枝話「高松小百合と信頼」
病院へ行くことになった琴音が心配だけど、スマホの電源が切れてしまった。
充電を忘れて登校した自分が悪い。そこで、琴音との連絡は他の同期に任せることに。
琴音との連絡を任せた同期からも進展の報告はないまま部活が始まった。心配でなかなか集中できない。
パート練習中に石塚先生に呼ばれた。
すぐ終わる話ではないと告げられ、楽器を片付けて荷物を全て持ってくるように指示された。何事かと心の中で首を傾げる。
現在、私たち大会組は月末の全国大会に向けてひたすら練習を重ねている。
それよりも大切な行事はないし、長く個別に呼び出される理由も思い当たらない。
石塚先生は私を面談室の一つに案内した。
そして、保護者がまもなく到着すると告げた。
「保護者? なぜでしょうか」
「ご両親が向かっていますので、お二人が到着してから説明します」
全国大会の練習よりも大切なことなのかと問いかけたら、真剣な眼差しでそうだと言われた。
「高松さん、一応、部活中ですからスマホを預かります」
「構いませんけれど、充電が切れていますので預けなくても同じです」
石塚先生が手を差し出したので、カバンの中から出したスマホを渡した。
「あら。使えなくなったのはいつからですか?」
「昼休みに入ってすぐです。先生、琴音さんのその後が気になっていて、ご存知ですか?」
「相澤さんは整形外科を受診して、問題ありませんでした。皆さんと大会に出られますよ」
優しい眼差しで笑いかけられた。ホッと胸を撫で下ろす。
琴音の痛みを我慢するような、無理に笑うあの表情がずっと気がかりだった。
「楽譜を持ってきたので、よければどうぞ。私は職員室で高松さんのご両親の到着を待ちますので」
「かしこまりました」
琴音のぶつかって、手助けしないで去った生徒たちに注意をして欲しい。
そのことは、まず琴音に意見を聞いてからだと考えているので先生を見送った。
先生が持ってきた楽譜も一応広げ、カバンから出した自分の楽譜を読みながら指を動かす。集中しているうちに、時間はあっという間に過ぎた。
石塚先生が両親を連れて戻ってきた。さらに、教頭先生と見知らぬ男性もいる。
教頭先生が紹介した男性は「木村」といい、海鳴の高等部の教員で生活指導の一人だと教えられた。
なぜ、教頭先生や海鳴の生活指導の先生が来たのか皆目検討がつかず困惑する。
石塚先生は「また来ます」と去る。顧問が席を外すなら部活のことではなさそうなので、私の不安はさらに深くなった。
良い予感はしないので、冷房の効いた室内なのに手のひらがじっとりと汗ばんでいく。
両親の間に挟まれて、母には背中を撫でられながら父の話を聞いた。
相澤琴音は「突き落とされた」と言っている。
その言葉だけで、軽い眩暈がした。
琴音にぶつかったのは天宮さんだ。つまり、天宮さんは琴音にわざとぶつかったということになる。
大好きで信用している琴音と、私に少し親切にしてくれたことはあるけど、藤野君を怖がらせた天宮さん。
どちらを信じるかと言われたら、私は即座に「琴音」と言う。
「目撃証言の聴取ということでしたら……」
それなら海鳴の教師はここにいる必要が無い。
違うと思ったので「違そうですね……」と口にした。声は小さく、掠れた。
「その様子だと、琴音ちゃんが狙われた理由に心当たりは無いか?」
父に問いかけられて、心の中で「心当たり」と呟く。
「特にありません。琴音さんは誰かの恨みを買うような子ではありません。お父さんやお母さんもご存知のように」
「小百合は天宮さんと揉めたことはないか?」
「いえ。注意をしたので、たまに見かけても顔を背けられたりします。そのくらいです」
「どんな注意をしたんだ?」
天宮さんの恋心を勝手に大人に教えるべきでは無いから、小さく首を横に振った。
そうしてから、「もしかして」と思い至る。
「天宮さんは私を狙って、間違って琴音さんを押してしまったんですか?」
その問いかけに答えたのは教頭先生だった。彼女は「まだ分かりませんけれど」と前置きした。
「小百合、天宮さんにどんな注意をしたのか話しなさい。琴音ちゃんのために」
先ほどはつい首を横に振ったけど、やたら空気が重くて、どう考えても話さないといけない状況だ。
琴音のためだと言われたから、天宮さんのために答えないでおこうという気持ちが消えていく。
「……その、天宮さんには好きな男の子がいて、その男の子は私の知り合いで、彼が怖がるくらいしつこくしたようだから注意しました」
「藤野君だよな?」
父は何か知っているようだ。海鳴の先生——木村の目の色が変わった気がする。瞳に鋭さが宿ったと感じた。
