4.
ばたばたと過ごすうちに日は過ぎて、あっという間にパーティ当日。
開催時刻も間近に迫った現在俺が何をしているかというと、ぶっちゃけ暇をしている。
いやだって言われた通りに厨房に居るんだけどもさ。
ご参加の各位から調理助手(という名目の監視役)が複数人やって来ていて、当然彼らは俺なんぞよりもよっぽど料理のプロなんである。つまり手伝う事など欠片もない。
とはいえタマちゃんに万一があれば俺が駆けつけるつもりだから、目を離すわけにも持ち場を離れるわけにもいかないってな寸法だ。
ただ自画自賛ではないけれど、居るだけで仕事になってるっぽい感じはする。
未知の毒とかそういうのを警戒してるのか、調理助手の面々は、俺の一挙一動を過敏に見張っている雰囲気なのだ。こんだけこっちに意識が来てるって事は、タマちゃんへかかる重圧は半分以下くらいにはなってるだろう。
というわけで、何もしてない役立たずではないんである。いや誰に言い訳してるんだ俺は。
ちなみに本日の姫様の招待に応じたのはざっと数十名であるらしい。
国や都市の総人口とか知らないし、これが多いのか少ないのか俺には判断がつかないけども、およそ学校のひとクラス分の頭数だ。それだけの人間が一堂に会せる広さがある家ってのが、まず俺の常識を超えている。これで元別館ってんだから恐れ入るより他にない。
しかしその人数分の食事を、献立から何から考えて用意せねばならないタマちゃんはさぞや大変であろう。
「いえいえ、そんな事ないですよー」
でも労ったらば、あっさり首を横に振られた。
量が量なので手間ではあるけれど、あくまで食事は二の次らしい。
俺は今回の宴席は晩餐会、つまり晩ご飯メインの社交パーティみたいなものだと思っていたのだが、そんな事はなかったらしい。
バイキング形式で軽食は出すけれど、食べ物が主体ではないのだそうな。
……ああ、そういえば俺が主役だって、誰かさんに言われてましたっけか。するとこれは話に聞く公園デビューとか、そういうのの類なのであろうか。
嫌だなあ、緊張するなあ。
実のところ俺、これまでの人生において注目された経験ってのがあまりない。
兄貴が「あの新納稲葉」、杏子が「あの新納杏子」なのに対し、俺は基本的に「あの稲葉の弟」、もしくは「あの杏子の兄」なんである。「あの」の位置が確実に違うのだな。
今回も、「あの姫様の下っ端」という事でひとつなんとかならないだろうか、などと逃げ腰な自分の小心がちょっと悲しい。
「とゆーかですね、晩餐会だったならいくらなんでも、わたしが任されたりはしませんよー。いつも姫さまには作らせていただいてますけど、所詮はまだまだ修業中の小娘ですから。腕前が足りません」
「タマちゃんのは、十分お金が取れる代物だものだと思うけどな」
いや友人と食べるファーストフードを美味いと感じるような俺だから、そこまで安心材料にはならないだろうけども。
でも正直な感想として、毎日毎食楽しみにしてます。
「ありがとーございます。ハギトさんにそう言ってもらえるは嬉しいですよ」
そう伝えるとタマちゃんは誇らしげに胸を張った。ちょっと褒められ慣れたらしい。
ご謙遜の彼女であるが、調理のみならず魔法の腕前の方も大したものである事が、実はさっき判明してたりする。
厨房では普通、複数人の下働きさんを使うものであるらしい。
しかしタマちゃんの場合、全部例のパペットが代わりである。数体の人形が統一された目的意識でキビキビ動くので、その仕事ぶりはなかなかに壮観だ。
調理助手の兄ちゃんがこれを見て、「パペットの複数体同時励起とは……」と絶句していたので、
「あれってやっぱり、こっちでも珍しいの?」
一段落したっぽいのを見計らって、ちょっと寄って訊いみてた。
「はい。あの術の資質を持つ者は多いですが、使い手が稀なのです」
実に丁寧な物腰での応対だった。
多分俺は姫様のお気に入りとして認知されていて、そんで態度が改まっているのであろう。なんか虚名ばかりが日々うず高くなってく気がする。そのうち幻に押しつぶされるんではあるまいか。
「あれ。便利そうなのにどうして?」
「病魔殿は……失礼、こうお呼びしても?」
はいはい、全然オッケーですよ。
鷹揚に頷くと兄ちゃんは一礼し、
「病魔殿は、左右の手で同時に異なる文章を綴れますか?」
いいえいいえ、それは普通にできません。
あ、いや待てよ。そういえば同じ部の甲斐がやってたな。
あいつ両利きなんだけど、「オレ、名前と苗字一緒に書けるんだぜー」って両手にシャーペン持って書いて見せてた。妙に盛り上がって皆で真似をしようとしたけど、結局誰にも無理だったっけ。
「……その、一芸に秀でたご友人をお持ちなのですね」
件のエピソードを披露すると、物凄く苦心して配慮したコメントが返ってきた。
でもちょっと笑ってるふうなので、皮肉とかではないようだ。よかったよかった。
「ともあれこれが、自身が別動作を行いながらパペットを操る際のイメージに近いものだと言われています。無論簡便な動きを想定しており、自分と人形、双方の動きの精密さが増せば増すほど困難になっていきます」
兄ちゃんはお仕事中のタマちゃんにちらりと目をやり、
「そしてこの例えは操るパペットを1体と仮定してのものです。現在彼女が同時使役する人形は4体。どういう知力をしているのか、少しも測れません」
