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病は君から  作者: 鵜狩三善
病は君から
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1.

 とりわけどうか勇ましい英雄にして下さいますな。わたしは現に時とすると、()ぢ難い峰の頂を窮め、越え難い海の浪を渡り――云はば不可能を可能にする夢を見ることがございます。さう云ふ夢を見てゐる時程、空恐しいことはございません。わたしは龍と闘ふやうに、この夢と闘ふのに苦しんで居ります。どうか英雄とならぬやうに――英雄の志を起さぬやうに力のないわたしをお守り下さいまし。

 わたしはこの春酒(しゅんしゅ)に酔ひ、この金縷(きんる)の歌を誦し、この好日を喜んでゐれば不足のない侏儒でございます。


              ──芥川龍之介『侏儒の言葉』より「侏儒の祈り」






 目を開けたら、知らない木の梁が見えた。体の下には柔らかな布団の感触。鼻先をくすぐる、真新しい木材の匂い。


 ──あれ?


 頭がぼーっとして、思考が上手くまとまらない。

 なんだここどこだ? 俺ってば一体どこにいるんだ?

 目を瞬かせ、天井を仰いだままで考える。 


 えーと。

 記憶は、森の中から見上げた青空まで(さかのぼ)る。

 あの後、俺はデュマの死骸と翻訳さん以外の自分の装備品、それからデュマの翻訳さん現在置特定用の魔符なんかを入念に焼いた。

 風邪のウィルスについて博学じゃないけれど、イーブスの方で起きた感染も亜龍の死体を処理したら収束したって話だし、とりあえずそれで滅菌消毒は大丈夫だと信じたい。

 それから鞘を杖に現場からできるだけ距離を取り、信号用の魔符を起動して法王府の駐屯部隊に討伐成功とこちらの位置情報を通達。

 あんまり打撲が痛むんで、ちょっと一休みしようと腰を下ろして、


「ハギ!」


 ぬっと目の前へ、ナナちゃんの顔がアップになった。


「よかった。よかったよぅ。全然気がつかないし苦しそうだし、僕、もしかしたらって。ハギになんかあったらシンシア様にもタルマ様にも申し訳が立たなくて死んでお詫びするしかないし、それに僕も、僕だって!」


 ぎゅっと俺の手を握って、涙目のまままくし立てる。

 ええと、事情はよく分からないけどとにかく落ち着け。


「ナナちゃん」

「は、はいっ! ひょっとしてどっか痛む? 痛い? それならえーと、えーと、何して欲しい?」

「いいからほら、とりあえず深呼吸、深呼吸」

「あ、うん」


 言われるがままにナナちゃんは、すーはーすーはーと繰り返し、


「……ハギの匂いがする」


 ちょっと手遅れじゃないかなこの子。



 さて。

 平静を取り戻したナナちゃんから聞くに、森に入って俺を回収してくれたのは彼女だったそうな。

 本来は法王府の人が立ち入る予定だったのだけれど、俺が怪我を負っている可能性を考慮して、森の中という状況下で一等足の速いナナちゃんがその役目を担う事になったのだとか。

 そして俺が運び込まれた先が、法王府の人が設営してくれてたテントの中。

 明らかに木造建築っぽくても、四人分の寝台のある大部屋の他に簡易調理台と風呂トイレが別で完備されてても、ここはテントの中なのである。

 ナナちゃん曰く「空間容積がいじってあるんだと思うよ」。いい加減にしろよ魔法文明。

 森の中と外の連絡が色々と不便で、「やっぱり携帯電話は便利だよな、科学技術って凄いよな」とか思ってたのだけれども、時折こういう非常識をやらかしてくるから侮れない。

 まあ解説してくれた当人が物珍しげにしていたから、流石に一般的なアイテムではないようだけれど。

 あと少しずつ頭が回ってきて気がついたけれど、この機能的に豪勢なテントは、俺をできるだけ外に出さずに生活させる為の完全隔離施設なのだ。

 亜龍討伐後、俺が風邪に(かか)ってたり、無自覚な保菌者になってないかどうかをチェックする事になっていた。

 まず俺の一人暮らしで様子を見て、それからそこへ一名を追加。徐々に一緒に寝起きする人数を増やしていって、一週間くらいを見ながら安全を確認していくってな手筈(てはず)である。

