枝話「藤野颯と恋バナとバズり」
漫画を読んでゴロゴロしていたら、スマホから通知音が鳴ったので「高松かも」と確認した。
相澤琴音【写真】
犬の足の裏を模したお菓子だ。なぜ俺にこの写真を送ったのだろう。
一朗のアカウントと間違えたに違いない。送信ミスなんてするだろうかと、訝しげる。
相澤琴音【一朗君が人生で初めて作ったお菓子!】
一朗ではなく高松か他の友人と間違えたようだ。
あの一朗——調理実習で堂々と「料理は難しくて嫌い」と堂々と言い、顔にも苦手さを滲ませていたあいつが『お菓子を作った』とは大事件。
一朗は少し前に、俺と二人の時にこう言っていた。
自分は絶対に彼女からのバレンタインチョコは手作りがいい。猫の毛が入っていても、相澤さんから貰うなら手作りだと力説していた。
しかもまだ初夏で、俺はバレンタイン話なんてしていないのに、脈絡もなくぶっ込んできた。
その一朗が『手作りを貰った自慢』をしないで、彼女に手作りお菓子を贈ったとは驚きだ。
相澤琴音【藤野君は一朗君が一番好きなお菓子は何か分かる?】
相澤琴音【前から作ろうと思つつ】
相澤琴音【なにがいいか悩んで先延ばしにしていたら先を越されちゃった】
相澤さんと個人的なやり取りをしたことはない。
内容も「なぜ俺?」というものだったから送信ミスだと考えたけど俺宛だった。
悪い気は全くしないが、少し困惑してしまう。
【一朗はお菓子より食べ物だけど】
【好き嫌いはない】
相澤琴音【ふむふむ】
【相澤さんが作ったものなら大喜びすると思う】
友人の話を勝手に暴露していいのか悩んだけど、俺は続けることにした。
これは一朗の惚気話だから、彼女は喜び、一朗の幸せに繋がる。
【彼女が作ったものなら猫の毛入りでも良いって言ってた】
大笑いしているスタンプを添える。
相澤琴音【日野原君が貰った毛だらけチョコ!】
そうなんだと笑いかけて、気の毒だと感じて笑いが消える。彼女に毛だらけのチョコを貰うなんて……と日野原への同情心が湧いた。
相澤琴音【えっ?】
相澤琴音【私っておもちの毛だらけにするって思われてる?】
相澤琴音【前に私はきちんとしてそうって言ってくれたけど】
【まさか】
【一朗はそんなこと言ってない】
相澤琴音【よかったー】
【なんで猫の毛が入っててもいいって言ったのか分からなかったけど】
【日野原の過去が理由だったんだな】
相澤琴音【一朗君を笑わせたいからおもちの毛風のお菓子にしようかな】
相澤琴音【写真】
ねじ巻き式のサメのおもちゃの写真が送られてきた。
相澤琴音【三ヶ月記念の戦利品】
思わず腹を抱えて笑う。
一朗は俺に「なにがいいだろう」と言って、俺の提案をことごとく却下した。
彼の悩んだ末の答えが、三ヶ月の間に作られた二人の思い出の一つ『サメ』とは、良いアイディアだ。
サメのおもちゃ——おそらく百均の商品で乙女心はくすぐられないだろう。
だから一朗は手作りお菓子も添えたに違いない。気持ちがこもっていると知って欲しいから、初めて作ったと伝えて。
相澤琴音【ちなみにさゆちゃんは】
一朗話のお礼に高松の好みを教えてくれるようだ。高松の話題になり、期待で胸が高鳴る
相澤琴音【美由ちゃんが日野原君にもらった】
相澤琴音【多肉植物をいいなーって言ってた】
【多肉?】
相澤琴音【多肉でもお花でも育てられるものはいいと思う!】
これはつまり、俺が高松のコンクール出場を労うために贈った小さな花束は『育てられないもの』でダメだったという意味かもしれない。
高松は喜んでくれたけど、あれは本音ではなかったのかもしれない。胸がチクリと痛んだ。
【花束は良くなかった?】
相澤さんが俺に質問したように、俺も高松について下調べしたら良かったと後悔した。
