4.
「ところでですね」
座り直して、タマちゃんはじーっと俺の様子を窺うようにする。
これはちょっと言いにくい事を切り出す時のタマちゃんの癖だった。ちなみにタマちゃんは語尾を伸ばすみたいにおっとりと喋る場合があるが、それも実はこっちの様子を見ながらで会話の間を測ってるのだと俺は知っている。
俺だって何も、一方的に見抜かれて見透かされてばっかりではないのだ。
「ハギトさんは、わたしに悪い事したって思ってるんですよね?」
「思ってます思ってます。心の底から反省してます」
「じゃあですね、もっかいお願い聞いていただけませんか?」
「そりゃもうタマちゃんの頼みとあらばなんだって。今すぐ死ねとか言われない限りは頑張るぜ」
するとタマちゃん、「言質を取った」とばかりに企み顔で、にふ、と笑った。
あれ、ひょっとして俺マズイ事言った?
「それじゃあまずお願いの前にですね、ちょっとわたしのお話、聞いてもらってもいいですか」
けど懸念に反してタマちゃんは、それからすごく真面目な表情をする。
つられて俺も、思わず姿勢を正した。
「えっとですね、まずわたしは、おかーさ……母の顔を覚えてません。とある貴族の家で厨房働きをしていたとだけ聞いています」
膝の上で組んだ両手をしきりに組み替えながら、タマちゃんは自分の指先だけを見て話し出す。
「母はその貴族、つまりわたしの父になるんですけど、その人のお手がついたんです。でもわたしを産んですぐ、わたしと母は引き離されて、わたしは父の家で育てられました。わたしに魔法の資質があったせいです」
以前聞いたところによると、タマちゃんの扱えるのは治癒と付与の魔法なのだそうな。
治癒の方は名前の通り、外傷を治すいわゆる回復魔法。
付与の方は魔符の類、つまりこの世界における家電を作成する魔法だ。タマちゃんの得意技である人形操作なんかもこれに該当するらしい。
本人曰く「他にお守りなんかも作れますよー」との事。
詳しくは聞かなかったが、効能は多分家内安全とか学業成就とか安産祈願とかであろう。すっげぇタマちゃんっぽいし。
おそらく資質なんて欠片もない俺からすると、そういうのができるのはとても羨ましいように思えるのだけれど、今の口ぶりから、タマちゃん自身にとってはあまり嬉しい才能じゃなかったみたいだ。
「父の家には義母と、それからその実子の姉ふたりがいました。父の、といいますか、家の方針としては一番高く資質を開花させた者が後継と定められていましたから、わたしと姉たちは小さい頃から競い合うみたいになってまして」
いやなんだそりゃ。
俺だってこの世界の常識についてはある程度聞き及んできたから、こういう話がままある事だってのは知ってる。
ともかくこちらの世界は資質重視だ。魔法の資質がほぼイコールで社会的地位に繋がっている。
俺にとっては一般的な学校教育とかはまるでなくて、知識的な技術継承の方はほぼさっぱりなのがこれに拍車をかけてるっぽい。
だから一夫多妻、一妻多夫のどちらも普通。とにかく自分の血筋にいい才能を持った子供ができるように励む。
俺にもキャラクターメイキングがあるゲームで、いいボーナスポイントが出るまで作り直したりとか、レベルアップで欲しい能力値が上がるまでリセットしたりとかした経験がある。
詳しくはないけれど、競走馬の世界がそんなような仕組みだと聞いたような記憶もある。
だからこれはひょっとしたら、そういったものに近い感覚なのかもしれない。
とはいえ相手がいて産む苦労をして、しかも産まれた後の事までもがあるのだから、そんなドライにいけるとは到底思えない。だけれども、こちらではにかくそんな雰囲気が蔓延してまかり通っているのは確かだ。
だから、なのだろうか。この世界の家族関係はなんかひどく冷たい気がする。
姫様がああまで弟さんを庇ったりするのは、本当に異例の事なんだろう。
だけどそうした知識があったところで、改めて話を聞いて境遇を事細かに思い描いたら、腹を立てずにはいられなかった。
子供たちを切磋琢磨させて才能を伸ばさせる。そういえば聞こえはいいかもしれない。
でも赤ん坊の頃に親から引き離されて、たった一人きりの子供がその状況をどう感じるか。それは想像に難くない。針のむしろ以外の何物でもなかったろう。
うなだれて黙って耐える、幼いタマちゃんの姿が目に浮かぶようだった。
「それでわたし、その」
自分の膝に目を落としたまま、タマちゃんは小さく体を震わせた。
タマちゃんは気弱く笑って誤魔化すようにしたけれど、頬を伝った雫が一粒、こぼれ落ちるのが見えてしまった。
「──ちょっと、ぶたれたりなんかもしまして」
「……」
聞いた途端に閃くものがあった。
いやそれ「ちょっと」じゃなかっただろ。
