10.
そんな感じにぎゃあぎゃあやりつつ、亀の歩みで到着したスクナナさんちであるけども、これが実にでかかった。
いや一族郎党で住んでるってノノが言ってたし、遠目からのシルエットとで「大きいな」とは思ってたはいた。でも間近で見たら予想以上だ。
階数も街の建物より高く作られていて、コンクリートとか鉄筋とかないだろうに、建物の強度とかどうなってんだろう。まあどうせ魔法建材とかそういうものが出張ってるに違いない。
しかし姫様んちはまだ個人の屋敷って感じがするけど、ここまでいくと家と言うよりも何かの施設って感じである。
「そうだよ。その通り」
ぽつり感想を漏らしたら、聞きつけたナナさんが頷いた。
なんでもここ、人間同士が戦争をやっていた時代の孤児院だったらしい。
戦災孤児の養護施設と言えば聞こえはいいが、街から離れたこの立地だ。「とりあえず面倒は見てますよ」程度のスタンスであったろう事は想像に難くない。世の東西というか世界の違いを問わず、臭いものに蓋ってのは人間心理なのだろう。
とまれ戦後使われないままになっていたその建物と敷地を、姫様が隠居料として貰い受けたのだそうな。
「なのにご自身では使わないで、僕たちにまるまる管理を任せちゃって。だからシンシア様があのお屋敷みたいに不便で手狭なところで暮らしててるのは、僕たちの所為なんだよ」
狭くない、狭くない。あそこは絶対狭くない。
最近俺の感覚も狂いがちだけど、姫様んちは小さいとか手狭とか断じてそういう感じじゃない。日本人的には豪邸もいいところだ。いや元の住居がお城の中となると、そりゃ比較対象の問題で「不便で手狭」って事になるのかもだけど。
しかしナナさんの言によるならば、ク族の生活の基盤は全部姫様におんぶにだっこの格好である。つまり一族まるごと俺状態。そりゃ忠誠心も高まるし、責任感だって強くなるわな。
まあその辺の事情はともかくとして、大きさに続いてびっくりさせられたのはク族の皆さんの好奇心にだ。
「貴賓室なんてないから、悪いけど僕の部屋だよ」
そう言ってナナさんの自室まで案内されていく最中なわけだけども、その移動経路のあちこちから、俺の後頭部に好奇の視線の刺さる事刺さる事。大人も子供も興味津々って感じである。
一応大人たちは、所謂大人の対応で会釈して遠慮がちな空気を漂わせるのだが、手に負えないのは子供らだ。
俺の後ろをちょろちょろついて歩いてきて、振り向くとぴゃーっと逃げる。でもって寄り集まって通路の角から覗き見てる。
俺は珍獣か何かか。
……いや他世界の人間とか、珍獣以外の何者でもないんだろうけどもさ。最近慣れてきたんでうっかり忘れていたけども、姫様んちまで俺を見物に来る人々が未だにいるくらいだし。
そしてここでちょっと気になる事がひとつ出てきた。
「ナナさんナナさん」
「ん、何?」
「尻尾って、大人になると切ったりするの?」
ノノを筆頭に子供たちには、ふさふさだったりつるんとしてたりくるんとしてたり、色んな種類の尻尾が生えてる。逃げる時にぱたぱた振りながら逃げるから、これは絶対見間違いではない。
けれどもナナさんを含めたク族の大人たちには尻尾は見当たらない。影も形もない。
果たしてこれはどういう訳か。
「切らないよ。大人になるとね、自然短くなってなくなっちゃうんだ」
なるほど、蒙古斑みたいなものなのか。
すると「尻の青い小僧っ子め」みたいな表現の代わりに、「まだ尻尾の生え残ったひよっ子め」みたいな感じの悪態があったりするのだろうか。
しかししかしいやしかし。
となるとナナさんにも昔は尻尾があったという事になる。どんな形でどんな毛並みだったのだろうか。なんか気になる。すごく気になる。
などと思っていたら突然、先に立って歩いていたナナさんがバネ仕掛けの玩具めいた勢いで反転した。
ぎろっとこっちを睨んで、
「今、僕のおしり見てたでしょ」
みみみ、見てませんとも。
「あのね、もし次にヘンな事考えたら……」
いやいやいやいや。こういう些細な事で剣に手をかけるのはやめていただきたい。
さて。
