18.毒を食む
その日は誕生会だった。五歳になる王太子マウリッツは父のヴィルヘルムによく似ていた。髪の色は父親よりも濃いが、目は透き通るような緑だ。そして可愛い。ミカは勘違いされやすいが、普通に子供が好きである。
しかし、おそらくこの子のこともあって自分は責められるのだろうな、とも思う。マウリッツは、セレスティナがヴィルヘルムに嫁いできた翌年に生まれた子だ。王妃は立派に務めを果たしているのに、お前は、ということである。余計なお世話だ。
誕生会と言っても、身内だけの小さなものだ。しかも、身内と言っても存命のヴィルヘルムの母、王太后はいない。彼女が来れば、アックスが顔を出さないからだ。母親に虐待同然に育てられた彼は、いまだに母親に恐怖心を抱いている。ついでにいえば、王太后はミカのこともよく思っていないので、いない方が穏便に済む、とヴィルヘルムは思ったのだろう。
ちょっとしたお茶会だ。これくらいの年の子は、大人に混ざれたように喜ぶのである。プレゼントを手渡されて無邪気に笑うマウリッツは純粋にかわいい。
ところが、こういう場でのアックスとミカ夫妻は多弁ではない。ヴィルヘルムとセレスティナが話を振るので何とか会話が成立している、というレベルである。
「あなたね、もう少し話を膨らませなさい」
マウリッツがアックスと話している隙にセレスティナにささやかれて、ミカは眉をひそめた。
「子供と話せるような話題がありません」
「つまらない人生ね! 逆に最近は何をしているのか、とか聞いてもいいじゃない」
「なるほど……」
「君たち、結構仲良しだよね」
ヴィルヘルムがこそこそ話している自分の妻と弟の妻を見て苦笑した。二人は真顔で言う。
「別によくはありません」
「えっ。おかあさまとおばさま、けんかしたんですか。だめですよ」
きょとんとマウリッツがそんなことを言った。真剣な顔で、「めっ、です!」と訴えてくるので、思わずミカもセレスティナも笑い出した。
「おい、大丈夫か」
「笑いすぎじゃないか?」
あまりに笑うので、夫たちが心配している。笑いを納めたセレスティナが話しかけたのは夫ではなく息子だった。
「大丈夫よ。喧嘩したわけではないわ」
心配させてごめんね、とマウリッツの頭をなでるセレスティナは母親の顔をしていた。たぶん、普通の母親というものはこういった人なのだろうと思う。
「では、なかよしですね」
発想が極端すぎる。セレスティナは話を合わせて「そうねぇ」と微笑んでいる。アックスがミカを隣から小突いた。
「ミカ、子供だぞ。話を合わせるくらいしてやれ」
「わかってるよ。ていうか、君に言われたくないよ」
「おう、夫婦げんかするなら帰ってからやってくれ」
ヴィルヘルムにツッコまれ、アックスとミカは黙り込んだ。ふい、とそらした視線の先で、使用人の動きが目についた。
「私にいただけるかしら」
ミカが手をあげて言うと、使用人は戸惑ったようだがヴィルヘルムがうなずくのでミカにお茶を出した。見た目は普通の紅茶だった。ちょっと飲んでみる。
「ミカ、ケーキを食べるか?」
「食べる」
アックスが新しく出されたケーキを取り分けてくれた。給仕係が慌てているが、アックスはマイペースだ。ミカも気にせず皿を受け取ってケーキをほおばる。さすがは王宮。おいしい。
紅茶を半分ほど飲んだ時、胸の奥がちりっとした。カップをソーサーに戻して、立ち上がる。
「ミカ、どうした」
「……いや、ちょっと」
そのまま席を外す。不快感が増している。アックスが慌てたようについてきた。外回廊に近づいたところでミカは膝をついた。慌てて口を押さえた。
「げほっ」
喉から熱いものがせりあがってきて咳き込む。指の間から血があふれて、いよいよアックスが悲鳴を上げた。
「ミカっ!」
抱き込むように肩を支えられた。背中をさすられるが意味がないやつだぞ。支えられているのでありがたく頼る。だが、苦しい。息ができない。
いつの間にか気を失っていたらしい。気づくとベッドの中の住人だった。
「奥様!」
声をあげて覗き込んできたのはエンマだった。王都のリュードバリ公爵邸ではないと思うのだが。
「お目覚めですか? 私のことが分かりますか?」
名を呼ぼうとして喉が枯れていたので、うなずく。エンマはほっとしたように表情を緩ませた。
「気が付かれてよろしゅうございました。今、お医者様を呼んできます」
呼び止める前にエンマは医者を呼びに行ってしまった。というか、声が出なかったので呼び止めることもできなかっただろうが。
医者の診察が終わるころ、アックスが駆け込んできた。ミカ、と叫びながら入ってきたので普段なら苦言の一つも言うところだが、あいにく声が出ない。泣きそうな表情のアックスを見守った。
「よかった……!」
