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病は君から  作者: 鵜狩三善
My foot
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2.

 まあ大仰に決心こそしたものの、俺にすぐさま起こせる行動なんて高が知れている。

 でもってその中で二番目に優先順位が高いものと言えば、タマちゃんへのお詫びであろう。

 どんな理由があったにせよ、俺がしでかしたのは彼女の信頼をざっくりと裏切る背信で間違いがない。

 手を肩より上に挙げる。

 ただそれだけの動作だけれど、俺はそれがタマちゃんが絶対にされたくない行為だと知っていて、その上でやった。おまけに彼女を怯えさせたまま、手助けもせずに放置して逃げた。正直、ぼこぼこなるまで殴られたって文句は言えない案件だ。

 というわけで手始めに、タマちゃんに誠心誠意頭を下げに行こうと思う。


 方針が決まったところで、俺はちょいと待ちの姿勢になる。

 窓からこそこそ外を窺いつつ、そのまま待機する事しばし。やがて姫様の馬車が屋敷の門を抜けていくのが見えた。

 今の時点で姫様とうっかりばったりとか、そりゃ気まずいなんてもんじゃない。馬車が出るのを、つまり姫様がここを離れたのを確認してから、お詫び行脚(あんぎゃ)に旅立とうって心づもりだったんである。

 ……いやいやいやいや、姑息とかじゃないですよ。全然その場しのぎじゃないですよ。ちょっと覚悟と気合のゲージが足りてないだけですよ。

 そもそも姫様との直接対決ってのは優先度でいえばトップなんである。あるのだけれど、ほら、その、ちょっと、ねえ?

 吹っ切ったつもりで、全然吹っ切れてない俺である。情けない。


 まあ俺の醜態はさておいて。

 そうして姫様と鉢合わせする危険性を回避してから、部屋を出た俺が向かう先は中庭だ。

 タマちゃんが居るのは、おそらく厨房か談話室だろう。ならなんで庭から行くかといえば、そっちにはスクナナさんがいるからだ。

 この時間は普段なら、俺が彼女に稽古をつけてもらっている時間なのだ。

 流石にこの寝不足状態で全力運動は厳しいものがあるから、今日のトレーニングはお休みにさせてもらうつもりでいる。

 しかしスクナナさんも昨夜の騒動の現場に居合わせたわけで。

 音沙汰もなく俺が現れないままだったら、やっぱり気を揉んだりするだろう。なんで一言、「まあ大丈夫だけど今日はごめんね」くらいの断りは入れておくべきだろうと、そういう配慮だったりする。


 とぼとぼ館内を歩きながら、改めて思う。

 ここに来たばかりの俺に対する、スクナナさんの反発やタマちゃんの怖がり具合。それから屋敷の人たちの忌避(きひ)っぷり。よくよく考えてみればそれらは、姫様のお父さんの件を知っていたからのものであったのだな。

 確かにその前情報があったなら、当の病魔を引き取るなんて姫様の判断は、正気かと疑いたくなるようなものだ。

 当初姫様が俺を部屋から出さなかったのは、その事についての箝口令(かんこうれい)を徹底させる時間を設ける為もあったのだろう。いや勿論、屋敷の人たちの心理的なものを(おもんぱか)ったり、俺に慣れさせたりする意味合いが第一だったんだろうけども。

 でもって俺の行動範囲を段階的に広くしていったのは、これは多分俺の吟味だ。

 俺が悪さを働くのではと疑ってたってわけじゃなくて、俺自身も無自覚な俺の中の脅威、つまり細菌とかばい菌とかそういうものの悪い作用が起こらないかどうか、時間経過を含みつつで確認していたのだな。

 朝食、夕食をできるだけ一緒にしていたのもその一環だ。

 もし俺がまだ病毒を備えていたのなら、真っ先に自分が発症するようにと姫様は意識していたのだろう。場合によっては屋敷ごと焼き払うような、そんな万一に備えての手配も済ましてあったんじゃないだろうか。

 そうやって体を張ってまで、姫様は俺が無害だと証明してのけてくれたわけだ。

 そんな事したって、姫様自身には一文(いちもん)の得だってないのに。なのにあの人は、びっくりするほど俺の事を考えて動いてくれている。俺を助けてくれている。

 常日頃からそう感じ、感謝しているところではあるけれど。それではまるで足りないくらい、姫様からの恩は深い。

 もう一生尽くすくらいしなけりゃ返せないんじゃなかろうか。



 さて。

 庭につくと、スクナナさんは小型の竜巻みたいにぶんぶんしていた。

 具体的にいうと訓練用の二本の鉄剣を枯れ枝みたいに自在に操って、想定上の相手への剣撃を物凄い速度で繰り出している。

 でありながら、中心線がまるでぶれない。どんなに激しい動作をしても、軸が揺らがずにぴしっと綺麗に決まっている。極度に無駄が削ぎ落とされた動作には、機能美というのだろうか、とにかく「これは凄い」と問答無用で頷かせる説得力みたいなものがある。

