6.
買い出しから戻ったところで、タマちゃんとは一旦お別れをした。
午前中に片付けられなかった他のお仕事をこれからこなすってな話だったので、今日の語学の授業はお休みという運びになったんである。当然ながら、俺の事ばっかにタマちゃんの時間を使わせるわけにもいかない。
まあ状況的に、「ならお手伝いを」とか言いたいとこではあった。
あったのだけども、以前同様を申し出てた時の有様はまだ記憶に新しい。
あの時はタマちゃんとその指揮下の人形たちの圧倒的連携と作業速度に手も出せず口も挟めず、結局ついて回るだけで終わってしまった。家事全般において、俺は彼女の足手まといにしかならないと骨身に染みている。
そんなわけで、「もし必要になったら声かけて」とだけ伝えて見送るしかなかった。
タマちゃんは笑顔で、「その時はよろしくお願いします」なんて言ってたけども、あれは絶対社交辞令であろうなあ。
俺は無意味に両手をにぎにぎとしてみる。少なくとも猫の手よりは役に立てると思うのだけども。
とまれ無力を愚痴っていても仕方ない。
せめてもでおっちゃんの馬車の片付けを手伝って、それから何気なく見上げたら、太陽は空の天辺を少々過ぎたくらいに引っかかったままだった。「午後はまだまだこれからだぜ」とでも言いたげな風情で さんさんと地上を照らしつけている。
何故だかもう夕方のような気がしてたんで、俺は一瞬首を傾げ、それから手を打った。
いつもは午後一番から夕方ちょっと前まで、タマちゃんにこっちの言葉を教わっている。なんでタマちゃんとお別れしたら夕方、というイメージがすっかり俺に刷り込まれていたのだ。
なのに今日は珍しく午前中から一緒に居て、加えて初体験の街に長居もして、それで俺の中のタイムスケジュールというか生活リズムというかがズレてしまったのだろう。
ま、時間があるのは別に悪い事じゃない。
おっちゃんに手を振ってから、俺は厩を離れて庭へ出た。
ひょっとしたらまだ居るかもとスクナナさんを探してみたのだが、残念ながら見当たらない。おそらく帰ってしまったのだろう。まあそりゃそうか。
本来休日だし、俺も一応大丈夫そうな顔を見せはしたのだから、ここに居残ってる理由もない。
さて、とそこで俺は自分の両頬を叩いた。
いつもなら手持ち無沙汰になったと思うところだけども、今日はちょっと腹案がある。
足早に自室に戻って、学生服を引っ張り出した。いや引っ張り出すというか、昨日から放り出したままになてったんだけどもさ。おかげで皺になってる部分もあるが、男の子なので気にしない。
こいつに袖を通して、つまり病魔として周知されてるこの姿格好で、もう一度街に出てみるつもりだった。
姫様の宣伝のお陰で、おっちゃんらやこの屋敷への見物客みたいに、俺に好意的な人たちもいる。
でもそれは一部であって、別の一部は、まあきっと俺を嫌ってるだろうと思う。俺の風邪の所為で、家族を亡くした人なんかは、特に。
場合によっては石くらい投げられたりするかもしれない。
でもさっき外に出て実感した。
人ごみに紛れて痛感した。
俺はこの世界を知らなすぎる。姫様に守られてこの屋敷に居ただけで、まるで世界と触れ合っていない。
こっちへ来てから世間が狭くて、だから思考も煮詰まる。
気分転換には外の空気を吸うのが一番で、あと多分、そういうものを直視するのが今の俺には必要だと思う。
万一があったらいけないからタマちゃんと一緒の時はできない試みだけど、ま、俺一人ならなんとでもなるだろう。仮に最悪の状況に陥ったとしても、幸い逃げ足には自信がある。伊達に毎日スクナナさんに追い回されちゃいないのだ。
などと外出を決めはしたものの、誰にも黙って出るというのはちょっとマズい気がする。
だけどもタマちゃんには秘密にしておくべきだろう。あのお姉さんは時々過保護で心配症だ。