 俺の持ち込んだ風邪は、罹患(りかん)から発症までがやたらと早い。その特徴が、今回ばかりはそれがメリットになった。潜伏期間が短いから、判別が実に楽なのだ。 

 ただナナちゃんがその最初の追加人員を兼ねてたのには、しかも俺自身の罹患確認期間が経過しないうちにすっ飛んできたってのには、大層驚かされた。


「どうせ誰かがハギを持って帰ってくるんだし、そしたらその人の感染の確認もしないとならないよね。なら僕が兼ねちゃった方が効率がいいし」


 なんて本人はどこ吹く風だけれども、やっぱり俺としては万一の不安を感じざるを得ないわけで。


「でもさ、何もナナちゃんが来なくても」

「何? 僕だとなんか不満なの? シンシア様じゃなかったから不満って事なの?」


 (ちげ)ぇよそういう意味じゃねぇよ。


「いや俺の秘密を知ってるって意味でも、なんかあった時の腕前でも、ナナちゃんに不満なんかないし、居てくれれば安心だけどさ。だけど俺から感染(うつ)る可能性があるんだから……えーと、怖かったりしなかった?」

「あのね、ハギ。シンシア様もタルマ様も僕も、自分がこの役目をしたいって名乗り出たんだよ。体力と足の速さで僕に決まったけど、僕たち三人とも、揃ってここへ来たかったんだからね」


 そんなふうに言われてしまえば返す言葉がない。多分こういうのは理屈じゃないので、一瞬でも口を(つぐ)んでしまった時点で俺の負けである。

 それに、彼女はもうここへ来てしまっている。今更うだうだ言っても愚痴になるばっかりだ。


「で、僕の事よりだけど、具合はどう? あ、動いちゃ駄目だからね。骨に異常はないみたいだけど、かなりひどく腫れてるから。少しだけど熱もあるでしょ?」


 訊かれて、俺は自分の体に意識を移した。

 上半身裸の俺の腹部には、ぴしっとキツめの包帯が巻かれている。患部には湿布みたいなものが貼られているらしく、ひんやりと心地よい冷たさがあった。

 こうして寝ている分に苦はないけれど、ちょっぴりでも腹筋に力を入れるとじくりと痛む。

 いいのはあの一撃しかもらわなかったのに、一発でこれなんだから亜龍種の膂力(りょりょく)ってのは恐ろしい。改めてぞっとする。


「ごめん、お礼が遅れた。ナナちゃんが手当してくれたんだな。ありがとう」

「どういたしまして」

「で、具合の方はだけど、わりかし大丈夫そうだ。心配の必要はないかな」


 平気な顔を作って見せるとナナちゃんは訳知り顔に頷いて、


「という事は、まだかなり痛むんだね」

「なんでそうなるんだよ」

「だってハギはすぐカッコつけるし」


 お見通しだよ、とナナちゃんは少し得意げにする。やり込められた俺は不貞腐れて他所を向いた。


「じゃあ身の回りの事は僕がするから、何かあったらすぐに、遠慮なしで言ってね」

「……悪いけどよろしくお願いします」

「全然悪くないよ。でも、殊勝なのは大変よろしい」


 俺の頭をくしゃくしゃ撫でると、


「ちゃんと水分は取ってね。それから、食欲はある?」

「あー、少し減ってる……かも?」


 曖昧な返答にふふっと笑んで、ナナちゃんは腰を伸ばす。

 今更だけれど、あまり見ないスカート姿だった。これで確か二度目だろうか。


「じゃあ今から何か作るから、少し待ってね」


 言い置いて隣のベッドに向かう。これまた今気づいたのだけれども、そこに見慣れた革鎧と剣とが投げ出されていた。どうやらナナちゃんはいつもの武装で駆けつけて、このテントの中で平服に着替えたものらしい。

 そんな観察をする間にも彼女はエプロンを身に付け、それから「あっと、いけない」と呟いて、またこちらへ戻ってきた。


「はい、これ。シンシア様とタルマ様から」

「ああ、うん」


 渡されたのは二通の封書を生返事で受け取って、俺は気になる事を訊く。


「あのさ、ナナちゃん」

「どうかした? 痛む?」

「いやそっちじゃなくて。ナナちゃんの荷物が一式がそこにあるって事は、えっと、もしかして同室?」

「感染しないのの確認なんだから、ハギの近くで生活しなきゃ意味ないでしょ? そもそもこのテントに別の個室なんてないし、何より傷の具合が悪くなったら一人でどうするの?」