濡れ衣からのひと悶着がありはしたものの、どうにか俺は五体満足でナナさんの部屋に到着。
現在は椅子に座らされて、応急手当てを受けている真っ最中である。
まあ手当と言っても、湯を張った洗面器にタオルを浸して、それで固まりかけた血を拭って落として綺麗にして、小瓶の消毒薬を染ませた違う布でさっとひと拭き。
簡潔に内容を述べるならこんなもんである。
そもそも金属の籠手で殴られた打撲が一等ひどくて、後の切り傷は浅手ばかり。しかもそのどれももう血は止まってる。
ナナさんの手つきは慣れたものだし、そんなわけで手当されてる俺の方はとても暇。
よって目の端で、あちこち観察してみたりする。
同年代の女の子の部屋、なんて言うと妙に甘酸っぱい感があるけれど、ナナさんの自室は実に質素だ。
ベッドとテーブルに椅子が二脚。寝台脇に小さな本棚があって、そこに書籍が数冊。後は衣装箪笥っぽい家具があるばかりで、女の子めいたシロモノはほぼ見当たらない。
これはあれだな。質実剛健を地で行っているのではなく、地で行こうと心がけてた結果だろう。いつものご丁寧モードのナナさんと同じで、なんかどっか無理してるような感触がある。
あと今更ながらだけど、もうひとつ気がついた。
照明用の発光魔符。こういうのにも俺の世界の家電と同じで、どうもランクがあるらしい。
もう日が落ちたからとナナさんがつけていった明りは、見慣れた姫様んちのものよりも光量がもやもやとして頼りない。つまり日頃いいもの使わせてもらってるんだな、俺。
「こら、動かないの。これくらい痛くないでしょ。じっとしてて」
目だけきょろつかせてるつもりだったのだが、体もついつい追随していたものらしい。
不意にナナさんの手のひらで両頬を包まれて、ぐいと正面を向かされた。
なんというか、この子は分かってない。全然分かってない。
さっきから視線を左右に逃がしてるのは顔が近くて、そんな距離で目が合ったりすると大変気恥ずかしいからである。
加えてナナさん、椅子に腰掛けた俺に対してあれこれと処置をしてくれている。つまり基本的に前傾姿勢だ。すると前かがみになった胸元を凝視してしまうような格好にもなったりするわけで。
革鎧を着込んだままであるけれど、彼女の体はとても女の子を主張しているのでこれまた困る。
いつもは過敏反応するくせに、こういう時だけ無頓着とかどういう事だ。
でもそういうのを口に出したら、逆にこちらが意識し過ぎてるようで負けな気がする。
結局どうにも言えずに唸っているうちに手当ては終わって、化粧までしてもらってしまった。いや別に女装したとかじゃなくて、打撲の腫れが目立たないように誤魔化しをしてくれたんのだ。
身分の高い人の護衛をするなら必須のテクニックであるらしい。
そうこうしているうちに部屋のドアがノックされて、ノノがひょこりと顔を出した。
「ハギおにーちゃん、これどうぞ」
差し出されたのは革袋に入った長方形の物体だった。
なんだろうと受け取ると、ひやっと冷気が伝わって、思わず「うお!?」と声を上げてしまった。
……こら、姉弟でくすくすするんじゃありません。
でもその冷たさで分かった。これ氷嚢か。冷蔵庫用の冷やす系の符を起動させて水袋か何かで包んであるのだ。
「サンキュー、ノノ」
腫れに当てると実に心地よい。
礼を言うとノノはしっかりした態度で、「どういたしまして」と応じ、
「馬車の用意はもうしばらくかかるそうなので、お待ちください」
うん、なんとも子供らしい精一杯の敬語だ。やっぱりこの姉と弟はよく似てる。そしてこういうニュアンスまでしっかり伝達してくれる翻訳さんには、重ね重ね感謝せねばなるまい。こういうの、相手の感情の機微が掴みやすくてとても助かる。
それからノノは応急手当てセットを回収して退室していったのだけど、まあ最後までぴんと手足を伸ばして格好をつけようとしていて、実に微笑ましかった。
「大分ハギに懐いてるね」
「ふふふ」
得意げに仰け反っておいた。
昔から子供に人気な俺である。近所の子供に至っては、余裕の呼び捨てで声かけてくるんだぜ?
