枝話「日野原威生と幼馴染」
ストレッチをしていたら、スマホから通知音が鳴りまくった。
一つくらい美由ちゃんかもしれないと確認したら、通知は幼馴染のグループトークだった。
彼女じゃないなら放置と思ったけど『一朗がバズってる』という言葉が目に入り、無視するのはやめた。
トークルームに貼られた動画リンクからハムに飛び、「一朗はまた人助けをしたのか」と心の中で呟く。
動画の投稿主はまとめ人っぽいアカウントで、『Never Fantasyのサムライはガチライバルだった』と投稿している。
『Never Fantasyのサムライ』はなんだと調べたら、すぐに出てきた。
あの『Never Fantasy』の新作の宣伝PVの一つに、一朗の試合動画が使われたらしい。
このPVは、ハムだけでもえげつない再生数になっている。
Me Tubeが元動画のようなのでリンクから飛んだら、こっちの方がもっと再生されていた。
コメントを辿ると、新作ゲームへの期待やPVの感想がほとんどで、たまに一朗と佐々木武蔵の話題だ。
スマホに通知がどんどんくるので、うるさいから音が出ないようにした。
幼馴染たちのグループトークは騒がしいけど、一朗は全く反応しない。
さすがにここまで目立って世間に晒されたら、同年代の中では鋼の心を持つ一朗でも堪えているかもしれない。
様子を見に行くかと家を出て、田中家を訪ねた。倫が応対してくれた。
「いっ君、こんばんは〜。お兄ちゃんと遊ぶの?」
「そっ。なんかいい匂いがする」
甘いチョコの香りが鼻腔をくすぐる。腹はいっぱいだけど食欲が刺激された。
「蘭ちゃんが落ち込んでるからマシュマロチョコをしてるの」
倫に「どうぞ」促されたので、家の鍵をかけてお邪魔した。挨拶の声も出す。
「ああ。練習試合がボロボロだったんだっけ?」
最近、部活の同期が蘭を好いていると判明したから、今日も同期を連れて部活終わりに体育館へ行った。
練習試合で徹底マークされたらしく、蘭は荒れていた。帰る時も「悔しい」とぷんぷん自分に対して腹を立てていた。
「そうみたい。蘭ちゃん、対策されてて大変そう」
「強くて目立つやつの宿命だな」
リビングへ行ったら、蘭はスマホを眺めていた。
彼女がマシュマロを串に刺してチョコの入った器に突っ込む。
「蘭、なに観てるの?」
「プロの動画。参考にしてる」
「頑張ってるな」
妹みたいな存在だから、頭をポンッと撫でようとしてやめた。美由ちゃんがここにいたら誤解するかしないか。俺は今、常にそれを考えて女子と接するようにしている。
一朗の両親は二人ともいない。俺はこの家でわりと自由に過ごせる関係性を築いているから、気兼ねなく二階へ。
一朗の部屋のドアは簡単に開いた。鍵をかけていることもあるけど、かかっていないことが多い。
「一朗! 大丈夫か?」
一朗は誰かと電話していた。彼と目が合う。
「威生も来やがった。あいつの場合は来てくれたか。じゃあ、親に話しておけよ」
今の口調だと、電話の相手は琴音ちゃんではなさそう。一朗はスマホを耳から離して俺を見つめた。困惑しているような顔で、力無く笑う。
「通知の嵐でウザい。普段、俺と絡みのないやつらからLetl.がきてムカつく」
「お前、そういう擦り寄ってくる奴は嫌いだもんな」
「大嫌いだ。知らない人が好き勝手言うのは気にしないように訓練しているけど、こういう時の知り合いの反応は心底嫌だ」
吐き捨てるように言うと、一朗は俺に座るように言った。いつものように一朗はベッドに座ったので、俺は彼の勉強用の椅子に着席。
「あのネバファンのちょっとした宣伝に使ってもらえるって嬉しいから契約したら、佐島さんのお父さんが想像よりもずっと有名な人だった」
「俺も驚いた。さっきアカウントを見たら、凄い登録者数だった」
「なっ。思い込みって良くないな」
一朗の憂鬱はゲームの宣伝PVの一つではなく、それがきっかけでプチバズを起こした痴漢逮捕動画のことだった。
一朗はその動画を俺に見せて、深いため息をついた。
「この俺、ガラが悪いから嫌なんだけど。本人降臨になるから『消せ』ってコメントするわけにもいかないし」
「日頃の言葉遣いを反省しろ」
彼は肩をすくめた。
「本当それ。俺は晒しにちょっと慣れてるからいいけど、颯と涼は大丈夫かな。涼はいつも冷静だから『ふーん』って言って、『親に言ってもう見ない』だった」
