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(34)体重

 儀一のマンションの洗面所には、最新型の体重計がある。

 体重だけでなく、体脂肪率、筋肉量、体内年齢、推定骨量、体水分率、基礎代謝などの項目が測定可能であり、過去の測定結果も記録されていく。

 

「……」


 それはほんの気まぐれだった。

 漠然とした不安感と、楽観的な予想。


「まさかそんなはずは、ね?」


 あまり深くは考えずに、そろりと足を伸ばす。

 数字は嘘をつかない。

 冷酷な現実を、そのまま突きつけてくる。


「なんじゃこりゃあああっ!」

 

 カミ子は絶叫した。






「神さま。服を着てください」

「それどころじゃないよ、山田さん!」


 バスタオル一枚というあられもない姿で脱衣所から出てきたカミ子は、ずんずんと詰め寄ってくる。

 夕食中である。

 ねねが驚き、蒼空が真っ赤になって目を逸らしたが、蓮、結愛、さくらなどは「またカミ子か」という感じで、もぐもぐ食事を続けている。

 カミ子は腰に手を当てると、胸を強調するような前屈みになった。


「体重計が、壊れてるんだよ!」

「あれは、ほとんど新品なんですが」


 儀一はため息をついた。


「具体的には、どれくらい増えました?」

「ご――三キロ、くらい?」

「正確には?」

「五キロだよ、ちくしょう!」


 頭を抱えながら、カミ子は身体をくねらせた。


「カ、カミ子さん! タオルが落ちます」


 慌てたようにねねが立ち上がって、カミ子を脱衣所までつれていく。

 わざわざ人間の身体を作ってまで、ミルナーゼに異世界転生してきたカミ子の目的は、この世界での生活を体験することだったはず。

 だが、ドランたちに窃盗の容疑をかけられ、“村会議”で審議を受けたカミ子は、極度の人間不信に陥ってしまった。

 一時期、十日ほど、儀一とともに“オークの森”へ出かけてジュエマラスキノコを収獲したこともあったが、その後はずっとマンション内にいて、パソコンで動画を見たり、更新もされないネット小説を読破したり、あとは酒を飲んで酔いつぶれて眠ったりしている。

 もはや穀潰ごくつぶし以外の何者でもなかった。

 半纏はんてんにラクダの股引ももひきという、すっかりおなじみになった姿で戻ってきたカミ子は、ソファーの上で胡坐をかくと、人間の身体について文句を言い始めた。

 

「だいたい、自分の意志で脂肪を燃焼させられないなんて、欠陥品じゃないか。くそう。こんなことなら、体型維持のパッシブスキルでも作っておけばよかった」


 命を懸けたサバイバルで、そんな悠長な特殊能力を取得する者はいないだろう。


「ああっ、ボクの完璧なスタイルが、美貌が! いったいどうしてくれるんだい!」


 どうしようもない。

 全員、我関せずという感じで、おとなしく食事をしている。

 カミ子はふと気づいたように、ねねの腰の辺りを観察した。


「二宮さんは、あんまり体型変わってないみたいだね? ボクと同じ食事を食べているのに」

「え、ええ。そうみたいです」


 ねねは家事だけでなく、村の子供たちの遊び相手もしている。生前よりも運動量が増えたくらいだ。

 カミ子は舌打ちした。


「カミ子も運動したらいいじゃん」


 結愛があきれたように、もっともなことを言った。


「運動って何さ?」

「ランニングとか」

「はっ、ただ走るだけとか」


 カミ子は馬鹿にした。


「そんな無意味な行為に時間を費やすなんて、おろかな人間くらいのものだよ。無駄に蓄えたエネルギーを、苦しい思いをして、ただ放出するだけじゃないか。そんなんだったら、最初から食べなきゃいい」


 だったらそうすればいいのにと、全員が思った。

 

