45.感情の名を
国境の川を挟んでアックスとサンルカル王国がにらみ合っている間に、国家間で様々な交渉が行われていた。帝国がエミリアナを女王とし、その配偶者に帝国皇族の男性をあてがう方法を提案したが、実行はされなかった。一番簡単な方法ではあるが、それで片が付くとは思えない。後ろ盾が帝国となっても、側室の王子たちは認めないであろうことはなんとなく察せられた。
幾度か、戦闘に至るほどではない小競り合いが起こった。完全に仕掛けてくるつもりがないのなら、軍を引けばいいのに、と思う。
川近くなのもあって寒くなってきたころ、サンルカル王の容体が回復し、次期王が指名された。側室の王子二人のうち、年下の方が選ばれた。ちなみに、エミリアナ女王案は、王にも却下されたようだ。
「何故ですの!? わたくしが女王にふさわしくないとでも言うんですの!?」
と、エミリアナは叫んだらしい。申し訳ないが、その通りだと思う。セレスティナが側にいれば「そのとおりね」とでも言っただろうが、まだサンルカル出身の三人はそれぞれ軟禁中だったので、ツッコむものはいなかった。
話を戻して、サンルカルの王位争いの件である。父王の支援を得られなかった方の王子は、あろうことか花の国に支援を求めた。まあ、後援を求める先としては、妥当ではある。帝国以外で援助を求めるとしたら、冬の女王だ。まだ即位してそう年月は経っていないが、大陸内で帝国の次くらいには力を持っているだろう。
だが、だからこそ冬の女王は慎重であるし、賢明だ。アックスはミカとともに彼女の戴冠式に参列したが、国を守る女王たらんとした凛然とした女性だった。彼女は、自分の国を危険にさらすようなことはしないだろう。
案の定、冬の女王はサンルカルの争いに介入してこなかった。むしろ、帝国と同調した。兄王子は孤立し、引き下がらざるを得なかった。勝手に宣戦布告したこともマイナスに働いたようだ。明らかに越権行為である。
一触即発の危機は去ったとはいえ、まだ警戒を解くことはできないし、何より雪深くなってきたことで結局アックスは王都から離れられない。川沿いの国境から退くことはできたが、エストホルムに帰ることができていないし、つまりは娘の顔を見られていない。産後すぐに仕事を放り投げてしまったミカの様子も気になる。じりじりしながら、アックスは雪が解けるのを待った。
そのころにはサンルカルも一応の落ち着きを見せ、宣戦布告は撤回された。セレスティナたちの軟禁も解かれた。まだ行動制限はせざるを得ないが、ほぼ部屋を出られなかった冬の間を思えば、かなりの自由が与えられた。
「今回はミカエラが私に情報を引き継いだことが、裏目に出ましたわね。官僚の中の諜報員は見つけられました?」
いまさらであるが、セレスティナがヴィルヘルムに確認した。同席しているアックスが口を開く。
「見つけました。すでに更迭してあります」
「アクセリスが言うということは、捕まっているのね」
苦笑気味にセレスティナはうなずいた。逮捕は軍務省の管轄だ。スパイ三人をアックスは強権を発動してとらえていた。流した情報によっては収監どころか処罰が待っている。
サンルカルから王妃として送り込まれてきたセレスティナも、故国とつながりがあるだろう。しかしそれは、この国と故国が敵対せず、親密な関係を築けるようにするための情報だ。敵対するためのものではない。そういう意味で、セレスティナは確かに、この国の王妃なのだ。
セレスティナたちが解放され、エミリアナとソラナの帰国のめどが立ったところで、アックスはやっと領地に戻ることができた。
「おかえり、アックス」
エストホルム城のエントランスまで迎えに出てくれたミカは、雰囲気が柔らかくなった気がする。顔立ちが変わったわけではなく、相変わらず中性的な面差しだ。だが、まとう雰囲気が違う気がする。アックスは妻に近寄るとその体を抱きしめた。柔らかな感触とにおいがする。
「ただいま。……仕事を投げてすまん」
「いいよ。ちゃんと戻ってきてくれたからね」
背中をぽんぽんとたたかれる。こういうしぐさは変わらず、アックスはミカの肩を強く抱きしめて、思わず笑むのを隠した。
「ロヴィーサの顔を見たい」
「そうだね。顔を見て泣かれても、泣いちゃだめだよ」
「わかってる」
アックスにとってロヴィーサは娘でも、ロヴィーサにとっては知らない人だ。ギャン泣きされる覚悟が必要である。
ゆりかごに寝かされた娘は小さかった。そう言うと、もっと小さかったのだ、とミカは笑った。
「首も据わっているし、短時間ならお座りもできるよ。体重も生まれたときの倍だしね」
