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今日から君と待ち合わせ  作者: あやぺん


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枝話「佐島真由香と音楽の神様」


 琴音の新しい音を聴いて選曲をした時に『私たちの世界が動く』という予感はあった。


 ☆☆


 コンクールの日の夜、帰宅した父は上機嫌で、私にどんなニューイヤーコンサートをしたいか尋ねた。


「絶対に全国大会で優勝するから、それまで待てる? 優勝するくらいの演奏なら、お父さんは自然と私たちと、どんな演奏をしたいか決められるよ」


「もちろんだ。エリザたちが上手いことスケジュール調整をしてくれる」


「出るか分からないけど、お姉ちゃんと電話してくる」


 リビングのソファでワインを飲み始めた父を残して自分の部屋へ。緊張しながらスマホを操作した。

 嫌な冷や汗が手を湿らせる。日曜に学校はないし、他に用事もないのか、姉はすぐに出た。

 琴音と小百合のコンクールでの活躍はLetl.で報告したけど、まだその話しかしていない。

 

「真由香からテレビ電話なんて珍しい。どうしたの?」


「あのね。その、お父さんが琴ちゃんの演奏に大感激して、年始に共演するんだって」


「そうみたいね。ニューイヤーコンサートをするから予定を空けておきなさいって連絡があったよ」


「……出演依頼された?」


「うん。真由香と連弾なんて楽しみ。真由香はみんなの前で弾きたくなったのね。なにかいいことがあった?」


 穏やかな声で「楽しみ」と言われて鼻先がツンとした。胸が締めつけられる。


「……真由香、普通の学校の学生で音楽の勉強もしてないし、家で弾いているだけなのにいい?」


 姉は少し息を飲んだ。


「お父さんが奏者をクビにしなければいいんじゃない? それにニューイヤーコンサートは家族と学生との演奏会って言っていたよ」


 姉は私とは違って人間が出来ている。琴音と同じ優等生タイプで、悪い感情を上手く隠す。

 家族への吐露を聞いてしまったことはあるけど、私に直接、何か文句を言ったことはない。姉が弾くピアノから、沢山の嫌な音がしたこともあるが、言葉や表情では何も。


「……うん。あのね」


「うん。どうしたの?」


「……琴ちゃんに彼氏ができたの」


「そうなの? どんな男の子?」


「ストーカーみたいな男の子。あっ、違った。えっと……」


 話したいことがあると、言葉を選ばずに喋ってしまうところは私の悪い癖だ。出て来る言葉が普通なら問題ないけど、私の場合はこうなる。

 

「真由香から見て、どうストーカーっぽいの?」


 私の失言に慣れている姉は、愉快そうに笑うだけだった。

 

「琴ちゃんが好きだーって、高校を決めたんだよ。文化祭で勝手に見て、喋ってもいないのに変だけど……可愛いし親切だから、そこまで好きになったみたい」


 今の説明も下手だなと、私は自分に嫌気がさして項垂れそうになった。


「真由香たちは聖廉高校の文化祭に部活で参加していたから、その演奏会で見つけられたってこと?」


「そうみたい。その前にね、夏休みに歌舞伎座で会ってたの。琴ちゃんは記憶になかったけど、秀明さんの日記に証拠があった」


「歌舞伎座で会った子の学校を突き止めたから、ストーカーみたいってこと?」


「ううん。文化祭は偶然なの」


「それなら、ストーカーみたいなところは高校を決めたところかな? 高校を決めた……隣の海鳴高校に入ったの?」


 姉の話を聞いていると、自分の話の拙さがよく分かる。

 そういえば、田中君は「ストーカーしてたの?」という発言に、言い方が悪いと怒らなかったな。


「うん。田中君は海鳴生」


「琴ちゃんに彼氏かぁ。真由香は好きな人とかはいないの?」


「いない。みんないい人だから『一人の男の子だけ特別好き』は分からない」


 私は姉に何の話をしようと思っていたんだっけ。


「あっ、あのね」


「真由香」


 発言が被った。


「うん、どうしたの?」


「お姉ちゃんの話を先に聞く」


 姉は、少しピリついた声でコンクール出場の準備をしていると告げた。

 

「先生がようやく許可を出してくれたの。お父さんは……私の実力で出るのはやめろって。佐島真一の娘が予選落ちは困るから」


「……そんなの、そんなのおかしいよ! それに、下手な人はコンクールに挑戦しちゃいけないなんてルールはないんだよ!」


 口にしてから青ざめる。私はまた、言葉のチョイスを間違えた。

 しかし、あんなに下手だった小百合の努力の成果を聴いて、入選外だったから無駄だったなんて思わない。

 小百合とは違い、姉は大衆の評価を求めているから『頑張ったで賞』なんて要らないだろうけど、私は努力の過程を否定する人にはなりたくない。


「違っ。真由香はお姉ちゃんを下手って思ってるんじゃなくて!」


「ううん、真由香。私はずっと昔から下手なの。下手だけど、ピアノが好きだからできるだけ長く足掻きたい。それでこうして親の脛をかじってる」


「推薦を受けて留学した人は下手じゃないよ。お母さんはともかく、音楽バカのお父さんは本当にダメなら『諦めろ』って言う」


「でも、上には上がいるでしょう?」


「それはそうだけど……。もうみんな凄いの領域で、優劣は個人の好みでしょう?」


 琴音の言葉は私の中に染み込んでいたみたいで、スルッと出てきた。


「私もようやくそう思えてきたの。父親からの評価も客観視できるようになってきた。真由香、お姉ちゃんはね、真由香のピアノが凄く好き。おばあちゃんのピアノに似てて。だからつい、追いかけてた」


