(48)魔法のヘビ
“シェモンの森”で儀一に戦いを挑み、あっさり返り討ちにあったドランは、ひとり森の中で目覚めた。
しばらく考えたのち、自分が気絶していたらしいことが分かった。
顎先に一発もらったらしい。
ありえない。
儀一の身体つきや動きは素人そのもの。
負けるはずがないのだ。
偶然だ。ラッキーパンチだ。そうに違いない。
そう言い聞かせようとしたが、地面に伏している自分を尻目に、悠然と立ち去って行く儀一の姿を想像すると、堪えようのない怒りを感じた。
このままで終わらせるわけにはいかない。
“村会議”の間中、いや始まる前から、ドランは爆発寸前だったのである。
「勇者の剣をかけて、オレと勝負しろ! 決闘だ!」
まるで昭和の漫画のような展開だなぁと、儀一は思った。
“シェモンの森”で水属性魔法を使えば、ドランの戦意を完全に挫くことができただろう。あえて拳で挑んだのは、ヌジィに隙を与えないためだった。
魔法を使って、一方的に叩きのめされた。
“村会議”でドランにそう主張をされた場合、ヌジィから償いを強要される可能性がある。
しかし、純粋な肉体戦――と、ドランが認識してくれたならば、ヌジィに事情を話すことはないはず。
結果は予想通りであったが、何とも暑苦しい展開になってしまった。
「ドラン、滅多なことを言うでない!」
ヌジィが一喝した。
「勇者の剣に関しては、もう結論が出ておる」
「うるせえ!」
それ以上の声量で、ドランは返した。
「メダルを使って勇者の剣を探し出したのは、そこにいるギーチだ。その剣は、ギーチのものだろうが!」
「なんじゃと」
「こそこそと、裏で動き回って、うざってーんだよ、根暗じじい!」
「き、貴様、誰に向かって……」
「黙ってろ、枯れ枝が! 張り倒すぞ!」
ドランは祖父に向かって拳を突き出した。
激昂したドランに理屈や常識は通用しない。そしてこの場に、ドランを止められる者はいない。
遅まきながらそのことに気づいて、ヌジィは沈黙した。
「ああ、そうだ。最初からこうすりゃよかったんだ」
誰かに語りかけるように、ぶつぶつとドランは呟いた。
「じじいも、モゼも、 ブッキですら、このオレを馬鹿にしやがる。誰ひとり、オレに勝てねぇくせによ」
感情の制御を失ったような笑みを浮かべながら、大広間の片隅にいる儀一のところへ歩み寄ろうとする。
その前に、すっとトゥーリが立ち塞がった。
「ギーチさんは、私の恩人よ」
華奢な身体つき。
ドランであれば片手で張り倒せるだろう。
「無礼は、許さないわ」
覚悟を決めた口調である。
そんな親友の隣に、タチアナが寄り添った。
「久しぶりに、私が相手をしてあげようか。あんた、私に一度も勝てたことないでしょ?」
それは、十年以上も前の話だ。
今のタチアナは、ただの主婦である。
かつて姉のような存在だった二人を、ドランはあざ笑った。
「そんなんで、オレがビビると思ったのか?」
大切な何かを捨ててしまったかのような、危うさ。
そんな気配を感じて、二人が慄く。
だが、引こうとはしない。
目に見えない均衡が破られようとする、その直前。
「その決闘、受けるよ」
この場にはまったくそぐわない声が、緊張を霧散させた。
「三日後の正午、この場所で。どうだい?」
気軽な感じで、儀一が提案した。
「ギーチ」
「ギーチさん」
ドランは意表を突かれた顔になり、それからにやりと笑う。
「剣術なら、まぐれ勝ちはねぇぞ」
「だと、いいけどね」
「ボコボコにしてやる」
「じゃあ、へろへろにしてあげるよ」
ヌジィに目配せをすると、儀一はひとり大広間を出て行った。
自分がいなければ、この場が収まるという判断だ。
後のことはヌジィに任せておけばよい。
「ははっ、こいつはおもしれぇことになってきたぜ!」
拳で手のひらを打ちつけながら、ドランもまた大股で立ち去っていく。
とりあえずの危険は回避できた。
ほっとすると同時に、大広間には重苦しい沈黙が漂った。
そんな中、イゴッソが心配そうな顔でヌジィに聞いた。
「あのぅ、村長。ギーチが村を出て行ったら、木こりがオレひとりになっちまうんですが。誰かあてはあるんですかい?」
