2.
「姫様、質問」
馬車のドアを閉じて衆目、というか衆耳がなくなったところで俺は口を開いた。
こっちの言葉は喋れない設定なので我慢して黙っていたのだが、どうしても気になった事がある。
「この世界に龍っているの?」
俺としては外せないわくわくポイントである。
恐竜っぽい馬がいるんだったら、そんなのだって居てもいいじゃないかと思ったのだ。だってドラゴンだぜドラゴン。火を吹くし飛ぶかもしれない。
けれど俺の問いに姫様は首を振った。
「今はもういない。遠い昔に皆死んだ。生き残っているのは亜龍種ばかりだ」
何があったのかは知らないが、なんとも残念無念な回答だった。
ところで亜龍種って何。
「二足歩行で道具を使う蜥蜴人間だ。尾と鱗を備え、牙と爪とに毒を持つ。我々より体躯が大きく膂力も強い」
いわゆるリザードマンである。ううむ、またしてもファンタジー。
「一番厄介なのは知恵を備えている事だ。龍の末裔と呼ばれるにはお粗末だが、簡単な武器や道具を作り、使う。更には社会性があって群れる。資質がないようで魔法は行使しないが、実に頭の痛い相手だ」
聞くだにアンデールの近くの森にもひとつ亜龍種の集落があって、開拓民がたびたび襲撃を受けているらしい。剣呑だった。
俺は明らかにレベル1むらびとって感じなので、できるだけお会いしたくない感じである。そのアッパーバージョンっぽい龍を見たがっていたという点については、知らぬ顔で棚上げだ。
「あ、あとですね」
「どうした?」
「ちょっと失礼なんですけど、俺、外見ててもいいですか」
確認すると、笑って頷かれた。
丁度町に入ったところだったので、わりと景色が気になっていたんである。
馬車の小窓に顔を押し当てるようにすると、まず石造りの町並みが見えた。
基本的に石材建築が主体であるらしい。海外の観光地的な雰囲気だった。見る人が見れば建築様式なんかも分かるのかもしれないが、俺には無理。
現在走行中の大通りはなかなかに広く、人の姿も数多くあった。活気からして、おそらく栄えてる街なんだと思われる。ここは主要道路なのか、路面は石畳による舗装もしてあった。
その上を馬車はちゃかちゃかごろごろとなかなかのスピードで進んでいく。
ちなみにごろごろは車輪の音であり、ちゃかちゃかは馬車の脇を随伴する、革鎧さんの騎馬が立てる爪音だ。鉤爪が石畳に当たって硬質に鳴っているのである。
どっかで聞いた事があるとしばらく悩んでいたのだが、ようやく気付いた。友人の家のでっかい室内犬だ。フローリングを歩く時に、これと似たような爪音をさせていた。
まあ俺としては正直、見るもの全部が物珍しい。ちらっと立派なお城が見えた時には、思わず「おおっ!」とか言ってしまった。
覗くどころか窓に張り付くようにして外を眺めてた俺であるが、途中建物の影に入った折、鏡上になった窓ガラスに姫様が映っているのに気がついた。
姫様はなにやら微笑ましそうに、外ではなく俺を見ている。
これはアレだ、旅行で「窓側がいいー!」って騒いではしゃぐ子供に対するお母さんの目だ。
うわ、恥ずかしい。
「ところで姫様」
「また何か気になるか?」
取り繕って向き直ると、姫様は即座にポーカーフェイスを装った。
正直今一番気になるのは、姫様の俺への評価点だったりするが、流石にこれは聞けない。「外の景色に喜ぶ子供」とか言われたら立ち直れない。
「衣食住を保証してもらえるのはありがたいんですけど、そんな身の上で言う事じゃないんですけど、本当に俺を引き取ってよかったんですか?」
「問題ない」
「そうは言いますけどね、例えば俺が用意周到で、姫様の信頼を得てから事を働こうって悪党だったらどうします?」
すると姫様は鼻で笑った。ええ、鼻で笑われましたとも。
「ハギト、お前はどう足掻いてもその手の下司には見えない。無意味な偽悪は止めておけ」
相変わらず自信満々な人である。
「だが確かに、私の眼鏡違いという事もある。加えてミニオン卿の館と違い、私の住居には何の備えもしていない。暴挙に及ばれたなら少々困るな。その場合、襲うのは私からにしておいてくれ。私の責でありながら、周りの者に飛び火するのは心が痛む」
