6.
というわけで。
俺の一日のサイクルに、スクナナさんの戦闘指南が混ざり込む事になった。
簡単に言うと飯食って運動して飯食って勉強して飯食っての流れである。よく動いてよく食べてよく寝る感じ。穀潰しと言われても反論できない。
でも姫様んちから外には出れない身の上なので、ぶっちゃけ現状、他にする事がないのだ。
まあ打ち込める分、成果は上がったと思う。最早ただの健康的ひきこもりではない。超健康的ひきこもりくらいにレベルアップしている。
スクナナさんとのトレーニングも、その後はまるで問題なかった。
安定してきちんとした指導をしてくれるし、以前みたいに思いつめた鬱屈を溜め込んでたりはしないので、ちょっとからかっても死ぬまではいかない。
いや押しに弱いのと反応が素直なのが面白くて、ついいじってしまうのである。一応先生に当たるわけだから慎まねばとは思う。
訓練内容は基礎を過ぎてだんだん難しくなってきた。
最近は立ち方構え方からばしばし駄目出しされていて、俺は凹むばっかりだ。
お仕事モードのスクナナさんは結構怖いのである。つり目がちの彼女に、じろっと強い視線を浴びせられるとやっぱり身が竦む。まあ一部特殊な性癖の人なら大喜びかもしれない。
あとここで初めて、俺の現代知識が役立った。
要するに筋トレやストレッチ、走法なんかに関しての話である。
今まで身近に体育会系がいなかったのだが、スクナナさんは言って聞かせてすぐ試してもらえる貴重な相手だ。そして前述したように反応が素直なので、役立つと分かると実に嬉しそうな笑顔になる。
教えた甲斐があったなあという気持ちになって、ますます技術交換に熱が入るってなもんである。
ただし、彼女の柔軟体操に付き合う時は覚悟が必要だ。
開脚前屈の時なんぞ、
「自分は体が柔らかいので、押していただかなくても結構です」
言うなり180度近くまで足を開いて、ふにょんと地面に胸をつけて見せた。その体勢のまま首だけ上げて、「ね?」と来たもんである。
正直返答は上の空だった。
いかんいかん、俺の視線は煩悩に正直すぎる。
姫様があんな事言った所為で、ついつい意識してしまう。というかこれは目の毒だ。あんま青少年が見ていいもんじゃない。
あと武器の取り扱いにもそこそこ慣れてきたけど、相変わらず模擬戦だけはいけない。半泣きになる。
といってもぶん殴られてぼこぼこにされるとか、そういう事じゃない。問題はそれ以前である。そもそも模擬戦とは名ばかりで、スクナナさんは武器のひとつも手にしていないのだ。
時間無制限の一本勝負、ただしスクナナさんは攻撃しないという信じがたいルールである。
でも体力が尽きるまで追っかけ回して、俺の攻撃はかすりもしない。空振りって滅茶苦茶疲れるものだと思い知った。あと大変絶望的な気持ちになれる。
身体能力の差もあるが、やはり技術的な面でもひどく俺は劣っているのだろう。
この午前中鍛錬が終わった後は、館内の風呂場で汗を流す。シャワー代わりの水呼び魔符がちゃんと存在しているのだ。
そして俺はここでスクナナさんと鉢合わせした事があるのだが、その模様については割愛する。
ちげーよ全然重要イベントじゃねぇよ。だって見られたの俺の方だし。
でもってそれから昼をつまんでタマちゃんの授業に移行するわけだが、
「はい、他に痛いところはありませんかー?」
「今日は手のマメだけでオッケーです」
「はーい」
最近はこんな感じで、お勉強開始の前に回復魔法をかけてもらってる。切り傷擦り傷なんかもあっという間に治ってしまうので、とても助かっている。
ところで超回復という人体の仕組みがある。
負荷を受けて筋組織が疲弊すると、その疲労状態からの回復時に筋繊維が肥大化し、以前より強い負荷に耐えられる事を指す。
要するに筋トレで筋肉が鍛えられる理由だ。
