1.
誰が駒鳥殺したの?
私、と雀は言った。
私の弓矢が駒鳥を射た。
──マザー・グース
「ごめんなさい。ちょっと忙しいので、今日の授業はなしにしてくださいな」
とタマちゃんに伝えられたのは、その日の朝の事だ。
ちょっと残念、と感じてしまうのは我ながら不思議な心境だった。だって元の世界で英語の授業が自習になったら、俺はきっと快哉を叫んでる。
同じ言葉の勉強であるのに、それがなしになったのを惜しく思うのはわりと意外である。
でもタマちゃんとのそれは授業というよりも、「お前んちでテスト勉強しようぜ」みたいな雰囲気が強い。友達との約束が駄目になったと考えれば、この感じにも納得がいった。
そんなわけで手持ち無沙汰になってしまった俺なので、タマちゃんが居るとしたら多分そこだろうと見当をつけて、午後一番でいつもの談話室に顔を出してみた。
俺はどうせ暇なわけだし、なんか手伝える事があったら請け負おうと思ったんである。
するとそこにはタマちゃんのみならず、姫様までもが居た。
テーブルの上に便箋のような用紙を多数乗せて、二人で懸命に書き物をしている風情である。
訂正。
二人きりじゃなかった。いつもの卓とは別に用意された低い台の上で、タマちゃんのパペットも同じく書き物に勤しんでいた。応用範囲が広いなあ、これ。
「ちわっす。二人揃って何してるんですか?」
「ハギトか」
「あれ、ニーロさん」
俺が戸口から声をかけると二人は顔を上げ、それぞれに応えた。
「思うところがあってな。宴席を設ける事にした」
「ですので、その招待状を書いてるんです。宛先多くて大変ですー」
大量の便箋は、どうやら未記入の招待状であったらしい。
聞けば本や書類の複製に用いる複写符もあるが、やはり儀礼を重んじる場面では手書きが望ましいんだそうな。こういう労力を尊ぶみたいな観点は、どこの世界にもあるもんなんだな。
あ、でもちょっと待って。パペットってありなの? それ大丈夫なのか?
「大丈夫ですよー。送り先の名前以外はわたしと同一動作なので、実は楽ちんなんです」
本人と同じの動きをさせるのは容易らしい。
って、いやそっちじゃなくて。
俺の疑問は果たしてパペット代筆を肉筆と呼んでいいのかどうかだったのだが、まあいいや。
ただでさえ礼法に通じるわけじゃない俺だ。ファンタジー礼儀作法なんて当然憶測できない。タマちゃんと姫様がオッケーって言うのなら、きっとそれで大丈夫なんだろう。
「えっと、姫様、でもですね」
「うん? どうしたハギト」
姫様は手を休め、卓に頬杖をつくようにして俺を見る。
「宴ってパーティみたいな感じになるわけですよね? それって無用心じゃないですか?」
先日、警護のおっちゃんらから聞いた話が念頭にあった。
それがあるから、特定多数か不特定多数かは知らないが、人を招き入れるというのは危ないのではないかと思ったのだ。
勿論この件については姫様にご注進済みである。
ちなみにまず、
「よくやった。私に伝手のない方面からの情報だ。貴重な知らせを感謝する」
と褒められて、それから叱られた。というか呆れ顔をされた。
「しかしだな、ハギト」
「はい?」
「お前、随分他人と話して回っているのだな?」
そこまで言われて、やっとこ俺は自分のしくじりに思い至った。
うん、実は俺、姫様以外とは喋れない設定なのだった。口を滑らすとかもうそんなレベルのミスじゃない。
「……すみません」
「まあ、いい。言語補助の腕輪の開発と、タルマの教育の賜物とでもしておこう。お前が優秀と思われて、私が困る事もないからな」
そんなやり取りをしているのだし、何より姫様だし、忘れてるなんて事はないはずなのだけども。
「いつ起こるか不明瞭な危険を待つよりは、こちらから機会を与えて釣り出した方が余程に防ぎやすい。そういう事だ。無論万全は期すつもりだが、以前も言った通り、狙われるとなればお前からの公算は高い。不安になるのも分かる」
そこで頬杖を外すと椅子の上で向きを変え、背筋を伸ばして俺に正対した。
いつもの顔で不敵に笑う。
「だから必ず手の届く場所に居ろ。お前は、私が守ってやる」
……いやもうなんだこのイケメン。
男の子的矜持としては、もうちょっと精進せねばと痛感する。あとタマちゃん、そのキラキラした目をやめなさい。俺に何を期待してるんだ。
「ありがとうございます」
「気にするな」
「でもですね、俺から狙われる確率が高いかもしれないだけで、姫様自身にだって可能性はあるんです。でもって姫様だって、後ろに目はないわけです。あんまりこっちにばっか気を取られて、本末転倒にならないでくださいよ? まあ俺も姫様の事は気をつけておきますけど、多分ないよりマシ程度ですから」
「……うん、そうだな。気を付けよう。ありがとう」
姫様は頷いて、先とは違う、どこかやわらかな微笑を浮かべた。
ところでなんでタマちゃんは、「よくやった」みたいな顔してるのか。
「でもそういう警備も考えてってなると、準備とか大変ですよね。あ、俺はパーティの時って、どっかに隠れてた方がいいんですか?」
すると姫様とタマちゃんは顔を見合わせ、それから声を揃えて、
「目玉はお前だぞ、ハギト」
「ニーロさんが今回の主役ですよ?」
へ?
