24.歓迎の宴
普段着ないタイプの明るい色のドレスにそわそわする。そもそも、デザイン自体がいつもより少々少女趣味だ。似合っているようなので、まあいいが。
「皆様、お集まりいただき、ありがとうございます」
ヴィルヘルムが夜会開始の宣言を口にした。続いて、遊学に来た姫君たちが紹介される。エミリアナもソラナも、近衛騎士にエスコートされている。見目で連れてこられたのだろう近衛騎士たちだが、さすがに慣れている。近衛というのは高位貴族の子息や見目の良い若者で構成されており、こうした姫君のエスコート役などに駆り出されることも多いのだ。
楽団が演奏を始める。ワルツだ。客人から、ということでまずエミリアナとソラナがステップを踏む。エミリアナは慣れたように悠然と、ソラナは緊張の面持ちだった。対面の近衛騎士が苦笑している。
「セレス」
「はい、陛下」
ヴィルヘルムがセレスティナの手を引いてダンスフロアへ向かう。舞踏会も兼ねているこの夜会、王が踊らねばほかの貴族が踊れない。アックスもミカに手を差し出してきた。
「ミカも、ほら」
一瞬、アックスのほっそりした、しかし骨ばった手を見つめる。剣を握る軍人の手だ。ミカも剣術の心得はあるが、ミカの手とは違う。身長は同じくらいでも、体格が違う。骨格から違うのだ。どんなに艶麗でも、アックスはやはり男で。
「ミカ?」
呼ばれてはっとした。ぱちぱちと瞬きするミカを見て、アックスは彼女の手を攫って引っ張った。やや強引に連れ出されたが、抵抗はしなかった。少し考え込んでしまっただけで、もともと応じるつもりだったのだ。
音楽に乗ってステップを踏みながら、アックスがミカに尋ねた。
「嫌だったか」
一瞬、何を言われたのかわからなかったが、すぐに「ああ」と理解する。これまでの夜会で、ミカとアックスが踊ったことなど数えるほどだ。
「そうじゃないよ。ちょっとびっくりしたけど」
「そうか」
ほっとしたように眼鏡の奥のヘテロクロミアが緩む。ミカもつられて微笑んだ。しばらくワルツなど踊っていなかった気がするが、意外と体が覚えているものだ。
「たぶん、姫君たちのどちらかを相手にしなければならない。だから、最初はお前がよかった」
その理屈はよくわからないが、女性恐怖症にしては前向きな言葉だな、と思った。まあ、もともとエスコートに困るほどの重症ではなかったのだが。
「ええっと。ありがとう?」
「ああ」
一曲ミカと踊った後、アックスはソラナの手を取った。ミカはミカで近衛騎士に誘われた。義理だな、と思う。ここでミカが誰からも声をかけられなければ、浮いてしまう。それを悟って近衛騎士が動いたのだ。社交界での評判の悪さを突き付けられたわけだ。社交界では評判が悪いが、近衛騎士の評判は悪くないミカである。
だが、その近衛騎士と踊った後に一度廊下に出た。ダンスフロアが盛り上がってきたので、一時退避したのだ。
珍しくアックスがダンスフロアにいるので、誘われないかと令嬢たちがそわそわしている。王妃の座は難しくても、王弟妃ならば、と言ったところか。ミカは思わずため息をついた。
義理にせよ、アックスがソラナの手を取ったのを嫌だと思った自分がいるし、そう思った自分のことも嫌だ。考えないようにはしているが、この気持ちの答えはわかりきっている。
「やめてくださいっ。大丈夫ですから……放して……!」
化粧直しをした後に廊下に出ると、そんな声が聞こえてミカは思わず顔をのぞかせた。鮮やかな赤い軍服の正装はサンルカルからエミリアナたちについてきた近衛のものだ。この国の近衛の制服が紺青なのである。
「一人なんだろ? エスコートしてやるって」
体に触れることはしないが、二人で進路をふさぐようにしていて、はさまれた淡いオレンジのドレスの令嬢はおびえていた。気の弱そうな子を狙って声をかけたのか。
「どうしたのです」
「あ……」
令嬢が思わず口をはさんだミカを見て視線を泳がせる。素直に喜んでいいのかわからない、というような表情だ。十代半ばほどだろうか。かわいらしい印象だ。
「へえ。奥様も俺たちにエスコートしてほしい?」
「真面目そうな顔して、やるねえ」
にやにやと下種なことを言われるが、サンルカルからの近衛のくせに、王弟妃のミカの顔が分からない時点でもうアウトだ。ミカは令嬢と二人の間に割って入る。
「やめなさい。ほら、あなたはホールの方へ戻りなさい」
「で、でも」
「いいから行きなさい」
令嬢が一瞬ミカを見つめて、ホールの方へ向かって駆けだした。おい、とサンルカルの近衛が手を伸ばすが、その腕をひねり上げる。
「何しやがる、この女!」
「それはこちらの台詞だ。異国だぞ、もっと品のある振る舞いをしなよ」
「この……っ」
サンルカルの近衛が捨て台詞を吐こうとしたようだが、その前にこちらの近衛が来た。
「何をしている!」
現状として明らかに何かしているのはミカの方だったが、しれっとひねり上げていた腕を解放する。そちらのサンルカルの近衛はその場に膝をついた。
「ご無事ですか、リュードバリ公爵夫人」
「ああ、うん」
