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ともすれば君は  作者: 駿河 健
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第15話 新たな亀裂

その週末の放課後、俺は藤原と一緒に例の塾へ向かった。彼女は既に入塾済みで、俺は授業の体験だ。教室に入ると、既に3人の塾生がいた。授業まではあと1時間半ほどだ。ひとりはノートに青チャートを黙々と解いていて、ひとりはイヤホンから音を漏らしながらゲームをし、ひとりはコンビニのおにぎりを頬張っていた。俺たちが教室に入ると彼らは一瞬こちらを見て、また自分の作業に戻る。


「定位置とかある?」


「うん。こっち」


真ん中あたりの、左側だった。隣の人とはひと席空けて座るルールらしく、俺は左端に座った彼女から机をひとつ開けた席に座った。彼女が自分のリュックを開けた席の椅子に乗せる。俺はその椅子の下にリュックを置き、期末テストの課題を机に広げた。すると彼女がぎょっとした目をこちらへ向けた。


「え、今から勉強するの? 一時間半後から、一時間半の勉強が始まるんだよ?」


「俺は勉強頑張るって言って部活を辞めたんだ。成績上げとかないとなんて言われるか」


「な、なるほど」


「まぁそんなギチギチにはやらないけどな。10分後にはゲームしてるよ。それでもある程度は進めるけど」


「そっか。じゃ、私もやろうかな」


「良いじゃん」


そして20分後。俺たちふたりはゲームの合間に課題をやっていた。ゲームが開始するまでの待機時間とリスポーンのクールタイムだ。問題集の答えを見て、適当にデタラメを織り交ぜながらそれをノートに書きなぐる。デタラメの箇所には自分にだけ分かる印をつけておいて、丸つけの時に解答をチェックし、赤ペンで正しい答えを書く。一時間半なんてあっという間だ。教室には20人くらいの学生がいて、やがて講師らしき人も入って来た。


「はーい始めましょか、出席とります。池淵環奈さん」


「うへぇー」


「返事はちゃんとしましょねー」


その野太い不快な声をした方には、確かにあの池淵がいた。よく見れば周りにその取り巻きもいる。塾を変えようかとも思ったが、藤原は既にこの塾に入っている。塾でそんな大それた事は出来ないだろうが、せっかくバレー部をやめたのに、また俺のいないところで彼女が池淵に何かされたら──。


「藤原紗菜さん」


「はい」


「山本政樹くん」


「はい」


俺は耳を疑った。他校の生徒も合わせて十数人のクラスで、なんで池淵とその取り巻きに続き山本まで、普段から藤原を虐めてる奴らが勢ぞろいなんだ。なんで彼女はそんな塾にほいほい入ってるんだ。


その時、講師が名簿と俺の顔を交互に見た。


「体験の、橋下(かい)くんやね」


「あ、はい。よろしくお願いしま──」


「アクアです。橋本(アクア)


こんなに短い時間で、自分の耳を二度も疑うというのは新鮮な体験だった。「アクアです。橋本アクア」。それは間違いなく藤原の声で、彼女の席から聞こえてきた。そこからは、あまり覚えていない。ただ、その授業の間中は彼女が何を話しかけてきても俺はそれを無視した。長く昇っていた陽が完全に落ちた帰り道、俺は彼女に言った。


「なんであんな事言ったんだよ」


「え、えっと......?」


「名前の事だよ。俺が自分の名前嫌ってるの知ってただろ? 橋下カイでも良かったじゃないか」


「でも正しい読み方はアクアだし、それを間違えて読んだから教えただけだよ」


「あのなぁ、(うみ)の正しい読み方は『うみ』か『カイ』なんだよ! お前何がしたいんだよ!」


「両親がつけてくれた名前じゃん」


「初対面で『キラキラネームだね!』なんて言ったのはどこの誰だよ、自分は名前も苗字も立派だからって! バカにしてるとしか思えねぇ」


俺はそう言い放つと速歩(はやあし)で彼女を引きはなし、駅の待合室で独り自己嫌悪に陥っていた。しばらくすると、藤原がやってきて俺の隣に座る。そしてぽつりと謝罪の言葉を口にした。


「ごめん。考えが足りなかった」


「俺も言い過ぎたよ、ごめん」


そんな定型文だけのような仲直りだったけど、それで良かった。そのあとは何も喋らず、乗り換えの時に手だけ振って俺たちはそれぞれの家路についた。そして寝る前、俺は彼女からLINEが届いているのに気づいた。


「調べてみたんだけど、戸籍には名前の読み方は登録されてないみたい。だから海の読み方はアクアじゃなくても、『うみ』でも『カイ』でも良いはず


だから、私が先生の読み方訂正する意味なんて無かったの。本当にごめん!」


それを俺が読んだあとにどのような行動をとったのかについては敢えて言及しない。......が、ひとつだけ報告しておくことにする。スマホ画面のヒビが増えた。

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