4.
「シ、シンシア様、自分は……」
「この馬鹿め。私はハギトに稽古をつける打診はしたが、怪我をさせろとは言わなかったぞ。それともお前の耳は、私の言葉を恣意にしか聞かないのか? それならば阿呆だ。無用の耳を切り落として恥入れ」
あ、いやその、馬鹿か阿呆かどっちかにしてあげてください。
というか真面目に怒ってるっぽい姫様は初めて見るので、俺はおろおろするばかりである。
「スクナナ」
「は!」
「お前の主は誰だ」
「シンシア・アンデール様です」
スクナナさんの即答を、しかし姫様は「馬鹿め」と切り捨てた。
「人が人を所有するなどあるものか。形や世間がどうあろうと、お前の主はお前自身だ。であるから私は絶対服従など求めない」
うん、いい話だ。とてもいい話に聞こえる。
でもこの姫様、俺の事、「私の飾り物」って言ってるよな。わりと言ってるよな。
「お前がお前自身に誇れる行いであるならば、多少の齟齬は咎めないつもりだ。しかしこれはなんだ。この行いはお前自身に恥じないのか」
「……」
言い詰められてスクナナさんは剣を落とし、がくりと膝を突いた。
「申し訳ありません、シンシア様。申し訳……」
「頭を下げる相手を間違えるな。お前が詫びるべきは私ではない」
言われてスクナナさんはすぐさま方向転換。
「ニーロ殿、自分は」
「いやいいから! 俺にはいいから!」
地面に額をこすりつけるようにして詫びようとしたので、慌てて割って入って押し留めた。
スクナナさんみたいに気丈そうな子がそんな真似してるのを見ると、なんか変な性癖が目覚めそうでよろしくない。
「それで、どうしてあんな真似に至った? ハギトの腕を折って、お前に何の得がある」
「それは、その……」
地面にぺたんと座り込んだままのスクナナさんの前に、姫様が立ってそう問うと、じわりと彼女の目に涙が浮いた。
姫様は指先でそれを拭って、そっと笑う。
おいなんだこのイケメン。
この人がもっと前から表舞台に出ていたら、変なファンクラブとか出来上がっていたのじゃあるまいか。
「まったく、子供ではないのだぞ。泣くほど辛いなら何故私に助けを求めない。スクナナ、私はそれができないほどに頼りない主か?」
以下、スクナナさんの自供。
涙ぐんだり謝ったりにと忙しかったので要約である。
彼女は、姫様の近衛騎士という地位に強く固執があるのだそうな。
俺にはその理由がよく分からなかったのだが、姫様が理解していたようなのでひとまずスルー。後で解説をお願いする事にする。
でもって何をどう誤解したか彼女、そのポジションを俺に奪われると思い込んでいた模様。
俺と姫様がどんどん親密になっているし、自分は姫様専属という立場を外されて俺を指導するようにと打診されるしで、明らかに自分が不要扱いされていると感じてしまっていたのだそうな。
ちなみに「親密になっている」の辺りで、『それは誤解だ!』と二人で声を揃えてしまって、「やっぱり」みたいな目で見られた。大層なアクシデントである。いや姫様、なんで同じタイミングで喋るんですか。
そして止めになったのが、今日の訓練である。
俺を指導していて、「これは伸びそう」と思ってしまって、その瞬間今までの不安の積み重ねが雪崩打った。
腕一本がダメになれば、近衛は務まらない。
自分は将来有望な人間に怪我をさせた責任を取って辞任するにしても、一族の誰かが後任になれるはず。そう考えて模擬戦中の事故を狙いにいってしまった、との事である。
「ひーめーさーまー?」
うんこれ、責めるべき人間はただひとりであろう。
俺にはあれこれ話してた癖に、当のスクナナさんに何の意図も伝えてないとか何事か。「あいつは分かってくれてるから」とかそういうの、一番やっちゃいけない怠慢である。
感謝と気持ちってのは、ちゃんと言葉にせねばならない。
俺については言いたい放題のおふくろであるが、あれでも必ず「ありがとう」は言うのだ。俺もちょっと癪だけど、兄貴に何かしてもらったらお礼は言う。「おう」とか応えて微妙に嬉しそうなのを見るたびに、気恥ずかしくはあるけど悪くないと思う。
むしろこういう事に使わずに、一体何の為の言葉か。
「すまない、これは完全に私の不徳だ。詫びるべきは私の方だったな」
というわけで、そこから俺の事情と状況の説明を開始。
噛み砕いて飲み込んで納得してもらった。
「お前の近衛騎士としての任は、望むまで終生解くつもりはない。これで安心してもらえたか」
「はい。はい、申し訳ありませんでした」
「私の方こそすまなかった。スクナナ、こんな主だが、以後も仕えてもらえるか」
「無論です。自分こそ至りませんが、何卒よろしくお願いします」
なんとか丸く収まりそうな雰囲気であったが、そこで「ただし」と姫様が言い出した。
「未遂とはいえ、ハギトを害そうとした事に対してだけは処断せねばなるまいな」
「は、如何様にも」
え、なんで二人揃ってこっち見てるの?
