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(17)異世界転生者

 浅見あさみ拓也たくやは失望していた。

 自分自身に、である。

 彼が座り込んでいるのは、持ち場である玄関前。壁に背を預けながら、ぼんやりと虚ろな目を庭木に向けている。

 ウィージ村に来てから、もう二ヶ月近く経つはず。ずいぶんと気温も下がった。もうすぐ雪が降るのかもしれない。

 朝から三時間以上ここに座っているので、身体は冷えきっていた。拓也は身じろぎもせず、じっとしていた。

 まるで、己の存在を空気の中に溶け込ませるように。

 すでに思考がぼんやりしている。

 このまま、消えてしまえばいい。

 痛みも感じないまま、凍えてしまえばいい。


『オレは、絶対に恨まねぇからな! 絶対だっ! だから死ぬなよ、拓也!』


 まぶたを下ろした瞬間、鮮烈な光景が思い起こされた。

 それは、脳裏に焼きつき、決して消えることのない、残酷な場面シーンだった。


「――っ」


 拓也はびくりと硬直し、目を開けた。鼓動が高まり、額に嫌な汗が浮かんでくる。

 死ぬことなどできない。ここで死ぬくらいなら、あの森で死ぬべきだった。

 もっさんのように、立派に、誇りを抱いたまま死ぬべきだった。

 動悸どうきが収まるのを待ってから、拓也は立ち上がった。


「どうせ、これくらいの気温じゃ死ねないし」


 つまりは、悲劇のヒーローごっこである。

 そもそも死ぬ勇気すらない。あるのであれば、こんなところでこんなことをしてはいない。

 ――みじめだ。

 震えるようなため息をつくと、拓也は状態盤ステータスプレートで時間を確認してから、屋敷の中に入った。

 浅見拓也は異世界転生者である。

 生前は国立大学の三年生で、学友会に所属していた。中学や高校でいうならば、生徒会のような組織だ。

 彼は学友会の代表として、学園祭や、学園内の部活、サークル活動の取りまとめ等を行なっていた。

 それだけではない。

 大学と市が協定を結んでいたらしく、拓也は学生代表の一員として、市役所の職員とともに地域貢献活動を行うことになった。

 いわゆるボランティアであるが、それは彼自身が望んでいたことでもあった。

 勉学、スポーツ、趣味、友達作り――学友会に所属している学生たちは、あらゆる活動に対して意欲的である。意識が高いと言い換えてもよいだろう。かといって真面目まじめ一辺倒いっぺんとうでもなく、交流会と称して他大学の学生たちと遊んだりもする。

 大学に閉じこもっているだけでは、自分を高めることはできない。社会に出る前に経験を積みたい。多くの人と触れ合いたい。

 こういった活動が、就職活動において有利に働くだろうという打算がないわけではないが、少なくとも拓也たちは、楽しく前向きに活動していた。

 市役所の会議室を借りての、月一回の会議。

 大きなイベントのひとつとして、ショッピングモールで子供向けのブースを出すことに決まった。

 役所の担当者曰く、イベントで一番重要なのは、企画の内容や準備作業ではなく、集客活動なのだそうだ。イベントそのものの成否も、来場者の数で決まるという。

 たとえば人気ひとけのない公園で実施した場合、どれだけよい企画を立てたとしても、集まってくれる人は少ない。それでは、時間と労働力に見合った成果が得られない。

 だが、ショッピングモールであれば、買い物のついでに寄ることができる。ちらしを配った時の効果も高まる。親子連れが多いだろうから、子供向けのブースを出せば、集客はかなり見込めるはず。

 天気さえよければ、勝ったも同然とのことだった。

 正直、役所の仕事というものに、拓也はそれほどよいイメージを持っていなかったのだが、少しだけ考えを改めた。窓口でぺこぺこ頭を下げたり、税金を取るだけの仕事ではないのだ。

 イベント当日は天気もよく、大盛況だった。子供向けブースの出し物は、輪投げや塗り絵や簡易的なおもちゃ作りというもの。

 普段、他人の――しかも子供連れの親子と話す機会などない。

 それは相手方も同じようで、


『学生さんとお話ができてよかった』

『君たちすごいね。自分の学生時代には、このようなことをする意識がなかったよ』

『とてもいい活動だと思う。学生活動に就職活動、大変だろうけれど頑張ってね』


 などと、好意的な意見と感想をいただいた。

 これが地域とつながりを持つということなのだろうか。

 イベント中、地元のテレビ番組制作会社からの簡単なインタビューがあった。ほんの十分ほどだが、ショッピングモールに併設されていたガラス張りのスタジオで、ラジオ放送にも生出演した。これらは役所の担当者が仕組んだようである。

 ブースの客は途切れることなく、拓也は忙しいながらも充実した時間を過ごしていた。

 そして、その事件は起きた。

 拓也と数人の仲間が昼休憩に出た時、突然、目も眩むような閃光と耳をつんざく爆発、そしてすさまじい衝撃が襲ってきたのである。

 生前の記憶は、ここまでだった。

 その後は大学の会議室のような場所で、神を自称する金髪碧眼きんぱつへきがんの美男子と出会い、現状と今後の予定を説明された上で、ひとつだけ特殊能力を選ぶことになった。

