5.
「お前の教師役が決まったぞ」
姫様が宣ったのは、その翌朝の事である。
「え、もう?」
思わず素で返してしまった。
即断即決即行動な姫様であると思っていたが、この出前迅速具合には驚くほかない。
「予てから、お前に引き合わせようと考えていた相手だからな。内のに打診も既にしていた。色よい返答が早かったのは、そのお陰というわけだ」
「なるほど。姫様の信頼が厚いっぽいのは分かりましたけど、どんな人なんですか?」
俺的には肝心なのはそこになる。
姫様が俺に引き合わせようとしていたって事は、おそらく長い付き合いになるって事でもあるだろう。
できたらいい関係を築きたいけども、この世界に来てからこっち、あんまり人様に好かれてないように思う。そんなわけで、なかなか不安な心持ちだ。
「安心しろ、そう恐ろしい人物ではない。名はタルマ・クルツ。私の友人にして料理人だよ」
「え、料理人って」
「そうだ」
頷いて姫様は、今日の食卓を目で示した。
本日のメニューは、馴染みになってきた焼きたてのパン類に、厚めのハムステーキ系。そして琥珀に澄んだ何かのスープにどんとでっかい目玉焼き。
これを作ってくれてたのが、というか毎日三食作ってくれてるのが、そのクルツさんってわけか。
すると姫様と初めて会った時からずっと、俺の胃袋を美味しく満たしてくださってるシェフである。顔は見た事なかったけれど、これは無礼は働けない。ちゃんと御礼申し上げねばなるまい。
「お前に異存がなければ、午後を空けておくようにと伝えよう。その場合、お前も早めに昼を済ませておくといい」
言いながら姫様は目玉焼きを苦労して切り分けて、分厚い白身の部分を口に運んだ。
卵料理はちょくちょく出るのだが、使われてるのが何の卵かは今だに訊けないでいる。「馬」って答えられたら立ち直れない。でもひょっとしたら、ハムっぽいのも馬の肉かもしれない。うーむ、これが知らぬが仏というやつか。
ちなみに姫様の手元が不器用なのは、箸を使っているからである。
俺の世界の俺の国の食器だと話をしたところ姫様がいたく興味を持って、これも即日で作らせてきたのだ。
「お互いの世界のテーブルマナーに、少しずつ慣れてみるというのも一興だろう?」
とは姫様のお言葉だ。
なので最近の食卓では、必死にナイフとフォークを操る俺と眉根を寄せて箸を繰る姫様という、不可思議な異文化コミュニケーションの図が展開されている。
ふたりで真面目に無作法をやっている様は、傍からすればいい見物だろう。
「クルツさんがオーケーなら、俺に異存はないです」
「ではタルマについてもう少し、だ。まずお前の正体と細やかな事情については、すまないが先に告げてある。だから気兼ねなく話して、そして接してくれていい」
俺の事情とは、即ち姫様の嘘でもある。それを明かせるほど信用できる友人ってわけだ。
ますます初対面への緊張は高まったが、やっぱり普通に話していいというのはありがたい。
「ただタルマと居る時、絶対に守って欲しい約束事がある」
「約束事、ですか?」
「そうだ。タルマと一緒に居る時は絶対、肩より高くは手を上げるな。どんな事態が起きようと、タルマの前では必ず我慢して欲しい」
……自分の作った皿を叩き割る系の、神経質な人なのであろうか。
「えーと、理由を伺っても?」
「タルマは故あって私が強引に引き取った。今のところはこれだけだ」
「了解です。これ以上は訊きません」
「すまない。助かる」
姫様は、自分が不利になるような事まで平然と話してしまう人間だ。
そんな姫様が敢えて口を閉ざすなら、興味本位で知ろうとすべきではない事柄なのだろう。
「あとは何かありますか?」
「そうだな、特別にはもうないが、できるだけ怒らせるなよ? 食事の件もあるが、タルマはその気になれば、この屋敷と私たちの面倒をただひとりで見てのけられる才覚の持ち主だ。機嫌を損ねていい事はない」
「き、気をつけます」
このでかい館をひとりでハウスキーピングするとか、それは尋常じゃない気がする。
ひょっとしたらなんか凄い魔法の使い手なのかもしれない。うーむ、またしても初対面へのプレッシャーが。
さて。
その日の午後、俺はそわそわしながら廊下を歩いていた。
クルツさんとの待ち合わせ場所は、一階厨房側の談話室という事になっている。
やっぱり芸術家気質の気難しい人なのだろうかとか、もしかして紳士っぽいヒゲとか生やしてるのだろうかとか、色々案じてはらはらしながら談話室のドアをノック。
どうぞー、という返答を待ってから入室すると、そこには一人の女の子が立っていた。
確かエプロンドレスというのだっけか。
メイドさんとお手伝いさんを足していいとこ取りしたような感じの服装だった。頭にはドアノブに着せるキャップみたいなのじゃなくて三角巾を巻いていて、そこだけちょっと和風っぽい。
あれ?
