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病は君から  作者: 鵜狩三善
届かない夢
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7.

 姫様が難しい顔をして帰ってきたのは、その夜遅くの事だった。

 来るべき時が来たなと思った。

 そろそろ爺ちゃんちの調査が終わるという話だったから、何がしかの結果が出たのだろう。でもってそれは、俺にとって好ましくないものだ。

 何故ってあの姫様の事である。

 俺の送還方法が判明したなら、喜色満面のダッシュで帰ってくるだろうとは想像に(かた)くない。だというのにあの表情だ。

 覚悟を決めといた方がいいだろう。


「姫様、おかえりなさい」


 出迎えると姫様は予想通り一瞬だけ表情を曇らせ、それからいつもの声で、


「ハギト、お前にみっつ報告がある。このままお前の部屋に寄らせてもらいたいが、構わないか?」

「大丈夫です。でもお疲れなら、明日に回しても俺は平気ですよ?」

「……いや」


 話しにくければと気を回したのだが、姫様は首を振る。


「今日のうちに済ませておこう。お前の事だから察しはついているのだろう? およそ、喜ばしくない話になる」


 そんなわけで俺の部屋まで二人で移動したのだが、道中会話は皆無だった。

 姫様はどうにも落ち込んだ雰囲気で、俺も晴れ晴れとした心持ちとはいかなくて、どちらも口を開けなかったのだ。

 だからその沈黙が破られたのは、いつもの丸テーブルに差し向かいで座ってからになった。


「良い報せと悪い報せがひとつずつ。それから何とも言えない報せがもうひとつある。どれからがいい?」


 ため息めいて長い息をつき、姫様は膝の上で両手を組む。

 仕草で揺れた綺麗な髪にも、いつもの輝きがないように思えた。


「じゃあ、とりあえずいい話からでお願いします。暗いのからだとテンション下がるんで」

「了解した。ではひとつ目だ。お前のその腕輪だが」


 姫様は目線で翻訳さんを示し、


「それは一種の魔符だ。そしてその術式構築法がそのまま残されていた。これを参照すれば、万一不具合が生じたとしても修繕は行える。また時間はかかるが、新規の作成も可能だ。取り急ぎの予備の用意は既に命じてある。だから言葉の問題については、そこまで案じなくても大丈夫だ」


 ……どうも俺の予感は、当たってしまったみたいだった。

 確かに翻訳さんは大事なアイテムだ。

 だがそこには「この世界で暮らすのに」という(ただ)し書きがつく。言うなればこれがなくったって、俺が日本に帰れるのなら一向に問題はない。

 だからその翻訳さんに関するのがいい話になるならば、悪い話の着地点は見えたようなものだ。


「姫様」

「分かった。次は悪い報告にしよう。もう、はっきり言った方がいいな?」

「お願いします」


 俺の呼びかけだけで意図を察して姫様は言い、椅子を立つと体をふたつに折って頭を下げた。


「この世界を代表して詫びる。お前を帰す手段は、現状見つからなかった。すまない」

「いやそれやめてください。姫様は全然悪くないんで」


 俺は慌てて手を振ったけれど、姫様は(かたく)なに姿勢を崩さない。


「我々は川の水をすくい上げる事はできる。だが手のひらにすくったその水を、元と全く同じ所に返すことはできない。何故ならその水のあった場所は、とうに遠く流れ去ってしまっているからだ。例え話としては、そういう事になるらしい」

「……」


 なんとなく、分かってはいた。そんな事だろうと思ってもいた。

 ただ改めて人から伝えられると、かなりキツかった。うーむ、やっぱ結構ショックだぜ。


「あ、うん、そうですよね。一応覚悟はしてたんですけど、いざとなるとかなりあれですね。まあ仕方ないんですけど、なんていうか」

「ハギト!」


 何を感じたのか顔を上げた姫様が、急に駆け寄って俺の腕を掴んだ。

 え? なんだなんだ何事だ?


「ハギト、手を開け」


 言われて見ると、いつの間にやら俺は真っ白くなるまで拳を握り込んでいた。爪が深く食い込んだのか、手のひらには鈍く痛みがある。指を緩めたら、ぽたり、血が床に(したた)った。


