6.
まず初日の授業を終えて驚いたのは、タマちゃんの教え方が物凄く上手い事にだった。
のほほんとした子だと思っていたのにと姫様に感想を述べたところ、またしても鼻で笑われました。実はタマちゃん、滅茶苦茶頭がいいらしい。
あと「わたし結構厳しいですよー。びしびし行きますから」とか言いながら、親切丁寧に指導してくれる様にはとても和む。いや真面目に勉強しろって話だけども。
あ、ところで俺、女の子とふたりきりでお食事の次は、女の子とふたりきりでお勉強とかしてますね。また一段、大人の階段を昇ってしまったという事か。うむ。
でもってタマちゃんの優秀さは、授業内容のみにとどまらない。
俺への授業時間はイコールでタマちゃんの仕事時間の減少だ。姫様の許可を得ての事とはいえ、やっぱりしてもらってるだけというのは居心地が悪い。
なので何かお手伝いを、と思った。
例えばタマちゃん、料理の他に掃除洗濯もちょくちょくしている。基本的には通いの人のお仕事なのだが、手が足りない時や普段使わないデッドスペースの清掃となると、彼女の出番であるらしい。
掃除機も全自動洗濯機もないのだから、そういう折なら何かしら手伝いができるだろうと考えたわけだ。
だがしかし。
結果として俺は、タマちゃんもファンタジー世界の住人なのだと思い知る事になった。
こっちには、パペットと呼ばれる木製人形が存在している。子供くらいの大きさの、削りの荒い生き人形みたいな感じの品なのだが、このパペットに活力を与えて稼働させる魔法があるらしい。
そして彼女、これを数体まとめて起動して、同時に手足のように操っちゃうんである。
家具移動、はたきがけ、ほうきがけ、拭き掃除と流れるように展開されるパペットたちのコンビネーションは、まるでアイコンタクトのプレーのようで、最早感動的ですらあった。
タマちゃんすげぇときらきらしたまなざしで働きっぷりを見つめていたら、
「ニーロさま、あんまり見られていると、ちょっとやりにくいです」
あ、ごめんなさい。
「いやでもびっくりした。タルマさんは凄腕だな」
「いえこんなの、資質があればできる事ですから」
頭を下げてから世辞でなく言ったら、さらっと謙遜されてしまった。
「でもこれって、誰でもできる事ってわけじゃないよね?」
「それはまあ、そーですけど」
喋ってる間も、パペットたちは休まない。
子供サイズとはいえ、明確な意志に統一された数体が骨惜しみなしできびきび動くんである。これは労働力として侮れない。しかもかなり力も強い。重い家具とかもほいほい動かす。
俺、手伝うとか言いつつほぼ側で見てるだけだった。
もしこれが一般的な光景だったら、単純労働に人の手は不要みたいな感じになってるはずだ。でもこのお屋敷にだって、通いであれこれしに来る人がいるわけで。
「じゃ、やっぱり凄いんじゃないか。素直に褒められとけばいいのに」
するとタマちゃん、「うー」とも「むー」ともつかない音を出して、困ったように手をぐーぱーしていた。
結局その日の清掃作業は、昼までかからずに終了してしまった。
9割方というか、ほぼ10割タマちゃんの働きである。姫様が「この屋敷と私たちの面倒をただひとりで見てのけられる」と評価するわけである。まさに一家に一台ってな感じ。
館内清掃を終え、パペットを戻し終えてからもそんな具合に褒めそやしたら 「ニーロさんは持ち上げすぎです」と頬を膨らませて早歩きになってしまった。
でもこれは怒ったのではなくて、多分照れたのだな。凄くできる子であるのに、どうも彼女、褒められ慣れてないっぽい。
苦手なだけであって嫌がってるわけではないのだろうけれど、好まないのであれば賛辞をほいほい口に出すのはやめとこうと思った。
「あの、タルマさん」
その辺りお詫びして明言しようと声をかけたら、ますます足が早まった。
あんなにせかせかと、しかもろくに前も見ずに歩くのは危ないんじゃなかろうか。
などと思うや否やだった。
「ひゃん!」
案の定でタマちゃんが、前のめりにすてんと転んだ。
床に顔からいったので結構痛そうである。
「タルマさん、大じょ……」
助け起こそうと駆け寄って、そこで絶句してしまった。
何故ってそりゃあ転んだ拍子で、タマちゃんのスカート後方部がいい感じにめくれ上がっていたからだ。色々露になっている。