ある程度口が固くて信用できる人はおらんだろうか、と思っていたら、ちょうどおっちゃんがぶらぶらと暇そうに前庭へやって来るところだった。
うーむ。
俺の考えてる事を言えばまた「青臭い」だの「ガキ臭い」だのとからかわれそうな気がする。ちょっと悩んだが、まああれは信頼していい部類の人間だ。
おーいおっちゃんと呼び止めて、そういうわけで街へ出る、おっちゃんらが上がる前までには戻るつもりだと伝えたら、
「ふむ」
真面目な顔で唸られた。
おっちゃんはどうしてかしばらく悩むようにしてから、「わかった。ちょっと待ってろ」と言い置いてどこぞへと早足向かう。
あ。
そういやこのおっちゃんも警護の一員だし、そしたら多分、昨日の顛末を知ってはいるのだ。すると俺がこんな事を言い出した訳も把握してるし察していて、それであんな態度だったのか。
普段とは違う応対の理由を推察していると、そう待たずにおっちゃんは戻ってきた。
「兄ちゃんは姫君様の気に入りだからな。オレの立場としちゃ、本当は止めないとマズいんだが」
言いながら、持ってきたベルトを俺の腰に巻きつける。
「ちょっとおっちゃん、きついきつい」
「うるせぇ黙ってろ」
剣帯、というのだったか。
それは剣を佩く為の吊り具が取り付けられた、つまり武器携行用の装具である。であるからしておっちゃんが持ってきたのは帯だけではない。
そして「持ってけ」と渡された剣は、最近見慣れた訓練用のブツじゃない。刃引きしてない真剣だった。いや置いてあるのは知ってたけど、え、これいいの? 俺が持ってていいもんなの?
「使うなよ」
不安が顔に出ていたのだろう。
おっちゃんは苦笑めいて言う。
「こいつは数打ちのなまくらで、要するに示威用だ。ただこういうもんを帯びてりゃビビる相手もいる。絡まれる確率自体が減る。そんだけだ。だから斬り合いなんぞには使うなよ。大した価値もねぇんだから、いざとなりゃ投げつけて怯ませて走って逃げろ」
「へーい」
泰然自若っぽく、何のプレッシャーも感じてないふうに応じてみたつもりだったのだが、いかん、声が震えた。
平素はだらだらぐだぐだ怠けてるように見えるが、このおっちゃんらは紛れもなくプロフェッショナルである。そういう人がわざわざ護身用の武器を取ってきて渡したのだから、「殴って引き止めるほどの危険はないが、それでも万が一の可能性はある」と判断をしたって事だろう。
流石にちょっと緊張せざるを得ない。
腰の重みに若干怯んで柄をなぞったり鞘を撫でたりしていたら、ばしんと背中を叩かれた。結構強くやられたので、ちょっと咳き込みそうになった。
「ほれ、行くと決めたんだろ。行ってこい」
恨みがましく目線を向けると、ぐいぐいと更に背を押される。
くっそ、こういう時だけ大人だな。でもまあなんというか、ありがたい。
「ん。じゃ、行ってくる」
するとおっちゃんはにやっと唇の端を釣り上げて、それから、
「迷子になんなよ?」
「なるか!」
実のところ、方向感覚にはわりと自信があった。昔から一度通った道なら大抵は覚えていられる。
例えば初めて行く友人の家だって、行きに迎えに来てさえもらえれば、帰りの心配はご無用ってくらいなものなのだ。
とかなんとか思ってた俺であったのだけども、ところでひとつ困った事が起きた。
有り体に言うとあれだ、うん、迷った。迷子になった。
いやいやいやいや、街にはちゃんと着いたんですよ。着きましたとも。馬車じゃなくて歩きだからそれなりに時間は要したけれども、そこまでは問題なかった。
でも街の外郭に入ったらば、その、ですね。
まあつまるところ俺の方向感覚ってのは、綺麗に区画整理された日本の都市空間だけで発揮されるものだったって事である。
だって見えないんだもん。