 あ、いやまあそれはそうなんだけどさ。

 でもこんなところで男女二人っきりとか、それはなんと言うか。俺が何も言えなくなったその隙に、「変なハギ」とナナちゃんは調理台に行ってしまう。うーむ、俺が意識し過ぎなのだろうか。

 そんな動揺を押し殺すべく手紙に目を転じ、左手に付け直した翻訳さんを指で撫でた。

 実はまだ、読解は苦手だったりする。でも私信を人に読んでもらうわけにはいかないし。

 まあどうしても分からない箇所だけ、ちょっと解釈してもらえばいいか。

 逃げ道を確保しつつ封を開けると、最初の一通はタマちゃんのものだった。

 中身は至極単純で、「返信が出せるようになったら、食べたい献立をリストアップして送ってください」だけである。

 思わず笑みが(こぼ)れた。どうやら好きな物を食べさせておけばご機嫌になると思われているらしい。あの子の中で俺は、手のかかる子供か何かなのであろうか。

 そしてもう一通、シンシアからのものはもっと簡潔だった。というか文章ですらない。

 描かれていたのは将棋盤の図で、そこには一手目が指してある。これはつまり「この続きをしよう」ってな解釈でいいのだろう。

 二人とも俺が文章読むの苦手なのを知っているから、それでこんな感じになっているのだな。 

 だけどどちらの文面も、「早く帰っておいで」と言ってくれているみたいで。

 ふっと火が灯るように、ひどく嬉しい気持ちになった。



 それからナナちゃんには、母親もかくやってレベルでみっちりと世話を焼かれた。

 この手の世話焼きの筆頭はタマちゃんだけれど、シンシアもかなり俺のお母さん的視点で俺を見守ってる事があるような気がする。こっちの女の子にとって、俺はよっぽど頼りなく見えるのだろうか。

 けどもここで見栄を張って傷が良くなるわけもない。ありがたく包帯を変えてもらったり、移動に付き添ってもらったりしていただいた。いや流石に食事の「あーん」はお断りしたけども。

 そして俺が動けないものだから、自然と色んな話をした。

 俺の家族の事。元の世界の事。ナナちゃんのお父さんやお母さんの事。最近のノノの事。好きな食べ物や本の事。

 いつも近くに居たのに、話始めれば知らない物語をお互いに沢山持っていて、なんだか不思議な感触だった。

 

 あと不思議と言えば、やっぱりナナちゃんのイメージだろうか。

 どうも彼女には革鎧を着込んで剣を帯びた、自他ともににびしっと厳しい印象があった。でもこうしてスカート姿の彼女を見ていると、「ああ、こっちこそがナナちゃんなんだな」って気がしてくる。

 以前ノースリーブのカクテルドレスは披露してもらったけれど、あの時は雰囲気に飲まれてるみたいでぎこちない様子があった。

 だから変にそうして着飾るよりも、こうしたシックな感じで立ち居振る舞いの「らしさ」がある方が、彼女の魅力に似合うように思う。

 などとその後ろ姿を眺めていたら、ふいっと振り向かれて子犬のように首を傾げられてしまった。


「どうかした?」

「あ、いや、特に何ってわけじゃないけど」

「けど?」

「スカート履いてるナナちゃんは、まるで女の子みたいだなって」


 普段ならここで追っかけっこが開始されるところだけども、残念ながら俺は、まだそう元気に動けない。腫れは大分引いて、赤紫だったのも青あざ程度までに癒えてきたとはいえ、今みたく上半身を起こして会話するくらいが精々だ。

 だからナナちゃんに頭をぴしゃりとやられたのは、言わば必要経費である。


「前から思ってたけど、ハギはシンシア様とタルマ様に比べて、僕の扱いが雑じゃないかな!」

「それはナナちゃんの暴力度に比例してるんじゃないかと思うぞ」

「僕が怒るのは、ハギがそうやって減らず口するからだもん」


 べーっ、と舌を出すその様が、妙に微笑ましかったり。


「なんか」

「なんか?」

「今日のナナちゃんはやけに可愛い気がするな」

「僕はいっつも可愛くしてるよ。それにハギが気づかないだけ」

「……うん、そうだな。可愛い可愛い」


 冗談に紛れさせて少しだけ本心を吐き出すと、ナナちゃんは頬を林檎みたいにして「お、おだてたって駄目なんだからね!」なんて息を巻く。その腰の辺りに、ノノみたく振り回す尻尾の幻が見えた気がした。