「あの、姫様」
「なんだ?」
「今のって弱点晒しじゃありませんか。俺が悪党だったらって仮定で話してるのに、自分から弱み見せてどうすんですか」
「──馬鹿め」
すると姫様は優しく罵り、指で俺の額をつんと小突いた。
「だからこれは、お前を信頼しているという言明だよ」
「あ、う……その、どうもです」
いや、ありがたいけど。ありがたいんですけども。
ここまで正面切って言われると、ちょっと照れる。
そうこうするうちに、馬車は姫様んちに到着。
すかさず降車は自力でした。つまらん男の見栄と、後は保身である。
それよりも問題にすべきなのは、「敷地に入ったぞ」と言われてから館の前に着くまで、速度を落としたとはいえ馬車なのに、わりと間があった事についてである。
別に魔法的不思議があったんではなくて、ぶっちゃけただもう単純に、姫様んちがデカいんである。いやどんだけ広いんだ。
建物自体はその爺ちゃんとこよりも大分小さいのだが、庭がべらぼうに広かった。ちょっとした学校のグラウンドふたつ分くらいはある。
気軽に「姫様んち」となんて思ってたけども、これは「ぼくんち」「おれんち」と同レベルで呼んでいい雰囲気じゃない。
爺ちゃんちの時点で家の規模には気づいておけという話もあるが、うさぎ小屋かうなぎの寝床に暮らす民族としてはとんと至らない発想の領域だったんである。ブルジョワジー恐るべし。
なんでも使われなくなった貴族の別荘を買い取って、そこを補修して住んでいるのだそうな。
自分が住む分だけだからと、小さい別棟を残して使わない本棟を取り壊したら庭が広くなったとの事である。やっぱこの姫様、時々行き当たりばったりだ。
でもこのお屋敷の住人は姫様と例の料理人氏、それだけらしい。
他に警護や各種手入れ、整備に買い出しといった人間がいるにはいるが、その殆どが通いなのだとか。
「表舞台には出ない」とか言ってたけど、ここまで慎ましやかな暮らしをしてるとは思わなかった。いやホントに慎ましやかな家には、通いの人が十数名とか、専属の料理人とかいたりしないんだけども。
とまれ物珍しく俺がきょろきょろしているうちに、馬たちは御者さんと革鎧さんとに連れられて、ぶもぶもコキキと厩にドナドナされていった。
俺も一緒についていって馬に餌をやりたい気もしたが、そんな事言うとまた姫様にお母さん視線で見守られちゃうかもしれないので我慢我慢。
心中指をくわえて馬たちの背を見送っていたら、
「ハギト」
「はい?」
「お前は私の飾り物だな?」
「はい」
「なら胸を張れ。人前でだけでいい」
薄紫の神秘的な瞳が、韜晦を許さない鋭さで俺を射ていた。
「……俺、そんなにしょぼくれてました?」
「言ってもいいか?」
「お願いします」
「確かめるほどにここが自分の世界でないと知れて、どうしようもなく孤独に感じられて、だからどうにか気分を浮き立たせようと無理をしている迷子に見えた」
「ははは」
ぐうの音も出ねぇや。
見るもの聞くもの全部が意味不明で、朝からちょいと意識して、テンションは上げてた。
でもそれをほぼ初対面の相手に見抜かれるとは思わなかった。結構こういう押し隠しには、慣れてるつもりでいたのだけれど。
「聞け、ハギト。この来訪はお前自身の望まないものだった。またこの世界にも望まれないものだった。お前を喚んだ奴輩とても、必要としたのはお前ではなかった。お前の世界の人間ならば誰でもよかった。だからお前を温かく迎える者など、この世界には一人とてない。お前がそう思うのも、そう感じるのも当然だ」
歌うように朗々と。
言いながら姫様は両開きの扉を開け放ち、俺に背なを向けたまま、館の中へと歩み入る。
「確かにそうだったかもしれない。だが覚えておけ。もう違う。今は違う。この世界において、少なくとも一人はいるのだと知りおくがいい」
そしてくるりと半回転。
遠心力でふわり広がるスカート、その両裾をつまんで広げると、優雅に一礼してみせた。
「ようこそ、ニーロ・ハギト。私がお前を歓迎しよう。私は、お前を歓迎しよう」




