37:本気
──雷宮、ボルテッサの部屋前にて。
「この扉の向こうにライゼル様がいるわ」
ボルテッサの案内に導かれ、ソノラ一行は無事に雷宮に辿り着くことができた。
「ボルテッサ様。例の道具は……」
「え、えぇ……。あなたに言われた道具箱を持ってきたけれど、これでいいのよね?」
「ありがとうございます」
ボルテッサとセラは興味深そうに道具箱を凝視している。もちろん、お手製の耳かきや疑似耳が入った道具箱である(流石にダミーヘッドは入ってはいないが)。
「何の道具か」と尋ねられたが、ソノラはライゼルの名誉のために「秘密です」とだけ返す。セラはなんとなく気づいているみたいだが、敢えて黙っていてくれているのだろう。
誤魔化すようにライゼルがいるというボルテッサの私室の扉を開いた。瞬時にライゼルが立ち上がり、ソノラを見上げた。
「ボルテッ……ソノラ嬢? どうして、ここに……」
「ッ!」
その時、ソノラは胸が痛んだ。ソノラを見上げるライゼルの瞳にはいつもの優しい温もりがないように思えたからだ。それに、名前の呼び方も……。
あんな優しい瞳を向けられたことがない。そんなボルテッサの悲しそうな言葉の意味をソノラは実感する。
ソノラは深呼吸をして、後ろのボルテッサ達に振り向いた。
「ごめんなさい。二人きりにしていただけるかしら? 色々と集中したいの」
「えぇ、分かったわ。陛下のこと、お願いね」
皆が部屋を出ていく。二人きりだ。ライゼルは動揺したような、気まずそうな表情を浮かべている。
(そうか、陛下は私のことをボルテッサ様だと思っているのよね……。二人っきりにされて困惑しているみたい)
ソノラは一定の距離を保ったまま、話しかける。
「陛下。ただいまボルテッサ様から陛下の疲れを癒すようにことづかっております。安心してください。私は陛下に触れません。それはお約束します」
「……? そう、か。しかし、それでは余をどう癒すと……ハッ! まさか歌か!?!?」
警戒するように顔をしかめるライゼル。なにかボルテッサの歌に嫌な記憶でもあるのだろうか。
「いいえ、陛下。歌というか……音、ですわね。今から陛下に私が奏でる音を聴いていただきたいのです」
「な、音……だと? それは……うっ」
ライゼルは頭が痛むのか、頭部を抱える。どうやら洗脳するにあたって都合の悪い記憶は消されているようだ。
なんて酷いことをするの、とソノラは眉をひそめる。しかしすぐに表情を切り替え、ライゼルを真っ直ぐ見つめた。
ライゼルは嘘偽りない言葉をぶつければ向き合ってくれる人間だ。例え洗脳されていたとしても。だから。
「不安に思うのは当然のことです。ですが、お時間もほんの少しでかまいません。今のライゼル様に必要なことなのです! お願いします! どうか私にライゼル様を癒させてください!」
ライゼルは眉間を抑え、何かを考えるような仕草をした。しばらくの沈黙後、ソノラを見つめ返し、頷く。
ソノラは微笑む。イヤフォンを二つ、机の上に置いて受け取ってもらった。
「それを両耳につけてくださいませ。そこから音が鳴るようにしております」
「い、いやふぉん? よ、よくわからんが、分かった……」
このやり取りは……ライゼルとの初対面でもしたものだ。ソノラは懐かしさを覚えつつ、深呼吸をした。
耳型の粘土細工──疑似耳に魔力を通す。これで、ソノラが手にしている疑似耳とライゼルの耳にあるイヤフォンがリンクした。
(セラ様が言うには洗脳を解くには陛下の頭が真っ白になってしまうほどの刺激を与えなければいけない……つまりそれって、)
ソノラは無意識に口角が上がる。今まで、ASMRをライゼルに聴いてもらう時はライゼルの許容量を超えないように我慢していたところがあった。
でも、今は違う。むしろソノラが本気でやらなければ、洗脳魔法なんて解けるはずがない。
(──それって今まで我慢していたASMRを全部試すことができるってことよね!? しかも今までは片耳だけだったけれど、今回は両耳にイヤフォンをはめてもらった……つまり両耳攻め!! う、腕が鳴るわ……!!)
まずはなにから試そうか。ソノラは嬉々として自分にもライゼルのイヤフォンと同じものを両耳に装着する。
最初は王道の耳かきから始めることにした。でも、今回はいつものようにライゼルの許容量を気に掛ける必要はない。
「では、ライゼル様。覚悟を決めてください」
「か、覚悟、だと……? 一体なんの──ッッ!?!?」
ガリッと直球で疑似耳の鼓膜をひっかく。鼓膜が揺れるほどの音圧にソノラはゾクゾクと快感が体中を駆け巡った。それはライゼルも同じようで、ビクンッとソファの上で大きく跳ねる。
ガリガリガリガリッ! ガリガリガリガリッ!! ガリガリガリガリガリガリガリガリッッ!!!!
高速耳かき。ASMRを聴いていると、ふわっと魂が抜けるかのような、身体が宙に浮くかのような感覚に陥る時がある。その感覚を立て続けに感じることができるのが高速耳かきだと思っている。なにか辛いことがあったり、悩みがあったりしても、この高速耳かきASMRを聴いていれば一気に吹っ飛んでしまう。
「あッ!? そ、ソノラ、嬢ぉ……!?!? 急に、なに、を……! うああっ」
「ライゼル様……思い出してください……! 本当の自分を……! あなたこそがこの国の王なのです……!!」
「…………ッッ!! な、なにをいって、う、あ──っ!! んんッ!」
次第にライゼルの身体から力が抜けていくのが分かる。次第にぐったりとソファに横になり、全身を預けた。顔も真っ赤で、汗を掻いている。
洗脳されていたとしても、やはりライゼルの耳の感度は人並み外れているらしい。
ソノラはふと、腕を止めた。真っ赤な顔のライゼルが弱弱しくソノラを見上げている。
「そ、ソノラ、嬢……? 急にどうして止め……」
「よかった。まだ洗脳はとけていないみたいですね」
「え」
油断したライゼルの耳に突然空気が流れ込んできた。いや、違うこれは、音圧だ。ソノラが疑似耳に息をふきかけてきたのだ。
ふぅう……とソノラの唇から放たれた空気が疑似耳を通して音圧としてライゼルの鼓膜を刺激している。耳が音圧によって押し広げられているかのようだ。ライゼルはぞわぞわと背中に稲妻が走ったようだった。
「次はコルクをひっかく音も試してみましょう。乾いたコルクのガリガリ音は内臓に響く感じがとってもいいんです! あと、オノマトペも囁いてみますね。吐息たっぷり含ませてもかまいませんね……? 洗脳を解くためですから仕方ないですわよね?? あっ! 後で前回途中でとめられたスライムASMRも試しますね! ちゃんと小瓶に入れて保管していたんですよ。皮手袋も準備しております。ふふ、とっても楽しみですね……!」
ソノラは頬を赤らめ、目を輝かせていた。そんな彼女の様子にライゼルは困惑しながらも、それを嫌ではない自分に違和感を覚え始める。
そして次から次にやってくる音の刺激に次第にライゼルの思考は溶けていくのだった──。