一朗は剣道部と箏曲部合同のグループトークを俺に見せた。
メンバーが次々と一朗たちの心配をしている。
涼は「見ないから平気」とか感謝のコメントをしている。しかし、颯は全く反応していない。
「さっき、颯と電話してたんだけど大丈夫じゃなさそうだった。俺のせいで嫌な目に合わせた……」
一朗は深く、かなり深く息を吐いた。
自分のことは平気でも、友達のことだと繊細なのは一朗のいいところで悪いところ。
「颯が『一朗のせいだ』って言ったら俺が喧嘩してやるよ」
「ありがとう。でも颯は言わねーよ。だから友達っていうか俺としては親友。前にも言ったけど、剣道部の同期は本当にいいやつなんだ」
一朗は「親に言うけど、頼れるのは学校だ」と呻くような声を出した。
「仕方ねぇな。一緒に寝てやるよ」
ベッド下に俺が良く使う布団があるので取り出す。 一朗は背中からベッドに倒れ込んで、ゴロゴロしながら頭を抱えた。
「うわぁ〜。颯も心配だけど、佐島さんが『私のお父さんのせい』って言い出したらどうしよう。琴音ちゃんも悲しむ」
吐き出す方がいいので、一朗に独り言を言わせておく。
布団に寝っ転がって、ハムのバズっている動画のコメントや引用を確認した。
一朗と佐々木武蔵については、これまでの規模が大きくなっただけ。心無い発言は少ない。
痴漢逮捕動画は、一朗たちどうこうより、痴漢という存在についての議論や感想が渦巻いている。
そこにたまに一朗たちの話、名前晒し、容姿話、海鳴と聖廉の晒し、海鳴と帝都の争いなどなど。
『藤野先輩』という単語を見つけて、これは学校で問題にされそうだから、晒された本人も針の筵かもしれないと同情した。
「放っておけばネットのバズりなんて流れて消えるけど、学校とかではしばらく騒がれそう。この涼と颯、まじイケメンだな」
「涼は女子って存在をどう考えているか分からないけど、颯は高松さんのことしか頭にないから、女子に群がられたら絶対に嫌がる」
ぎゃあ〜と小さく叫びながら、一朗はまたベッドの上で転がった。
「おじさん達にはまだ言ってないんだよな?」
「うちの一朗がすみませんって颯の親に謝ってもらっても気を遣われそう。俺は今、どうするべきなのか分からない」
一朗は布団に突っ伏した。
「説明する元気がないから俺に頼みたいってこと。はいはい、任された」
「お前は最高の心の友だ……」
一朗は国民的作品の台詞を小さな声で呟き、死んだように動かなくなった。
これは多分、涼や颯との電話で冷静な演技をしたのだろう。エネルギー切れってこと。
一朗の部屋を出て、おばさんは多分娘の寝かしつけ、おじさんは風呂だと予想して風呂場へ。
おじさんの鼻歌が聞こえたので、声を掛けて扉を開けた。
たまにあることなので、おじさんは「一朗と遊んでくれるのか?」とにこやかに笑った。
「いや、一朗たちがネットでちょっとバズってて心配で来ました」
かくかくしかじかと事情を説明。
一朗はまだ起こっていない、大切な親友と揉めるかも、迷惑をかけたという心労で疲れてベッドの上で死んでいると報告した。
「あいつはまた、いっ君を頼って」
「誰にでも格好つけてたら潰れるからいいと思いますよ」
「いつもありがとうな」
「知っての通り、俺も世話になってるんで」
「この時間は学校には繋がらないから……。明日の仕事を調整しておくか。学校に行けるように」
決断が早いし、息子優先とはいい父親だ。
赤ちゃんの時からお世話になっているけど、俺は一朗だけではなく一朗の家族もとても好きだ。
「じゃあ俺、今夜は泊まるんで一朗の部屋の布団を借りますね」
「一朗をよろしく。ありがとう」
おじさんは、ニコニコしながら手を振った。俺も笑顔を返す。
二階へ上がろうとしたら、倫と蘭が俺の名前を呼んだ。
「なに?」
「一朗が有名人になってるみたい! グループトーク見た⁈」
蘭の発言に、俺は手でバツを作った。
「ネバファンの動画だろう? 特定されて負け試合が拡散されてて辛いっぽいからそっとしておいてやって」
こう言う前から、蘭は悲しそうな顔をしている。蘭の腕を掴む倫も同じく。
「そうだよね。一朗ならそうだよ」
「お兄ちゃん、チョコマシュマロ食べるかな?」
「疲れてて食べなさそう。俺は今のあいつの特効薬を知ってる。琴音ちゃんだ!」
