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病は君から  作者: 鵜狩三善
I, said the sparrow
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6.

 自分では結構図太いつもりだったのだが、姫様と一緒に会場に入って、そんで人の視線がわっと集まったらもう頭ん中は真っ白になった。

 初めて経験したが、大勢の人間の視線ってのは結構な圧力なのだ。動物園の珍獣はいつもこんな気分を味わっているのだろうか。だとしたらとんだブラック職場である。

 でもここに居たのが兄貴なら、きっとノリノリでブレイクダンスでも披露してた事だろう。おふくろもなんか大喜びで一芸披露しそうな気がする。この二人には目立つのと(さら)し者になるのとは違うのだと懇懇と説いておきたい。

 そんな思考でちょっぴり現実逃避しかけた俺であるが、それでも耳は、というか翻訳さんは働いている。

「肌が青いんじゃなかったの?」とか「硫黄の匂いはしないのだな」とか「角は隠しているのだろうか」とか、なんかもう言われたい放題に囁かれているのが聞こえてきた。

 どこからどう、どういう俺について噂が出回っているのか、一度検証してやる必要があるかもしれない。その結果次第では姫様にデコピンするくらいは許される気がする。

 ちなみに翻訳さんは人の思考を拾って訳してくれるので、小声だろうがなんだろうが、効果範囲内で言語として意識されていれば、それを地獄耳っぽく拾ってしまうのだ。

 姫様とタマちゃんの協力を得て調べた結果、翻訳さんの効果範囲はおよそ表情がはっきりと認識できる程度の距離まで働くと判明している。

 ただし視覚に依存するのではないらしく、障害物があってもわりと平気。ドア越しとか窓越しとかの発言でも問題なく訳してくれる。なんというか実に便利な子だ。

 そんなわけで俺の耳には、同時に姫様への悪意ある囁きも届いていた。

 一番多く聞こえた「どこへも行けない行き止まり」ってのは、多分姫様が子供を産めないという事を指すのだろう。

 正直、物凄くむっとした。

 そもそもからして陰口ってのが好きじゃないのだが、何よりあの人を悪く言われる事が、俺は気に入らないらしい。自分でも意外なくらいに苛立っている。

 大分姫様に肩入れしてるなあとは思うが、努力して頑張ってる人が馬鹿にされるのは大嫌いなのだ。

 陰口が聞こえてきた方向へにっこり笑顔して、


「お前らさ、言いたい事があるならはっきり言え。面と向かって言えないんなら、一生口を(つぐ)んでろ。でなきゃ帰れ。とっとと帰って根暗に壁とでも話してろ」


 勿論発言の前にちょっと触って、翻訳さんを腕から外してある。

 これまた俺調べであるが、翻訳さんが機能する条件は「輪の内側部分の殆どが直接肌に触れている事」である。今現在、俺は周りが何言ってるのか分からないけども、周りも俺が何を言ってるのか分からないという状況だ。

 俺に謎言語で話しかけられた連中は曖昧な笑みを浮かべておどおどし、そして周囲から注目を受けて居心地悪げに押し黙った。ざまぁみろ。バーカバーカ。

 しかしよくよく考えれば、これも一種の陰口ではあるまいか。自分のダメっぷりにちょっと凹んだ。今のは確実にあの母の血がなせる(わざ)だよなあと反省しながら翻訳さんを再装着。

 するとそれを待っていた姫様が、


「何を言ってやったのか、後で私には教えてくれるな?」


 目にはちらりと悪戯っぽい色がある。俺の性格からして悪口雑言を吐いたと見当をつけたのだろう。


「教えますけど、怒らないでくださいね」


 肩を竦めてそう答えておいた。



 そんなはっちゃけをやらかしたお陰だろうか。そこから後は、割合に冷静にやれた。

 ただしそれはあくまで俺にしてみればであって、満点には程遠かった事だろう。

 とりあえず姫様に言われるがまま引かれるがまま、唯々諾々(いいだくだく)であちこちに挨拶して回りはしたものの、会話の内容とか全然頭に入ってない。

 というか人の顔と名前がまるで覚えられない。万一道端で「こないだ会ったよね?」なんて声をかけれたら、もう冷や汗をかくしかない感じ。

 あと一応言われた通り、握手は要求し続けてみた。

 ぎょっとしたように身を引く人、まるで動じずにがっしりと掴む人、一瞬だけ計算の影が過ぎって応じる人、愛想笑いで誤魔化して切り抜ける人。

 反応は様々で、悪趣味な言いではあるが面白かった。

 まあその挙動は周囲からしっかりチェックされてたらしくて、後半になるとあんまり動揺する人はいなくなった。それどころか(したた)かにも、向こうから握手を求めてくる人まで出たりした。相手も百戦錬磨である。