相澤さんとのトーク画面を開いているところに、高松からLetl.が来たので背筋が伸びる。なんだろうとすぐに確認した。
高松【田中君がお菓子を作ったんだって!】
続けて、相澤さんと全く同じ写真が送られてきた。つまり、写真の横流しだ。
【相澤さんに?】
【それとも女子に差し入れ?】
知らないふりをしておこう。相澤さんとのやり取りは、とりあえず秘密。
高松【琴ちゃんに三ヶ月記念だって】
返事をしようとしたら一朗からもLetl.が来た。
田中一朗【はやてー】
いつもはグループトークが賑わう時間なのに、今日は珍しく個別トークの通知ばかりだ。
【どうした】
田中一朗【三ヶ月記念は大成功した】
田中一朗【自慢したかった】
一朗はなぜか恋バナは俺にばかりする。こいつはイジらないという信用はくすぐったい。前も思ったけど、信頼されていると嬉しくなる。
【自慢しろしろ】
【参考にするから】
田中一朗【彼女は殺人鬼だ】
意味が分からない。戸惑いで返事に困る。
田中一朗【テロリストかも】
【フラれるかもって時に死にかけたからか?】
田中一朗【そっちでもそうだな】
【そっちでも?】
田中一朗【かわいいから喜び死する】
田中一朗【高松さんに気をつけろ】
相澤さんは今夜、一朗にとってますます可愛い存在になり、彼を死ぬほど喜ばせたらしい。
【なにがあったんだ?】
突っ込んで返事があるか不明だけど気になるので聞いてみた。
田中一朗【かわいいこと】
ちびーぬたちが抱き合うスタンプが送られてきた。それはなんなのか——そこに深く突っ込むと信用を失いそうなので流すことにした。一朗は語りたい時は語る。
【良かったな】
田中一朗【高松さんと早くカレカノになれよ!】
田中一朗【おやすみ】
「眠れない」というスタンプが続いた。
俺も好きな子のことで歓喜で眠れないという経験をつい最近した。付き合ったらまたある、俺はそのうち高松に触れられると照れる。
それと同時に妄想が脳裏によぎった。高松が「藤野君」と言いながら俺に抱きつくところ。とたんに心臓が跳ね上がる。
「……っ」
声にならない声が出た。これ以上想像すると、色々妄想が捗って耐えられなくなる。
慌てて頭を振り、落ち着けと自分に言い聞かせて、相澤さんとのトークを確認した。
相澤琴音【まさか】
相澤琴音【最高だよ〜】
相澤琴音【それとなく一朗君にお花は女子ウケがいいって伝えてね】
この言葉には、「お願い」と言ううさぎの可愛いスタンプつき。
好きな子——高松ではないけど、頭の中に高松がうろちょろしているから、彼女に変換されて萌えた。
高松にお願いされているような気分になり、頬が緩む。
【高松のスパイをしてくれるなら】
【任せろ】
相澤琴音【スパイ同盟を組もうと思って藤野君にLetl.したの】
相澤さんが一朗の好みなどを仕入れる相手として俺を選んだ理由は、自分の親友である高松を喜ばせるために、俺に入れ知恵するためだと感じた。
相澤琴音【さゆちゃんは】
相澤琴音【消えないものも希望】
相澤琴音【せっかくのブーケが枯れちゃうって悲しそうだったから】
【次は消えないものにする】
ありがとうというスタンプも追加。
高松とのトーク画面を開く。俺の返事待ちのようなので「あの一朗が作るなんて」と送った。二分くらいで返事があった。
高松【そうらしいね】
高松【田中君は料理が苦手で好きじゃないんだね】
【そうなんだ】
【相澤さんはすごい】
ここに、一朗から着信があった。さっき「おやすみ」って言ったのにどうした。
「もしもし?」
「颯! 幼馴染からLetl.が来たんだけど、なんか俺たちバズってる!」
「はあ?」
一朗は俺にこう言った。
自分と佐々木武蔵の加工した動画が使われた、佐島真一のアカウントに投稿された『Never Fantasy ーSAMURAI ver.ー 』が、あちこちのSNSに拡散された。