蘭と倫が笑顔を見せて「そうだね」と拍手した。
「琴音先輩にお礼を作ろう」
「前に作ったスヌピにしなよ。スヌピ嫌いだと一朗と気が合わないから、琴音ちゃんはきっとスヌピ好きだよ」
スヌピ好きなのは蘭だろうと心の中でツッコむ。
「蘭ちゃん手伝って」
仲良し姉妹を置いて一朗の部屋へ戻った。一朗は、俺が部屋を出た時から微動だにしていない。
「生きてるかー?」
「心頭滅却してる。なにも考えない。なるようになる。颯は俺を見捨てない」
一朗は世間的には自信家で自慢屋だけど、根っこはマイナス思考だ。
「なんで見捨てられるって妄想をしてるんだよ」
しっかりしろという気持ちを込めて背中をベシリと叩いた。
「琴音ちゃんと雑談でもして英気を養え」
「……話があるって送ったけど返事がない」
この弱々一朗を琴音ちゃんが見たらどんな感想を抱くんだか。
「時間的に風呂かもな。自分を隠すとまたすれ違うからちゃんと弱音を吐けよ。全開でなくていいから」
「ありがとう。分かってる」
その時、一朗のスマホから音楽が鳴った。
「琴音ちゃんだ!」
今の着信で、一朗は琴音ちゃんだけ個別に着信音を設定していることを知った。
女子を振りまくっていたやつがぞっこんって、琴音ちゃんは魔女だ。
「ああ、うん。俺は平気。涼や颯はこういうことは初だろうから心配で電話してみた。なにもできないけど。うん、うんうん」
土気色だった一朗の顔色がみるみる良くなっていく。
「そうなんだ。琴音ちゃんのお父さんは頼りになるね。そっか。うん。ありがとう」
一朗は電話をしながらベランダに出た。彼女との電話だから、俺に聞かれたくない話でもあるのだろう。
盗み聞きしてやろうと、耳をそばだてる。「うん」という相槌ばっかりでつまらない。
「あのさ。返事をしてない感じになったから今。明日、また少し喋って帰る? なんて」
喋れればいいって、一朗と琴音ちゃんはおままごとみたいな付き合いをしているようだ。
しかし、俺と美由ちゃんは偽物カップルなのでこのおままごとカップル未満。
俺は毎日、失恋状態で傷ついていて、本物カップルの会話でまた傷ついて嫌になった。胸がチクチクしてきたので、盗み聞きをやめる。
一朗に復讐だとベッドを奪って横になった。
彼は少しするとスマホ片手に戻ってきた。電話は終わったようだ。
「琴音ちゃんのお父さんが佐島さんの両親に連絡をして、一ノ瀬家と藤野家に『事務所が対応します』って言ってくれるって」
「おー。すぐ動いてくれる親でありがたいな」
「琴音ちゃんが、『ごめんねって言ったら気にするよね』って。だから俺も颯に『ごめん』は言わないことにする」
一朗はすっかり元気になった。顔色もとてもいいし素敵な笑顔も飛び出た。
頼りになる学校にまだ頼れなくて、明日がまだ遠くて心細かったのだろう。
一朗はベッドを奪った俺に文句を言わず、俺が床に敷いた布団に寝っ転がった。
「いい彼女で良かったな。二股なんて嫌って大泣きして激怒するくらい愛されてるし」
一方、俺は『仮』彼氏で美由ちゃんの俺への気持ちはほんのりの友情かそれ以下。好きな子に真っ直ぐ想われている一朗が羨ましい。
「ん、まぁ」
自分で話を振ったけど、一朗の照れ笑いに苛立った。
しかし、兄弟みたいな親友の幸福は祝うべきことだから「良かったな」と口にする。
「そういえば、橋本さんはどんな誕生日プレゼントをくれたんだ?」
「ん? なにも。教えてないから祝われてない」
俺の誕生日、七夕はもう過ぎた。
次々現れる女子を無視して部活へ行き、待ち伏せを振り払うためにフェンスをよじ登って学校から脱出。
例年通り、義姉と甥っ子、倫で作ってくれたケーキを食べて、田中家と合同のいなり寿司と手巻き寿司パーティーで楽しかった。
「教えてない? 自分で言いそうだから……悪い、俺が言っておけば良かった」
「今から教えて『ボールペンちょうだい』って伝えて。俺はそれで授業の睡魔と戦う」
美由ちゃんは多分、たまごから孵った雛が親を決めるみたいに、初恋の颯を気にかけ続けている。
俺といるのに、俺と喋っているのに、チラチラ垣間見えることがある。
だから俺は美由ちゃんと颯が同じ空間にいたら、その場所に居たくない。
俺の歴代彼女たちは、きっとこういう『恋人なのに違う』という痛々しさを抱えて苦しみ、俺から離れていった。
