42 行き場のない女神
大きすぎるトラブルを奇跡的に俺たちは乗り越えられたらしい。
リルハさんも「よかったです。私もうれしいぐらいです」とぱちぱち拍手をしてくれていたぐらいだった。
けど、そこでリルハさんの表情がいきなり変わった。
なんだか、トラブルにぶつかった時のような表情だ。
おいおい、今更撤回とか絶対に嫌だぞ……。
「上司、どういうことでしょうか? そんな! それはないです!」
どうやら、女神の上司にあたる存在と話をしているらしい。
「まさか、さっきのことが無効なんてことはないですよね……?」
サンハーヤが俺に怖々と尋ねてくる。
「そんなわけないだろ――と言いたいところだけど、雲行き怪しいよな……」
「それは大丈夫です! 私も女神ですから! 女神が決めたことは撤回不可能です!」
俺たちを安心させるように、リルハさんが一言、こっちに言った。それから、また天井のあたりを見ながら、目に見えない何かとの話を続けた。
「そんなこと言われても、もう決めたことなんで……。はい、公平性が大事ってことはわかりますけど……。でも、女神が愛を理解しないというのもおかしいんじゃないですかね。それはそうです……けど……」
なんやら典型的な上司と部下の話が続いている。リルハさん、初対面の時、下っ端女神と自分で言ってたけど、あんまり間違ってないようだ。
そこでしばらくリルハさんが黙り込む時間があった。
「…………。…………。それって、つまり私の立場を一時放棄しろってことですか? 一時って具体的にどれぐらいですか……? ああ、はい、はい……」
「なんか、どんどんリルハの声のトーン、落ちてる。ヤバさしかない」
レトが率直に感想を述べた。俺もそう思う。
「なるほど……。はい、はい……。もう、どうしようもないんですよね? わかりました……」
そこで、会話は終わったらしく、リルハさんは俺たちのほうに顔を向けた。
「まず、私が追加で何かもらっていくということはありません。それはご安心ください」
サンハーヤがおおげさに胸を撫で下ろす。たしかに、そこは大きな問題だ。どっちでもいいってわけにはいかない。
「それでですね、私は勝手にルールを独自解釈でゆがめたために、上司からお咎めを受けまして……ありていに言うと、女神の世界に帰ることができなくなりました。おそらく何年か何十年かわからない時間、この世界で女神の力も封印されて暮らすことになりそうです……」
うつむきながら、リルハさんは言った。
ああ、感動したから気持ちだけもらったことにしますみたいなのは許されなかったんだな……。そりゃ、借金返済許してくれと言われただけで、チャラにしてたら商売あがったりだもんな。
「ふうん。そうですか。それは大変でしたね~」
他人事っぽいノリでサンハーヤが言った。
「あっ、王都ならお店を出てずっと左手に歩いていけばそのうち着きますから。宿は数も多いので、どこか空いてると思います。王都の中は治安もいいんで、女子一人で歩いても大丈夫でしょう」
「ちょっと、ちょっと! なんですか、その『放逐しちゃえ』的な流れは?」
リルハさんが抗議する。
「何もおかしなこと言ってないですよ。ここ、宿じゃなくて飲食店なんで、宿の方向を案内しただけですけど。あっ、タコ焼き代はサービスしときますから」
「待ってくださいよ! こういうのは、じゃあ、ここで置いてあげるとか言うところでしょ?」
「行商人やってた身から言わせてもらいますけど、世の中そんなに甘くないですよ。汗水流して生きてくださいよ。女神さんならできます。私、信じてますから。頑張ってください」
「とくに信じてないでしょ! 思ってもないエール送らないでください!」
ここで引き下がるとえらい目に遭うのでリルハさんも必死に食い下がるな。
「だいたい、私が皆さんを助けたからこういうことになってるんであって、それは皆さんが助けるのが筋ってものでしょう? そうでしょう?」
「いや、その理屈はおかしいですよ」
サンハーヤがすぐに否定する。こういう時、よく口がまわるよな……。
「あれ、結果的に感動的な展開になったから助かりましたけど、そうじゃなかったら普通にオルフェさんの料理召喚能力が消滅してましたよ。それで、あなた、罪の意識もなんも感じなかったでしょ?」
「それはそういう職務なんですから!」
「じゃあ、自分がここに居残るしかないとわかってたら、何も奪いませんとか言えました?」
リルハさんが露骨に口ごもる。
「女神ですから……女神らしいことをするまでです……」
「お茶を濁しましたね! ほら、あなただって打算ありきじゃないですか! それで恩を売るのはセコいですよ!」
「そんな! この世界のことなんてそこまで知らないし、女神の力もたいして使えないから、縁もゆかりもないこの世界で生きていくの、つらすぎますよ……」
リルハさんがさっきとは違う理由で泣きそうになっている。
ああ、これは仕方がないか。
「もう、ここで超働きますから! すごく働きますから置かせてください!」
その言葉を聞いて、ぴんとひらめくものがあった。
そういえば、このリルハさんなら魔法の情報漏洩の心配も一切ない。
新しい従業員として完璧じゃないか。
「お願いです! お願いですからー!」
俺は叫んでるリルハさんの前に出た。
「わかりました。うちで採用しますよ、リルハさん」