 一方俺の隣の姫様だが、これはもう百点満点以外ないであろう立ち振る舞いだった。 

 にっこり柔和でおしとやかな笑顔を作っていて、深窓のご令嬢とか、麗しの姫君とか、そういう文句が似合う儚く優しげな雰囲気を醸している。

「いや君誰だ」と肩を掴んで揺さぶりたくなる変貌ぶりで、女の子は化けるものなんだと確信をした。

 凛として鋭利で、一切の過不足なく研がれた刀身みたいな、そんないつもの姫様の魅力は鳴りを潜めている。けれど衆目を集めずにおかないその雰囲気は少しも変わらない。

 どれだけの群衆に紛れたとしても、この人だけはすぐ見つけ出せるだろう。

 例えるなら、姫様は炎だ。人は火に惹きつけられるというけれど、まさにそれだ。

 つま先から頭のてっぺんまで、混じりけのない純度で静かに冷たく燃え上がる、氷のような紅蓮。そんな姫様の一挙手一投足を、気が付けば誰もが、いつまでも目で追っている。こういうのをカリスマというのだろうなと思う。

 おまけにこの人、見た目だけじゃない。

 さっきから会う人ごと、挨拶に来る人ごとに、「ハギトは私に仕える存在であって私の庇護を受けている。きちんと人間として扱うように。さもなきゃぶっ殺す」というような内容を幾重ものオブラートに包み込んで話している。

 いや「ぶっ殺す」の下りは冗談だけども、ともかくその話し方が実に堂に入って巧みなんである。


 ところでうちの兄貴の数多い趣味のひとつが政見放送を見る事だった。選挙権を得たのはついこないだなのに、番組だけは昔っから欠かさず見ていた。

 でもって演説を褒めたり、駄目出ししたりしてるんである。

 政治の話なんて分からないだろうに一体何を偉そうにと思ったら、褒貶(ほうへん)の対象は政策へではなくて、候補者の話術についてだった。

 曰く「耳にいい音程、聞き取りやすいリズム、人を惹きつける抑揚(よくよう)、理解しやすいテンポってのがちゃんとある」との事である。

 言われてみると話の運び方を含めた上手い下手が確かにあった。なるほどなあと感心していたら、


「人に信用されやすい話し方を身につけておくと、悪さをする時実に便利だ」


 これである。

 弟の俺でもうっかり騙されて忘れがちだが、うちの兄貴は悪ふざけが大好きなのだ。その辺り、ほんのちょっぴりだが姫様と相通じるところがあるかもしれない。


 とまれそういう観点から見ると、姫様の弁舌は大したものだった。きっと兄貴もお墨付きを出すに違いない。

 喋り方だけじゃなくて 立ち位置や目線、ほんの僅かな仕草まで、効果を計算し尽くしてやっているような印象すら受ける。

 きっと前から言うべき事を考えて、流れを思案して、語りの練習を重ねていたのだろう。生来のカリスマ性だけじゃなく、そういう努力もする人だと俺は知っている。

 しかもこの人、「表に出るつもりはなかった」とか言ってたわけで。

 そりゃ身分が身分だから初舞台ではないにしろ、そうそう社交経験があるとは考えられない。なのに仕草は自然で挙措は平静だ。緊張とは無縁のご様子で、俺としてはもう仰ぎ見るばかりだった。

 ただ、そういうのを加味しても、今日の姫様は口数が多い。

 物事の説明にこそ多弁だが、平素はどちらかと聞き役に回る事が多いのが姫さまである。口数控えめでざくっと大事なところに切り込む一言を吐くのが姫様の基本スタンスだ。

 だというのに今日は相手にろくに喋らせもせず、延々かつ滔々(とうとう)饒舌(じょうぜつ)で、不思議に思って意図を探っていたら気がついた。

 姫様が話し始めると、途端俺への視線の量がごっそりと減る。

 まあ姫様は人の目を惹く存在なわけで、俺みたいな男子を眺めてるよりは皆そっちに目をやりたいのが当然だろう。でもどうして姫様自身が、殊更(ことさら)出しゃばりめいて目立つように振舞うのか。

 その答えは至極簡単で、つまり俺の風よけになってくれてるのだな。自分が前面に出る事で、俺へのプレッシャーを緩和してくれてるわけだ。言うなればさっきまでの、タマちゃんに対する俺の立ち位置である。

 先刻の陰口封じの恩返し的な意図もあるのかもしれないが、さっきまでがっちがちに緊張していた俺への心配りがメインなのは間違いなくて、今の今までそれに気付かなかったのこそが不覚といえよう。

 いやはや、まったく敵わない。

 目があった折に会釈をすると、相も変わらぬ明察具合で姫様は、口の端だけで優しく笑った。男前である。

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