 それからしばらく何やら考えていたけれど、やがて俺のベッドに寄って来て、そのまますとんと腰を下ろした。

 寝台のサイズは大きめだから、特に俺が寄らずとも座るスペースに問題はない。


「ハギはさ」

「ん?」

「ノノの事いつも気にかけてくれるけど、やっぱり子供が好きなの?」

「そりゃ好きだよ。見てると微笑ましいしな」


 そっかそっか、と俺の返答に頷くナナちゃん。何やら我が意を得たりって感じである。


「じゃあ魔法の素質がなくても、尻尾があっても、ちゃんと愛してくれるよね」

「え?」


 一瞬前後の繋がりを見失ったけれど、少し考えて俺は、それが誰の子供の話なのかを理解する。

 思わず見返したら、ちょんと肩を寄せられた。


「他意はないよ。ぜーんぜん、ね」


 言って見上げる瞳が、かすかに潤んで(つや)っぽい。

 思わず唾を飲んでしまった俺は悪くないと思う。ええい、潜水艦系美少女め。


「そういえばハギってさ、前はタルマ様に爪を切ってもらってたんだって?」

「え、ちょ、なんでそれ知ってんだ!?」


 ただし唐突なナナちゃんの次の台詞に声が裏返ってしまったのは、勿論その所為ばっかりじゃない。


「タルマ様に自慢されたからだよ」

「た、タマちゃんめー……」


 確かに仰る通りである。実は俺、タマちゃんに爪を切ってもらってた。

 だってこっちに爪切りないんだもん。小刀使って切るんだもん。

 一度ざっくり指切っちゃって、それをタマちゃんに治してもらって、それ以後手入れしてもらったりしてました。ああ笑えよ。どうせ図体の大きい子供だよ。


「そんなふうにね、タルマ様はハギの事、よーく知ってるんだよね。で、ハギもさ。タルマ様の事、よく分かってるでしょ。タルマ様が少しでも困ってる気配を見せたら駆けつけるし、一歩下がって遠慮してるのにも、すぐ気がついて手を引くよね」


 ため息めいた息をついて、ナナちゃんは肩を離した。

 座り直して、正面から俺と向き合う。


「シンシア様とも、そうだよね。お互い名前呼ぶだけで通じちゃったり。シンシア様はね、ハギが気が付いてなくても、ハギの事見つけると凄く優しい目をするんだよ。ハギも自分じゃ意識してないかもだけど、シンシア様の事そうやって見てる時があってさ。三人とも僕の知らない深いところで繋がってるみたいで、僕には見えないずっと遠くを並んで見てるみたいで、寂しくなるんだ。僕だけ、そういうのないなって」

「あ、いやそれは」

「だから、だからね」


 俺が言いかけるのを遮って、彼女は真摯(しんし)な声を懸命に紡ぐ。


「もしさっき可愛いって言ってくれたのが本気なら、もしハギが、本当に僕の事そう思ってくれてるなら」


 ナナちゃんはそこで、自分の勇敢さを確かめるみたいな面持(おもも)ちをした。


「……僕にも、シンシア様にするみたいにして欲しいな」


 こんな真っ正直な気持ちと正対しないのは、とても失礼な事だと思う。

 でもいくら「こっちじゃままある事だよ」とか「政治的にも仕方ないんだよ」とか言われても、複数の女の子とそういう関係になる事に対して、やっぱり不誠実だって感覚が俺には根強い。

 けれど。


「ハギ」


 衣擦(きぬず)れよりも小さな囁き。

 絡め取られて動けない俺へ、ナナちゃんが顔を近づけた。

 鼻先の触れ合う位置で、そっと目を閉じる。

 押し切られる形にはしたくなかった。

 俺は彼女の肩に手を添えて、最後の距離を引き寄せる。

 そうして、唇を盗んだ。


「──うあ」


 数秒して、二人の間にまた空間が生じる。

 ぽけーっとしていたナナちゃんはやがて小さく声を漏らすと、真っ赤になった頬を両手で覆った。


「な、何これ。何これ? どうしよう。どうしようっ。なんか、なんかこれ凄く幸せかも!」


 そこで俺と目が合って、ますます気恥ずかしくなったものらしい。即座に身を捻って枕にダイブ。ベッドにうつ伏せる格好で、顔を(うず)めて足をばたばたさせている。

 いいから少し落ち着きなさい。あとそれ、俺の枕だからな。

 冷静ぶって心の中でそう唱え、俺は自分の赤面具合を誤魔化した。

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