 姉の声が少し涙ぐんだ。


「……」


「昔、音が違うのに真似しないでって怒ったよね。今なら真由香の話を素直に聞ける。お姉ちゃん、とても平凡だから十年くらいかかっちゃった。色々、ごめんね」


「……真由香、お姉ちゃんに謝って欲しいって思ったことなんてないよ」


「嘘だ〜。勝手にプリンを食べた、謝ってとか、何回も言ってるじゃん」


「……ふふっ。あはは。そうだった」


 スマホの小さな画面の向こうで、姉の頬がキラキラと光っている。

 風が吹き抜けてカーテンを柔らかく揺らし、私の頬まで撫でた気がした。


「だからね、夏休みは家に帰って真由香と色々話したいなって。沢山、勉強してるからきっと楽しいよ。全国大会の演奏も聴きに行きたいし」


「全国大会、来てくれるの?」


「もちろん。そっちの大学の時は、とにかく弾けばいいって視野が狭くて閉じこもってごめんね」


「ううん。……やっぱり今の無し。嫌だったから夏休みは帰ってきて真由香と遊んで」


「今年はちゃんと聞くよ。どんな曲を作ったのか、どんな素敵な音楽を見つけたのか。真由香の話はなにかな?」


 込み上げてきた涙を部屋着の袖で拭う。


「あのね、田中君は琴ちゃんのトゲトゲを抜いたの。きっとお姉ちゃんの先生みたいに」


「うん。それで?」


「琴ちゃんが真由香と普通の友達じゃなくて、音楽の親友になろうって言ってくれた。小百ちゃんのためにね、一緒に動画を撮るんだよ」


「動画? 撮影して小百合ちゃんに聴かせてあげるの?」


「Me Tubeだよ。みんなが箏を弾きたくなるように頑張るの。真由香は箏は下手だからピアノを弾く」


「そうなんだ。投稿したら教えてくれるんだよね」


「もちろん。全国大会があるから少し案を出したところで止まっているけど、終わったらすぐに始めるよ」


「それなら、先に生演奏を聴けるね。真由香は今、どんな風にピアノを弾くの? 良かったら聴かせてくれる?」


 姉に弾いてと言われるのはこれが初めてだ。


「何がいい?」


「最初はそうね、きらきら星。星を降らせて。私には真由香の音が見える才能はないけど、真由香の音なら見えるから。お姉ちゃんに『頑張れ』って魔法をかけて」


 これまで、姉の声——音にはよくトゲが混じっていた。妹に嫉妬してしまい、優しくできない自分への憤りで出来たトゲ。

 トゲトゲを出して私にぶつければ、もっと早く姉は楽になれただろう。

 そうはしなかった、優しい姉のことが私はとても大好きで、そんな姉の足枷みたいな自分が大嫌いだ。そうやって自分を呪って姉に手を伸ばさずにきた。


 私は琴音に姉の影を見てきた。

 音楽の神様に愛される優等生が、自分よりも上手かったらどうなるか。その夢と憧れが琴音だ。

 けれども、琴音は別のことで苦悩して姉のように閉じこもった。

 私が変わる前に二人が変化して手を伸ばしてくれたけど、次があるなら私自身が勇気を出したい。

 

