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病は君から  作者: 鵜狩三善
I, said the sparrow
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5.

 聞けば姫様は自室でドレスアップ中であるらしい。タマちゃんに言われた件も踏まえて、お迎えに上がる事にした。

 わりと軽い思いつきでの行動だったのだけれど、道中でなんか緊張してきた。

 姫様が俺の部屋にやって来るのはよく話である。朝晩食事の折々になので、それこそ日常茶飯事と言えよう。だけどもその逆、俺が姫様の私室にお邪魔するってのはあまりしない行為だ。あまりというか皆無である。

 いやほらだって、女の子に部屋に入るとか、やっぱ緊張するじゃないですか。

 だがしかし、今回は一応お仕事でありお役目である。弱気な事ばかりも言っていられない。

 姫様の部屋のドアの前で数秒逡巡をし、手のひらに人人人と三回書いて飲んでから、


「ひーめーさーまー、あーそーぼー」


 軽口でノックしたら、がちゃりと中から出てきたのは不機嫌な顔のスクナナさんだった。

 なんだこれ。どういうトラップだ。予想外のびっくりで二の句が継げない。

 スクナナさんは礼儀作法とか品格とか、そういうのに大変厳しいんである。(こと)に姫様が関わると一層だ。

 自身の抱える事情があるだけに、対外的にわずかも隙を見せるわけにはいかないって事なんだろう。それは頭では理解できるけども、こういう時の彼女はわりに怖い。


「ニーロ殿」


 口をぱくぱくさせていると、彼女は渋い表情のまま眉を寄せ、冷たい声音で俺の名を呼ぶ。

 あわわわわ、なんでしょう。


「その手の無礼は慎んでくださいと、以前もそう申し上げたはずですが?」


 あ、はい。すみませんすみません。

 基本的に悪いのは俺なので、今回は全面降伏である。ぺこぺこ頭を下げていると、そこへ笑みを含んで澄んだ声が割って入った。


「あまり責めてやるな、スクナナ。ハギトは緊張すると軽佻浮薄(けいちょうふはく)を装う悪癖がある」


 ……うーむ、見抜かれてるなあ。流石は姫様だ。

 思いながら目をやって、俺は息を飲む。さっきとは違う意味で言葉が出なかった。

 そこに居たのは、わっと周囲の明度が増したと勘違いするくらいに綺麗な人だった。

 着ているのは肩出しのドレスだった。銀色めいた白を基調にした布地に金の飾り糸で意匠が施されている。光線の具合で淡い黄金とも輝く白銀とも見える、姫様の特徴的な髪の色。それをイメージしたような配色だった。

 鎖骨のラインから肩、そして二の腕までの露出させた肌は本当に白くて、白磁(はくじ)と表現するのが相応しい。肘から先を指なしのロンググローブで包んでいて、如何にもお金持ちのパーティドレスって感じだった。

 グローブもやはり銀地で、全体的な色合いとしては単調なはずだ。なのにどうしてかひどく煌びやかに見えるのは、無地めいた服装という色取りこそが、姫様というキャンパスに一番よく映えるからだろうか。

 ただし腰の辺りで膨らんだスカートは、平素と変わらず足元を覆い隠している。

 つまりあれだ、靴だけはおそらくあのブーツなのだな。「お前は私が守る」なんて聞きようによってはキザったらしい台詞を吐いてたし。あと自衛用じゃなく他衛用の武装ってのが、なんというか凄くうちの姫様って感じがする。

 それにしても普通、人間のイメージってのは着てる服である程度変化するものだと思う。例えばうちのおふくろだって、スーツ着てればなんか仕事ができそうな人に見えてくる。

 でも姫様の纏う空気は、何を着たって変わらない。服は姫様の引き立て役、あくまで従であって、それ以上には絶対なれやしないのだ。

 でありながら今日の姫様がいつもとまるで違う印象なのは、その長い髪をアップにしているからであろう。普段見えないうなじが晒されていて、なんというかその、どきどきする。


 しかし、とつくづく思う。

 すっと姿勢よく伸びた背筋。凛と立ち上る気品。線が細くて、たおやかで守りたくなるようでいて、その実自分でしっかりと立っている。一挙手一投足に至るまで人目を惹くその立ち居振る舞い。

 改めて見なくてもなのだがこの姫様、本当に美少女だ。これで中身はびっくりするくらい男前なのがまたなんとも。

 もし手元に携帯電話があったなら、是非とも一枚お願いをしてるところだ。そんで友人連中に見せびらかしたい。俺、この子に手を握ってもらったんだぜとか、名前呼び捨てられてるんだぜとか、毎日一緒に飯食ってるんだぜとか、そんな具合に自慢をしたい。

