80話 名無し、走る
「さて……どうするか……」
クロエにはああ言ったものの、名無しに名案がある訳ではなかった。役人も命じられた以上、また来るだろう。村人たちは頭に血が上っている。単独行動を主にしていた名無しはそれを諫める術を持たなかった。ただ、こうなったらやるしかない。クロエとヨハンだけなら名無しが守れる。しかし……他の村人達を置いていくという選択肢は、今はもう彼の中に無かった。
「リック!」
名無しは、村人の中にいるリックに声をかけた。
「……アル。俺達、役人に喧嘩売っちゃったよ」
「ああ」
リックは少し震えているようだった。不安と怒り。どの村人もそんな感じだ。
「これで済むわけないよな……」
「ああ。時間稼ぎが必要だ。リック、協力してくれ」
「俺になにかできるかな」
「できるとも。……その間に、俺はいったい何が起こっているのか考える」
さっきの威勢を失って弱気なリックに、名無しはそっと耳打ちをした。
「なるほど、それなら俺達にも出来そうだ」
「頼むぞ」
そう言って、名無しは家に戻ると旅支度をはじめた。
「パパ……どこかでかけるの?」
「ああ。どうしてこんな急に役人が来ることになったのか、調べなきゃならん」
「……パパ、こわいよ」
クロエは今まで遭遇した事のない事態に強い不安を抱いているようだ。
「……クロエ。俺は今まで化け猪も退治したし、魔物の熊も村人みんなでやっつけた。そうだな」
「うん」
「今回もきっとなんとかする。だからいい子で待っていてくれ。……ヨハン爺さんを頼む」
「……うん!」
そして名無しはリックに借りた馬に乗り、村を後にした。先に向かったのは町の役場だった。夕闇があたりを覆い隠すのを待って、名無しは内部に潜入する。
「これか……?」
そしてハーフェンの村からの村人の退去に関する書類を見つけた。
「直轄地たるハーフェンの村は退去料を持ってすみやかに住民を退去させよ……」
これではよくわからない。役人も言われたままにそう村人達に言っていたようだ。抵抗にあった際の指示などもない。
「あちらさんも困っただろうな……ああ、これが上へのお伺いか」
名無しはひとつの書簡を手にした。
「どれ……俺が届けてやるか……やれやれ」
名無しはその書簡を役場から盗み出すと、闇夜に紛れてさらに大きな街へと馬を走らせた。
「どうも、お疲れ様です」
ついでに盗んだ役人のコートを着込んで、名無しは正面から堂々と、議会や裁判所もある大きな庁舎に入った。
「この報告書をお持ちしました」
そう言うと、街の司政官の部屋に通された。ヒゲを蓄えた司政官はその報告書を見ると苦い顔をする。
「金でなんとかならんかったのか」
「はあ、古くから暮らしている村人ばかりですから抵抗が強くて……」
「ふーむ……」
「それにしても何故、あの村を接収しないといけないのでしょうか」
「あの村はお前の知ってのとおり、王家の直轄地だ。アーロイス殿下が、褒賞として人にやることになってな」
司政官はそういうと、ため息をついた。彼にとってもこの事は動いたところで益のない面倒ごとのようだ。
「それならば、領民がいた方がよろしいでしょうに」
「そうなんだがな。……これは内密に頼む。なんでもあそこの地を『月の民』にくれてやるというのだ」
「と、いうとあの流民達に……? 彼らに土を耕せるのですか?」
「そこまでは知らん。とにかく手こずるようなら衛兵を貸し出す。王命なのだ、従うほかあるまい」
「……かしこまりました」
名無しは庁舎を出て、また馬に跨がった。
「……ふん、またあいつか。縁があるのかな」
名無しはそう呟きながら役人のコートを道に投げ捨て、一路ハーフェンの村に戻った。
「アル!」
「……リック、司祭のおっさんと村の中心人物を教会に集めてくれ。話がある」
「わかった」
リックに馬を返すと、すぐに名無しは一度家に戻る。
「クロエ」
「……パパ」
「あのな、これはヨハン爺さんには内緒だぞ。この村をな、この国の王様が欲しがっているそうだ」
「えー、やだよ」
「そうだな。だからあきらめてもらうように言いに行かないといけない。俺はそれを言いにまた家を空ける。困った時はリックの所に行くんだ。わかったか」
「……うん」
クロエは不安そうにしながらも名無しの言葉に頷いた。幼いクロエにも、名無しがこの村の為に動いていることがわかったからだ。名無しはくしゃくしゃとクロエの髪を撫で、すぐに教会に向かった。教会には村人や司祭が揃って彼の到着を待っていた。
「アル、どこに行ってた?」
「役所に行ってそれからもっと大きな市庁舎に行って来た」
「えっ……」
リックはそれを聞いて驚いた顔をする。
「とっ捕まらなかったのか?」
「役所には夜中にしのびこんで、市庁舎には役人のふりをして行った」
「お前なぁ……」
しれっと不法侵入をしたことを話す名無しに、リックは呆れた声を出した。
「それで何かわかりましたか?」
「お、司祭様。お説教は無しか」
「……村の為にやったのでしょう? そこは目をつむります」
司祭は澄ましてそう言った。
「この村を王太子のアーロイスが『月の民』に与える為に、俺達を追い出さないといけないらしい」
「なっ……『月の民』ですか……あの神を信仰しない棄民達に……」
「あいつらはあいつらの神がいるだけだろ。それはまぁ置いておいて、そういう訳で役人達はしかたなく動いているみたいだな」
「王家の命ですからね……」
「ああ、いずれ兵もくるだろう」
教会に集った村人の間に暗い雰囲気が漂った。
「少しの兵なら俺がこの手で葬れるが……きっとキリがないだろうな」
名無しは村人の顔を見渡した。
「手助けを頼もうと思う。俺が彼らを呼ぶまで……村を守って欲しい」
「も、もちろんだ!」
次々と村人は名無しに向かって頷いた。
「熊退治よりきっと簡単さ。みんなになら出来る。やることはリックに伝えた。あとは……頼む」
名無しは村人達に軽く微笑みながら檄を飛ばした。そして、また慌ただしく村を後にする。
「どこにいるのかが問題なんだけどな、あのおっさん」




