3.
「ところでタマちゃんや」
「はい、なんでしょうニーロさん?」
フォローを請け負ったのはいいけども、実は肝心のところがわかってないままである。
「手伝う上でひとつだけ聞きたい事があるんだけど、いいかな。言いたくなければパスでいいから」
「はい、承りますよ。どうぞー」
「目の前で肩より上に手をやられたら、タマちゃんどうなるの?」
少々尋ねにくくはあったけれども、思い切って質問してみた。
それが分かってないと、そしてその対処を知ってないと、ただ付いてるだけじゃ意味がない。
「えっとですね、びくってなります」
タマちゃんの回答は相変わらず抽象的だった。印象派の絵並である。
あんまり深刻そうじゃないが、姫様がこちらを注視しているのを見ると、多分かなりオブラートに包んでいるのだな。
「距離があったり、安心できる人相手ならへーきなんですけど。でも親しくない方にいきなりされると、反射的に怖がっちゃうんです。目の前が真っ暗になって、それでぎゅーって目と耳を閉じて、うずくまって丸まったきり動かなくなります」
何それ可愛い。
ちょっと見てみたい気がしたが、実行したらまず間違いなく姫様に蹴飛ばされるな。それも手加減抜きで。
「そうなった時の適切な処置は?」
「放っておいていただければ多分だいじょーぶですけど、人のいないところに連れて行って独りにしておいていただけるとありがたいかもしれません」
「了解。じゃあ万一の時は、変に面倒見過ぎないように気をつける」
「ご迷惑をおかけしますー」
いえいえ。俺の方こそ、いつもお世話になってますから。
「でもそれで人前に出るとか大丈夫なの?」
「あ、はい。多分ですけどへーきです。不意にじゃなくて、気合を入れて覚悟してれば大丈夫なので」
頭をかくとか目をこするとか、あくびを隠すとかくしゃみをするとか。
肩より上に手を持っていくというのは、絶対にしないとは言えない所作である。それが不意打ちにならないように気を張っておくとなると、結構大変なんじゃあるまいか。
その辺りもケアしといた方がいいんだろうな。
「あ、それからニーロさん。あの、もし気にしてたらなんですけど」
「ん?」
タマちゃんはしばらくもじもじした後、意を決したようにぐっとこちらへ身を乗り出した。
「わたしがまだニーロさんの手が駄目なのは、ニーロさんが嫌いだとか怖いだとか、そういう事じゃないですから。安心できないとか親しくないとかじゃないですから。ちゃんと少しずつ慣れてますから。そのうち全然平気になりますから」
殆ど一息でまくし立てられた。
あ、そこ気にしてたんだ。
俺は全然悪くとってないよと首を振って、
「じゃあそうなったら、タマちゃんも一緒にご飯しようよ」
「はい!」
タマちゃんはぱっと花が咲くように笑った。
姫様はそんな彼女に、優しい眼差しを送っている。完全に妹かなんかを見守る目だった。
いやタマちゃん、姫様や俺より年上なんですけどね。
「なんて言っても俺は作ってもらうばっかだから、精々感想言うくらいだけどさ」
「いーえ。わたしは、それってすごく嬉しいです」
ああ、自分で「くらい」とか言っといて何だけど、分かる気がする。
俺が朝食当番の時、あれこれ言ってもらうとやっぱ嬉しかったしな。ただし杏子には貶された記憶がなくて、おふくろには褒められた覚えがない。どうなってんだうちの女性陣は。
「いけないいけない、また話がズレちゃいました。ニーロさんにはもうひとつ、お願いしたい事があるんです」
おっと、なんでござんしょう。俺にできる事ならなんなりと。
「できるだけ台所にいてくださいな」
タマちゃんの指示は相変わらず大雑把で、期限とか目的とかフォロー業務との優先順位とか、そういうの一切が不明瞭である。
何から質問すればいいのか、まず質問したい。
「先も言ったが、一時的に人手を増やす。するとそこに不心得者が紛れ込む可能性と余地ができる。その中に毒を盛る者がいないとも限らない」
ぐだぐだになりそうな気配を察して、姫様が割って入った。
「毒、ですか?」
「そうだ。死に至らずとも、中毒症状が現れるだけでいい。それで病魔を糾弾する大義名分になるからな」
そういえば弟さんの言い分のひとつは、俺の危険性なのだった。もし中毒事件が姫様の屋敷で起きれば、真相はどうあれ十分、向こうの主張の裏付けになるって事か。
でも俺の感覚からすると、毒って結構足がつきやすかったりするのじゃなかろうか。そうぽんぽん手には入らないだろうし、専門知識だって必要だろうし。
「残念ながら、ままある事だ」
「外出先でも信頼した料理人の手がけたものしか召し上がらない、という方も多いですよー」
思って訊いてみたらば、そんな返答だった。
そういえばファンタジー文明ですもんね。科学的捜査はしなそうだ。
「まあ、お前から縁遠い発想だろうとは思ってはいた。最初の晩の私の行為にも、特に感じるところがなさそうだったからな」
……最初の晩?