 声も益体(やくたい)もなく見惚れていると、姫様はそんな俺の反応にちょっと目を細めた。

 指先でスカートをつまんで少し持ち上げると、片足だけでちょんとつま先立って、ゆるく優美に一回転する。フィギュアスケーターのように体の軸のぶれない、綺麗な旋回だった。

 動きにつれてドレスの裾が花のように広がった。遠心力の名残で姫様の体に巻き付くようにうねる。結い上げた髪は室内照明を浴びてきらきらと色を変える。(おく)れ毛が頬にかかった。

 どれもまるで計算し尽くされたような華やかさで、きっと重力とか慣性とか、そういう物理法則だって皆、美人の味方なのに違いない。ずるいや。


「似合うか?」


 絶対分かってて訊いてるよなー、もー。

 俺の反応からして、絶対感想は分かってるよな。


「大変良くお似合いです」


 悔しいのでできるだけ素っ気なく答えてやろうと思ったのだが、いかん、声が上ずった。

 姫様は口の()で笑って頷くと、それから少しだけ困ったような顔をした。手のひらで細い首を隠すようにして、


「だがあまり、一点ばかりを見てくれるな」


 うわ、人の視線に敏感な姫様だな!?

 焦る俺のすぐ横で、ちゃき、と金属質の音。

 あ、いや、ちょっと待ってくださいスクナナさん。剣の柄に手をかけるのはやめてください。本当にやめて。反省してます。

 またコントめいたやりとりになりかけたのを、姫様が目線で制した。


「ところで、気づいたか?」


 そうして俺に重ねて問う。

 え、何だ? 何にだ?

 きょとんとしていると姫様は悪戯っぽい顔で学生服の袖を引き、俺の髪を示した。次いで自分のドレスを髪も指す。

 黒い学生服と金ボタン、それから黒い髪。

 銀地を基調にした金糸装飾のドレスに、姫様の(こがね)めいた(しろがね)の髪。

 ああ。


「色、なんていうか、お揃いなんですね」

「うん。立ち並ぶのなら映えるだろうかと思ってな」


 不敵だったり口の端だけでだったりするいつものとは違う、ちょっと油断したような微笑みで姫様は言う。

 いやなんだ。気遣いはありがたいけど、ありがたいんだけども、なんかこれ凄く気恥ずかしいぞ。

 直視できずに目を逸らして、そこでふと気になった。

 

「スクナナさんは、今日も姫様の傍につく形なんですよね?」


 回答は分かっていたが一応確認すると、「勿論です」と即答である。

 まあそうだよな。

 姫様がスクナナさんを武装したまま傍に(はべ)らせるってのには、彼女個人へのみならず、ク族の人たちへの信頼のアピールという意味がある。俺の事でもこんだけ考えてくれる姫様が、そういう配慮をしないわけがない。

 ただですね。ただですよ。

「やっぱそうなってますよね」などと相槌を打ちながら、俺はスクナナさんの格好を再チェック。

 うん。剣を帯びて革鎧を着込んで、頭のてっぺんからつま先まで、非の打ち所なくいつも通りの無骨具合だ。そりゃ護衛であるからドレスで着飾れはしないだろうけども、これは逆に悪目立ちするのではあるまいか。


「スクナナさんはおめかししないんだ?」

嘲弄(ちょうろう)ですか。自分はシンシア様の近衛です。本分を履き違える事はありません。ドレスなど動きにくいばかりです。役目の為には不要なものです。ですから自分は着飾りたいなどとは決して、一度たりとも考えてすらいません」


 一瞬だけ沈黙してから一歩詰め寄り、鼻先に噛み付くような勢いでスクナナさんがまくし立てる。何もそんなにムキにならんでも。

 どうどうと剣幕を手で制しつつ、


「いやからかったとかじゃなくて、残念だって思っただけだよ。スクナナさんのドレス姿、できれば見てみたかったなってね」


 するとスクナナさんの勢いが見る見る(しぼ)んだ。

 下を向いてもにょもにょと口の中で何事かを呟いて、それきり黙り込んでしまう。姫様の前だから口を慎しみはしたけれど、俺にはまだまだ文句があるといった風情だ。今度訓練の時にちゃんと聞いて謝っておこうと思った。

 自分を強く律する普段のスタイルからは意外だけれど、スクナナさんはわりに怒りんぼというか衝動的というか、感情の発露の素直な人である。その分からっとしているので、溜め込ませずにしっかり話をすれば悪い影響を後に引かない。


