3.
その後夕食の席において協議なされ、できたら毎日訓練は午前中、初めの数回は姫様の付き添い有り、タマちゃんへの不埒行為の禁止といった辺りが大筋の方針として決定した。
要は定期的かつ継続して俺とスクナナさんが顔を合わせるように、かつ姫様と一緒という状況を作って沈黙を保ったり無視したりされないようにしようという魂胆である。
いやでも最後のはなんか違くね?
ツッコミたくはあったのだが、何故だか姫様が俺の向かいではなく左隣に座っているのでできなかった。
だって、
「なんでこっち側に座るんですか?」
と尋ねたところ、姫様はくるりと手の中で箸を回して、
「私は右利きだ」
これである。
利き手に握ったその箸で、一体何をするつもりなんでしょうか。
どうも朝の一件をまだ根に持っている様子である。くわばらくわばら。
とまれそんな具合に準備を整えていたのだが、そこに予定外の事態が起きた。
「ニーロ殿、お時間をいただけますか」
姫様不在の昼前。
一人ストレッチしていた俺のところへ、スクナナさんがやって来てしまったのだ。
「ええ、構わないですよ。どういうご用件ですか?」
彼女はいつもの黒革鎧に小ぶりの剣を二本を帯びたスタイルで、何をしに来たのかはまるで見当がつかない。でも湛えた雰囲気からして、「お近づきにお昼をご一緒しませんか」とか、そんな友好的なものでないのは確かっぽい。
平静を取り繕って応じたものの、内心どきどきである。
「シンシア様より、貴君に戦技教導行うようにとの話を内々に受けています。その件で少し、お話が」
彼女の気の強そうな黒瞳は、こっちを向いてはいるけれど、俺を見てない。
やっぱばりばりに壁を作られている感じだ。
「ああ、その話なら俺も聞いてます。何分素人なんでご迷惑をかけるかもしれませんが……」
「ええ、失礼ながら貴君の身ごなしは素人も同然ですね。そこに技術を教えるとなると不安があります。自分は専門の教導員ではありませんから、おかしな癖をつけてしまうかもしれませんし、手加減を違えて怪我をさせてしまうかもしれません」
うーむ。
なんというか、言葉の端々がトゲトゲしていらっしゃる。
意訳するならば、「トーシロに教える事なんてねーよ。もっと一から教えてくれるヤツに頼めよバーカバーカ。こっちに無理矢理やらせるたら、変な教え方したり怪我させたりしちゃうぞ」という事であろうか。
だがしかし、この接触は今まで俺を無視してきたスクナナさんの、歩み寄りと言えなくもない。姫様のフォローがないのは心配だけども、これをどうにかいい機会にできないもんだろうか。
「ですから正式にシンシア様から御下命ある前に、本日貴君に教練を行いたいと思うのですが、如何でしょう。これを経て自分の教え方が貴君に合わないと感じられましたら、その旨シンシア様にお伝え願いたいのです」
「つまり自分のシゴかれるのが嫌だったら、姫様に泣きついてこの話はなかった事にしろってわけですね」
明け透けな俺の要約に、彼女はちょっと鼻白んだようだった。
だが意を決したように頭を振って、
「そうですね。そうすれば後日、シンシア様の御前で見苦しい様を晒さずとも済みますから」
「分かりました。じゃ、今日はよろしくお願いします」
「……え?」
俺の返答に、スクナナさんは目をぱちくりさせた。
彼女にしてみれば「この話をなかった事にしないと意地悪するぞ」と脅しをかけたら、「うん、意地悪をよろしく!」と笑顔で答えられたようなもんである。
いや俺だってスパルタされたいわけじゃないんだけども、まずスクナナさんから継続して教えを受けるってのは既定路線なのだ。ここを譲るわけにはいかない。となると、まあこんな対応くらいしか、俺には意趣返しの方法がない。
それにしても彼女、一生懸命俺への敵意で武装してきてはいるけれど、どうもこういう悪意が介在するやり取りが得意ではなさげな印象だ。姫様が信頼するだけあって、根っこが真面目なんだろうなと思う。