特定班はどこにでもいるようで、使用された剣士が『田中一朗と佐々木武蔵』だと、コメントがついた。
新作ゲームのPVによれば、今作は『ライバル』もテーマなので、本物のライバルを使っていると話題に。
「俺と武蔵の動画が拡散されてるっぽい」
「あんなに加工してあるのに分かるもんなんだな」
「俺ら、ハムですごいことになってる」
「そんなに?」
たまにしか開かないハム——Whishamを開いて、トレンドを確認した。
『Never Fantasy』がトレンド入りしていたので関連投稿を見る。
今、俺のハムアカウント上は、再生数が多い投稿が表示されるよう状態になっているので、スクロールして投稿を確認していく。
まとめニュースアカウントっぽい人が『Never Fantasyのサムライはガチライバルだった』という言葉をウィスプして、剣道動画を貼っていた。
コメント欄に一朗と佐々木武蔵の名前や感想が沢山ある。
「誰かがあの痴漢騒ぎを撮っていたみたいなんだ。しかもネットに上げやがった」
「えっ?」
一朗と佐々木武蔵がバズった。普段は剣道界隈だけの話だけど今回は規模が大きい。そんな話だと思っていたので驚く。
そんな動画が世に出ているのか? と#Never Fantasyで投稿をたどっていく。
わりとすぐ、『Never FantasyのSumuraiが悪党成敗』というウィスプがあった。
「ネットリテラシーはどこへいった。先輩だとか、俺の学校のやつだってコメントされてるんだけど」
こちらにも動画が貼られている。
動画は自動再生される設定になっているので、一朗があの時の犯人に何か言っている動画だとすぐに分かった。
被害者の天宮さんは両手で顔を覆ってうつむいている。彼女の顔が見えないことにはホッとした。
しかし、一朗と同じく、俺と涼はバッチリ顔が映っている。
自分の顔がネットに晒されている現実に、嫌な汗が流れ始まる。ちょこちょこネットで晒さし者になる一朗は、いつも平気そうにしているけど、こんな気分だったのかと胸がズキズキした。
動画は犯人が警察に連れて行かれて、一朗がしゃがみ込み、涼が労うように頭を撫でるところで終わった。
「なんで今さら。っていうかこれの出所はどこだ」
「聖廉の誰かだ。幼馴染から元のウィスプがバズってるって言われたから」
一朗の幼馴染の話だと、まずアイドルの宮君のウィスプでNever Fantasy ーSAMURAI ver.ーがバズった。
一朗と佐々木武蔵を特定した人がそのことを絡めて引用した。
それもプチバズりして、聖廉生っぽいアカウントが「うちの学校でちょっと有名な先輩たち」と、痴漢逮捕動画を使って投稿を行った。
そこに痴漢を叩いたり、議論したい人たちが集まって討論、感想会になってバズっているようだ。
「颯はパーマ君って呼ばれてる」
「今、それっぽいコメントを見た」
目撃した瞬間から、心臓がバクバクいっている。
『パーマ君みたいに女に優しくすれば合法的に触れるのに』ってどんな感想だ。
『犯人はチビデブハゲなのにパーマ君は爽やかイケメンふさふさ男子。格差社会。イケメン無罪』もなんなんだ。
『どっちも出っ歯気味なのにイケメンねずみとブサイクねずみでやっぱり格差社会。都会のネズミと田舎のネズミどっちがいい? イケメン!』
歯が少し出ていることを気にしているので、いくら知らない人とはいえ、『ネズミ』とはめちゃくちゃ凹む。
『イケメンか? クソ犯人の百倍はイケメンか』『海鳴だから進学校。あそこは帝都並に頭いい学校だよな』『海鳴は帝都のいくつも下だろう』『海鳴は面接重視だから帝都に受かって海鳴落ちるとかあるある』『行動が超イケメン』『藤野先輩かっこいい』など……誰だこの、俺の名前を出したやつは!