「……はい」
「藤野君は天宮さんを怖がっていたのか?」
父に、そうだと教える。藤野君は勝手に連絡先を知られて、さらに電話まで来たから怖がっていた。
「だから、天宮さんに『やめて』って言いました。気持ちは分かるけど、相手の嫌がることはしてはいけないって……」
私のその対応に恨みを抱いて、相手を怪我させようなんて。
清田君のことが自然に甦り、悍ましさを感じて指先が震え出す。
「彼女はその時はなんて?」
「勇気を出したのに、相手を怖がらせてしまったことにショックを受けたように見えました。黙ってうつむいて少し震えていたので」
私はそんな彼女に背を向けて自分の教室に戻った。
天宮さんはその時点で好印象の元クラスメートから、印象の悪い人になっていたから、好きな人に嫌われたと傷ついて泣こうが構わなかった。
悪いことは悪いと学び、反省して成長しないとならない。
「小百合が思う天宮さんとの確執はそのくらいか?」
「いえ。藤野君は誰も紹介されたくないって言ったから、そのことを彼女に伝えて断りました。自分で頑張ってって」
母が私の顔を覗き込んだ。
「小百合、あなたは藤野君に天宮さんを紹介しようとしたの?」
「はい……。その時は親切な元クラスメートって印象だったから、藤野君はそういう子と知り合いたいかもって思って」
「それ、いつのこと?」
「藤野君とまた話せるようになってすぐ。みんなでスカイタワーに行った日です」
「その後、藤野君は天宮さんから助けてもらったお礼品を贈られたそうなんだけど知ってる?」
母のこの発言といい、先ほどまでの父といい、この面談は藤野君と天宮さんの何かに繋がっているとヒシヒシと感じる。
天宮さんは私と間違えて琴音を害した。それだけではなく、藤野君に何かしているかもしれない。
その推測で、不安は薄まってきて怒りがふつふつと湧いてくる。
「知っています。合同遠足の日だったから、藤野君から聞いたというか、私から聞きました」
琴音は私と藤野君と天宮さんの三角関係に巻き込まれた。それでこの面談のようだ。
藤野君は海鳴の生徒だから、木村先生も同席することになったのだろう。
「その後、藤野君がもう一回、贈り物をれたことは?」
「もう一回? そうなんですか?」
父の説明によれば、藤野君は二回目の贈り物を人伝てに渡された。
藤野君は、贈り物を受け取らないと仲介人が困るので仕方なく受け取った。
なんの交流もしていないのに、また贈り物なんて面倒で嫌だ、返したいと頭を悩ませた。
相談を受けた田中君は、天宮さんを呼び出せないかと琴音に頼んだ。そうして、琴音は藤野君に助け船を出した。自分が代わりに返すと。
結果、琴音は天宮さんの怒りを買った。
琴音の予想では、今日のことは天宮さんは私と琴音を間違えたのではなく、彼女自身を狙ったものだそうだ。
「小百合に傷ついて欲しくなくて黙っていたそうなんだが、天宮さんは恋のライバルの小百合を悪く言っているそうだ」
「えっ?」
琴音曰く、天宮さんは箏曲部二年に私の悪口を吹き込んで分断する作戦に出た。そこで、同期たちは一致団結して、仲良しアピールを開始した。
火のないところに煙は立たない。火を放てないように、箏曲部二年は最近、八人でつるんで親しくしていると。
箏曲部の二年生は最近、とても仲が良い。
誰もがそう思うようになったからか、天宮さん周りから私の悪口は消えていった。箏曲部二年の知るところでは。
「……私、何も知らなかった」
「良かったわね、小百合。あなたを想う友達が何人もいるのよ」
母に背中を軽く撫でられた。
「そうだけど……私だけ何も知らなかったなんて、間抜けにもほどがあります。みんな、嫌な思いをしているのに」
意地悪をする天宮さんにも、鈍感な自分にも腹が立ってならない。
「琴音ちゃんから小百合に伝言で、『同期全員で仲良くしたいって夢を叶えてくれてありがとう』ですって」
母は涙ぐみながら、私の背中にそっと触れた。
琴音の気遣いと優しさが身に染みて、熱いものが込み上げてくる。
「琴ちゃんは今、どうしているの?」
校内なのに、制服姿なのに、敬語をつい忘れてしまった。
「私の親友の恋を邪魔する女子は絶対に許さない。警察沙汰にするし、世間にも言うって冷静さを失っているそうで……」
母の言葉に愕然とした。
琴音は相手が悪くても「いいよ」と許してしまうような、とても優しい利他的な人間だ。
そんな彼女が「絶対許さない」なんて——と思ったけど、キレた琴音は怖いことを思い出した。
小学生の時に真由香と私がしょうもないことで喧嘩して、琴音の仲裁を無視したら、お揃いのぬいぐるみを窓の外に投げ捨てたられた。