それなのにこういう行動に出るってのが、姫様の言っていた、スクナナさんの特殊な立場ってのによるものなのだろうか。付き添いでいてくれるからと油断をせずに、その辺の事情をちゃんと聞いておけばよかった。
「だから、とりあえず今日、スクナナさんが稽古付けてくれるって話ですよね? どこまでできるか正直不安ですけど、よろしくお願いしますね?」
思いながら言い重ねると、彼女は気圧されたように、「ああ」とも「うう」ともつかない承諾の声を出した。
……なんかこの人、意外と押しに弱いっぽいな。
さて。
それから俺は初めて、剣を握って振り回すという体験をした。
使うのは刃渡り1メートルほどの両刃剣。刃は潰してあるので、どっち側で殴っても峰打ちになる。よってとても安全だ。
……と言いたいところだが、勿論そんなわけがない。
時代劇の所為で「峰打ちイコール人は死なない」みたいな刷り込みがあるが、よく考えれば両手で握った鉄の棒でぶん殴ってるんである。下手をしなくても人は死ぬ。
その無骨な重量感は、あーこれ凶器なんだな、という感想を俺に植え付けるのに十分だった。
でもって「意地悪するぞ意地悪するぞ意地悪するぞ」と全身全霊で言ってたスクナナさんであるが、指導は懇切丁寧だった。無理難題とか無意味な訓練とかを課したりしない。やっぱ根が生真面目なんであろう。
基本的に俺から距離をとって、俺をあまり見ないように口先だけで指示しているのだが、
「ここはどうした方がいい?」
と訊くと寄って来て、きちんと手とり足とりで教えてから、バックステップで急いで離れていく。
うん、この人姫様の側に居るだけあって、絶対悪人になれないタイプだ。
でもそんな事を考えて上の空になると、途端に、手首がなってない、膝が開いてる、肘の位置が悪い、重心がぶれている等々のお叱りが飛んでくる。
こういうところも生真面目だった。
そうして素振りから歩き方、攻撃の受け方、流し方。
この辺りまでを一通り教わったら、もう日は大分高くなっていた。
いやいや、なかなか面白い経験だった。
授業で剣道をやった事があるけれど、ぶっちゃけ防具が臭かった程度の記憶しかない俺にとって、武器の取り回しというのは全く新鮮な技術だった。
ちなみに俺の専門は400メートル走。短距離走としては最長であるけども、やはり長距離をやる人間に比したらスタミナのある方ではない。
その俺が最後まで休憩を挟まずに全行程をこなせたのは、スクナナさんが俺の具合を見つつトレーニングメニューを調整してくれたお陰だろう。なんだかんだで親切かつ優秀な人である。
いつもは意識しない体の箇所に力を入れていたので明日は全身痛そうだけれど、色んな思惑は抜きにして、また彼女に指導してもらいたいなと思う。
ちなみにスクナナさん本人は、「しまった普通に教えちゃった」みたいな顔をしていた。実に分かりやすい人である。
「今日はここまでですか?」
「いいえ」
汗だくの額を拭ってスクナナさんを見る。けれど、友好的な雰囲気はそこまでだった。
俺につられて曖昧ながらも微笑みかけた彼女は、そこで我に返ったように冷たい目をした。
「ニーロ殿」
呼びかける声に、さっきまで僅かながらはあった親しみがない。
まあそうだよな。そりゃ圧力かけに来たのに、「お互いいい汗かきました。それじゃあね」じゃ帰れないよな。
「最後にひとつ、実戦形式の模擬戦を行いましょう」
すっと歩法で滑るように俺から距離を取り、自分の剣を外して置いた。代わりに訓練用の鉄剣を二振り抜き出し、自ら一刀ずつを片手に構える。
途端、空気が冷たい気配に満ちた。
「自分と貴君の根本的な差をご理解いただくには、これが一番かと愚考します」
「審判いないけど、勝ち負けはどうやって決めます?」
「有効打を受けたと感じたら、剣を離して手を挙げる事にしましょう。それを敗北の宣言と見做します。無論、何もしないうちに剣を捨てるのは認めません」
「反則行為とかは?」
「自分はこの二刀以外は用いません。貴君はご随意に」
何をされても負けないと言っているのだ。大した自信だった。
だが張り詰めた彼女を見たら、それを大言壮語とは笑えない。
