65話 公務の日々に
中央教会の奥に位置する豪華な聖堂にエミリアは待機していた。
「ワイヤック公国のエクトル大公がお見えです」
「はい」
「……これで今日は最後ですからね」
強ばった顔で立ち上がったエミリアにカーラは小声でそう付け加えた。次々と国の代表自らエミリアに面会にやって来る。教会への恭順と、自らの権力に箔をつける為に。
エミリアは笑顔を崩さず、余計な言葉を発さないように全力だった。教会としても面子を保つ必要があるのだ。
「ふう……」
「お疲れ様でした」
聖堂から居室までの長い回廊を渡り、エミリアはようやく息を吐く。
「お茶をどうぞ」
「ああ……ごめんなさい」
温かいお茶をいれてくれたカーラにエミリアがぺこりと頭を下げるとカーラは苦笑した。
「エミリア様。いちいち謝らないで下さい。私はお付きなので」
「そう……そうね……」
エミリアも分かっている。もう人に使われる立場ではなく、使う立場になったという事を。
「今度の聖女様は随分質素だと噂になってますよ」
「……そうかしら」
「ええ、お付きも私一人だけですし、居室も前の方のままだなんて」
「普段は一人居れば十分だし、ここの家具は立派なものよ。まだまだ使えるのに勿体ないわ」
「そういう所ですよぉ」
カーラは苦笑しながら疲れたエミリアにお茶請けを出した。
「このお菓子だってどこでも買えるはちみつ漬けです。大公のお土産のショコラはどうしたんです?」
「ポーラ達が騒いでいたからあげちゃいました」
「えっ、ワイヤックのショコラは食べる宝石とまで言われてるんですよ!? 私も食べたかった……」
「そう言うと思ってふたつだけ取り分けて置いたわ」
「きゃあ!」
カーラはエミリアがローブの隙間から取り出したショコラに目を輝かせた。砂糖菓子の細工で彩られたそれは、まさに宝石の様だった。
「い、いただきます……ん、おいひい……」
「本当ね」
エミリアは頬を緩ませてショコラを食べる様子を微笑ましく眺めながら、自分もそれを口にした。良い香りとまったりとしたコクに苦みが繊細に絡み合い口の中でスッと溶けていく。
「美味しいものはみんなで食べた方が楽しいわ。ね?」
「はいっ」
教会の食事は普段は質素だ。中には自費で色々と補っているものもいるが。
「……ライアンにも本当はあげたかったわね」
逃亡生活の間、蜂蜜漬けの胡桃で微笑んでいたライアン。彼には元王族としての配慮はあるものの、援助などは無い。まだ育ち盛りの子供なのだ。これを食べたらきっと喜ぶだろうに。
「まだ一般の祈祷所には顔出せませんしね」
「ええ。顔だけでも見たいと思うんですけどね」
カーラには巡礼の途中でライアン一行と一緒になった事を伝えてあった。ライアンの身分も教会内では周知の事実である。数歳しか違わないライアンの境遇にカーラは同情していた。
「……明日はローダック王国との会談ですね」
「ええ」
途端に重苦しい空気が部屋に漂った。
「いらっしゃるのは、摂政王太子アーロイス殿下です」
「……」
「まったくどんな顔してやってくるのやら」
「カーラ。誰が来ても平等に接しなくては」
「……はい、申し訳ありませんでした」
カーラは不服そうな顔をしたまま部屋を下がった。エミリアは一人、ローブの胸元……その内側に密かに隠したメダルを握りしめた。
「ライアン様、もうおやめ下さい!」
「あと十回だ」
「あ、ああ……」
お付きの僧侶が悲鳴をあげる。ライアンはただ黙々と部屋に持ち込んだ板にナイフを投げつけていた。
「だんだん真ん中に刺さるようになったんだ」
「わ、我々は僧侶ですよ……! 暴力はいけません」
「ふん。僧侶が暴力を振るわないとでも? 私は見たのはなんだったのかな」
ライアンは文句を言った僧侶をからかうようにケラケラと笑った。
「ただの気晴らしだ。気にするな」
捨て置くようにライアンはそう言うと、じっと集中して、板に描いた的を目がけてナイフを放った。
――翌日、空は曇天で、エミリアの心を映したようだった。
これからあの男がこのユニオールにやってくる。すでに隣町のリュッケルンに待機しているという連絡を受けていた。
逃亡するライアンを襲撃しつづけたあのアーロイスである。摂政になったという事だが、その経緯も疑わしげであった。
「でも、行くしかありません。私は、聖女なのだから」
「エミリア様、そろそろ移動を」
「はい」
今日は白く明るい回廊も重たげに見える。聖堂に着き、豪奢な椅子に腰掛けてかの男を待つ。向かいに据えられた椅子のビロードは血の様に紅かった。
「これはこれは……お目にかかれて光栄です」
そしてとうとうアーロイスが現れる。身構えていたエミリアは少し拍子抜けした。なぜならエミリアの目の前にいるのはライアンによく似た青みがかった金髪の平均的な体格の優男だったからだ。
「こんにちは、アーロイス殿下。私がエミリアです。どうぞ……お掛けになって」
「では遠慮無く」
話しぶりもごく普通で、ただの貴族の子弟と話しているようだった。
「聖女への就任、おめでとうございます」
「ありがとうございます。しかし、私だけの力ではありません。支えてくださった方々がいたからここまでこれました。その感謝の心を忘れないようにと日々心がけています」
「なるほど、見習わなければ……」
そこでアーロイスは薄く笑った。エミリアはこの時に初めて違和感を感じた。アーロイスの目には表情がほとんどなかった。それはまるで人形のような……。
「しかし、噂通りの美しい方だ。姿ばかりでなく心がけも美しい」
「ご冗談を……」
「いえいえ。昨日はリュッケルンに一泊したのですが、街には絵姿が溢れていましたよ」
「まあ……」
ごく当たり障りのない会話だが、うわべをなぞっているだけのようでエミリアはとても居心地が悪かった。なんとも形容しがたい不気味さを感じながら一刻ほどの対談の時間は終わった。
「楽しかったです。またお会いできれば幸いです」
「ええ……」
ドアの向こうに消えて行くアーロイスの背中を見届けて、エミリアはようやく張り詰めていた息を吐いた。