 次に気付いた時には、うねるような形をした大木が生い茂る、“オークの森”にいた。

 否応なく、地獄のサバイバルに放り込まれたのである。






 部屋の中には、酒の匂いが充満していた。


「水と食料を、もらいに行ってきます」

「おう、拓也。今日は鶏肉な」

「卵も付けてねー、たっくん」


 テーブルで酒を飲んでいるのは、体格のよい男と、派手な服を着た女である。

 名前は正志まさしとアンリ。女の方は源氏名げんじならしい。その手の店で働いていたということだ。

 壁際のソファーにはもうひとり男がいて、静かに寝ていた。

 全員が二十歳くらいに見えるが、彼らの話によると、肉体年齢が若返っているらしい。


「……浅見」


 ソファーには寝そべっていた男が、そのままの体勢で声をかけてきた。


「食事のついでに、マーニを呼んできてくれ。勉強の時間だ」


 背は低く、肉付きも悪く、病気じみた顔色をしている。

 物腰も柔らかく、言葉遣いも比較的丁寧だが、拓也はこの男が一番恐ろしかった。

 正志もアンリも、この男には逆らわない。

 名前は、世良せらとおる

 拓也が想像するに、おそらく――暴力団関係者の幹部だ。

 世良は平気で人を殺せる人間だった。実際にこの男は、オークという魔物を道連れにする形で人を殺していた。自分たちと同じ異世界転生者を、である。

 まかり間違えば、拓也も殺されていた。


「……はい、分かりました。世良さん」


 まるで召使いのように、拓也は頭を下げた。

 今の自分は最低最悪の人間にかしずくだけの、哀れな下僕げぼくに過ぎない。

 お似合いの立場だと思った。

 ウィージ村の村長宅は、平屋造りでふた棟ある。拓也たちがいるのが別宅で、比較的新しい建物だ。

 敷地内には納屋もあったが、今は跡形もなく吹き飛んでいた。

 自分たちの力を見せつけ、村人たちをおじ気させるために、世良が特殊能力を行使したのである。

 拓也は年季の入った本宅に入った。

 寝室らしい場所で、村長である中年の女性とその娘と息子が、身を寄せ合うようにして座っていた。娘は十代の半ばくらいで、息子はまだ十歳に満たないだろう。不思議なことに、この村には男が少ない。いるのは老人と子供ばかりである。


「あのう、食べ物」


 この国の言葉を、拓也はほとんど知らなかった。

 知っているのは、いくつかの単語だけ。

 母と娘が会話をした。母親が動こうとするのを娘が押しとどめている様子だ。村長である母親は、世良が納屋を爆発させた際に足に傷を負っている。


「鶏肉と、卵」


 拓也がぼそりと呟く。

 娘がこくりと頷き、立ち上がる。


「そして、マーニ」


 娘――マーニの顔が一瞬、強張った。

 世良はほぼ毎日のようにマーニを別宅に呼んでいる。この国の言葉を教えてもらうためだという。ある程度話せるようになったらウィージ村を離れ、都会に移り住むようだ。

 早くその時が来ればいいと拓也は考えていた。


「――ッ」


 マーニの弟が、拓也を睨みながら短く叫んだ。

 言葉は分からずとも、それが侮蔑を意味するものであることを、拓也は理解していた。






 鶏肉の炒め物と、ゆで卵はマーニが作ったもの。

 それと、パンと酒。


「あたし、このパン嫌い。硬いし、ぼそぼそだし」

「そうっすか? 歯ごたえがあって、オレは好きですが」

「あんたは、食えりゃ何でもいいんでしょ」


 アンリがマーニからバスケットをかっさらう。


「ほら、たっくんの分」


 差し出されたのは、パンひとつ。


「拓也は、外で見張りだ」


 正志がしっしと追い払う仕草をした。

 食事の量にしろ寝る場所にしろ、拓也は明確な区別をつけられていた。勉強会には参加させてもらえない。

 つまりは、奴隷だ。

 以前一度だけ、「みなさんの役に立ってみせますから、いっしょに勉強させてください」と、懇願したことがあった。正志が近づいてきて、無言のまま投げ飛ばされた。余計なことをするな、ということらしい。


「マーニ、ごめん」


 数えるほどしか知らない単語のひとつ。

 それだけを言い残して、拓也は部屋を離れた。

 再び、持ち場である玄関前に陣取る。

 体育座りになって、膝に頭を預ける。

 何も考えないでおこう。

 希望も展望もないが、“オークの森”のような絶望もない。

 あるのは自分に対する失望だけ。

 生きているだけでも、上出来だ。


「こんにちは」


 無気力に座り込んでいる拓也に、声がかけられた。

 若い男の声。

 それは、日本語だった。

 ぼんやりと顔を上げると、そこには二十歳くらいの男と女が立っていた。


「うん? 君は――」


 男は驚いたように目を見開くと、


「ひょっとして、浅見君かい?」


 のんびりとした口調で、問いかけてきた。

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