街の中央の方まで行ってみようって、城の尖塔目印に歩いてたら、建物と城壁に遮られてそれすら見えなくなったんだもん。
考えてみればそりゃそうだよな。城壁って防壁だもんな。外から簡単に覗けちゃったら意味がない。
でもってさっきタマちゃんから説明を受けたとおり、区画整理された壁の内側に対して、外側は建築物がわりと自由気ままかつ無秩序にそびえ立っている。
だから高くて目立つその城壁の根元まで行って、それに沿って移動しようという目論見もあっさりご破算になった。
路地は細くて家に囲まれて、お陰でその壁すら見えなくなる始末だし、突っ切れると思った道が不意に行き止まりになってたりもして、そういう悪循環が数回ループした結果、俺はさっぱり現在地を見失ってしまっていた。土地勘がないって怖い。
……というかこれ、わりに洒落にならない状況である。呑気にしている場合ではない。
迷ったら走れが家訓であるし、万一の時はダッシュで逃げればなんとかと考えていたわけだけれども、これではどこへ駆けたらいいのかすら分からない。
うーむ、と腕を組んで考える。
一応独力においてはピンチではあるのだが、ぶっちゃけてしまえば打開できなくはない。
その辺の人を捕まえて、姫様んちまで案内してくれと頼むだけで多分事足りる。お姫様お屋敷なら、所在を知ってる人は多いだろう。
ただし他力本願なのは否めないし、今この状態で姫様に頼るとか、面目が立たないにも程がある。ちょっとどころでなく格好悪い。
しかしそうやって意地と見栄を張ってうろうろぐるぐるしているうちに、日は既にオレンジ色を帯び始めている。
ちゃんと帰らないと心配かけてしまうだろうし、あとこれはついでだけど、俺を見送ってくれたおっちゃんが迷惑を被る可能性もある。
そういうものを秤にかければ、この場合どっちを優先すべきかは知れている。
ため息をついて足を踏み出そうとした、その時だった。
「うおっと!?」
俺の背に、というか尻に、どしんとぶつかって来たものがある。
たたらを踏んだが堪えて反転。
一体どこのどなた様だと睨んだら、衝突の反作用で道端にすっ転んでいたのは小さな子供だった。
日本式に言うなら、小学校低学年ってとこだろうか。シャツに半ズボンという小学生男子的ファッションは、どこの世界においても大差ないものらしい。
ぱっと見だが、怪我とかはなさそうなので一安心。
尻餅をついたままの少年が胸に抱えているのは蓋付きのバスケットで、そこからは収まりきらずにフランスパンめいた堅焼きのパンがはみ出ている。きっとお母さんのお手伝いのお使いの最中とかなのだろう。
中身が路上に散らばらなくてよかったと思う。なんせ弁償してやろうにも、俺一文なしだしな。
「えっと、君、大丈夫か?」
子供は、何故だか怯えたような、警戒するような目でこちらを見たまま立ち上がらない。
どうかしたのかと駆け寄って手を差し伸べたら、今度はびくりと萎縮する。うん、ちょっと傷ついた。あんまりすげなくすると泣くぞちくしょう。
だがそこで、俺のこの格好が無駄な威圧感を与えているのかもしれないと気がついた。学生服の病魔さんっての、どっかの誰かの所為で有名らしいからな。
「いやいや大丈夫だぞ。病気とか持ってないから平気だ、平気。怖がらなくていい。大丈夫。オーケー?」
努めて笑顔で膝をつき、怯えさせないように顔の高さを合わせたら、そこで予想外のものが視界に入った。
尻尾だ。ゴールデンレトリバーの、あの振り回すと箒の代わりになりそうな毛の長い尻尾が、確かに少年の腰から生えている。おう、なんてファンタジー。
「……」
「……」
そこで黙ってしまったのが良くなかったのだろう。
俺の視線が尻尾に向いていると気づいた少年は更に身を竦め、その目にはじわりと涙が滲む。
あ、やべ。
思った時にはもう遅い。ぽろぽろぽろぽろ泣き始めていた。