「まあ、ハギはヒーローだものね」
「ちょっ!?」
思わず変な声が出た。
ちょっと待て。いや待って。なんでナナさんがその発言を知ってるのだ。
自分でも小っ恥ずかしい事語った認識があっただけに、他人に指摘されると一入だ。顔から火が出そうだ。
「さっきお湯を取りに外した時に、ノノから直接聞きました」
口元に手を当ててくすくすと、ナナさんは余裕の表情である。
「ち、違うんだって。あれはノノを元気づけようと思って言ったヤツで、深い意味とかないんだって。そうじゃない。誤解だ。とにかく違うんだって!」
「うん、そうだね。違うんだよね。でも」
ふっとそこでナナさんは、真面目な顔をして見せた。
「それでもノノはハギの事、ヒーローだって言ってたよ」
「……」
そっか。
ふむ。そっかー。
「何にやけてるかな。気持ち悪いよ」
ちょっと浸った瞬間にこれである。
ホントに手加減を知らんのだな君は。
今度ノノに教えておかねばなるまい。知ってるか。大人になるっ事は恥が増えるのと同義なんだぜ。
「ごめん、ごめんってば」
いじりまわされてぐったりかつしょんぼりしてしまった俺の肩を叩いてから、ナナさんはテーブル向こうの椅子に腰掛ける。
「あのさ。馬車待ちの間、少し、話いいかな?」
「おー。なんだい?」
我ながら生気の抜けた声で応答すると、ナナさんは真っ直ぐな目をして俺を見た。
「僕ね、ハギに謝らなきゃいけない事があるんだ」
「おうおう、そうだな謝れ謝れ。でも許さん。断じて許さん。俺の心をぽっきりへし折った罪は相当だ。300秒くらいは恨み続けてやる」
「え? あ、うん、それもごめんなさいだけど、そうじゃなくて」
ナナさんは困ったように、耳にかかった髪をいじる。
「本当に真面目な話だから、茶化さないで聞いて」
「ん、了解」
俺は顎を引いて同意を示す。こういう空気は読めるつもりだ。
するとナナさんは目を閉じて、一旦深呼吸した。何からどう話すかを思案しているのだろう。
「見て分かったと思うけど、僕たちク族の暮らしってね、かなりいっぱいいっぱいなんだ。安定してお金を稼いでるのは僕だけになっちゃうから」
やがて、そう切り出した。
うん。失礼かと思って口には出さなかったけど、ちょっとそんな雰囲気は感じてた。
建物は大きいけれど、皆居場所がないみたいに落ち着かずにあちこちをうろうろしてる。それにノノが買ってきてたパン。この人数にあの量じゃあ、絶対十分だなんて言えないはずだ。
他に用意があるのかとも思ったけれど、そもそも夕食の時刻だというのに食事の匂いがしてこない。
決定的ではないけれど、いくつか違和感は積み上がっていた。
「やっぱりさ。いくらシンシア様が僕を重用してくれて、僕たちの面倒を見てくれて、大丈夫だよって宣伝してくれてても。ク族って色眼鏡で見られて怖がられちゃうんだよね。特に子供は尻尾の所為で、明確に『違う』って思われちゃうし。だからなかなか仕事につけなくて、それで」
ナナさんの声はちょっとずつ小さくなる。顔も俯く。
「だから僕はハギの事、凄く警戒してたし敵視もしてた。シンシア様に飽きられたら、見捨てられたら、僕たちはまたどうしようもない立場になる。シンシア様がそういう人じゃないって分かってはいるけど、やっぱり不安は拭えなかったんだ」
ああ、それも分かるな。分かっちゃうな。
俺だってそうだ。
もし明日姫様が、俺と似た様な境遇の別の人間を拾ってきて、それで同じようにその面倒を見始めたら。
絶対俺は心穏やかではいれないと思う。そいつに普通に接したりは難しい。というか多分、そいつの事を毛嫌いしてしまうと思う。
「だからハギと初めて模擬戦をした時、あんな真似をしでかしました。あの時はシンシア様に言われて頭を下げただけで、事情を聞いてもらったその後はなし崩しに許してもらったみたいになっちゃって、一度もちゃんと謝ってないと思うんだ。だから」
静かに椅子を立って、ナナさんは体をふたつ折りにした。
「だから、ごめんなさい。僕の事、許してくれると嬉しいです」