一瞬の沈黙の後、声にならない悲鳴を上げてタマちゃんは跳ね起きて向き直った。バネじかけのような素早さだった。
スカートの上からおしりを抑えながら、
「み、見ました?」
俺はぶんぶん首を振る。
いいえいいえ。黒タイツの脚線美なんて、少しも目にしておりません。
しかしどうやら、俺の主張は信用されなかったようだ。タマちゃんは茹で上げたように耳まで真っ赤になっている。
「忘れてくれないと、つねりますからね」
「はい、もう綺麗さっぱり忘れました」
というか照れ照れ顔のタマちゃんとか、むしろそっちの方が眼福である。うむ、いいものを見た。
こっそり心の中で呟いたその途端、背伸びしたタマちゃんに、ぐににと頬をつねられた。
「あの」
「なんでしょーか、ニーロさま」
「なんで俺つねられてるんですか」
「何か悪い事考えてる顔でしたから」
すみませんマジで反省してます。
謝り倒して解放してもらったのだが、わりと本気で痛かった。ひどいやタマちゃん。
「『たまちゃん』?」
「うえ?」
思っただけのつもりだったのに、聞き咎められて怪訝な顔をされた。
なんか俺、うっかり口に出してたっぽい。しまったまたか。
しかも翻訳のヤロウ、そのまま伝達式で「タマちゃん」のまま聞かせやがったっぽい。いやもうお願いしますよ。気を利かせて「タルマ様」的響きに変えて誤魔化しといてくれてもよかったじゃないですか。
「あー、えーと、愛称です。勝手につけてごめんなさい」
「愛称ですか」
またつねられるかとも思って身構えたのだが、タマちゃんは口元に手を当ててくすくす笑っている。
「別にいーですよ。そう呼んでくださっても。ちょっと可愛い感じですから。ただし」
「ただし?」
タマちゃんは言葉を切って、上目遣いにちろっと俺を見た。
「それならわたしも、もう少し親しく呼ばせていただいても構いませんよね?」
「……どうぞ、お気の済むようにお願いします」
くっ、さては何か変なあだ名をつけて、俺をいたぶるつもりだな。
でも非はこっちにある気がするので、よっぽどでなければ甘受せざるをえない。タマちゃんがいじめっこでないといいなあ。どきどき。
「ニーロさん」
「……」
「……」
「……えっと?」
タマちゃんは何やら期待する目で俺を見ている。え、なんだこれ。何を期待されてるんだ?
俺が狼狽えていると、
「わたしが呼んでるんだから、ちゃんとお返事してくださいな。いいですか、もー一回いきますよ? ……ニーロさん?」
「はい」
俺が応えたら、にふふ、とタマちゃんは嬉しそうに笑った。
正直「さま」付けは座り心地が悪かったので、この変化はありがたいのだけれど。
いやなんか、ものすごく照れくさい。
まあそんなこんなでタマちゃんとも結構仲良くなった。
今では午後の授業の休憩中に、気軽に談笑できるくらいだ。
あと授業の終わりに、「姫さまとどーぞ」とお手製の焼き菓子をくれたりする。最初ぴりっと怖がられたのを思えば、長足の進歩である。
俺からしても、タマちゃんは親しみやすい子だった。
ポイントはその身長。
例えば姫様は、俺よりちょっと低い。でも姿勢がよくて常に凛然としているので、俺と同じかより高いくらいにも感じられる。でもタマちゃんは頭ひとつ半くらい低いので、その分安心感がある。あと姫様とは逆にその雰囲気の所為で、一層細くちまっこく見える。姫様と並ぶと完全に姉妹だ。
そういうちょっと年下っぽいところが、杏子を思い出させて気軽い態度になれる一因だろう。
でもこれってタマちゃんからしたら、妙に気安い奴に見えるかもしれない。もしそうだったらちょっと凹む。
とまれ俺はタマちゃんを「できる妹キャラ」として取り扱っていたわけだけども、ある日雑談の最中に衝撃の事態が発覚した。
この子、俺や姫様より年上だった。
なんだそれ。なんだこの可愛いお姉さん。
「いいですけどね、別に。小さく見られるのは慣れてますし。姫さまも最初勘違いしてましたし」
悟ったように言いつつも、その後タマちゃんはしばしご機嫌斜めだった。
それ以外に印象的だった事といえば、教材に使ってる本についてだ。
こっちの世界の童話らしいのだが、俺と差し向かいのタマちゃんと、見てる本がそっくり同じなのである。
「あのさタマちゃん、俺とタマちゃんが持ってるのって、、同じ本?」
「はい、同じ本ですよ」
タマちゃんはきょとんと小首を傾げて答える。
俺の言い方が悪かったけど、いや話の内容が同一だとか、そういう事ではなく。