確か、アックスの副官だ。顔くらいは知っているが、名前は何だったかな。
「どこ見てんだ、お前! 明らかにそっちがやってるだろうが!」
「か弱いご婦人に抑え込まれるなど、近衛の名折れですね」
「な……っ」
思わずミカは噴出した。唖然とした後に赤くなったサンルカルの近衛は、確かにミカが、背が高いが『女性』であると気づいたらしい。今更だが。その上で、貴族の女性に抑え込まれる近衛など近衛ではない。
「公爵夫人も、無茶はなさらないでください」
「特段無茶ではないと思うんだけど」
「我らが閣下にお叱りを受けるのですが」
そういえば、彼はアックスの部下だ。ということは、近衛ではなく国軍籍だ。制服も軍のものである。おそらく、客人がきているので警備強化のために駆り出されているのだろう。アックスもそのようなことを言っていた気がする。
もういいからいけ、と言われて肩をすくめつつホールの方へ戻る。その入り口で声をかけられた。
「レーヴ女伯、一曲おつきあい願えないだろうか」
思わず目をすがめてしまったのは指摘しないでほしい。意外な相手だったのだ。
「ええ。では、お願いしようかしら」
友人ウリカの夫ノンデルフェルト伯爵に手を取られ、ダンスフロアに再び入った。それにしても、ミカは呼び名がいくつもあってややこしい。
優雅にリードされながら、話しかけられる。
「無事に切り抜けられたようだな」
何のことかと思ったが、さっきのサンルカルの近衛たちのことか。
「うちの警備をよこしたの、伯爵?」
「だとしたらなんだ」
「いや、ちょっと意外で……あなた私のこと嫌いじゃない」
「好きとは言えないな」
王弟殿下に殺されてしまうし、とノンデルフェルト伯爵。いや、アックスはそんなことしないと思うが。
「そう思っているのは女伯だけだ。……令嬢を一人、逃がしただろう」
「そこまで見ていたの」
「……サンルカルの近衛の態度がよくないのは、私も気づいていたからな」
一応気にかけていたようだ。というか、やはり誰が見ても態度が悪いのだな。近衛どころか人間としてどうかと思う。
とにかく、ノンデルフェルト伯爵も気にしてくれていたらしかった。
「とりあえず、ありがとう。ウリカの調子はどう?」
「つわりでうなっている」
「手紙にもそうあったね」
「……女伯に会いたいそうだ。訪ねてくれると助かる」
「承知した」
思わず苦笑を浮かべた。ノンデルフェルト伯爵は不服そうだが、身重の妻には勝てないらしい。笑ったミカを見て、ノンデルフェルト伯爵は眉を顰める。不快そうなのではなく、不思議そうだった。
「あなたは羨ましいなど思わないのだな」
「何を?」
本当にわからなくて、ミカは聞き返した。曲も終盤だ。
「後から結婚した友人が、先に身ごもったことだ」
「ああ……」
そういうご婦人は多いのだと言う。先に結婚したり子供を授かったりした友人をうらやんだり、ねたんだり。
「そうだな、羨ましいとは思うかな」
「そうなのか」
本気で驚いたような顔をされるのが腹立たしい。
「思う。だって、ウリカは伯爵に愛されていると言うことでしょ」
「……それは王弟殿下に言った方がいいと思うが」
「言わない」
引かれたらどうするのだ。ミカが困る。
「……自分のことは見えないものなんだな」
「はあ?」
怪訝な声を返したところで、曲が終了した。お互いに一礼する。
「今度うかがう」
「ウリカに伝えておく」
という簡素なやり取りだけして、別れた。さすがにそろそろアックスと合流した方がいいだろうか、と周囲を見渡す。ミカは女性にしては背が高いが、頭が抜けているわけではないので、男性にしては小柄なアックスを見つけられない。
「ミカエラ」
また声をかけられて、ミカはゆがむ表情を何とか抑えた。父のアレリード伯爵オリヴェルだ。母と共にこの夜会に参加しているのは知っていた。
「お前、伯爵などと仲良くしている場合ではなかろう。アクセリス様との仲はどうなっておるのだ。異国の王女にとってかわられるのではないか」
確かに今、アックスはエミリアナをエスコートしているが、それは外交上の問題で仕方がないだろう。論理が飛躍しすぎている。
「父上には関係ないでしょう。放っておいて」
「関係なくあるか。お前の行いが私の評価に直結するのだ!」
父の声に数人が振り返ったが、すぐにおしゃべりに戻って行く。もはやミカの醜聞など興味に値しないらしい。今はみんな、異国からやってきたお姫様に夢中だ。
「だから何。ぼ……私はレーヴ伯爵で、独立してるんだよ。関係ないよ」
「ミカエラ! もう少し可愛げのある振る舞いができんのか」
だからアクセリス殿下も、と言い募る父を鼻で笑う。
「僕を男として育てた父上が言っていいセリフじゃないね」
「ミカエラ!」
「放っておいて!」
父よりもミカの声の方がよく通った。驚いたように周囲がミカを見る。彼女はすべてを振り払って父の側を離れた。とにかく、一人になりたかった。
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