言われても思い当たる節がない。
姫様、なんか変わった事してたっけか。再度記憶を入念にチェックして、
「あ」
そういえば寸胴鍋で持ってきたシチュー。
俺の目の前で温めて、自分で皿によそわせて、同じものを先に食べて見せてた。
あれは「毒なんて盛ってませんよ」というサインであり、パフォーマンスだったのだ。
「すみません。食欲旺盛な人なんだなー、とか思ってました」
素直に白状したら、またしても「馬鹿め」と蹴られた。なんかもう癖になりそうである。
「お膳を任せられるのって、信頼の証しみたいなところがあるんです。ニーロさんはここへ来た初日からお皿綺麗に空にしてくれたので、これはてっきりわたしを信用してくれたって事だって、ちょっと感動してたんですけど、単に警戒心皆無だったんですね。もーがっかりです」
おまけにタマちゃんまでジト目だった。
いやホントごめんなさい。だけどそんな用心、現代日本人に求められても。
などと反省と言い訳をしかけたのだが、どうも「がっかりー」とわざとらしくリピートしてる様子を見るに、実はこの子、乗っかってきただけっぽい。
このいじめっ子どもめ。
「あれ、でもそんななら俺、厨房にいてもいいんですか?」
この世界に来たばかり、姫様んちに世話になり始めた当初は、「余人が不安がるから衛生に関わる場所には近づくな」と申し渡された。
実際病原の源だったのだから当然の処置であるのだが、その辺り今回はどうなんだろう。
毒の話を聞くに、同レベルで不安がられそうな気がするのだけども。
するとタマちゃん、「んー」と首をひねって、
「世間的にニーロさんは今、病毒を伏せる神様ですから。やっぱり台所に置いておくのが一番正しいんじゃないでしょーか」
いや神様って。
そういえばどっかの誰かさんがそういう方向に風聞をシフトさせていく、みたいな事を言っていた。
しかしこの適当な噂の流され具合、そのうち俺を模した人形とか似顔絵描いた御札とかが厄除けに売られそうである。
「あ、それもうありますよー? 知りませんでした?」
「え、嘘、マジで!?」
姫様がくすくす笑っているので、これは確実にこの人の手回しだ。お守りの売り上げで儲けてたとしたって俺は驚かない。
そういえば警備のおっちゃんらに変な信仰をされかけたけど、それもこれが一因か。
「とにかくそういうわけですから、ニーロさんには台所にいて欲しいんです」
「うーん、いや居るのは構わないんだけど、俺で役に立つのかな?」
「立ちます立ちます。ニーロさんの名声はなかなかのものですから」
言い切って、タマちゃんは顔の横に人差し指を立てて見せた。
「いいですか。毒を盛りにくる人っていうのは、発覚したら厳罰なのを覚悟してるわけです。危ない橋を渡ってるわけですから、ちょっとでもバレちゃう可能性が高くなるのは嫌です。なのにニーロさんって神様が、現場で目を光らせてるわけですよ。ひょっとしたら毒なんて、持ってるだけで感知されちゃうかもしれません。どんなに大丈夫だって思っても、絶対一抹の不安は過ぎります。ちょっぴりでも不安があれば、それだけ行動には移しにくくなります。ね、ニーロさんは居るだけで、ちゃんと抑止力になるんです」
またしても居るだけのお仕事だった。
うーん、本当に俺、虚名だけで生きてるなあ。
実体のない虚像ばかりが膨らんで、当の俺はいまいち役に立てない感じで。なんか、わりに凹む。
ちょっぴり黄昏ていたら、くいくい袖を引かれた。
見ればいつの間にか寄ってきていたタマちゃんが、間近で、にふ、とやわらかに笑う。
「だいじょーぶですよ。ハギトさんがすごくいい人なの、わたし、ちゃんと知ってますから」
え、あ、うん。ありがとうございます。
会釈をするとタマちゃんはちょっと背伸びして、俺の髪をくしゃくしゃとかき回した。
……まああれだ。タマちゃんの言う「いい人」が、「都合のいい人」とか「調子のいい人」とか、そういうんじゃないといいなあ。
さて。
あらましは聞き終えたし、できるかどうかは別として、やるべきも大体分かった。
俺に書き物の手伝いは無理だし、となるとこれ以上長居しても邪魔になるばっかりだ。そろそろ退散しよう。
そう伝えると姫様は頷いて、
「そうだな。お前は邪魔にならないように、スクナナとでも遊んでいろ」
完全に子供扱いである。というかいらない子扱いである。
「……姫様、なんか俺に邪険じゃないですか」
「私も、好きな子には底意地悪くする質なんだ」
こないだのやり返しか。
でも軽口だと分かっていても、姫様に「好き」とか言われるとドキっとする。俺は勘違いしないけど、他の男にやっちゃ駄目ですからね?