「ああ、いや、いいっていいって」
俺は慌てて手を振って、ナナさんを再度着席させる。
彼女はすっごい気に病んでたみたいだけども、俺としては許すも何も、もう半分忘れてたような話だ。
「俺は全然怒ったり根に持ったりしてないから。だからナナさんも、綺麗さっぱりこれで気にしないでくれると助かるな」
「本当に?」
「本当に。なんなら神様……は信じてないから駄目だな。姫様に誓ってもいいぜ」
片目を瞑ってやると、ナナさんは心底ほっとした顔で、「ありがとう」と囁いた。普段は絶対見せないような表情だったので、ちょっとどきっとさせられる。流石は潜水艦系美少女である。
「やっぱりいい人だよね、ハギって」
「ずっと気にかけてたナナさんも相当だと思うけどな」
如何にも肩の荷が下りたって感じで呟いたからそう返したら、ナナさんはふくれっ面をした。
「でもハギだって悪いんだよ」
俺が悪いと申すか。いや俺被害者じゃないか。
「本当はあの後、すぐにお詫びしようって思ってたんだもん。でもハギが」
言葉を切って俯いて、それからちらり、上目遣いに俺を伺う。
「ハギが、全然怖がりも嫌がりもしないで話しかけてきてくれて。ク族とかそんなの、少しも関係ないみたいに平気で接してくれて。僕はずっと普通の友達なんていなかったからさ。そういうの凄く嬉しくて、居心地よくて。なのに蒸し返して謝ったりしたら、これが壊れちゃうかもって……」
最後の方はもう、消え入りそうに小さな声だった。
やっぱり子供なんだな、と思った。
物腰丁寧で自他ともに厳しくて、腕が立って生真面目で。でもその実、俺より年下の女の子なのだ。立派に見えたその姿は、目一杯背伸びして気を張ったものだったのに決まっている。
普通なら背負わなくていいようなものまで背負い込んで、それでも彼女は一生懸命、自分の足で立って歩いている。
姫様やタマちゃんに、よく「見栄っ張り」と評される俺である。
元の世界に居た時も同じような事をよく言われてたけど、今、初めてこれを言う側の感覚を理解したと思う。
頑張ってるなと褒めてやりたい気持ちと、でも頑張りすぎるなよとからかって気を緩めてやりたい気持ち。そのふたつが一緒くたに同居してるのだ。
俺、自分で思ってたよりも、皆に好いてもらってたのかもしれない。
「でもさっき、ハギは僕の事を友達って言ってくれたから。だからこれもちゃんとしないとと思って」
卓越しに手を伸ばして、必死で言葉を絞り出しているナナちゃんの頭に手を置いた。髪にくしゃりと指を絡める。
うん、この子はなんかもうナナちゃんでいいや。
「この、見栄っ張り」
「ふえ?」
「頑張ったな。よく頑張ってきた。えらいえらい、褒めてやろう」
そのまま頭を撫でてやっていたら、数秒してから文字にできないような奇天烈な悲鳴で椅子ごと逃げられた。
ちょっとショックである。何もそんなに嫌がんなくても。
「ホントにもう! ほんっとにもう、たらしなんだから!」
おーいナナちゃーん、と呼びかけていたら、鼻息荒く憤慨しつつも、やがてごとごと椅子と一緒に帰ってきた。
「何笑ってるかな」
「べーつにー。笑ってませんよ」
「僕は騙されないからね。あの二人とは違って、僕は絶対篭絡されたりしないんだからね!」
いやどういう言いがかりだ。
そもそもあの二人ってどの二人だ。
「ふん、だ。知らないような顔して。どうせハギは元の世界でも、女の子周りに侍らせて生きてたんでしょ」
「いやない。ないない。いくらなんでも過大評価をし過ぎだ。そもそも俺、生まれてこの方彼女とかいた事ないし」
「……そうなんだ?」
うむ、と大仰に頷いて見せる。
「なんせ妹が一番可愛いので」
「うわ」
あ、いやちょっと待て。お願いだから待ってください。
冗談なんでそんな全力で引かないでください。
「だって真実味があったんだもん」
「まあ可愛がってたのは嘘じゃないけどさ」
「うっわ!」
絶対わざとやってやがるな、こんにゃろう。
言われっぱなしは大変悔しいので、頭のてっぺん辺りを狙って、痛くないチョップを繰り出しておいた。




