32.領地にて
リュードバリ公爵領エストホルムに帰ってきてほっとしたアックスであるが、一緒に戻ってきたミカが妙なことを言い出した。
「前から思っていたのだけど、アックスは体格のわりに力が強いよね」
「お前に言えたことじゃないと思うけど、そうだな」
見た目と実力が釣り合わない、と言う意味では、ミカも人のことは言えないだろう。理知的な容貌のわりに、彼女は武力がある。
「……僕に触られても大丈夫なんだよね?」
話が変わったような気がしたが、そうだな、とうなずき、アックスは緩く束ねられたミカの髪に触れた。銀髪と言うには、色の濃いアッシュグレーの髪。
「体を調べさせてほしいんだけど」
「……」
アメシストの瞳が好奇心に輝いて見えた。これまではアックスに遠慮していたのだろう。もともと、アックスはミカとなら触れ合いも平気だったのだが、そういう匙加減は当人にしかわからない。ミカとしては、ここ最近の深いふれあいで大丈夫だという確信を得たのだろう。
確信を得たのはわかるが、言われたのは突飛なことだった。これまで好奇心を抑えていたのがわかるので、許可を出した。調べると言っても何か検査でもされるくらいだろうと高をくくっていたのもある。
「人体としては普通だよね。筋肉のつき方もおかしなところがあるわけでもないし」
「……」
服をむかれて直接目視で調べられるとは思わなかった。やることがそういうことなので、天幕を下ろした寝台の上だということも妙な気分にさせる。
「……ミカは医療の知識もあるのか」
「僕は治癒術が使えるからね。多少の医学知識はあるよ」
「多才すぎる」
思わずツッコみを入れたが、調べる方に集中しているミカの耳には届かなかったようだ。素晴らしい集中力だ。違うときに発揮してくれ。
「ヘテロクロミアもどういう仕組みなんだろう。先天性だよね?」
頬を手で挟まれて瞳をのぞき込まれる。虹彩の色を確認されているのはわかるのだが、落ち着かない。何度も口づけてきたミカの顔が彼女から近づけられているという緊張と、このまま目をえぐり取られて調べられるのではないかと言う恐怖による緊張。
思わず、こちらからミカに口づけた。触れるだけだったが、ミカは「なんだ急に」と言うような眼を向けてくる。涼やかな面差しの彼女なので、そういう流し目は迫力がある。
「……口づけてほしいのかと」
「なるほど。で、実際は?」
「……生きたまま解剖されるかと思った」
「……」
「黙るな! 怖いだろう!」
「さすがに夫を解剖したりはしないよ! 生きててほしいからね!」
むくれるミカはかわいらしいが、そういう危機感を覚えるのだということを理解しておいてほしい。いや、疑ったのはアックスも悪かったが。
「本当にちょっと気になっただけなんだよ……人体の構造を無視してる」
「俺にとってはお前の頭の中が人類の脳の構造を無視していると思う」
「いたって普通……とは言わないけど、一応常識の範囲内だと思うんだけど」
不服そうにミカはそう言うが、脳構造は絶対にアックスと違うと思う。その小さな頭のどこにそれだけの知識が詰まっているんだ。ミカは小顔なので、必然的に頭の大きさも小さい。
「……ちょっと」
ミカの頭に手をやってしばらく考え込んでいたアックスは、気まずげなミカの声に意識を彼女に向けた。
「人を半裸に剥いておいて、今さらそんな顔をするな」
「いやあ、探求心がね……正直に言うと、人体構造を確認してみたくはある」
つまり、解剖したいということだ。我が妻ながらドン引きである。変人であることはわかっていたのだが。
「引かないでよ。思ってるだけで実行してないんだから推定無罪だよ。考えるくらい自由でしょ」
「……否定はしないが、お前は危険思考が多そうだな」
「実行してないから、推定無罪です」
「わかったわかった」
あまりにもミカがむくれるので面白くなってきて、アックスは少し笑った。怜悧な印象のミカだが、やはり可愛い。頬をなでるとびくっと肩をすくめた。だが、嫌がったりはしていない。頬から首筋をなでると気持ちよさそうに目を閉じる。髪をすくように撫でるとぱちりと目が開いた。
「おかしい。僕がアックスを調べていたはずなのに」
「……またしていいから、今日はもういいんじゃないか?」
妥協案を示すことにした。
エストホルムは豪雪地帯ではないが、そもそも北国なので多く雪の降る国だ。エストホルムも雪に包まれていた。そんな、寒いでは済まされない気温の中、早朝からミカは魔法素材を採取している。室内に戻れば、ミカのアッシュグレーの髪が一部凍っている。
「お前、冬の間は外に出ない方がいいんじゃないか」
パリパリと氷を髪から落としながら言うと、ミカもアックスの髪をわしゃわしゃとなでた。こちらも凍っていたらしい。こういう行動はミカの方が男らしいというか、乱暴なところがある。男として育てられたからと言うよりは、性格なのだと思う。正直、アックスより男前だと思う。
「それでも欲しいものがあるんだから仕方がない。アックスはついてこなくてもいいんだよ」
最近、採取についていっても何も言われなくなってきたが、久々に言われた。基本的に見ているだけなので、アックスは確かにいなくてもいい。少々魔法素材にアックスが詳しくなったが、それだけだ。
「外でお前が倒れているんじゃないかと心配するくらいなら、寒い方がましだ」
「過保護」
苦笑してミカは一言言った。だが、ついてくるなとは言われなかったので、妥協したようだ。
「でも、確かに外に出られなくなるねぇ。お姫様たちの受け入れ準備も、ここまで雪がひどいと準備に限度があるよ」
「雪が完全に融けてから来てもらうか?」
「その後の予定が詰まってるから、難しいと思うよ」
「わかっている」
言ってみただけだ。ミカもエミリアナたちをエストホルム城に招き入れることには乗り気ではないのだ。せっかくのアックスたちが自由にできる城なのに、と言うことである。
「むしろ、予定通りに行けばいいけどね。予定がずれてくると、修正かけていかなきゃいけないし」
「その辺はお前の担当だな」
「考えるのは僕かもしれないけど、君だってそれに振り回されるんだよ」
二人して顔をしかめる。常にないことが起こると面倒くさいのだ。城だけではなく、領地内の視察先にも連れて行かなければならない。エストホルムは運河が貫いているので、運河を遊覧することも考えている。行き過ぎるとアムレアンに突っ込むが、こちらはミカの領地。多少行き過ぎても問題ない。
「と言うか、夏に猟奇的殺人事件があったばかりなんだけど」
殺人など日常茶飯事であるが、猟奇的事件は結構珍しい。王都ほど治安はよくないのに、他国の姫君を招いていいのだろうか、とミカは言いたいのだろう。アックスはそれは思わないでもなかったが。
「事件は解決しているし、王弟である俺と王の秘書官であるミカの治める領地なのだから、他より治安はいいだろう、という結論が出たのを忘れたとは言わせない」
「わかってるよ」
むすっとむくれたミカの頬をつつく。アックスはミカと触れ合うと、なんとなく心が癒されるのを感じていた。
ヴィルヘルムがエミリアナたちを連れて王都を出発したと報告を受けたのは、それからひと月半ほどたったのち、春の足音が聞こえてくるころだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
遠慮が飛んだミカ。