タマちゃんのあれを見て、俺は「この世界の常識ってすげぇ」と驚いたものだが、どうやらこの世界でも非常識な仕業だったらしい。
流石はタマちゃん、伊達に姫様の一の子分ではないという事か。
とまあそんな話をしてたりしたんである。
丁度いい機会だったので、
「俺さ、タマちゃんってかなりできる子だと思ってたんだけど、実は物凄くできる子だったんだな」
もう一回手放しで褒めたら、タマちゃんはきょとんとしてから、えっへんと得意げに胸を張った。なんだこの可愛いお姉さん。
さて。
そうこうしているうちに前庭の方が騒がしくなってきた。具体的には「ぶもぶもコキキ」と例の馬たちの鳴き声がけたたましい。おそらく屋敷の入口は爬虫類顔でごった返しているのであろう。俺にとっては地獄絵図である。
「後はもう運ぶばかりですから、ハギトさん、どうぞ姫さまの方へ行ってくださいな」
同じ喧騒が耳に届いたのだろう。三角巾を外しながらタマちゃんが言う。
出す料理の支度は整って、調理助手の人たちも撤退準備中。後は運び出すばかりである。
厨房から廊下は警備のおっちゃんらが、そしてパーティルームの中では給仕役のメイドさんがそれぞれでそれとなく目を光らせている。ここから先、運搬中での異物混入は難しい。
するとこちらでの俺の仕事は一段落と考えていいのだろう。
「了解。じゃあなんかあったら、いつでも声かけて」
「はーい」
いいお返事のタマちゃんである。
俺としては今日に限ってではなくて、それこそいつでものつもりで言ったのだけれど、ちゃんと伝わっているのだろうか。
でも伝わったとしても、声がかかる事はあんまりないような気がした。
こういう点でも類は友を呼んでいるのか、タマちゃんと姫様は似た気質の持ち主だ。並大抵の事ならば、独力でなんとかしてようとするだろうし、実際してしまえるだろう。
うーむ、ちょっと寂しい。
でも頑張って独りで四苦八苦するよりも、人を頼って楽に越えちゃった方がいいハードルだってある。
だから今回みたいに、また頼ってくれれば嬉しいと思う。
「? どーしました?」
そんな事を考えていたら、ぼけっとタマちゃんを見つめる格好になっていた。
「いや実はさタマちゃん」
「なんでしょう?」
「この後の事を考えたら胃が痛い」
誤魔化しと本音を等分に混ぜて言葉にしたら、タマちゃんは、にふ、と笑った。
「だいじょーぶですよ。ハギトさん、肝が太いですから」
えええええ。
一体どこから生えてきたんだその評価。
「いや俺大分繊細な子ですよ?」
「本当に繊細な子は、こっちを疑いの目で見てた方たちと、あんなに打ち解けたりはしないと思います」
調理助手で来た人の件だろうけども、そんなに仲良くなってたろうか。
誰とも均等に普通に話してた程度の記憶しかない。そもそも一緒の仕事場に居るわけだから、会話くらいはそりゃするだろうし。
「……まあ、そうなのかもですけど。お陰さまで雰囲気が良くなって、わたしはすごく楽でしたけど。姫さまがハギトさんを置いておけって仰った理由が身に染みましたけど」
こほん、とタマちゃんはそこでひとつ咳払い。
「とにかくですね、ハギトさんは知らない人とのお話が苦じゃないんですから、そんなに緊張する事はないと思うんですよ?」
「いやどっちかって言うと、緊張するのは姫様に対してかな」
「えー!」
白状したら、非常に不満そうな声を出された。
今にもこっちをつねりにきそうな剣幕である。
「なんでですか。あんなに仲良しじゃないですか」
「だってさ。姫様、凄い美人じゃないですか」
タマちゃんの口調を真似てから、肩を竦めて見せた。
正直な話、気後れするんです。
二人で駄弁ってる分とかには平気なんだけど。自分があの隣に立つのかと思うとわりとアレだ。
ただ立っているだけで磁力のように人の視線を集めるような雰囲気の姫様と、平凡を選りすぐったと親にまで言われちゃう俺である。俺の方が著しく見劣りするかは言うまでもない。
恐れ多い気がするってのもあるけど、何よりそれって姫様の品格まで引き下げる事にならないだろうか。
ちなみに一応、俺だって足掻きはした。
話が決まってからテーブルマナーとか会話作法とかお辞儀の仕方とか習おうと話を持ちかけた。でも姫様が全然教えてくれなかったんである。
「お前は変に畏まって振舞わずに、有り体でいろ。おそらくそれで十二分だ」
自分は態度を装う気まんまんのクセに、俺についてはそんな具合でにべもない。
まあ玉乗り芸する熊と野生の熊とでは別の趣があるという事だろうと諦めた。
「だから姫様と一緒にパーティに出席とか、プレッシャーなわけですよ。あまりの緊張で何も食べられそうもない。折角タマちゃんが腕によりをかけてくれたのに残念無念だ」
「お上手ですね、もう。ハギトさんがご所望してくれるなら、きっとまた作ります」
「本当?」
「ホントですとも」
と、ここまで俺の軽口に付き合ってくれたタマちゃんだが、そこでふと真顔になって、「ただですね」と言い添えた。
「ハギトさんはちょっと、姫さまを特別視し過ぎじゃないかと思います。姫さまだって普通の可愛い女の子なんですから、ちゃんとエスコートしてあげてくださいな」
釘を刺すような言いだけれど、そうだろうか。
あの人、どこからどう見たって特別なんじゃないかと思うんだけども。