「ハギト、どうする?」
どうも俺が処分を決める流れらしい。でもそんな事言われても、どういうのが妥当かとかもよく分からないわけで。
そりゃ姫様が助けてくれなければ俺の腕は酷い事になってたっぽいけど、逆に言えば姫様のお陰で実害はなかったんだし。
うーんと腕を組んで考えて、
「じゃあスクナナさん」
「はい」
「明日以降こっちにいる時の午前中は、今日みたいに訓練、よろしくお願いします」
「……それだけ?」
「いや、俺に長らく意地悪してた分、優しいメニューにしてくれてもいいですけど。あと実害がなかったのは姫様のお陰なんで、姫様に何かお返しするのもありですけど」
「だ、そうだ。ハギトがそう定めたのならば、私から言うべきはもうない。今日はもう戻れ」
まだ戸惑う風情のスクナナさんに姫様が言い聞かせると、彼女は俺と姫様に、黙って深く頭を下げた。
「それにしてもハギト。お前は随分とスクナナに親切なのだな。ああ──」
そこで姫様は悪戯っぽい目つきになった。今気がついた、とでも言わんばかりで思わせぶりに言葉を切って、
「見惚れたか。胸に」
おい。
いやそりゃ確かにスクナナさんのは大きいけども。
革鎧を押し上げるボリュームにちょっとびっくりしたけども。
「そういえば私と初めて会った夜も、私の胸元に視線を彷徨わせていたな。覚えておくといい。気づかれていないつもりかもしれないが、女は案外敏いものだぞ?」
やめて、姫様やめて。
確かに彷徨ってました。彷徨わせてました。ええ、チラ見してましたとも。罪は認めます。
けどそういうの、暴露のタイミングってものがあると思うんですよ。
ほらスクナナさん誤解しちゃったじゃないですか。両手で自分の胸元覆って、俺を見る目が氷点下じゃないですか。もうアブソリュートゼロですよあれ。ゴミとかそういうものを見る目つきですよ。
絶対、「死ねばいいのに。できるだけ長く苦しんでから死ねばいいのに」って考えてるのに違いないです。
ああもう泣きたい。
だというのに姫様は死ぬほど楽しそうである。これあれか、こないだの朝の恨みか。
「そうだ、スクナナさん」
「……なんでしょうか」
流れを変えようと声をかけたら、びくっと過剰反応された。すっげぇ警戒されてた。
ぷっと姫様が吹き出したので睨みつけておく。誰の所為ですか、まったく。
「今日はありがとうございました」
一歩寄って手を差し出した。
スクナナさんは俺と自分の手を交互に見比べ、何も言わずに一歩下がった。
「ありがとうございました」
うん、そんな感じに動くのは予想してた。
すかさずその一歩を詰めて、もう一度。彼女は困り果てた顔で更に退避。
助けを乞う視線を送るが、当然姫様はスルーである。
「ありがとうございました!」
ずずいと三度迫ると、とうとう諦めたようだった。
おずおずと手を伸ばして、俺の手を取る。よし押し切った。
「それじゃ、また明日」
握手を終えて告げると、スクナナさんはこくりと頷き、小さく「また明日」と囁いた。
彼女の口元が少しだけほころんで見えたのは、きっと気の所為ではないと思う。