絶対、全然、「ちょっと」じゃなかっただろ、タマちゃん。
例えとしては失礼だけれどこんな話を知ってる。
人に撫でられ慣れた犬は、人間が手を伸ばすと寄っていく。それが自分に対して友好的な仕草だと知っているからだ。
でも逆に人から暴力を受け続けた犬は、手を伸ばした途端に身構えて威嚇する。それは自分を虐げる為の動作だと学習させられてしまったからだ。
タマちゃんの前で、肩より上に手を上げてはいけない理由。
それは多分、そういう事なのだった。
そんなふうに反応が体に染み付いて、ただそれだけで怯えてしまうくらいに、身がすくんでしまうくらいになるまで。
多分タマちゃんは繰り返して何度も、手ひどく暴力を受けたのだ。
なんだよそれ。なんなんだよそれ。
かっと腹が熱くなったところに、
「怒らないでください、ハギトさん」
そっと、タマちゃんが顔を寄せて囁いた。
「全部昔のお話です。わたしは姫さまに助けてもらってます。だから、怒らないでくださいな。もう大丈夫ですから」
いつしか固く握っていた拳に、そっとタマちゃんの指が触れた。
一応タマちゃんの家族の事であるし、できるだけ表情は隠したつもりだったのだけれど、どうやらまたしてもバレバレだった様子である。いやはや恥の多い人生だ。
「いやでもさ」
「はい?」
「普通、そこで助けに来るのはお姫様じゃなくて王子様じゃないかなって思ってさ」
いやこっちの世界の童話がどうなってるかは知らんけども。
気まずさを紛らわそうと言ったら、タマちゃんは「そうですよねー」とこちらを見て笑った。いつもの、ふんわりした笑顔だった。
「でも私の場合はあの姫さまでした。ある日ばーんと扉を開けてやって来て、『今日から私の下で働いてもらう。家族とは縁を切る事になるが構うまいな?』ですよ。もー何事かと思いました」
ドレスと長い髪を翻しながら、遮る者全てを蹴倒して突き進む姫様の勇姿が見えるようだった。
暴れん坊将軍とか水戸のご老公とか、きっとそんなのと同類だ、あの人。
「タルマは故あって私が強引に引き取った」とか言ってたけど、強引って言葉は過剰装飾でもなんでもなく、ただの真実だったんである。
「そうやってここに連れて来てくださった後、『お前は何ができる?』と訊かれたので、『簡単な料理くらいならできます』って答えました。そしたらいきなり料理番に任命されました。前もお話しましたけど、お膳を任されるって、かなりの大事なんです。なのにいきなりそんな扱いで、その上基本放置なんです。それが関心がないんじゃなくて、わたしへの全面的な信頼の証明なんだって気がつくまでに、ちょっと時間がかかりました」
あー。
スクナナさんの時もそうだったけど、わりと姫様って「言わなくても分かってくれるだろう」と思い込みがちな人なんだよな。
言ってもらって安心する事だってあるってのに。
「あの人、そういう事言わないからなー」
「そう、言わないんですよね。自分がどういうふうに考えてるとか、どれだけその人を大切に思っているとか。そういう事は絶対ってくらい口にしないんです」
我が意を得たりとばかりにタマちゃんが頷いて、
「あ」
そうか。そういう事か。
俺の理解を肯定するように、タマちゃんがゆっくりと瞬きをする。それは妙に大人びた仕草で、なんか俺はちょっと飲まれてしまう。
「自分でこーいう暗い昔話をしちゃうの、いかにも同情してくださいって感じでズルかなって気もします。でも、聞いておいて欲しかったんです。そしたら私がこう言うのにも説得力が出るでしょうから」
タマちゃんはそこで深呼吸して、それから真っ直ぐに俺を見た。
「わたしはそんな理不尽な事に振り回されて、いつまでも負けたままでいるのは悔しいって、今はそう思ってます。昔あった事は、どうあっても変えられません。でもそれを糧にして、今を頑張るのはできると思うんです」
それは俺へ向けられたエールに違いなかった。
そうだよな。昔やらかした事に引きずられて、今現在まで駄目にしちゃうのは馬鹿の仕業だよな。
本人はズルだなんて卑下するけれど、断じてそんな事はない。思い出すのも嫌な話を、俺の為に頑張ってしてくれたのだ。
スクナナさんといいタマちゃんといい、俺はこっちでの人間関係には本当に恵まれている。改めて痛感した。
「……いい事言うな、タマちゃん」
胸の中に去来した色んな感情のかたまりは、上手く言葉にできなかった。
ようやくそれだけを口にすると、タマちゃんはえっへんと胸を張る。
「でもこれ、ハギトさんに教わったんですよ。わたしがこう思えてるのは、ハギトさんのお陰なんです。だからしゃんと背中を伸ばしてくださいな。ハギトさんは、わたしのヒーローでもあるんですから」
え。う、あ。