大声を上げられなかったのが不幸中の幸いだ。この状況、誰が見ても俺が明らかないじめっ子である。
「いやだからちょっと待てって落ち着けって。俺は怪しいものじゃない。大丈夫大丈夫、お兄ちゃんはこの国のお姫様の知り合いだから。仲良しだから。全然怪しくないし、だからこれっぽちも怖がる事なんてない」
言いながら、「これ無理があるよな」と自分で思った。
怪しい奴は大抵「怪しい者じゃありません」と自己紹介するものである。「俺は怪しいぞおおおお!」と絶叫する怪しい奴がいたら逆に見てみたい。
「あー、うー、そうだ。ほら少年、男の子だろ。泣かない泣かない。男は簡単に涙を見せちゃいかんのだ」
ま、こんなんで泣き止んでくれれば苦労はない。
うーむ、困った。
戦況は完全にこちらの不利である。そもそも子供と喧嘩して勝てる大人はいない。もし勝つ奴がいたとしたら、そいつは大人気ないので大人じゃない。
こんな時タマちゃんが居てくれたらなあと切実に思う。きっと上手くあやして宥めてくれるに違いないのに。あの子、凄く子供に好かれそうな気がするし。いや勝手な印象だけだけど。
でもこの局面、姫様だときっと駄目だな。あの雰囲気で、余計怖がらせてしまう事だろう。でもって内心困り果てておろおろして、それを顔に出すまいと一層冷たいような表情になって更に泣かれる。そういう不器用な人だ。
手を拱いて半ば現実逃避していたら、ふっと口をついて出た言葉があった。
「──泣いてちゃ、ヒーローにはなれないぞ」
それは午前中、うたた寝の折に見た夢の出だしだ。
確か俺はおふくろと喧嘩をして家を飛び出し、そして隠れて泣いていた。そんな俺を見つけた兄貴の、第一声がそれだったのだ。
「泣いてなくてもなれないよ」
「いいや、なれるさ。それになるのは実は簡単なんだ」
不貞腐れて答える俺に、兄貴は背を向けたまま言い切った。
「その時そこに居る事。何かしようと思える事。ヒーローの条件なんてただそれだけで。それくらいの代物で。だから──だからな、萩人。本当なら誰だってそれになれる。自分で諦めてしまわない限り」
いつまでも俺の記憶にこびりつく、ヒーローの条件。
それが語られた時の、切り出しの台詞がこれだった。
あの時も同じと夕暮れ時で、立場は逆ながら今と似たような情景で。だから連想めいて記憶が浮かび上がったのだろう。
「そうだ、泣いてちゃ駄目だ。男の子が簡単に泣いて屈しちまったら、一体誰が家族を守るヒーローを務める? 辛くても怖くても不安でもぐっと我慢して笑うんだ。男にゃ意地と見栄が大切だ」
転んで泣く子に何を語ってるんだと言われそうだが、大真面目に演説してやるのは意外と子供に効くんである。近所の悪ガキどもで実証済みだ。
要は雰囲気で誤魔化してるだけなんだけども、果たして尻尾少年も嗚咽を止めて、きょとんと俺を見返した。
にっと歯を見せて笑ってやって、それから手を伸ばして少年の黒髪をぐしぐしと撫でる。
少年は一瞬びくりと体を強張らせたが、振り払いはしなかった。
「よーしよし、大丈夫だぞ。俺は怖くないし怒ってない。転んでびっくりしたな。でももう痛かないだろ? 平気だろ? 男の子だもんな」
そのまま声をかけ続けると、少年が緊張をふっと解くのが分かった。
しかし尻尾からのイメージがある所為か、なんか非常に扱いが犬っぽくなっている。いかんいかんとちょっと反省。
「……ヒーロー?」
声変わり前の高い音域で、尻尾くんが俺の目を見る。
先の俺の発言にあったその言葉が、どうやら気になったものであるらしい。
しかしヒーローってこれ、翻訳さんはどういう概念で訳してくれているのであろうか。今更だけども、「子供向けのおとぎ話の主人公」みたいな伝わり方してたらやだなあ。
