93話 新月の夜
還俗の儀式の日を告げられたエミリアはとても落ち着いていた。
「そうですか」
「何か質問は」
「ございません」
教主はようやく諦めがついたか、と胸をなでおろした。
「では」
「………」
伝えるべきことは伝えた、とぞろぞろとお付きの者を引き連れて去っていく教主の後ろ姿を、エミリアは黙って見つめていた。
「なんだか……ようやくここから出られるかと思うと清々するわ」
「エミリア様!」
侍女のカーラはまだエミリアの結婚には納得していない。
不満たっぷりの顔を隠そうともしないカーラに、エミリアは苦笑した。
「そうね、カーラに会えなくなったら寂しいかもね」
エミリアはなぐさめるつもりでカーラに声をかけた。
てっきりカーラはいじけた顔で文句を言うと思ったのだが、彼女は笑顔をエミリアに向けた。
「それならばご安心ください。カーラも還俗して侍女としてついていきますので」
「な……なんですって」
「私も清々します」
エミリアは驚いた。
「そんな……ご実家はなんておっしゃるか」
「すでに許可を貰っています。……教会にいても微妙な立場ですしね」
元々カーラの両親は娘が聖職者になるのをよく思ってはいなかった。
それを強い気持ちで説得したカーラだったが、エミリアへの仕打ちを受けて、教会への信頼は地に落ちていた。
教会もエミリアにべったりだったカーラを持て余すだろうし、もう縁を切ってしまおうと思ったのだ。
「私もエミリア様をお守りいたします!」
カーラはきっぱりと言い切ると、ニカッと歯を見せて笑った。
***
その夜は新月だった。
月の無い暗い空は、代わりに無数の星が輝いている。
眠れないライアンは、野営地の天幕の外でそれをじっと見ていた。
「なあ、フレドリック」
「なんでしょうライアン様」
黙って側に控えていたフレドリックが返答する。
「私はちゃんと総大将を務められるかな」
「できますとも。……そうお育てしたつもりです」
刻一刻と、蜂起の日は迫っている。
「また辛気くさい顔をしてるな」
「わっ」
いきなり背後からした声に、ライアンはびくっとする。
名無しだ。
本当にまったく足音をさせない、とライアンはドキドキする胸をさすった。
「当たり前だ。……責任重大だもの」
「ま、初仕事だものな」
「そういう言い方をするな」
「……ライアン。とにかく敵に勝とうとかそういうことは考えなくていいぞ。そういうのはじいさんたちがやる。全部自分ひとりで抱え込もうとするな」
新月の暗がりに浮かぶ名無しの姿。だが、その瞳の奥は優しかった。
「ああ。私は私を信じたものたちへ、自分の役割を全うするつもりだ」
「……そうだな」
名無しの手がライアンの髪をくしゃくしゃと撫でた。
そんな子供じみたこと、フレドリックにもさせないのに、なぜかライアンは気分が良かった。
***
「寝たか」
名無しの天幕に入ってきたフレドリックに、彼は声をかけた。
「ああ、神経過敏になっているようだ。当然だがな」
「……子供でも自分の役割は知っている」
「それを不憫に思うのは、わしの独りよがりな感情なのだろうがな。すまないが、ライアン様を支えてくれ」
フレドリックは頭を下げた。
「ライアン様はあんたに懐いている」
「かまわん。軍事行動では俺はあまり役に立たないだろうしな」
名無しに従軍経験はない。
彼がやってきたのは暗殺や裏工作で、集団行動には向いていないのだ。
「聖都を見張らせているものから動きがあったと報告が」
「そろそろ動くか……」
「アル……」
フレドリックはぎゅっと拳を握りしめた。
「あんたも本当は関係ないのにな」
「……そんなことない。俺は俺の利益のために動いている。今回は互いにそれが一致していただけだ」
名無しはマントを外すと支柱にかけた。
「俺はもう俺のために生きるって決めているんだよ」
自身の平安のために、自分の手の内の愛おしいものを守る。
それは名無しがエミリアに教えて貰った感情だった。
色々と立て込んでいるので一週休みます