「俺の名前を出したやつがいるんだけど!」
「幼馴染に言われてコメントを見てたらそうなんだよ。俺は剣道関係で顔も名前も一部に知られているけど颯は違うだろう?」
俺の名前を出したアカウントは、可愛い鳥のアイコンなので女子疑惑だ。
焦ってそのアカウントをタップし、過去の投稿を確認する。動悸がするのに、息は止まりそうだ。
この女子は学校名やクラスなど、他の情報を漏らしていないが、過去に『入学できて嬉しい』と制服を晒している。制服のデザインと投稿した日付で、聖廉の中等部生だと確信する。
「あのSumurai動画からこんなことになるなんて誰も予想できないよな。痴漢逮捕動画の元ウィスプは事件当日なのに、今さらバズってるから」
「俺はあの動画と関係ないのになんだこれ!」
「たまに今のバスりで昔は無風だったものが巻き添え炎上するよな」
一朗から、妙な冷静さを感じる。
「剣道動画とか武蔵とのことは前からだからいいんだけど、痴漢の件は被害者が困るかもしれないから親に報告して学校に注意してもらおうぜ」
俺の動揺は激しいが、剣道の世界ではそこそこ有名人の一朗はネットの晒しに俺よりも慣れている。そう感じるような落ち着きっぷりだ。
「幸い天宮さんの顔は見えないようだけどそうだな」
通話しながら数々のコメントを眺める。被害者が聖廉生だと特定されていた。
おまけに、痴漢被害者はなにも悪くないのに、女子が憎い男みたいなアカウントに叩かれている。
いくつかの不快な行為で天宮さんは嫌いだが、これには同情を感じずにはいられない。
「知り合いからの連絡が増えてきてウザい」
「一朗! 大丈夫か?」
電話の向こうで日野原の声がした。
「威生も来やがった。あいつの場合は来てくれたか。じゃあ、親に話しておけよ」
通話が終わる。
ハムをよく使う拓馬から「颯の動画が出回ってる!」というLetl.が来ていた。
剣箏部のグループトークでも、和哉と東さんが「痴漢逮捕」の話題を出して二人でトークを始めている。二人の会話は俺たちの心配なのでホッとした。そこに政が増えた。
俺のわりと静かな世界がいきなり騒ぎ出したと動揺していたら、姉が部屋に飛び込んできた。
「颯!」
男の部屋に、ノックもせずに入って来ないでほしい。何かしていたらどうするつもりだ。
「姉貴、ノックぐらいしろよ」
「宮君が佐島真一さんと飲んでる!」
「へぇ。共演したからそういうこともあるんじゃないか?」
「手が出るお店なら食べに行きたいから店名を聞いておいて!」
姉は宮君のIn Telegramを俺に見せた。
宮君は同じグループの彰、佐島真一、相澤さんの父親と、顔にニコニコ顔のスタンプが貼られている男女と写っている。
焼き鳥を食べていることしか分からないような写真だ。
「明日にでも佐島さんに聞いてみるから、今は出てってくれ」
俺は今、それどころではない。不満げな姉を部屋から追い出す。
自分のスマホを見たら、Letl.の通知が凄いことになっていたので困惑。
連絡を取っていないような人からも何か来ている。
ネットでのバズり——俺としては炎上、それについてだろうと思うと、げんなりした。読みたくないので今夜は無視する。
高松からのLetl.だけ確認した。
高松【ネットで晒されてるみたいだけど怖くない? 大丈夫?】
優しくて気遣い屋の彼女らしい言葉に胸が温かくなった。動揺していた心が、高松の優しさで少し落ち着いていく。
【ありがとう】
【平気】
【悪い意味の晒しじゃないから】
好きな子が相手なので嘘をついた。本当は全く平気ではない。
いい意味でも自分のことを知らない人が勝手に話して、それを目撃してしまったことで、ひどく動揺している。
超人気アイドル宮君とは違い、平凡な一般人の俺のことは、世の中の人たちは今夜にでも忘れるだろう。
そう願いながら、あちこちからの通知を無視して、高松との雑談に没頭した。
それでも気持ちの悪さや居心地の悪さは、完全には払拭できなかった。
この奇妙で嫌な感覚は、剣道界隈では有名人の一朗がずっと抱えてきたもの。
一朗は俺たち同期にあまり愚痴らなかったから、こんなことがなければ、彼の心の中にあるモヤモヤに、きっと気づかないままだっただろう。