ちょっと不安を覚えたので、「お願いしますよセンセイ」と腕の翻訳さんを撫でながら念じてみたり。
「そうだ。ヒーローだ、ヒーロー。分かるか? そいつは英雄だ。すごいぞー、カッコイイぞー。悪い魔法使いとか怖いドラゴンとかやっつけるんだ」
「ナナおねーちゃんみたいに?」
「そうそう、ナナおねーちゃんみたいに」
いや誰だナナおねーちゃん。
思わなくもなかったが、ここは話を合わせておくのが大人の処世術ってヤツである。
「泣かなかったらなれるの?」
「おう、なれるなれる」
「無理だよ!」
間髪入れぬ安請け合いしたら、驚くほど強く噛み付かれた。それから尻尾くんはみるみるしょげて地べたを見る。
「無理だよ。ボク小さいし、おねーちゃんみたいになんてなれないよ。無理だよ」
……。今泣いた烏がもう凹んでた。
どうやらなんか変なコンプレックスを刺激してしまった模様である。
子供は自分の言いたい事だけ言って肝心の説明をしてくれないから、さっぱり話がつかめなくて困る。大変困る。でもこの子が立派な「ナナおねーちゃん」に対して、複雑な気持ちを抱いているのだけははっきりと知れた。
憧憬と羨望と、そして諦念が入り混じっていたそれは、俺にも覚えのあるもので。
だからつい眉が寄ってしまった。銀紙を噛んだような気分だった。
「いやいやなれるよ、なれる。諦めるなって」
「なれないよ」
えーい、消極的な子供め。
この有り様は、ほぼすっかり昔の俺だ。いやそれどころか今朝の俺の姿だ。いやはや鏡像として見れば、もどかしく歯がゆい事この上ない。
でもまあ会話に乗ってきて、暗い顔ながらも泣き止んではいるからオッケーだ。オッケーだったらオッケーだ。
「いいか、俺の尊敬する人が言ってたんだ。ヒーローには誰だってなれる、ってな。なんせその条件は二つだけ」
尻尾くんの目の前で、指を一本立てて見せる。
「ひとつ。その時そこに居る事」
そしてそれにもう一本追加。
「ふたつ。何かしようと思える事。ヒーローの条件なんてたったそれだけで、だから自分で諦めちまわなければ、誰にだってなれるんだ」
兄貴の剽窃でそう言って、初めて俺はその言葉の本質を悟った気がした。
──だってそれって逆に言ったら、凄くなくったって、強くなくったって、何かできるかもしれないって事ですよ。
──どんなに弱くたって、自分を無力だって諦めなければ微力になれるって事ですよ。
ずっと兄貴の側にいた俺よりも、タマちゃんの方がよっぽどよく分かっていらっしゃる。
「だからな、強いとか優しいとか大人だとか金持ちだとか変身できるとか秘密兵器を持ってるとか巨大ロボに乗れるとか、そういうのは全部オマケだ。だってそんなの、その時その場に間に合わなけりゃ何の役にも立ちゃしない。でもってもし居合わせたとしても、何もしないで見て見ぬふりじゃ、やっぱり全部何の意味もない」
俺は膝を払って立ち上がり、尻尾くんのバスケットをひょいと取った。
空いているもう片手を差し出すと、少年は今度こそ俺の手に縋って立ち上がる。
「あとな、さっきは大きな事言ったけど、実は世界を救うばっかりがヒーローの仕事じゃないんだ」
言いながら俺は尻尾くんに擦り傷切り傷の類がないのを確認。
ついでにぱんぱんと軽く尻を叩いて、土汚れを落としてやる。
「というわけで少年。俺は今ここにいて、君を笑わせたいって思ってる。ひとつ俺に、ちょっぴりヒーロー気分を味あわせちゃくれないか?」
大真面目な雰囲気のまま言ってのけると、尻尾くんはぱちくりと目を瞬かせ、それから一言「ノノ」と囁いた。
のの? それってどういう訳だよ翻訳さん。
俺が怪訝な顔をしていると、
「ノノ」
少年は自分を指差して言い直す。
あ、名前か! 固有名詞か。
「萩人だ。新納萩人。よろしくな」
慌てて名乗り返すとノノはごしごしと目元を拭い、そして白い歯を見せた。