よって回復魔法との併用で、凄く効率的なトレーニングができるのではないかと思ったのだが、タマちゃんによると、回復魔法は患部との直接接触が必要になる為、体内組織にかけるというのは無理があるらしい。基本外傷用との事である。残念。
そういえば風邪に回復魔法が無効だったのは、結局これと同じ理屈なのかもしれない。
とまれこの接触発動制限のお陰で、治療時はタマちゃんにあちこちぺたぺた触ってもらう格好になる。
まあタマちゃんからしたら医療行為なので、全然抵抗がないのであろうけども、血豆治すのに手をずーっと握っててもらったり、顔の傷(鉄剣を打ち合わせるので欠けた破片が飛ぶ事があるのだ)の治療で頬っぺた両手で包んでもらったりと、ひょっとしたらこれは役得なおかもしれない。
……とか不純な事を思ってたら、一回タマちゃんにからかわれた。
治療中にタマちゃんがバランスを崩して転びかけ、慌ててそれを支えたら、ぽふっと胸に抱きとめる格好になったんである。
すぐに離れて自分で立つだろうと思ったら、俺に体を預けたまま動かない。
え、何これどういう事と動揺したら、悪戯顔したタマちゃんが、にふ、と笑った。
「ニーロさん、なんか期待しちゃったりしましたー?」
上目遣いのタマちゃんは、普段のほんわか具合とはまるで違って色っぽくて、正直言うとどきっとした。
「いや、いやいや、してませんって」
これはいかんと見栄を張ったら、タマちゃんはするりと体を離し、
「そうですよねー、ニーロさんはスクナナさんみたいにおっきい人が好きなんですもんね。どーせわたしじゃご希望に添えませんもんね。わたし、盗み見された事なんてありませんし」
え、いやタマちゃん待って。ちょっと待って。
その話、一体どこ経由でどこまでどう広まってるの?
まあ多分姫様が、面白おかしく喋り倒しやがったんであろう。
「はい、おしまいです」
とかなんとか思い返しているうちに、マメの治療が終わっていた。手のひらはすっかり綺麗になって、いやはや全くありがたい。
「いつもすまないねぇ」
「いいえー、お気になさらず」
笑顔で応えてからタマちゃんは、「あ、そうだ」と俺を見た。
「ちょっとだけ、いいですか?」
言い置いてから、手を伸ばして俺の髪をさわさわと撫でてくる。
お互い座った状態であるから、身長差のあるタマちゃんにも容易に俺の頭へ手が届くわけだが、これは一体どういう事だ。
「えーと?」
「姫さまが、ニーロさんの髪は手触りがいいと言ってましたので。ちょっと試してみたくなって」
いやあの姫様、何を吹聴してるんだ。
「うん、確かに触り心地がいいかもしれませんー」
くしゃくしゃと俺の頭をかき回し、タマちゃんはご満悦である。何やら堪能されてしまった。
ちなみにお手上げ禁止条例があるので、俺はタマちゃんの行為を阻害できない。されるがままになるしかない。
それにしても、と笑顔満面のタマちゃんを見た。
「タマちゃんってさ、最初、俺を怖がってたよね?」
尋ねたら、しばし迷ってからこくんと頷いた。
「はい。今だから言っちゃいますけど、それは勿論怖かったですよ。でも自分が怖がりだからか、わたし、なんとなく怖がってる人ってわかっちゃうんですよー」
髪に絡めた手を休めて、彼女はじっと俺を見た。
「あの時はニーロさんの方も、こっちの世界に不慣れで色々怖がってましたよね? でもそれなのに、わたしを気遣おうとしてくれました。だから、大丈夫かなって思えたんです。この人は、大丈夫かなって思ったんですよー」
なんかタマちゃん、思い出を美化してたりしないだろうか。
俺はそこまでできた人間じゃないんだけども。
「そんなんでしたっけか」
「そんなんだったです」
照れ隠しに呟くとタマちゃんは大真面目に頷いて、それからまたくしゃくしゃを再開した。