すると俺たちの様子を見ていたタマちゃんが、
「姫さまのそれって、意地悪ってゆーよりも甘え……あうっ!?」
言いかけたところで小さく悲鳴をあげた。
卓の下で蹴られたのだな、多分。
「姫さま、それわりと痛いんですからね」
「身に覚えがないな。きっと事故だろう」
頬を膨らますタマちゃんに、しれっととぼけてみせる姫様。
傍からだと、タマちゃんの言う通りに見えるなと思った。
今の姫様は、甘えられる人に戯れついてるみたいにしか見えない。これまたタマちゃんが以前、姫様の事を「甘え下手」と評していたけども、本当にそうなのかもしれない。
「あ、姫さま姫さま、ハギトさんが姫さまの事見て笑ってますよ!」
「む」
微笑ましく見守っていたらタマちゃんに告げ口された。小学生かこの子は。
矛先を変えて姫様がこちらを睨んできたので、これを機に逃げ出す事にした。これ以上蹴られて変な性癖に目覚めたら目も当てられないし。
「俺、邪魔にならないように、スクナナさんと遊んでますね」
「はーい、いってらっしゃーい」
「あまり迷惑をかけるなよ」
姫様は口の端だけで優しく笑って、タマちゃんは手を振って俺を送り出した。
いや子供を見送る両親か。
むしろ俺の方こそが小学生扱いされてる気がする。
とまれ結局、当座が暇という事態は解決しないままである。
半ばやけくそで庭に行って、スクナナさんに「あーそーぼー」と声をかけたら、凄い勢いで逃げられた。
でもすぐに戻ってきたので、
「なんで逃げたのさ?」
「申し訳ありません。なんとなくです」
フィーリングで逃げられる俺だった。一体どこまで警戒されてんだ。
「どうされました? 午後はクルツ様との時間では?」
「うん、ちょっとね」
「?」
小首を傾げられたので、ちょっと悪戯心が湧いた。
「実は、姫様に邪魔者扱いされて捨てられました」
肩を落としてしょんぼり足元の小石なんぞを蹴って見せる。
「え」
その途端、スクナナさんが硬直した。表情がさっと真剣なものに切り替わる。
あれ、と思う間もなく、スクナナさんが俺の両肩を強く掴んだ。ぐいと体の向きを変えさせられて、正面から見つめ合う格好になる。
……いかん。ひょっとしてこれ、変なふうに本気で受け取られてたりする?
「それ、大丈夫なの!? 住んだり食べたりは? 最悪、僕の方でこっそり……」
「待って、ごめん、冗談だから。ホントごめんスクナナさん、ただの冗談だから!」
大慌てで手を振って制止する。
あまりに真面目に俺を案じてくれたので、物凄く悪い事をした気持ちになった。
「……」
スクナナさんはぽかんと言葉を切って、そこでしばし思考も停止。それからにっこり素敵な笑顔を浮かべて見せた。
とても嫌な予感がした。俺は咄嗟に彼女の手を逃れて距離を取る。
「ニーロ殿」
「はい」
「実は自分は丁度無聊を託っていたところです。どうやらニーロ殿も、冗談でまぎらわさずにはいられないほどお暇なご様子。少し、稽古をしていきませんか」
いいえいいえ、結構です。
だって目が怒ってるもん。かなり本気で怒ってるもん。
「まあ、そう仰らずに」
「あ、いえいえ、残念ですけど今日はもうへばってるから」
ずい、と一歩でこちらに迫るスクナナさん。
踵でじりじりと逃げる俺。
妙な緊張感が生まれる。
「ご謙遜を。まだまだお元気と見受けられます。大丈夫です。自分が保証します」
「いやー、自分の体の事は、やっぱ自分が一番よく分かってるんで」
更にずずいと迫られたところで、何かが臨界点を突破した。
俺はくるり反転し、即全力ダッシュ。
なんせこちとらスニーカーだ。対してスクナナさんは訓練中でも変わらず、硬そうな革ブーツである。あんな走りにくそうな履物で、そうそう追いつけるものか。
と思ったのだが、うわ、スクナナさん足速ぇ!?
結局そのまま延々と追い掛け回されるハメになった。
後でタマちゃんから聞いたところによれば、窓からそれを見ていた姫様は「まるで子供だな」と愉快そうに笑っていたとの事である。
いや全然愉快じゃなかったですよ。助けてくださいよ姫様。
まあ今回については完全に自業自得なんだけど。
「実はわたしも同じ感想でした。ハギトさん、時々子供ですよねー」
タマちゃんもひどい言い草だった。
癒し系みたいな顔しておいて、タマちゃんは姫様とセットになると、わりにいじめっ子なんである。




