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ともすれば君は  作者: 駿河 健
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第47話 許されざる過ち

 腕を掴んだのが得体のしれない変質者ではなかったことは、まだしも彼女を安心させただろう。だがそうだとしても今の状況は好ましくないようだった。彼女は俺に目を合わせたまま硬直し、顔の色を失わせていった。やがて地面を転がる水筒が側溝の底に落下して俺たちの間に流れていた沈黙を打ち破った。俺は彼女の手を開放し、粉末の山を適当に蹴飛ばしてから水筒を拾って彼女に手渡してやった。が、うまく受け取れずに落としてしまい、また自分で拾った。俺が腕を強く掴みすぎたせいだろうか? 彼女は無意識にそこをさすっていたが、本来ならまずはそのことに憤慨して然るべきであることには気づかないようだった。俺が何も言う前から、彼女は震える声で言った。


「これは、あの、ぽ、ポカリの粉なの。熱中症対策で」


 それを聞きながら、俺はポケットからひとつの包装を取り出した。そのパリパリとした音に聞き覚えがあったのか、彼女はすぐに俺の手元に目線を移してまた凍り付いた。俺はとりあえず、彼女の肩を持って自販機の前から退いて日陰へ移動した。


「自習室で、いつも鞄を開けっ放しで席を離れるよな。俺もう分かってるんだよ。ずっと前からやってたんだろ、この──覚せい剤」


 彼女は何か言い返そうとしたが、うまい言い訳は思いつかないようだった。


「最初は普通に自分の小遣いで買ってたけど、そのうちなくなって、俺から金を盗ったんだろ。それから貯まってたお年玉を返してもらって、何十万あったのか知りたくもないけど、盗った分だけ俺に返したんだよな。やたらと金遣いが荒くなって、たぶんこれの量も増やしたんだろ」


 観念したのか、彼女は下を向いたまま頷いた。以前に聞いた彼女の話によれば、コンサータはほとんど覚せい剤のようなものだということだ。そんなものを飲んで、実際傍目に見ても分かるほど体に負担をかけて。彼女はそこで更に本当の覚せい剤をエナジードリンクに混ぜたなんて冗談みたいなものを飲み続けていたのだ。


「そういえば期末テストのとき、よく徹夜してきてたよな。コンサータが切れたときには、すごい睡魔に襲われるって言ってたのに。あの時にはもうやってたのか?」


「うん」


「うんだけじゃ分からないだろ。いつからやってたんだよ」


 彼女は一度俺の目を見上げ、また視線を落としてから話し始めた。


「最初に買ったのは、6月の終わりくらいだったと思う。ネットで見て、興味本位でメッセージ送って。で、でも、飲んではなかったの。怖くて」


 俺にまったく話しもせずにそんなことをしていたのか。


「それで期末テストのときに勉強がやばくて、でもコンサータを勝手に飲んだらお母さんにバレるし、それで隠し持ってたあれを飲んだの」


「それでそのままハマっちゃって、心を病んで、ストーカーの幻覚も見るようになっちゃったんだな」


「私、どうすればいいんだろう?」


 俺の知ったことか! 今まで何も知らなかったんだから。今まで何も話さなかったんだから当たり前だろ。今すぐそこの警察署に出頭して、犯罪者らしく檻にぶち込まれてろ! とは、やはり言えなかった。彼女の潤んだ、怯えた目を前にしては。俺はゆっくりと声を絞り出した。


「話し合うんだ。この世のすべての問題がそれで解決するとは思わないけど、でも、ぜんぶ話し合い不足なのは確かだ。この三日間、俺がどれだけ辛かったと思う?」


 おそらく分からないだろう。でも伝えることはできるはずだ。難しく考える必要はない。


「俺には好きな子がいるんだ。その子は風変わりだけど誰よりも素敵で、俺にとって大事な人なんだ」


 わざと芝居がかった言い方をした。その方がいくらか、涙を堪えるのに役立ちそうだったからだ。


「その子はずっと傷ついていて、俺は助けたい。だけどその子は何も話してくれなくて、裏切りと嘘で俺を拒絶したんだ。俺は怒ったけど、それでもどうしても好きで、君を助けたいんだ」


 この子は決して人の心の分からない悪魔ではない。ただ読み取るのが苦手なだけで、優しい心を持っていることを俺は知っている。そもそも本当に他人の感情に無関心なら、映画を見て涙を流すことはないはずだ。ドラマにしてもアニメにしても、小説にしても。こちらがしっかりと伝える意思を持ってすれば、きっと応えてくれるはずだ。

 そして、果たしてそれは正解だったらしい。彼女はついに大粒の涙をこぼし始めた。


「ごめん、ごめんなさい! 私、どうしたらいいか分からなくて」

「俺が一緒に考えるから。頼むから、俺を頼ってくれ」

「うん」


 水筒を持ったまま両手で涙を拭い続ける彼女をそっと抱きしめて頭を撫でた。だが、俺にはここからどうすれば良いのかは全く分かっていなかった。

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