声は出ていないが、しっかりと意識のあるミカを見て、アックスはベッドサイドに崩れ落ちた。珍しい反応である。ちなみに、喉は毒を飲んだので痛めている。
「お前、毒を飲んだんだ。紅茶の中に入っていた。お前、わかっていて飲んだんじゃないか?」
涙目かつ涙声で言われる。確信があったわけではないが、そうなのではないかと思っていたので、アックスの指摘は正しい。黙って見つめているとアックスはミカの手を取って額に押し当てた。
「とにかく、目が覚めてよかった……!」
どうやら、相当心配をかけてしまったらしい。さすがに、ちょっと申し訳なくなった。
ミカは目を覚ましてすぐ、リュードバリ公爵邸に移った。こちらの方が安全だからだ。何となれば、宮殿で王妃セレスティナが嫌がらせに関与していた侍女や女官たちを一斉検挙しているのだ。屋敷に移る前に、「体を張りすぎ」というお言葉をいただいた。だが、ミカが毒を飲んだことから犯人の足掛かりをつかみ、一斉検挙に乗り出したそうだ。さすがである。
動けないミカがいては、邪魔になる。そのための移動だ。いや、セレスティナに任せきりにしてしまって、申し訳ないとは思っている。回復したらお礼をしに行こう。ミカは成り行き上一日中屋敷にいるが、どうやら嫌がらせもなくなったようだ。
「奥様」
ミカが一日中屋敷にいるためか、侍女たちはあれこれと世話をしたがる。ソファで本を読んでいたミカは「何?」と尋ねた。
「あの、アレリード伯爵夫人がいらっしゃっていて……」
「……」
アレリード伯爵夫人。つまり、ミカの母親だ。この母親が、ミカは父よりも苦手だった。父はプライドが高いし、虚栄心も強いが、まだ話し合いの余地はある。彼の利益になることなら、交渉は可能だからだ。だが、母は違う。母は完全な善意でミカをかまってくる。ありがたいことではあるのだが、価値観が違いすぎて話していると辛い。
とはいえ、わざわざ来てくれたものを追い返すわけにはいかないので、部屋に通してもらった。くつろいだ部屋着にショールを羽織っただけだが、療養中なので許してほしい。
「久しぶりね、ミカエラ。思ったより元気そうでよかったわ」
ほっと、本当に安心したように母のカイサは言った。ミカも「母上も元気そうね」と微笑む。社交は苦手だが、取り繕うことくらいはできる。たぶん。
「本当に心配したのよ。倒れたと言うじゃない。横になっていなくていいの?」
「大丈夫よ。本当に、大したことはないの」
大したことはなくはないのだが、解毒もうまくいっているし、ミカも体力があるので大事には至っていない。アックスから聞いていたが、ミカが毒を飲んだと言う話は外に出していないようだった。
「ならいいのだけど……ねえ」
「何?」
神妙な表情をされるので何を言われるのだろうと身構えると、カイサは神妙な表情のまま尋ねた。
「子供ができたの?」
「はあ?」
思いっきり怪訝な声が出て、カイサに「淑女らしくないわよ」と苦言を呈された。
「できてない」
「そう? そろそろかと思ったんだけど……」
「授かりものでしょ。私たちではどうしようもないわ」
いっそ冷淡に言ってのけるが、カイサには通じなかったようだ。でもね、と話を続けられる。
「やっぱり、貴族に嫁いだ以上子供を産むことは責務だと思うの。公爵は王弟でもあらせられるでしょう?」
「特に後継ぎは求めてないって言ってたけど」
「でも、結婚して子供を産むことが女の幸せじゃない。良妻賢母を目指して淑女たらないと、私たち貴族の女の幸せは」
「いい加減にして」
ひとまず最後まで聞こうと思ったのだが、思ったよりミカは短気だったらしい。全然聞けなかった。
「ミカエラ」
「それは母上の思う幸せだよね。僕の幸せじゃない」
「ミカエラ!」
淑女たれという母の前なので取り繕っていたものも取り払った。カイサが眉を吊り上げるが、それくらいで止まるミカではない。
「見舞いに来てくれたのには感謝してる。ありがとう。でも、今日のところは帰ってくれないかな」
「……気に障ることを言ったかしら……」
カイサが不安げにミカを見た。これが分からないから母は母なのだなぁと思う。
「僕が短気なだけだよ。今度、そっちの屋敷にもうかがうよ」
「本当は、アレリード家で療養しないかと誘いに来たの」
「しない」
余計に落ち着けないだろう、それは。ミカの都合ではあるが。生家で落ち着いていたことなど、今となってはないような気がする。
「そう……とにかく、顔を見られてよかったわ。気が変わったら言ってね」
「わかった。見舞い、感謝します」
どうにか穏便に追い出して、ミカはため息をついてソファにもたれかかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
王妃と話が合うことはあっても、母とは合わない。