俺が首を傾げると、彼女もきょとんと首を傾げた。
アイスブルーの瞳が、色合いのイメージに反してあたたかく俺を見返している。
「あの、クルツさんはご不在ですか?」
「ニーロ・ハギトさまですよね? えと、わたしがタルマ・クルツですー」
あれれ?
料理人って響きから、俺、勝手にそびえ立つコック帽を被った男性をイメージしていた。まさかこんなちまっこい子がご本人だとは思わなかった。
これはよくない。日頃のお礼をするつもりが、いきなりとんだ無礼である。
「すみません、やり直してもいいですか」
するとクルツさんくすりと笑って、
「お気にならずどうぞ。わたしこそ仕事着のままでごめんなさい。着替えてこようと思ったんですけど、そうすると遅れてしまいそうだったので」
言いながら彼女はしゅるりと三角巾を外す。ゆるくウェーブした蜂蜜の髪が、肩にふんわりと広がった。
姫様が人形のように綺麗だとしたら、この子はぬいぐるみみたいな愛らしさをしている。類は友を呼ぶというけれど、美少女の周りには美少女が集まる法則でもあるのだろうか。
そういえば俺を見る目があれなのに定評がある革鎧さんも、目鼻立ちは綺麗だと思う。まあ俺を見る目はあれなんですけど。
「立ち話もなんですから、どうぞどーぞ」
勧められるがままに室内に立ち入ったら、自分で招いておきながら、クルツさんがぴっと緊張する気配がした。一瞬確かに怖がられた。
まあ気持ちは分かる。
友人である姫様に虚名だといくら言い聞かされているにしても、それ以上に俺の噂は喧伝されているわけで。
クルツさん的にこの対面は、虎口に飛び込むようなものだろう。
俺だって、例えば馬(肉食の方)と密室でふたりきりにはなるのは嫌だ。
「大丈夫、この子大人しい馬だから。昔人殺しちゃった事あるけど今は大丈夫だから。多分大丈夫だから。きっと大丈夫だから」って言われたなら尚更嫌だ。
何か怖くないですよアピールをせねばと思ったのだが、しかし実行に移す前に、クルツさんは身構えを解いて微笑んだ。人懐っこい、無防備な笑顔だった。
「それでは改めまして。はじめまして、ニーロさま。タルマ・クルツです。どうぞタルマとお呼び捨てください」
「あ、ども。新納萩人です。はじめまして。姫様からお話は伺ってます。それから、いつもご馳走様です。ありがたくいただいてます」
「いえいえー。そんな畏まられると、ちょっと照れちゃいます」
ぱたぱたと手を振るタルマさん。
うーん、背丈と見た目の年齢的に「さん」ってより「ちゃん」だな。
でもタルマちゃんはまだちょっと言いにくい感じがするから、タマちゃんって事にしとこう。なんか小動物っぽいし。
勝手なあだ名だけれども、なーに、口に出しさえしなければ問題はない。
「今回は俺の面倒を見ていただける事になったそうで、すみませんがよろしくお願いします」
「それもお気になさらずに、です。拙いですが、こちらこそよろしくお願いしますね」
その後は真面目に打ち合わせをして、授業本番は明日からという運びになった。