そう言われて、思わずミカの腹を見た。前に会った時はふっくらしていた腹部は、もう平坦だ。だが、この腹の中にこの子が入っていたと思うと不思議な気持ちになる。
「……ミカに似ているな」
くすんだ金茶色の髪に明るい蒼の瞳は、どちらかと言うとアックスの色彩に近いように思う。だが、くっきりした目元がミカに似ていて、全体的にミカに似ているように思える顔立ちだった。
「うーん、みんなそう言うんだよね。私はアックスに似てると思うんだけど」
腕を組んでミカは首を傾げた。アックスはと言うと、言葉に違和感を覚えたが何も気づけずに受け流すことにした。
「抱っこしてあげてよ」
あうあう、と喃語を発しているロヴィーサを抱き上げて、ミカはアックスに差し出した。小さく柔らかく、もろい体をおっかなびっくりミカから受け取る。ミカは苦笑して「不安は赤子にも伝わるよ」と注意をした。
小さく見えた娘は、ズシリと重かった。命の重みだ。
「ロヴィーサ、お父様だよ」
隣からのぞき込んだミカが微笑んでロヴィーサのほほをつつく。きょとんとアックスを見上げているように見えたロヴィーサは、自分を抱き上げている男が知らない人間だと気づいたのか、ふにゃふにゃと泣き出した。
「ミ、ミカ!」
「はいはい」
慌てたアックスが差し出した娘を、ミカは慣れた動作で抱き上げる。少年めいた容貌だと思った彼女の顔は、優しい母親の顔をしていた。
王太后であるアックスの母は、アックスに対してこんな表情を見せなかった。わかってはいたが、母はアックスを愛していたわけではないのだ。アックスにやさしさを与えてくれたのは、幼いころに出会ったミカだった。
「そういえばアックス、眼鏡はどうしたの?」
乳母に娘を預けたミカがアックスを見て首を傾げた。アックスは自分の顔に触れる。奇異の目で見られるヘテロクロミアをできるだけ隠そうとかけていた眼鏡を、今日はしていない。
「いや……冬場の戦場に参じたら曇るので、そこからつけていないな」
それがいつの間にか当たり前になっていた。まだ持ってはいるけれど。
そうか。そうなってからミカに会うのは初めてなのだ。ミカがアックスの顔をのぞき込んで「いいんじゃない?」と言った。
「私はきれいだと思うし。それに、君を見る人はヘテロクロミアを見ているわけではなくて、君が美人で驚いているのではないかな」
かつて、同じようなことを言われたことがある。その時は受け入れられなかったが、今は苦笑とともに受け止めることができた。というか。
「『私』と言うようになったんだな」
「ああ……」
ミカは思い出したように苦笑を浮かべた。彼女は自分を『僕』と言うことが多かった。公私を分けていたし、自分を男として育てた親への当てつけもあったのだと思う。アックスは特に気にしていなかったが、いい顔をしないものもいた。
「ロヴィーサが母親の真似をしたらどうする、って言われてねぇ……まあ、僕は仕方がないけど、できるだけ一般的なことができた方がいいじゃない?」
「戻ってるぞ」
一人称が戻っている。と言うか、口調が今までと同じようなので若干の違和感がある。まあ、口調程度なら許容範囲なのではないだろうか。
ゆりかごに戻されていたロヴィーサが再び泣き出した。アックスにも先ほどと泣き方が違うのがわかった。
「あらら。おなかすいたのかな、それともおむつかな」
ミカが微笑んでロヴィーサの丸い頬を撫でる。反対側からアックスも頬をつつきながら口を開いた。
「ミカ」
「うん?」
「ありがとう。愛している」
突き詰めれば、そう言うことなのだとやっとわかった。男だとか女だとか、そういうことは関係なく、アックスはミカを愛しているのだ。
きょとんと眼をしばたたかせたミカは、不意に笑った。
「よかった。私だけだったらどうしようかと思ったよ」
さらりとそう言うと、ミカはロヴィーサを抱き上げた。母乳を与えるらしい。ミカの言葉が頭を貫くのに時間がかかったアックスは、完全に出遅れた。
「……は? ちょっと待ってくれ、ミカ!」
聞き直す前に、ミカはふふっと笑ってロヴィーサを抱えて行ってしまった。とても気になる。でも。
ミカも同じように思ってくれていると考えていいのだろうか。
そう思いいたると、とても面映ゆい気持ちになった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これにて完結です!ゴールをどこにしようか迷ったのですが、お互いが好きだと気づいたところで終わりました。
完結までちょっと時間がかかってしまいましたが、お付き合いくださった方、ありがとうございました!