「では、散歩はどうですか?」


 カミ子の扱いに一番慣れている儀一が提案した。


「散歩だって、ランニングといっしょでしょ?」

「散歩には、風情ふぜいがありますよ」

「風情? 何それ」


 こういった数値では言い表せない単語に、カミ子は弱い。

 儀一はもっともらしく説明した。

 散歩はただ歩くだけではなく、多くの感覚を刺激する行為である。

 太陽の光や風を肌に感じ、自分の足音や遠くにこだまする鳥の鳴き声を聞き、土や植物の匂いを感じる。


「それに、カロン村やその周辺には、様々な歴史的遺物があります。過去を振り返って当時の様子を想像するだけでも、楽しいものですよ」

「話を聞く限り、あんまり面白くなさそうだけど」

「まあ、少なくとも悪い気分にはならないはずです」

「う~ん」


 カミ子は考え込んだ。


「何か、心配ごとでも?」

「……くない」

「え?」


 屈辱をかみ締めるように、カミ子は言った。


「完璧じゃないボクの体型を、群衆の目に晒したくない!」

「もう晒していると思いますが」


 ずっと同じ家で暮らしている間柄である。


「君たちはともかくとして、村人たち――特に“村会議”に出席していたやつらには、絶対に馬鹿にされたくないんだよ」

 

 カミ子の中では、カロン村の人々は敵になっているらしい。

 少し太ったとはいえ、美貌は相変わらずである。少しふっくらしたことで、親しみやすい感じになったと言えなくもないのだが、儀一はカミ子をおだてなかった。

 安心したカミ子が、飲んだくれの生活に戻ってしまうことは明白だったからである。

 多少は運動した方が身体にもいいだろうし、引きこもりを養えるほど裕福でもない。

 これから暖かくなるし、ちょうどよい機会だと考えたのだ。

 

「だったら――」


 何かを閃いたように、蒼空が提案した。


「人気のないところで、散歩するというのはどうでしょうか?」

南井みない君、続けたまえ」


 たとえば、“石切り山”。

 ここは大人がいないと入れないが、人気のない場所だという。それに、“四角岩”という歴史的遺物もあるそうだ。


「村から歩いて三十分くらいだそうですし、ちょうどいい距離だと思います」

「ほほう」


 蒼空は、蓮、結愛、さくらに目配せした。

 





 食後、子供たちは寝室に集まって“子供会議”を開いた。


「おじさまやねね先生に、内緒にするの?」


 結愛の問いに、蒼空は「そうではありません」と答えた。


「不確定な情報だけで、大人の方を動かすのはどうかと思いまして」


 今のところお宝があるという物証は、古臭い“勇者のメダル”くらいのもの。あとは言い伝えである。

 しかもアイナとミミリの母――地元の住民であるタチアナとトゥーリが探したのに、見つからなかったのだという。


「ぼくたちが探したところで、簡単に発見できるとは思えません」


 だから、散歩がてらに現地調査をする。

 もし何らかの手がかりを見つけたら、儀一とねねに報告して、判断を仰ぐ。これが蒼空の意見だった。

 蓮はもとから賛成のようだが、懸念事項を伝えてきた。


「でもブッキは、大人には内緒だっていってたぞ」

「さすがに子供だけで行くのはまずいよ。おじさんとねね先生が心配すると思う。それに、カミ子さんは子供みたいなものだから」

「そうだな!」

 

 解決したようである。

 生真面目な結愛は、心情的に引っかかっていたが、


「お宝を見つけたら、びんぼーじゃなくなるかな?」


 さくらのひと言で考えを変えた。

 お金がいっぱいあれば、生活が楽になる。儀一とねねは、きっと喜んでくれるだろう。

 たまには外食をしたり、旅行に行ったりできるかもしれない。 

 それはとても素晴らしいことのように思えた。

 

「ま、散歩の許可は出たんだし、ついでならいいか」


 カミ子のダイエットという目的のため、一緒に散歩するという提案は、儀一に承認された。ただし「危ない場所には近寄らないこと」という条件をつけられてしまったが。

 蒼空が四人の意見をまとめた。


「じゃあ、みんな賛成ということでいいですね?」

「おー」


 “子供会議”では、全会一致が基本である。ひとりのわがままで、勝手な行為をとることは許されないのだ。


「春のお祭りが終わると、畑仕事で忙しくなるそうです。子供たちもお手伝いがあるので、遊ぶ時間もなくなります」


 だから、その前に決行する。

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