両脇に垂らすように構えられた二刀は一見隙だらけのようだが、きっとそうではないのだろう。ただそこに立っているだけなのに、今のスクナナさんには大岩が転がってくるみたいな威圧感がある。
彼女には何か覚悟があって、でもってそれが俺に良いものじゃないのは明白だった。
「……構え方は、こうでいいんでしたっけ?」
「はい。教えた通りにできています」
ここで俺には、尻尾を巻いて逃げるという選択肢もあった。
むしろ理不尽に言いがかりをつけられている立場なのだから、そうするのこそが賢いのかもしれない。
ただなんというか、である。
姫様にも言われたが、基本的に俺は見栄坊なのだ。そんな格好悪い真似はしたくない。
何より、スクナナさんが追い詰められて切羽詰まってる、そんな気配があった。捨て置くのは上手くないと思ったのだ。
「では、どうぞ。初めの一手は譲ります。ニーロ殿の打ち込みを、開始の合図としましょう」
「了解」
呟いて、唇を湿す。
いやスクナナさんの重圧が半端じゃない。どうぞ、なんて誘われても到底仕掛けられるもんじゃない。
かと言って策を巡らしてどうこうするには、俺に手札がなさすぎる。
結局、突撃あるのみという結論に至った。
じりじりと教わったばかりの歩法で間合いを詰める。
スクナナさんは微動だにしない。ただこちらを見つめている。
いける、と思ったところで飛び込んで、袈裟懸けに斬りつけた。ちなみに遠慮はしてない。かなり本気の攻撃である。
スクナナさんは防御に徹しているわけだから、まともに当たりはしないだろう。それが前提その1。
だが俺は瞬発力には自信がある。速度的に簡単に避けれるものでもないはずだ。これが前提その2。
つまりは受け止めさせるのが目的の一撃って事である。
スクナナさんの身長は、俺より若干低いくらい。
男女の筋力差と、向こうは片手、俺は両手で剣を持っているという点を加味すれば、受け止めて鍔迫り合いになったところを、力任せて押し切ってやろうという魂胆である。
「え!?」
しかしどうもそれは、素人の浅はかさであったらしい。
無造作に上げた一剣で、彼女は俺の太刀を受け止めた。
いや嘘だろ? 受け流したんじゃなく、正面から止めたんである。しかも全身で押し込んでいるのに、彼女の剣は微動だにしない。女の子のものとはとても思えない力だった。
転瞬、彼女が剣が跳ね上げた。俺の剣と両腕は抗えず、体ごと空を仰ぐ。
そうして視線が逸れたその刹那に、スクナナさんは動いた。動いた、と思ったら視界から体ごと消え失せていた。なんだこれ。本当に人類のスピードか?
彼女を見失った俺は、ひと呼吸棒立ちになる。
そして背後に気配を感じて、振り向こうとした時にはもう遅かった。
横薙ぎの一刀が、万歳をするように上がったままの俺の肘を目掛けて空を裂き走る。
あーこれ、「訓練中の怪我なら事故」みたいな感じかなのかな。いやだなあ。
まるでスローモーションのように迫る鉄剣を見ながら、俺は頭のどこか隅の方で、そんな呑気を考える。次の瞬間襲い来るであろう痛みに備えて目を強く閉じた。
そして。
ガギン、と鈍い音がした。
しかし俺に痛みはない。というか今の、人体に鉄剣が激突する音じゃない。
恐る恐る目を開けると、場違いなドレス姿が眼前にあった。誰ってそう、姫様である。丁度前方へと振り抜いた蹴り足を戻すところだった。
えと、とりあえず姫様。あんまり足上げると見えますよ?
一方の手を空にしたスクナナさんは、唖然と空を見上げている。何事かと思ったら、鉄剣が回転しながら降ってきてざくりと地面に突き立った。
状況証拠的に姫様は、さっきのスクナナさんの動きに追いついて、しかも振り抜く途中の剣を蹴り飛ばしたという事になる。
え、なにそれ人間業?
口で以外の喧嘩は絶対にしまいと、こっそり心に誓う。
一方姫様は、ひとつ息をつくと乱れた髪を手櫛でまとめ、それからじろりとスクナナさんを見た。
「申し開きはあるか、スクナナ」
言い放ったその横顔は、少し怒っているようだった。