「だから、着ておけばよかっただろう?」


 俺が先の対処を思案する横で、姫様がスクナナさんにそう囁く。どうやら事前に衣装についての話が出ていたらしい。

 スクナナさんはやっぱり(うつむ)いたまま、俺には聞こえない声で姫様にだけ何か答えていた。



 さて。


「今一度確認をしておこう」


 仕切り直しのように姫様が言い、その鶴の一声でスクナナさんははっと顔を上げて壁際に戻った。

 一瞬恨みがましく俺を見たようにも思うけれど、今日は彼女に悪さしてないので多分気の所為だろう。


「今日の招待客の思惑は様々だが、およそ私たちを値踏みに来ていると思っておけば間違いはない。中には、弟の意を受けてもっと露骨な探りをする意図の者もいるだろう」


 ちなみに、「弟さん、こっちの事を好いてないならそもそもパーティとか無視してくる可能性はありませんか」と尋ねたところ、「いや、必ず反応をするだろうな」なる回答だった。「あれは他人の評価をひどく気にかけるところがある」との事である。

 うーん。

 俺にとって恩人である姫様と、それも権勢欲っぽい理由で仲が悪い。そういう先行イメージがある所為かもしれないけども、どうも弟くんへはよい印象を(いだ)けない。

 でも姫様家族大好きっぽいし、あまりそういう評価を公言するのは気が引ける。俺だっておふくろの悪口言われてたらいい気はしない。

 なんで実際会うまでは、判断を保留にしておくべきだろうなと思っている。


「お前はこちらの言葉をある程度習得したという触れ込みだ。逆に言えば困った事、答えたくない事を問われたら、曖昧に分からない振りや上手く説明できないと言い逃れておけ。お前の知識は劇薬になる部分もある。できるだけ政治や教育、文化といった概念については口を(つぐ)んでいるべきだろう」

「肝に銘じてます」


 ここらは再三言い聞かされているところである。

 まあネズミ講だとかオレオレ詐欺だとか、そういう犯罪の手口がある意味アイデア商品なのを考えれば理解は容易い。俺の予想もつかないところで、ぽろっと漏らした知識が悪用される可能性があわけだ。 

 逆に家族や友人の思い出話は積極的にしてもいいと告げられている。

 身内の恥はあまり晒したくないのだが、そういえば姫様もうちの家族の事をやけに知りたがる。こっちではウケがいい類の話題なのかもしれない。

 聞いた話から考えてみれば、魔法の資質優先の才能至上主義で、血縁的な繋がりが薄い社会みたいだしな。


「これも注意した事だが、お前への悪口雑言が囁かれる場合もある。だが無理に耳を傾ける必要はない。そういう場合は、その腕輪を外しておけ。言葉が理解できなければ悪意も隔意も伝わるまい。後は笑顔で受け流していればいい」


 確かに姫様の言う通り、翻訳さんを外すと俺はほぼ一切言葉が分からなくなる。

 置き物飾り物としてにこにこしてるだけでいいなら、それが一番楽だろう。

 でもこれは禁じ手だと思ってる。

 自分が今いる世界での言いなのだし、聞き入れて省みるかどうかはともかく、俺に対する事なのだ。意見、見解の一つとして知っておくべきだ。

 そもそもなんか逃げ出してるみたいだし、じゃあそういうの、男の子的には駄目だろう。


「強情っ張りの見栄張りめ」


 この事については、既に意見を表明済みである。

 黙ったままの俺から変わらないところを感じたのだろう。姫様はそう言って俺を小突いた。


「後は、そうだな。始めは私と挨拶に回る事になる。できるだけ握手を求めていけ。その反応で人物を推し量ろう」


 あー、そーですよね。そういや俺病魔ですもんね。

 最近はあまり怖がられなくなっていたからうかうかしていたが、俺は死病撒きの悪魔なのである。

 そりゃ直接触れて触ってには覚悟が要るだろう。

 つまり相手がどこまで考えていて、どこまで踏み込んでくる心構えかを測るのに、ちょっと便利な試金石たりうるってわけだ。


「それも了解です。がんがん手を出してきます」


 しかし自分でも意外な事に、久しぶりのその認識は結構ショックだった。

 視線を落として、にぎにぎしながらじっと手を見る。

 いつの間にかこちらの人に嫌われたくないと、むしろ好かれたいと、そう思うようになってたんだな、俺。

 と、不意に俺のその手を姫様の両手が包んだ。


「お前の風聞を利用するつもりなのは確かだが、私は直にお前を知っている。私にはお前への不安など少しもない。だから、そんな顔をするな」


 空いているもう一方の手で、俺は額をかいた。

 やれやれと照れ隠しに思う。この人の厚意は、本当に早い。


「では、行くか」


 お馴染みの不敵な笑みで、姫様は歩き出す。

 左手の中に俺の右手をぎゅっと収めたそのままで、これではすっかりあべこべだ。エスコートに来たはずなのにエスコートされている。

 そんな俺への厚遇は、やっぱり気に入らないところなのだろう。

 付き従いながらスクナナさんが、少しだけ不満そうに口を結んだ。

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