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26.理由














「驚いた……旦那様、何があったんですか」

「さあ」


 エンマに尋ねられるが、あいにくミカも答えを持ち合わせていない。首を左右に振るだけだ。


「化粧を落として湯につかりたい」

「準備ができております」


 ミカの感覚としては、泣いていたら突然キスされた感じだ。見つけてくれたのは、正直に言うと嬉しかったが、解釈違いだ。夫に何が起こったのか。いや、夫だから間違ってはいないのか?

 自分がアックスに向ける感情が、友愛ではないことには気づいていた。正確には、友愛から変化している。一応自分は異性愛者だったのか、と感心していたところだ。

 だが、アックスは女性恐怖症だ。幼いころからの付き合いのミカは大丈夫なようだが、ミカから向けられる感情が変われば、どうなるかわからない。なので、ミカは言わないことにしている。なんだかんだで、ミカもこの関係が居心地よいのだ。

 髪を乾かしているころになって、アックスが戻ってきた。彼も湯を使いに行ったが、話すことがあるのでソファに座って待つことにした。疲れたのでソファに横になっていると、上から覗き込まれた。


「眠いならベッドに入れ」

「アックスを待ってたの」


 ひょい、と体を起こす。アックスがミカの手を引いて立ち上がらせた。ミカも抵抗せずに引っ張られ、ベッドにあげられた。寝落ちを警戒されている……。

「なんで急にキスとかするの」

「泣いてたから?」

「されたときは泣いてなかったと思うんだけど」

 たぶん。おそらく……。ミカも自信がなくなってきた。そうか、と言いながらアックスの手が伸びてきて頬を撫で、首から肩を撫でられる。


「ちょっと。くすぐったい」


 身をよじってアックスの手から逃れようとするが、肩を掴まれた。軽く編んだ髪を撫でられ、今度は腰から足を撫でおろされる。くすぐったくて体が震えた。


「くすぐったいって言ってるでしょ! 僕も触るよ!」


 絶対に嫌がると思ってミカは言った。やけくそだった。これくらいでアックスはミカを嫌ったりしないだろうと言う見込みもあったが。


「いいぞ」

「え、いいの?」


 返事が予想外すぎた。だいぶ話がずれてきている。再びミカの頬に触れながらアックスは目を細めた。湯を使うときに外したのだろう眼鏡は、そのまま外されていて今はない。もともと、それほど目が悪いわけではないのだ。


「お前に触れる権利を持っているのは俺だけだ。触らなければもったいない気がした」

「はあ?」


 言い分に首をかしげる。思いっきり怪訝な表情をしている自覚がある。頬をつままれる。

「お前だって、俺に触れる権利がある。お前だけだ。お前なら、いい。お前がいい」

「ねえ、本当にどうしたの」

 と、最後まで言えなかった。蒼と琥珀のヘテロクロミアが目の前にあって、それでキスされているのだと気づいた。その瞬間にアックスの体を押し返すが、アックスは離れなかった。体勢が悪いのもあるが、そんなに身長が変わらないとはいえ、やはり男女だ。ミカの分が悪い。

 身を乗り出してくるアックスを避けるようにミカが下がる。下がり切れずに、上半身を支えるためにベッドに手をついた。ベッドに沈んだ手に、結局バランスを崩してあおむけに寝転がることになった。

「んんっ、はぁ……」

 唇が離れて、息を吐きだした。いつの間にか息を止めていたらしい。あおむけのミカの上に、アックスが覆いかぶさっている。この姿勢から抜け出すのは至難の業だ。許可を貰っていることを思い出して、ミカはアックスの頬に触れた。ヘテロクロミアが細められ、愛おしそうに見つめられて思わず手を止めた。

「どうした。別に大丈夫だぞ」

「そうじゃなくて……」

「ああ……」

 アックスは口角だけあげて笑みを浮かべた。


「俺はミカにもっと触れたい。嫌か?」

「……その聞き方は卑怯だよ」


 つまり、嫌ではない、いいと言うことだ。アックスもそう解釈して、「よかった」とつぶやいてミカの首筋に唇を寄せてきた。ぴり、と首筋に刺激が走り、これから起こるだろうことに、ミカは体をこわばらせた。












 隣で身じろぎしたのがわかり、ミカは瞼を持ち上げた。けだるい頭を動かしてそちらを見ようとするが、その前に髪を撫でられた。

「もう少し寝ていろ」

「……ん」

 頭を枕に戻す。いつもなら起きている頃合いだろうが、今日は起きられそうになかった。隣からアックスが離れていく気配がしたが、ミカの意識は再び眠りのふちに落ちていった。


 次に目を覚ました時は、もう少し意識がはっきりしていた。それでもしばらくぼんやりしていて、何度か瞬きした。それからゆっくりと体を起こすと、あらぬところが痛む。というか、普段生活をしていたら痛めないようなところが痛い。