「ああ、音楽の神様はお姉ちゃんも求めてるんだ」


「ん? 突然、どうしたの?」


「だって真由香、琴ちゃんにピアノを弾いて、一緒に楽しもうって言われて、真っ先にお姉ちゃんと弾きたくなったもん」


「そっか。それなら今のお姉ちゃんの演奏を聴いてくれる? もう違うって分かるように、同じキラキラ星にしようか」


 姉のキラキラ星は、静かで綺麗な大人の演奏だった。私の演奏が星が遊ぶようなものなら、姉のこれは流星群だ。今の私には決して弾けない。

 私はずっと子供っぽいだろうから、これからも弾けないかもしれない。


「ブラヴォー! なんだ七菜香、そんな風に自分らしく弾けるんじゃないか」


 父はいつの間にか私の部屋を覗き見していたようだ。泣きながら拍手をしている。


「真由香。練習があるからまた。お父さんによろしく」


 姉は父と何かあるのか、嫌そうな顔でテレビ電話を一方的に切った。


「お父さん、お姉ちゃんに何か言ったの?」


 父は肩をすくめた。


「今度の共演のことで、弾けなそうなら楽譜を易しくするって言って怒らせてしまって。七菜香はほら、プライドが高いから」


 私は父に似たので、今のプライドが高い発言が、違うニュアンスのことを言いたいと分かる。


「お姉ちゃんは努力できる人なのに、そんな風に腐したの? こうしたら弾けるってアドバイスをしてあげたら良かったのに!」


「フランツみたいなことを言うな! 真由香まで僕を悪者扱いして」


 フランツは、姉の今の先生だ。私はまだ会ったことがない。


「ちゃんと『僕は世界の佐島真一だから、娘でも一定レベル未満なら共演しない』って言ってあげなよ。お父さんはお姉ちゃんに言葉足らずなんだから」


「ますますプレッシャーにならないか? あんなに自分を追い込んでいるのに」


「そんなに追い込んでるの? 夏休みに帰ってきて私と遊んでくれる余裕があるから違うんじゃない? 好きだからつい、沢山弾くんだよ」


 なぜ、たったこれだけのことが今まで出来なかったのか。私とは別の意味で、姉も父似で不器用だ。

 母は姉の成功を望んでいない。娘が茨の道を進んで傷つき続けるところを見たくないからだ。

 だから『そこまで頑張ったなら気が済むのね』と姉の道を塞いでいる。娘を愛しているから、塞ぐ場所が遠ざかっているけど、応援や援助が永遠には続かないと姉も分かっている。

 そんな母は、父の心配と自分の心配は同じだと誤解しているから、姉の心にきちんと寄り添えない。

 だから——姉には私が必要だったのに。

 私はぽろぽろ涙を流した。

 

「ちょっ、真由香。どうした」


「お父さんが褒めなくても、真由香は小百ちゃんの演奏も好きだった! 真面目で、誠実で、キッチリしてて、頑張ったのが凄く分かるから!」


「褒めてないって、褒めただろう」


「ブラヴォーって言わなかった!」


「それはいかにもコンクールっぽい演奏でつまらなかったから」


「それは小百ちゃんがど真面目だからで、ああいう作風なの! お父さんの好みの問題じゃん!」


「なんだ真由香、今頃、いきなり怒って」


「お姉ちゃんの演奏が好みじゃないからって腐さないでってこと!」


「僕がいつ、七菜香の演奏は好みじゃないって言った。クールな音で、腹立たしいけど色気も出てきて、嫌いなわけないだろう」


「そう言ってあげなよ。色気も出てきて……お姉ちゃんに恋人でも出来た? それでお姉ちゃんに八つ当たりしたんだ! うわっ! 喧嘩の原因はそれでしょう!」


 ピアノや音楽のことで揉めてないならいいや。可哀想な父のために、元気の出る曲を弾くことにする。

 父は私が座っているピアノの椅子の端に腰を下ろした。とても不機嫌そうな顔をして。


「……。作曲家のたまごというか、もう世に出始めている。だから同じアパルトマンに男がいるなんて、嫌だったんだ」


「同じアパルトマン……料理が上手なジャン?」


「そうみたいだ。七菜香についに恋人か……」


 父はうつむいて目に涙を浮かべた。


「ついにって、高校の時もこっちの大学の時もいたでしょう?」


 音楽の方向性の違いなのか、単に恋人としては気が合わなかったのか、すぐに別れていたけど。


「はぁあああああ! そんな話、聞いてない!」


「真由香も直接は聞いてない。お母さんとお姉ちゃんの会話を盗み聞きした。ジャンのことは教えてくれるといいな」


 私は演奏者よりも作曲家に興味があって、既に曲を作りまくっている。だから、姉は私にジャンを紹介してくれて、彼と仲良くなれる気がする。仲直りできる程度の喧嘩もしたいな。


「まさか真由香にも……そんなことないよな?」


「今は音楽が恋人。音楽以上に胸をときめかせる友達はいるけど、男の子はいない」


 てっきり、音楽を通して啓示を受けると思っていた琴音の初恋の人は、音楽とはまるで縁のない田中君だった。

 そんな風に、私が好きになる人も音楽とは無関係かもしれない。姉と同じように、音楽で繋がる相手の可能性もある。


「……嘘だその音。連れて来い! 僕に挨拶しろって言え!」


 琴音の音を真似して弾いたら、父はすぐに恋の音だと気づいた。


「これは最近の琴ちゃんの音〜」


「えっ? 琴音ちゃんに彼氏? 恭二は知っているのか?」


「うん。挨拶したんだって」


「僕にはまだ挨拶がないな。今日のコンクールに来ていたんだろう?」


 まさか父が、友人の彼氏の挨拶を求めるなんて思わなかった。


「部活があるから来てないよ。それになんで田中君がお父さんに挨拶をしないといけないの?」


「琴音ちゃんの彼氏なら、当たり前だろう。帰国前に僕に会わせろ!」


 友達に好きな人が出来て、素敵な音を学んだという単なる雑談のはずが、変なことになってしまった。

 父は即行動派なので、田中君は絶対に挨拶をさせられる。まだ間に合うから、藤野君のことは隠してあげよう。

 

 ピアノの蓋をそっと閉じる前に、まだ温もりの残る鍵盤を指先で撫でた。

 もう怖くないから、私をどこまでも連れて行って。また明日、遊ぼう。

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