今なら全員、好きじゃなかったと分かるし、前よりも「ごめん」と感じる。それと同時に、無理なものは無理だと強く思う。
だから美由ちゃんが振り向かないことも納得している。俺は年単位の持久戦を覚悟している。
俺をあっさり手放した彼女たちと違って、俺は本気だから。
「もしもし、橋本さん?」
一朗の行動に驚き、飛び起きて叫んだ。
「なんでいきなり電話するんだよ!」
「俺さ、忙しくて言いそびれてたんだけど、この間の七日は威生の誕生日だったんだ。悪いんだけど、一言『おめでとう』って言ってくれない?」
人に頼まれて言われる『おめでとう』に価値は……あるな。美由ちゃんなら『知らなくてごめんね』も言ってくれそう。
一朗は、相槌を打っている。
「ボールペンゲットだぜ!」
ゲームのように一朗を捕まえる感じで、枕を投げた。歓喜で動かずにはいられない。
強い勢いで投げ返された。ボフッと顔に当たる。痛くないけど痛い。
「俺を心配して家に来てくれてて。威生に代わるね」
エブリデイ、電話をしたいけど我慢している。朝、昼、晩の挨拶以外も。
好きでもない奴にしつこくされたらうんざりすることを、俺は同級生たちよりは知っている。
美由ちゃんも直接喋るのは、琴音ちゃんと小百合のコンクールの日以来なので、緊張に襲われる。声を出そうとしたら喉が震えた。
「呼ばれてお喋りこんばんはー!」
俺の取り柄は元気さ。緊張なんて自力で吹き飛ばせ。
「誕生日、七夕だったんだね」
低くて小さい、機嫌の悪そうな声なので胸がズキズキ痛む。
「ボールペンって聞こえた? さっきのは無し。何もくれなくていいよ」
本当は欲しいけど諦める。彼女の『楽』は最優先。
「田中君とどんな会話をしてたの? なんで私が威生君に誕生日おめでとうって言うことは悪いことなの?」
不機嫌にボールペンは関係無くてこの台詞……。それは悪いことではないので、寝る前に電話なんて迷惑行為について謝ってということか。
「夜遅くに面倒な電話をしてごめんね。今日も好きだよ。おやすみ」
通話を終わらせて一朗にスマホを返した。「おめでとう」を言ってもらえなかった。
「おい。橋本さんから電話」
「お前に話だろう。勝手に切って悪かった」
一万回好きと言ったら美由ちゃんの初恋が消えたらいいのに。回数を数えてないけど。
「お前に話だって」
一朗と琴音のラブラブ光線に痛めつけられて気力が無い。しかし、美由ちゃんとの電話はスルーできない。重たい腕でスマホを受け取った。
「もし……」
「最近、なんですぐ謝ったりおやすみって終わらせるの? 話したいこと、色々あるのに」
「……そうなの? 引き留めたらウザくない?」
美由ちゃんが俺と話したいと言うのは初めてだ。
『もしかしたら俺のことを前よりも好きかも』パワーは凄まじく、思わず立ち上がって拳を握っていた。
こういうことがたまにあるから、俺は毎日失恋でも元気いっぱいの状態で彼女を好きでいられる。
「定期的なその後ろ向きな考えはやめて。『俺にしなよ』は、なんで急に隠れんぼするの?」
「隠れてない。俺にしなよって毎日思ってる」
「それなら誕生日デートをしようね。ボールペンは買うけど、他のものも考えておくね」
「えっ?」
耳を疑って耳たぶを引っ張った。耳は存在しているけど幻聴かどうかの判断はつかない。
「……恥ずかしいからおやすみなさい」
体内の血液が一瞬で冷たくなり、次に沸騰するような錯覚に襲われる。
男子が苦手なはずの美由ちゃんが、『デートしよう』と言った。俺のことを好きではないのに。いや、少しは好かれている。友達くらいの好きは多分ある。
デートとは、一般的に二人きりだ。「デートしよう」は普通、恋愛的に好きな相手に使う言葉。
失恋だけが現実だった世界に、突然、巨大な光が差し込んだ。
「うわああああああ!」
嬉しいけど現実離れした話で怖くて、食べたものが全部、胃から飛び出しそう。
「うるせぇ。橋本さんはなんだって?」
「誕生日デートをしてくれるって!」
「良かったな。祝だ!」
枕を投げられたので投げ返す。
しばらく枕の投げ合いをして、疲れたのでやめて自宅リハビリのストレッチに付き合わせた。逆も付き合わされた。
一朗が元気になって良かった。
助けに来た俺にご褒美も素晴らしい。俺たちはいつもこんな感じで、大体、良いことも悪いことも同じ時期に起こる。