「お目覚めですか、奥様」

 天蓋カーテンの外からエンマが声をかけてきた。

「お目覚めです……」

「何故敬語なのです。失礼します」

 すっとカーテンがあげられてエンマが顔を出した。ミカを見て一言。

「大丈夫ですか?」

「だいじょばない」

 無言でエンマが差し出したグラスを受け取り、水を飲み干す。一応自分の姿を改めてみると、ネグリジェは着ているし、痕は残っているが残滓はない。後始末はアックスが請け負ってくれたのだろうか。わからん。途中から記憶がない。


「今、何時?」


 今日は評議会がある。どうしても行かなければならない。起こされなかったということは、それに間に合う時間帯のはずだが。

「まだ朝ですよ。まあ、いつもの起床時間よりは、だいぶ遅いですが」

 普段が早起きすぎるともいう。早朝にしか採取できない魔法素材を入手しに行くためだ。

「そう……起こしてくれてもよかったのに」

「旦那様が寝かせておけ、とおっしゃいましたので」

 微笑ましいようにエンマに言われていたたまれなくなるミカだ。とりあえず、また湯を使うことにした。贅沢である。ついでに服を脱いだら嚙まれた痕もあった。絶対にアックスはサディストが入っている。

「レターセットを用意してくれる? 家とウリカに手紙を出すから。あと、おなかがすいた」

「承知いたしました」

 いつもよりゆったりしたドレスを着ながらミカが言うと、エンマがすぐに指示通りに動き出した。まずは、食事から。かなりおなかがすいているが、昼も近いので軽食だ。


 実家とウリカには、近いうちに伺いたいという手紙を書いた。ウリカに会うのは楽しみだが、実家に帰るのは気が重い。だが、年の離れた弟がどうしているかは気になる。まだ八歳で、かわいいのだ。

「午後からは評議会がございますが、午前中の間はいかがいたしますか」

「そうだね……今日のところはおとなしくしているよ」

 昨日の夜会明けの一日なので、遊学に来ているエミリアナとソラナも今日は予定がないはずだ。王妃に呼ばれない限りはこの部屋でおとなしくしている所存である。まあ、どちらにしろ午後から評議会だが……。


 昼頃、アックスがいったん戻ってきた。ミカの様子を見に来たらしい。

「起きていたか。大丈夫か? その格好、珍しいがかわいいな」

 しれっと褒められてミカは頬を赤らめたが、すぐに眉間にしわを寄せた。

「君、本当にどうしたの。この前からおかしいよ。急にあんなことするし」

「いいと言っただろう、お前」

「言ったけれど!」

 一応書類上は夫婦であるし、拒否するにはミカがアックスを好きすぎた。なんだかそれが腹立たしいのだ。ミカの問題であるが、もてあそばれている気がする……いや、アックスがそんなことをする人ではないと、わかってはいるけど。

「でも、だってもっと順序というものがあるのじゃないの!?」

「順序って、もう夫婦だろう」

「そういうことじゃなくて! 君、そういうこと興味ないんじゃないの!?」

「ミカには興味がある。何がそんなに気に食わないんだ?」

 ミカの迂遠な発言では理解できないらしく、アックスが切り込んできた。ミカは唇をもごもごさせたが、結局口を開いた。

「だって……理由がわからないんだよ。君は必ずしも子供を作る必要がないよね。……僕はアックスが好きだよ。君だって僕を好きだって言ってくれた。でも、情を交わすような感情じゃないよね」

 かなり言葉を選んだが、一応通じたらしく、アックスが驚いたようにミカを見つめた。


「ミカを愛しているのか、と聞かれたら、正直わからない」


 本当に正直だな、と思いつつ続きを待つ。


「だが、確かにミカのことは好きだ。手放したくない。一緒にいてほしい。だが……このままだと、白い結婚が成立してしまうと思って」

「はい?」

 しゅん、として言うことではないと思うが。


 いや、確かに夫婦が関係を持たないまま三年が経過すれば、白い結婚が成立し、貴族院に申し立て離婚することができる。アックスはミカにそれを突き付けられるのを恐れたらしい。確かに、この国の法律はアックスよりミカのほうが熟知してはいるが。

「アックス、頭撫でていい?」

 許可をもらってつややかなダークブロンドを撫でた。

「馬鹿だね。僕がそんなことするはずないだろう。無理して手を出す必要なんてなかったよ」

「いや……」

 頭をなでていたミカの手首をつかみ、アックスは言った。

「むしろ気分がよかった。泣き顔がかわいかった」

「君本気でサディストだな」

 いっそ真顔になって、ミカは突っ込みを入れた。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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