「あれ、俺……」

「いいから、大人しくしていろ」


 汚れるのも構わずに、姫様は白い手を俺の手に重ねる。

 その口から、翻訳さんも訳せない不思議な韻律(いんりつ)が、歌のように流れ出た。同時にふっと手のひらが熱を持ち、やがて痛みが引いていく。

 姫様が手を離したら、そこから傷は消えていた。まるで最初から怪我なんてしなかったみたいだった。


「姫様」

「どうした?」

「ありがとうございます」

「これくらい、どうという事はない」

「そうじゃなくて。あの日、俺を助けに来てくれてありがとうございました。ちゃんとお礼言ってなかった気がするんで、改めて言わせてください」


 なんで今そんな言葉が出てきたのか、自分でもよく分からなかった。ただ込み上げて来たものを、そのまま吐露した感じだった。


「私は」


 俺の言葉と視線を受けて、どうしてか姫様は、怯えたように目を逸らす。


「私は、そんな大した真似はしていない。私はそんないいものではないんだ。結局は全部、自分の為だ」

「姫様の思惑は関係ないです。自分の為だろうがなんだろうが、俺は確かに姫様に助けられたんですから。それで全部で、それが全部です。だから感謝の気持ちだけですけど、受けといてください」


 言葉尻に被せるように言ってから、姫様の手を握り締める格好のままだと気がついた。

 動揺を気取(けど)られないように、けれど可及的速やかに指を解く。


「あー、えと、すみません、取り乱しました。あとひとつ、なんかあるんですよね?」

「ああ。だが大丈夫か?」

「大丈夫です。男の子ですから」

「そうか」


 ふっと姫様は優しく笑んで、向かいの席に座り直した。


「では朗報とも凶報とも言い難い、最後のひとつだ。──エイク・デュマは今もまだ消息不明だ。少なくとも死体は見つかっていない」


 俺を喚んだあの眼光男か。

 その顔を思い出したら、なんか違う理由で腹が立った。よく考えたら俺の魔法初体験の相手はあいつなんである。転移魔法でこっちに引っ張られたのを別としても、やっぱり回復魔法からのエンドレス暴行の件がある。

 くそ、あれさえなければ姫様の回復魔法が俺の初体験として、とてもいい思い出になったのに。


「逃走先で病に倒れた可能性もあるが、同時にまだどこかで生き延びている可能性もある。あの男は禁制である転移術についての第一人者だ。知識は当代随一なのだから、奴を確保できれば、お前を帰す方策もまた見つかるかもしれない。余計で淡い希望を持たせるだけかもしれないが、全てが終わったわけではない」


 ひょっとしたら生きてるかもしれない。そいつが生きてたら希望はゼロじゃないかもしれない。なんとも頼りない、そして随分ふわっとした話だ。

 でも、姫様がなんとか俺を元気づけてくれようとしてるのは伝わった。お陰で俺もできるだけ、いつもの調子でいようと思える。


「あいつの逃げた先の手がかりとかはあるんですか?」

「いや、残念ながら皆無だ。実はあの男もアンデールの傍系(ぼうけい)になる。転移術はアンデールの血統術式で、つまりデュマ自身にも扱える。血は薄いから完全に機能はしないかもしれないが、空間跳躍を行える魔術師の足跡を追うのは困難なのは分かるだろう?」


 あー、場合によっては他世界から人を引っ張り込むくらいの魔法だものな。

 それで同じ世界の中を飛び回られたら、そりゃ捕捉できるもんじゃない。


「加えて、デュマの目的が不明瞭なのだ。何を目論んだかが知れないから、その潜伏先も推測しようがない。そもそも転移術についての独自研究は目を見張るものがあった。これだけでも十二分、世に評価されたはずだ。であるのに世界間干渉などという大それた仕業までに手を出して、あいつは、何を望んだのだろうか」


 これで万一愉快犯だったら、俺はもうガチ泣きですよ。

 でもあの眼光。何をかは分からないけども、あれは強烈に渇望する目だったように思う。あいつ自身に、誰にも譲れない目的があったんじゃないかって気はする。


「ところで気になってたんですけど。転移魔法って、なんで御禁制になってるんですか?」

「転移は非常にデリケートで危険な術式なのだ。使い方を誤ればおぞましい事になる。過去の事例によれば、人体の一部消失や無機物との異常融合だ。また複数人での術式起動を行った場合においては、術者同士の人格の入れ替わりや崩壊も報告されている」


 うわ。

 想像以上にエグかった。それは禁止する気持ちも分かる。

 そして俺の身にも起こりえた事だと思ってまたぞっとした。リアルで「いしのなかにいる」とか御免被(ごめんこうむ)りたい。


「今回のお前の召喚も、こうした事例のひとつとなるだろうな。悪意のないお前ですら、意図しない病の持ち込みでこの有様だ。来訪者がもっと邪悪なものだったならと考えれば背筋が凍る」


 どうやら俺、悪い例として歴史に名を残せるらしい。

 昔の中国に、「死んだ後百年褒めてもらえないなら、一万年悪口を言われた方がいい」みたいな事を言った人がいたらしいのだが、図らずも百年分くらいの悪口なら達成できそうな気配である。

 ラッキーなのか。ラッキーなのかこれ。どうなんだ。

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