この二冊、文字の滲みとかかすれとか、あと挿絵の色合いとか、そんな細かなところまで、鏡に写したようにそっくり一緒なんである。
その辺を詰めて訊いてみたところ、どうやら複写魔法があるらしい。
魔符としても構築されて重要書類のコピーに使われるそうだが、識字率があんまり高くないのでこれは普遍ではないそうな。
本当に色んなところが魔法技術で補われているんである。おかげで科学は発達してなくて、文明的に進んでるんだか進んでないんだかいまいち判断がつかない。
魔法で大抵こなせるから、「今のままで十分」となって、貪欲な進歩欲求が欠けるのかもしれない。
でも一部は逆に俺の世界より便利だったりするし、どちらも一長一短ってところなのだろうか。
こうした例外的なものを除けば、一番良く我々の話題に登るのは、やはり姫様である。いなくても場の中心なのが、実に姫様らしいと言えなくもない。
そしてタマちゃん、姫様の話はすごく嬉しそうにするのだ。とても尊敬しているっぽい。
聞けばタマちゃんも昔、姫様に助けられたのだそうだ。
でも詳しくは言いたくない雰囲気だったからスルーしておいた。おそらくお手上げ禁止条例とかに絡むところなのであろうけれども、やっぱり事情が複雑そうだ。ちょっと親しくなった程度の俺が、興味本位に首を突っ込むべきではないだろう。
デリカシーがないと怒られた経験もあるし、俺口滑らせやすいし、立ち回りは慎重にするべきである。うん。
「ところで姫様って、昔から人助けして回ってるの?」
「回ってますよ。わたしの知る限り、ずっとああですから」
「ああですか」
「ああなんです」
うーむ、ちっとも褒め言葉に聞こえないのは何故だろう。
いい話のはずなのになあ。
「まあ根っからのヒーローだよな、姫様。昔うちの兄貴がヒーローの条件ってのを語ってた事があるんだけど、あの姫様は間違いなくそれを常時実行してる人だと思う」
「ちょっと気になります。それってどんな条件なんですか?」
「ひとつは『その時そこに居る事』。もうひとつは『何かしようと思える事』。大事なのはそのふたつだけで、凄いとか強いとかそういうのは、なくてもいい類のおまけなんだってさ」
正直「変わり者のお兄さんですね」くらいの反応を予期していたのだが、聞いてタマちゃんはしばらく咀嚼するように押し黙った。
それからうんうんと一人頷いて、ふんわり笑った。
「いいですね、その条件。それならわたしも頑張れそーです」
「うちの兄貴の事だから、かなり戯言だと思うけど」
「いいえ。だってそれって逆に言ったら、凄くなくったって、強くなくったって、何かできるかもしれないって事ですよ。どんなに弱くたって、自分を無力だって諦めなければ微力になれるって事ですよ。わたし、覚えておこーと思います」
む、そういう意味にもとれるのか。
何故だか妙に印象に残って覚えている言葉だけれど、そういえば中身について深く考えた事はなかった。
「まあうちのアレな兄貴の言葉だから、ほどほどにでお願いします」
なんか悔しかったのでそう言うと、タマちゃんは、にふ、とお姉さんの顔で微笑んで、
「ニーロさんは、お兄さまが大好きなんですね」
ほっとけ。
「あ、話は姫さまに戻りますけど」
「はいはい」
「姫さまがああなの、昔からではありますけど、根っからではないんですよ」
「え、そうなんだ?」
「はい。『私が欲しい時に助けはなかった。だから私は助けるんだ』って、姫さまそう言ってた事があります」
男前すぎて言葉がありません。
本物のお姫様なんだし、王子様を待っててもよかったんじゃああるまいか。あー、でも助けてもらうのをじっと待ってるあの姫様の姿はやっぱり想像できない。
仮に魔王に攫われるような事があっても、自力で魔王をやっつけて、「無駄足を踏ませてしまったな。だが私の為に馳せ参じてくれた事を深甚に思う」とか駆けつけた勇者に言ってそう。
「今の話は、ニーロさんだからしたんですからね」
「ん? 俺だからってどういう意味?」
「だってニーロさん、姫さまと仲良しじゃないですか」
そりゃまあわりと一緒に居る時間はありますけども。
でもあれはどっちかっていうと姫様の気遣いじゃないかと思われますよ。
「ごはんの時の姫さまがすっごい上機嫌なの、見たら分かりますよね?」
やばい。見ても全然分からない。あれで上機嫌だったのか?