 彼女の今の剣舞も、それに通じるところがあると思った。

 ちなみにこの世界においても、二刀流というのは異端らしい。筋力、握力的な問題から継戦能力に劣るし、何より矢玉を防ぐのに必要な盾を持てなくなるので普通はやらないのだそうだ。

 しかしスクナナさんはク族である。

 つまり生まれつき身体能力強化魔法の優れた資質の持ち主であり、そしてその魔法による筋力増幅が半端じゃない。

 風車みたいにぶんぶん回る彼女の片手打ちは、俺がどんだけ頑張っても受け止められなかった。前腕に固定した盾をもう片手で支えて、しかも足を思い切り踏ん張ってから当ててもらっても、そのまま吹っ飛ばされるハメになる。

 しかも魔法は脚力まで同時に強化するから、移動速度は馬より速く、おまけに柔軟で応変だ。もうデタラメとしか言い様がない。

 要するにスクナナさんに限っては、攻撃は最大の防御というロジックが完璧に成立してるんである。

 ぶっちゃけもし戦争で敵の先鋒にスクナナさんがいたとしたら、俺はもう全力で逃げる。


「今日は、来ないかと思いました」


 そのぶんぶんを眺めつつ、言葉をかけるタイミングを測っていたら、スクナナさんの方から声がかかった。

 激しく動きつつなのに、息ひとつ乱していない。


「遅くなった上に申し訳ないけど、今日の稽古はお休みさせてください」


 火を吹くような目まぐるしさで千変万化していた二刀が、ぴたりと止まった。 

 体の脇にだらりと鉄剣を垂らし、自然体なのにどこか身構えたままみたいな雰囲気で、スクナナさんが肩ごしにこちらを向いた。そして頷く。


「休みにするというのは的確な判断です。その体調では注意も散漫になるでしょう。集中力を欠けば、鍛錬中の怪我に繋がりかねません」

「……えっと、俺、そんな体調悪そう?」

「はい。寝不足が明らかです」


 俺はぺたぺたと自分の頬を触る。

 自覚はなかったのだが、どうもよっぽどひどい顔をしているらしい。


「ご心配をおかけしてます」

「いえ」

「……」

「……」


 素直に頭を下げたら、その後沈黙が落ちた。スクナナさんは妙に居心地悪そうにしている。

 何でだろうと思ったら、あれだ。

 俺が好き勝手にいい加減かつ調子のいい事を言って、それをスクナナさんが(たしな)める。というか叱る。そういうのがいつもの流れになっているから、俺が殊勝(しゅしょう)にしていると調子が狂うのだな。パターン外に弱い子である。

 というか俺が見るにスクナナさんは、どうも人との関係を構築するのが苦手な子っぽい。

 ある程度慣れて馴染んでいくまでは、物凄く態度がぎこちないのだ。

 だから俺みたいに強引に押してくる奴にはすぐ押し切られたりするし、顔見知りの仲でもこうしていつもと違う雰囲気なると、どこまで切り込んでいいものやら分からなくて二の足を踏んでしまう。

 性格が弾丸みたいに真っ直ぐで、だからその分不器用なのだ。

 おまけに守らなければならないもの、背負っているものがあって自分を鎧っているから、更にその分小回りが利かない。

 だから時として、激しく衝突する事がある。例えば俺としたみたいに。

 でも根はとてもいい子で信頼できて、だから姫様も重用するのだろう。でもって怪我させられかけた俺としても、なんか憎めない。

 色々と立ち位置が似てるから共感する部分も多いしな。


「……ふむ」

「どうしました?」


 スクナナさんの問を無視して俺は考える。

 そう、立ち位置は似てるのだ。

 姫様に手を伸べられて、助けられた。そこは類似している。でも決定的に違うのは、スクナナさんは自分で立って、歩いている感じがするって事だ。

 あの苛烈な俺への敵対も、自分の背負うものを考えての行動だった。

 昨日の夜だって、ただ頭に血を昇らせた俺とは違って、きちんと自制していた。

 やるべきを見定めている。ちゃんと知っている。そんな感じがする。


「あ、あの、ニーロ殿?」


 黙ったまま自分を見つめる俺に耐えられなくなったのか、スクナナさんが怯えたように胸元を隠した。

 いやちげーよ。そこを見てたわけじゃねーよ。

 思わずで、ちょっと笑った。というかいつまで警戒してるんだ。


「スクナナさんは、かっこいいよな」

「い、いきなり何を……」

「有り(てい)に言うと、俺はスクナナさんを尊敬してるって事」

 