思考がショートして母音しかでなくなった。
いやいやいきなりそんな事を言われましても、なんとういかリアクションに困る。というかすっげぇ恥ずかしい。
うろたえていると、つんと指先で額を小突かれた。
「ふふー、照れましたね。さっきびっくりさせられたお返しです。でも」
そこでタマちゃんはいつものように、にふ、と笑う。
でもその目はやっぱり同じく大人っぽい光があって、どことは言えずに艶っぽい。
「ハギトさんがわたしのヒーローだっていうのは嘘じゃないですよ。それは忘れないでくださいな」
なんだなんだなんなんだ。
さっきからタマちゃんはやたらとお姉さんじみた雰囲気で、俺は手玉にとられまくりである。
むむむ。癒し系小動物枠の癖に生意気な。
「まあ、そういうわけですから」
俺を言葉に詰まらせたまま、タマちゃんは膝を払って立ち上がった。
「ハギトさんの昨日のあれは不問に付して差し上げます。ですから代わりに、午後からわたしのお買いものに付き合ってくれませんか。これがお願いの中身です。どーですか? 駄目ですか?」
「あ、いやい全然オッケーだけど、オッケーなんだけど、それだけでいいの?」
「『それだけ』じゃないですよ。買い物には街の方まで出るつもりですから。今度こそちゃんとガードしてもらわないと、ですよ?」
「……はい」
痛いところを突かれてしまった。
そんな言い方されたら異の唱えようがないじゃないか。というかこれって、名誉挽回の機会を作ってくれてるんだよな。
「でも昨日はあれだけ人がいてもわりに平気でしたので、実際そんなにご迷惑をおかけする事はないと思いますよー」
「むしろ少しくらい迷惑かけてもらわないと、俺、タマちゃんにも恩の返しようがない気がしてきたよ」
「山のように利息が溜まった頃に取り立てますから、楽しみにしててくださいな」
何気にとてもおっかない事を言われた気がする。
侮っていたがタマちゃん、実は策士であるのやもしれない。
「さてさて、それじゃあお出かけの前にご飯にしましょう。ハギトさんは朝抜きですから、お腹空いてますよね? お腹減ってると、人間ろくな事考えないんです。あとあったかくておいしいものを食べると、それだけで幸せになれたりするんですよー」
言われてみればその通り。
タマちゃんのお陰で少し気が楽になったのもあって、空腹が意識されてきていた。
ありがたく提案に乗っかろうと俺も立ち上がろうとしたら、
「あ、ハギトさんは座っててください。わたし食卓をご一緒はできませんから、せめて支度だけは整えさせてください」
ぴしゃりと制止されてしまった。
どうやらタマちゃんの矜持に関わる部分であったらしい。
「あ、それからですね」
手際よく皿を用意してから、タマちゃんはくるりとこちらを向いて、何故だか頬を赤らめた。
「さっきちょっと話に出た、何でも持ってて何でもできる童話の王子様みたいな人よりも。何もかも全部なくしたって明るく優しく振る舞えて、それで自分にできる精一杯をしながら前へ歩いてく人の方が、わたしはずっとずっと好きですよ」
「うーん。そういう姿勢は確かにカッコいいし尊敬に値すると思うけど、でも実際それができる奴ってあんまりいないよな」
いや俺ができないからって僻んでるわけじゃないですよ。ええ。断じてないですよ。世間には俺みたく、生き恥ばっか晒してる人間の方が多いのに決まってるだなんて。そんな事少しも思ってないですよ。
しかしタマちゃんって、意外と理想が高いタイプなのであろうか。
でも理想云々を言い始めたら、この子に釣り合う相手ってのはなかなか居ないような気がする。というかタマちゃんが見知らぬ男とお付き合いしている場面を想像すると、なんかこう、胸に黒いものが湧いてくる。
ちょっと考えて理解した。
ああこれ多分アレだ。娘に恋人ができた時のお父さんの気持ちだ。
結婚もしてないのにお父さんの気分を味わうとかどういう事だよと思っていたら、そこでタマちゃんからの変な視線に気がついた。
じとーっと、大変不満に満ち満ちた目をしていらっしゃる。
「……え、あれ? 俺なんかおかしな事言った?」
「もーいいです」
タマちゃんはまたしてもくるりと半回転。鍋の方に向き直って、聞えよがしにため息をひとつ。
「さっきわたし、『満点じゃなきゃ零点ってわけじゃない』って言いましたけど。でも今のハギトさんを採点するなら、確実にもー零点です、零点。零点以外ありえません」
「ええー」
あまりに理不尽だったので、「先生、採点基準が非常に不明瞭です。せめて正答を教えてください」と食い下がったら、ぽこりとおたまで叩かれた。
スクナナさんには言葉の暴力を振るわれ、タマちゃんからはこの仕打ち。
まったく、今日はなんて日だ。