「いや聞いてないですよ!?」
「まあそうですよね」
「先ほどタルマと吟味して、それで決めた事だからな」
あ、いかん。
なんか逃げ場がない気がしてきた。
多分だけどこの二人、朝からここに詰めて計画練ってたんである。この二人の相談の結果の立案だと、俺に反論の余地はないかもしれない。
くそ、パーティの主役ってなんだ。何させられるんだ。
「そう怯えるな。この招待状には『私が従えた病魔を見物に来い』と、そう書いている。何をするでもなく、お前はただ居るだけでいい」
「いやそれもう飾り物っていうか、完璧見世物じゃないですか。俺は珍獣かなんかですか」
「そうは言わない。だがハギトは他所に見せびらかしたいほどの、自慢の逸品であるのは確かだな。きっと誰も彼もが羨んでくれる事だろう。私も実に鼻が高い」
おい。
なんでそんなに棒読みっぽいんだ。
しかもどうして言いながら、わざとらしく目を逸した。
「タマちゃん、この人今絶対嘘ついたよね? 俺の気の所為じゃないよね?」
「悲しいな。ハギトは私を信じてくれないそうだ。タルマ、お前からも何か言ってやってくれ」
「え、わたし? ここでわたしですか!?」
突然二人から加勢を求められ、タマちゃんしどもどである。
そこで俺と姫様、すかさずアイコンタクト。
「姫様に嘘つかれてタマちゃんすら味方してくれないってんなら、俺、完全にひとりぼっちだ……」
「タルマ、まさかお前は私を見限ってハギトにつくのか? 私たちが積み上げた時間と築き上げた信頼とは、それほどに脆いものだったのか?」
「タマちゃんは俺の味方だよね?」
「タルマは、私の味方だな?」
「……あんまりからかってると、わたしだって怒るんですからね? いいですかニーロさん。わたしを怒らせたら以後三食、全部嫌いなものだらけなんですからね?」
すみませんでした。いやホントにごめんなさい。反省してます。
そういえばタマちゃんは、怒らせてはいけない子だったんである。
「さて、大分脱線してしまったな。そろそろ話を戻そうか」
俺の平身低頭でトリオ漫才もひと段落。そこで姫様がぱんぱんと手を叩き、一堂は居住まいを正した。
いやでも話が脱線したのって、ぶっちゃけ姫様の所為ではなかろうか。あと姫様も、タマ様に謝るべきであると思う。女の子同士の連帯感とかなんかずるい。
「有り体に、私がどうしたいかをまず言おう。まずハギトを、目立つ飾りとして大仰に前面に押し出して、釣り餌に仕立て上げる。私の敵が私の想定通りであれば、まずおそらく反応を見せるだろう。それを手がかり手繰り寄せて、付き従う一派に見当をつけて切り崩す。今回についてはお前に直接的危険性はないだろうと考えているが、所詮は私の、人のする予測だ。命が危ぶまれる事もあるかもしれない。私はお前を守りきれないかもしれない。それでも、だ。ハギト、頼めないか?」
座ったまま、姫様の瞳が今度は真っ直ぐに俺を見た。
あーもー、守るとか言っといて、この人結局またマッチポンプじゃないですか。
でも仕方ないよな。仕方ない。
スクナナさんの時に俺、言っちゃったもんな。どうしたいんだかちゃんと伝えろって、俺が言っちゃったもんな。
「……姫様、ずるいですよ」
「すまない」
「でも了解しました。俺の発言だし、なら俺が責任取らないと」
姫様はふわっとまたやわらかく笑み、タマちゃんは横できょとんしてから、俺と姫様を交互に見比べる。
「ニーロさん、姫さまに何を言ったんですか?」
「ああ、こないださ……」
「秘密だ」
言いかけたら、姫様にインターセプトされた。
そのまま悪戯っぽく俺に片目を瞑って見せてもう一度、
「秘密だ」
と繰り返した。
「ごめんタマちゃん。なんか秘密らしい」
「むー、なんですかそれ。なんなんですかそれっ」
当然ながらタマちゃんは両頬を膨らませた。
不満の表明であるのだろうけれど、なんかつつき回していじめたくなるのは俺だけだろうか。