 目をぱちくりさせる彼女に対して、俺は軽く肩を(すく)めてみせる。

 またからかわれたと思ったのか、スクナナさんはひとつ咳払いをした。


「ニーロ殿」


 それからじっと俺の目を見返して、一歩踏み込んでくる。


「自分は口が上手くないので、綺麗には言えませんが」

「あ、スクナナさん、ストップ」

「?」

「気の弱ってる駄目人間に優しい言葉をかけてはいけません。惚れちゃうからな」


 真面目に慰めっぽい事を言われそうな予感がしたので、スクナナさんの言葉を俺は手のひらで制止。すると彼女は怪訝(けげん)そうに眉を寄せてから、


「なるほど。そういうわけですか。つまりニーロ殿は意地でも、どうあっても自分などには惹かれたくないと、そう仰るのですね」


 恨みがましい声でそう言った。

 いやどうしてそんな解釈に落ち着きますか。

 あとなんでちょっと怒ってる感じですか。


「そうじゃなくて逆だ逆。俺じゃあスクナナさんには到底釣り合わないんだから、勘違いされるような発言は控えましょうって話」


 姫様は綺麗で、タマちゃんは可愛い。ふたりとも文句なしの美少女だ。

 スクナナさんは、ぱっと見てそれだけでなんか得した気分になれるこのふたりとは微妙にタイプが違う。

 特に意識しないで一緒に馬鹿やって騒いでて、そんでふとした瞬間、どきりとするほど美人に見える。そんな女の子なんである。

 例えるなら「お前のクラスの誰々って結構可愛いよな」なんて言われて改めて見て、「あれ、こいつこんな綺麗だっけ」ってびっくりする感じ。

 普段は目立たないのに、ある日突然わっと存在感を示してこちらの度肝を抜くところから、潜水艦系美少女と呼ぶべきであろう。

 ……うん、自分が何言ってんだか分からなくなってきた。


 まあとにかく、そんな具合に見目麗しくて、しかも姫様の近衛騎士という将来有望な地位にあるわけだから、俺に岡惚れされちゃう危険性だってゼロではない。

 しかし対して俺は姫様の父親、つまり大名殺しの病魔であって、風聞を気にするスクナナさんからすれば、親しいと思われる事すら得策ではないはずだ。

 とまあそんな雰囲気の事をオブラートに包みつつ申し上げたところ、


「予てからニーロ殿には、無礼な振る舞いを慎むようにと申し上げてきました。しかしニーロ殿が失礼なのは、他人へのみならず、自分自身に対してでもにあるようですね」


 ひどく真剣な声音で叱られてしまった。


「『世界を見るのは自分の目、世界を思うのは自分の心』。これはク族の子供が必ず聞かされる言葉です。大雑把に意味合いを述べるなら、『自分というものがなければ世界はないのと変わらない』という事です。人は、自らを大切にしなければいけません。考えてみてください。自分に誇りを持たずして、果たして何かを為せるでしょうか。自らの事をどうでもいいと思っている人間が、誰かに信頼されるでしょうか。必要とされるでしょうか」


 スクナナさんの黒い瞳は、しっかりと俺の目を見据えて逸らさない。

 さっき思った通りだ。この子は実に真っ直ぐな子だ。

 その真摯(しんし)さは彼女自身の打ち込みめいて、俺の防ぎを、誤魔化しを決して許さない。


「ニーロ殿は、その、いい人だと思います。シンシア様にも、タルマ様にも信頼されています。ですからその点において胸を張って、自身を誇ってください。でなければお二方を見る目のない阿呆と(そし)っている事になります」


 言われて心の底からそうだよなと痛感した。

 俺が下を向いていたら、それは俺を認めてくれた人たちに対しても失礼になる。「お前見る目ないよな」と、したり顔で言ってのけるようなものだ。


「それから、初めこそああした行為にも及びましたが、ぼ……自分だって、ニーロ殿の事をそう嫌ってはいません。少なくとも風聞を気にして縁を断とうなどとは、一度たりとも考えた事がありません」

「──ありがとう」


 自分で「口が上手くない」なんて言いながら、それでも俺の為に一生懸命紡いでくれた言葉だ。感謝しない道理がない。

 この世界でどういうのが正式で礼儀正しいのかは知らないけれど、俺は極力背筋を伸ばしてから足を揃えてお辞儀をした。


「スクナナさんに言ってもらって、思い知った部分があったよ。反省して色々としっかりやってくつもりでいたんだけど、駄目だな。俺は人に教えてもらわないと、自分の頭だけじゃ全然考えが足りないみたいだ」


 スクナナさんはほっとしたように頷いて、それからにっこり微笑んだ。

 でもって直後、唐突に我に返って三歩下がった。というか飛び退(すさ)った。

 いやだから俺、そんな胸ばっか見てませんってば。印象操作されすぎではあるまいか。


「勘違いはしないでください。今のは慰めたわけではありません。自分としてはニーロ殿に懸想(けそう)されるなど迷惑ですから。迷惑この上ありませんから。悪しからず」


 ……あ、はい。

 なんか俺、数秒前とは違う意味で泣きそうである。

 真っ直ぐさって、時に人を傷つける刃になるのだなあ。

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