確かに冗談口をしてるような気はする。でもあの口調だし、いっつも自分を見失わない、大変クールな感じだし。
腕組みする俺を見て、タマちゃんは駄目だこりゃとばかりにため息をついた。
「あのですね、姫さま、本当は小心者なんです。あの口調も、お芝居みたいな振る舞いも、全部計算してやってます。自信満々そうですけど、本当はとっても自信がないんです。自分が誰かの役に立ててるのかって、誰かに必要としてもらえるのかって、それを気にしちゃう人なんです」
「……」
「弟さまの事は、聞いてますよね?」
「うん、一応は」
「姫さまはその弟さまに『お前なんていなければよかったのに』って言われてしまったので。それでずっと、過敏になってるんです」
ちょっと、言葉が出なかった。
俺にとって姫様は、何でもできて何でも平気な、言うなればうちの兄貴みたいなタイプに見えていた。無造作にヒーローとして振る舞える、選ばれた人のように思ってた。
でも、本当のところは全然そうじゃないらしい。
自分の見る目のなさが嫌になる。
「ニーロさん、姫さまに変な事されませんでした?」
「変な事って、例えば?」
「朝早くや夜遅くに押しかけられるとか、好きなおかずを盗られたとか、嫌いなものを押し付けられたとか、です」
うん、わりとしょっちゅうされてます。
いや早朝アンブッシュは初日以外ないけども、あの人箸を使いこなし始めてからは、結構やりたい放題です。
そう答えるとタマちゃんは我が意を得たりと頷いて、
「これも、ニーロさんにだから言うんですけど。姫さまのそういう悪戯って、甘えなんです。この人ならこれくらい許してくれるなって、確認せずにいられなくて、そーゆー真似をするんです。そんな甘え下手なので、できたら甘やかしてあげてくださいな」
「今のその台詞、ちょっとお姉さんっぽいな」
「ふふ。でしょー」
誤魔化しめいた俺の冗談口に付き合って、タマちゃんは得意げに胸を張る。
でもその目は俺の答えをじっと待ってるふうだったので、俺も観念する事にした。
「えーとですね。まあ姫様は絶対気づいてないだろうけど、俺、あの夜に来てくれただけでもう救われてるんですよ。喚ばれたのは無理矢理だけど、でも俺の風邪の所為で大勢死んだらしくて。そんでもういいかな、みたいな捨て鉢の気持ちになってました。このまま責任押し付けられてさくっと殺されちゃうのが楽かな、みたいな。でもそこに姫様がやって来て、なんか全部吹っ飛ばしてくれたわけですよ」
あの時の事を思い返しながら、俺はゆっくり言葉を紡ぐ。
それにしても心情の吐露ってのは、どうにもこうにも気恥ずかしい。
「だからってだけじゃないけど、俺はあの人の役に立ちたいと思ってる。恩を返したいと思ってる。なんでそれくらいなら、そんな事でいいんなら、いくらだって請け負うよ」
「ありがとーございます」
タマちゃんはほっと安堵の息をつき、深々と俺に頭を下げる。
そして元の姿勢に戻るなり、今度はぐいと身を乗り出して顔を寄せ、声をひそめて囁いた。
「ところでニーロさん、ニーロさんってもしかして」
「ん?」
「ひょっとしたらひょっとして、姫さまの事を……!?」
いや、そんなキラキラ期待に満ちた目で見ないでいただきたい。
「そういう恋愛話ではありません」
「ないんですか?」
「ないんです」
うん、ないんですってば。
多分、ね。