『仲良くないなら要らないね。真由ちゃんも小百ちゃんも仲良くしないなら、私は帰るし二度と遊ばない』
琴音と田中君の喧嘩の時も蘇ったこの記憶に苦笑いを浮かべる。
彼女は相手を慮って色々なことを胸の中に溜めてしまう。そして、いつか爆発させるのだ。
「……琴ちゃんを説得するべきだよね? 大事になったら、結局、琴ちゃんが傷つくよ。琴ちゃんは優しすぎるから」
「朝子さんもね、そう言っていて、我が家と小百合に助けを求めたの」
母が柔らかく微笑む。父が私に「藤野さんの家もだ」と告げた。
「颯君は天宮さんと他にもあったようで、ご両親と穏便に話をすすめる予定だった」
「他にも? そうなの? 予定だったって違くなったの?」
「その様子だと、颯君から連絡は来てないんだな」
父の質問に、昼休みにスマホの充電が切れて、誰とも連絡を取れていないと教えた。
教頭先生が、私のスマホを母に返却した。石塚先生が充電したと添えて。
「まだ保護者の方が預かって、どんな連絡も見ないようにお願いします」
木村先生が、挨拶以外で初めて喋った。低めで威圧感はあるけど、落ち着くような声だ。
「高松小百合さん」
「はい」
木村先生は、私にどんなことを聞きたいのだろう。
「藤野颯君は今、非常に不安定で大人の話を聞きません。君のご両親は大丈夫だと言っているので、彼を助けていただけませんか?」
「あの……藤野君に何があったんですか?」
木村先生に問いかけたけど、彼は質問に答えず、ゆっくりと静かに私の両親を順番に見つめた。
「お父さん、藤野君はどうしたの?」
「娘は強い子ですし、私たちもついているので話して下さい」
父は木村先生にそう促した。木村先生がこくりと頷く。
「小百合さん。程度は軽いですが、天宮香織さんは藤野颯君のストーカーで、誹謗中傷を行っていました」
「……えっ?」
木村先生は、負担になるから資料は見せない、詳細もまだ教えないと続けた。
匿名の誹謗中傷メールの開示請求の結果が出て犯人が分かったので、学校は今日、臨時で藤野家と面談を行っていた。
藤野家は今日、この件は私には秘密にして、まずは私の親と学校と相談をすることに決めた。
「けれども、そこに相澤琴音さんの件が重なって、何も知らない彼女の彼氏が藤野颯君の前で『故意だ』と訴えました。それで、藤野颯君は冷静さを失ってしまいました」
「あの、藤野君は大丈夫じゃないってことですよね!」
思わず席を立っていた。木村先生が悲しげな顔で私を見上げる。
「きっと、小百合さんの言葉なら届くと思います。君のご両親や藤野の親もそれを望んでいます」
木村先生は、藤野颯は天宮香織に「構ってあげることにした」と主張していると語った。
勝手に加害者に接触して、吹奏楽部の部員や顧問の前で「好きではないけど、話くらいしてみるべきだから付き合う」と宣言。
さらに、親と学校に「訴えは撤回するから関与するな」と言って聞かない。
「どう考えても、藤野颯君は自ら天宮さんに復讐しようとしています。四六時中、監視することは不可能ですし、被害者の彼を自宅謹慎にするのも厳しいです」
木村先生の発言があまりにも的外れで、私は瞬きを繰り返した。
「まさか。藤野君は誰かをわざと傷つけることなんてできません。天宮さんの行動は怖かったけど、話せば分かると思ったんですよ」
木村先生はゆっくりと目を大きくした。何に驚いているのだろう。
「藤野颯君は、今日、天宮香織さんの仲間だと思われる同級生に暴力未遂をしましたよ」
軽く睨まれたので、思わず睨み返した。
木村先生は藤野君の味方みたいな顔をしていたけど、そうではないようだ。
「藤野君は自分が殴られるまで、誰かを殴ったりしません。だから未遂なんですよね?」
生活指導の先生なんて、どうせ生徒のことを大して知らない。私は先生と違い、藤野君のことを沢山知っている。
木村先生はふっと笑った。思わず唇が開いて「何?」と呟きそうになる。
「彼の両親に、小百合さんの言葉ならきっと届くと言われましたけど、そのようですね。君のご両親も賛成しているから、よろしくお願いします」
木村先生に頭を下げられたので、ゆっくりと着席して会釈をした。父と母が無言で私の背中に手を添える。
「藤野君は小百合への被害を一番心配していて、進むべき道を間違えようとしている。友達も親もいるから『頑張らなくていい』って教えてあげなさい」
父の台詞は、私の心に昔からあって消えない空虚な穴にパチリと嵌った。私はようやく、自分を何度も救ってくれた藤野君を助けてあげられるようだ。
急な引っ越し対応中にて執筆遅延中です。
お待ち下さいm(_ _)m 2025.12.17




