さんと親父さんの話の後だけに、なんか皮肉っぽくなってしまったか。

 全然そういう意図はなかったんですと取り繕おうとしたその途端で、俺の腹が大きな音を立てた。


「……」


 思い悩んでた一件が最良の形で一応片付いて、それで安心して気が抜けて、って感じは分からなくもないんだけどさ。

 俺は片手で顔を覆う。

 これは恥ずかしい。とても恥ずかしい。またしても恥の歴史の更新である。

 今日一日動き回ってそりゃ空腹極まれりだったけれど、何も今このタイミングで鳴らなくてもいいじゃないか。いやまあある意味いいタイミングではあるのだけども。

 姫様を見やれば、最前の不満はどこへやらの笑顔である。またしても笑われてしまった。

 ああくそ、この人にはどうも、格好悪いところばかり見られている気がするぞ。 

「折角のタルマの心尽くしだ。冷める前に頂戴するとしようか」

「はい、そうしましょう。是非そうしましょう」


 そうだ、そもそもこんないい匂いをさせてる料理どもが悪いのだ。こやつらは責任を取って俺の胃袋に収まるべきである。

 心中で裁きを申し渡してから「いただきます」と手を合わせると、不思議なイントネーションの日本語で姫様も(なら)って唱和した。

 ちなみに食前食後の挨拶は俺にとってはもう条件反射みたいになってる行動だ。半分以上寝たままで朝飯を食うくせに、そういうトコだけおふくろは口うるさくて、小さい頃から仕込まれているのだ。

 でもそういう事情を知らない姫様は、きっとこれを俺の世界の宗教儀式か何かだと思ってるんだろうなあ。

 深くツッコまず、それでも律儀に付き合ってくれる辺り、実に懐の広い人だ。


 まずは昼も食べた根菜と根菜と根菜のシチューに匙を突っ込み、そこではたと気がついた。

 そういえば姫様と最初に会った時も、ミニオン爺ちゃんちの台所でこうしてふたりで飯を食った。

 ひょっとしたら、タマちゃんはそれを知っていたのではないだろうか。だからこの会食の舞台を台所に設定したのではあるまいか。

 そういう視点で見てみればこのシチューを皮切りに、蒸した肉(味と食感は鶏っぽい。何の肉かは深く追求していない)の甘酢かけに、具材どっさりのお粥風オートミール、それから甘めの卵焼き等々と俺の好物が多い。

 ちなみに卵焼きの好みは兄貴のそれが伝染したものだったりする。うちの兄貴、あの図体のわりに甘党なのだ。

 昼の突発的軽食に対応してシチューが出てきたのも、夜の為に準備していたからだろう。つまりタマちゃんは今朝からずっと、俺と姫様のこの状況を意図していたってわけだ。こりゃ当分頭が上がらなさそうである。

 つい嘆息したら、


「どうした?」

「いえ、ちょっとタマちゃんの偉大さを噛み締めまして」

「ああ、そうだな。あれは技量にばかりでなく、心遣いにも秀でている」


 返答からするに姫様もどうやらお気づきのご様子だった。

 こういうところは、いい意味で類友だ。  



 それから後はしばらく、無言のままで食事が続いた。

 双方空腹だったのもあるだろうけれど、最初の沈黙とは異なって、言葉がなくても確かに大丈夫な温度が生じていたってのがきっと大きい。

 姫様がそこに居てくれるだけで安心するというか、なんというか。

 でもって時折ちょっと顔を上げると、何故だかばっちりのタイミングで視線がかち合ったりで、どうにも気恥ずかしい思いをしたりもした。

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