「――ッ」
ヌジィは激昂して、イゴッソを怒鳴りつけた。
もう、この村には居られない。
寄り合い所から家に向かう途中、ドランの精神は喪失感と同時に、まるで手枷が外れて自由の身になったかのような解放感に満ちていた。
どうせこんなちんけな村とは、おさらばしようと思っていたのだ。
年寄りや、わがままな女たちや、生意気なガキたち。
力もないくせに、どうしてあんなに偉そうなんだ。
少しだけ冷静になったドランは、儀一を叩きのめしたあと、どうしようかと考えた。
力仕事でもして食いつないでいくか。
いや、誰かの下につくのはもうたくさんだ。
となると、冒険者か。
家柄も性別も年齢も関係なく、自分の腕一本で稼ぎ、のし上がっていく冒険者は、自分の性格に合っているのではないと、ドランは考えた。
よし、決まりだ。
この時、ドランには隙があった。
ぼんやりとした月が照らす薄暗闇の中、道端の木陰に佇む人影に、直前まで気づかなかったのである。
「やあ」
その人影は、つい先ほど決闘を申し込んだ相手だった。
まったくの予想外の展開に、ドランは混乱した。
「お、お前……」
「創湧水」
どこからともなく、膨大な水の塊が生まれた。
「操水」
そして、水の塊がぐねぐねと蠢く。
記憶と心に刻み込まれた恐怖が、ドランの中に蘇った。
「み、水の、魔法……」
「どうして、使えないと思ったんだい?」
まるで生徒の間違いを正す教師のように、その人影は言った。
「暴力によって他人を屈服させようというのなら、逆に、自分が同じ目に遭うことも覚悟しないといけない。そうだよね?」
「あ、ああ……」
今のドランは素手である。
それに、あの水は鞭のようにしなり、様々な角度から、絶対に回避できない数量で打ちつけてくる。
まさに暴力という表現がふさわしい攻撃なのだ。
蠢く水の先端が、分離した。
それは手の平に収まるくらいの、小さなヘビを形作った。
とぐろを巻きながら、鎌首を持ち上げる。
「加速」
その瞬間、ヘビは目も眩むようなスピードで、ドランの口の中に飛び込んできた。
無理やり喉をこじ開け、通り過ぎ、胃の中に落ちる。
「――カハッ! ゴホッ」
ドランは地面に膝をついて、苦しそうに咳き込んだ。
「い、今のは……」
「魔法のヘビだよ」
人影は説明する。
このヘビは、いずれ腹の中で暴れまわる。
胃袋を喰い破り、腸を喰い散らかしながら、飲み込んだ者にむごたらしい死を与えるのだ。
「な、な……」
にゅるりと、胃の中で何かが動いた。
「このヘビを大人しくさせる方法は、ひとつしかない」
「え……」
それは、眠らないこと。
強い意志の力があれば、ヘビの活動を抑えることができる。
だが眠った瞬間、ヘビは活動を開始する。
「もし決闘で、僕に勝つことができたなら」
人影は、優しい口調で約束した。
「そのヘビを、消してあげるよ」
にゅるりと、胃の中で何かが動いた。
その日から、ドランは食事もとらず、部屋の中に閉じこもってしまった。
時おり、意味不明な叫び声と、何かを殴りつけるような音が響き渡り、家族ですら声をかけようとはしなかった。
そして三日後。
目の下に隈をつけながら、ドランは部屋から出てきた。
その顔は血まみれで、腫れ上がっていた。
自分で自分を殴りつけたのだ。
「寝ちゃだめだ。寝ちゃだめだ。寝ちゃ……」
ぶつぶつと呟きながら、ドランは木刀を手に、家を出た。
ふらつく足取りで、寄り合い所に向かう。
このような状態で勝てるはずもない。
しかし、決闘を放棄することはできなかった。
この三日間、ドランはひと時も休まることもなく、死の恐怖と戦い続けた。
異国人など、どうでもよい。
勇者の剣などいらない。
ただただ、死にたくない。
ドランは決闘をする前に、土下座をして許しを請うつもりでいた。
それ以外に助かる方法がないと考えたからだ。
やっとのことで寄り合い所にたどり着いたドランは、自分自身を励ましながら相手が来るのを待った。
すでにへろへろである。
やがて、定刻を迎える。
そして、定刻を過ぎた。
いくら待っても、誰も現れはしなかった。




