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今日から君と待ち合わせ  作者: あやぺん


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79/93

オーバーチュア

 私の目に、音が色づいて見えたことはない。

 初めて真由香にその話を教わった時に、なんて素敵な能力なのだろうと胸が躍った。

 以前、彼女が私の演奏を絵にしてくれたことがある。

 暖色系のパステルカラーの点描で埋められた画用紙は、とても可愛らしくて綺麗だ。淡い橙と桜色の粒が、まるで音符が踊るように跳ねている。

 私はその絵を、今も部屋に飾っている。


『言わないと分からないでしょう? 教えてくれる? 知りたいの』


 それは、自分の殻に閉じこもり気質の真由香を変えた、小百合の魔法の言葉の一つ。

 私はそうして変わっていった真由香と共にここにいる。舞台の上では一人きりだけど、この演奏は二人で作り上げたものだ。

 そして——。


『そんな悲しそうな顔で、親の七光りみたいに言わない方がいいよ』


 彼の言葉は私の背中を押してくれた。あの台詞は、彼が言ったから意味を持つ。彼の言葉だからこそ、私の空虚なところに響いた。

 好きな人で、さらに彼がある分野で注目を浴びる実力者だから。

 一朗君は私を聖廉の文化祭で見つけられたことを、再会できたことを「運命的で奇跡だ」と笑ってくれた。

 彼には内緒だけど、それは多分、恋の神様が味方したからではない。

 

 音楽の神様は、いつも私たちを呼んでいる。


 田中一朗君は高松小百合のように、私と真由香を音楽の世界から逃さないための運命の歯車だ。

 昨日の星は、私の目の前できらきらと光って消えない。喧嘩から仲直りまでも、昨日のことも、今日の演奏への道だった気がする。

 真由香——私も今なら、音が光って色づいて見えると思う。

 心の底では、ずっと最高の演奏を求めている。あの拍手、あの笑顔が欲しくてならない。

 私を止めていた全ての茨は、今、枯れている。


 ☆☆


 世界的指揮者——佐島真一のピアノ協奏曲より『地獄花』を練習通り弾き切ったら、意識が遠のきそうになった。

 地獄花——それは絶望の中で出会った唯一の花。

 圧倒的不幸の闇から、この世の春を咲かせる。その落差を表現するために、精神をすべて燃やし尽くした。

 父は『佐島真一に気に入られただけ』と言われることもあるけど、日本一ではなくてもきちんとした実力者だ。

 地獄花の箏曲楽譜は、その父のために作られたもので、父を『難曲だ』とキレさせ、お蔵入りしていた。

 その難曲を、きちんと音楽にして間違えずに弾き切ったから、気力だけではなく体力も残っていない。


「ブラボー!」

 

 コンクールなのに、まるで演奏会のように誰かが叫んだ。

 朦朧(もうろう)とする意識の中で、立ち上がって拍手を始めたのは佐島真一だと分かった。彼に釣られて次々と拍手が巻き起こる。

 舞台を去りながら、観客席が笑顔と涙で星空みたいだと唇を綻ばせた。

 舞台袖で足から力が抜け、誰かが支えてくれた。父が駆け寄ってきて、私の体を抱きとめる。


「琴音、大丈夫か?」


「あはは。体が感激で震えてる……。やっぱり本気の舞台は楽しいね……」


「そうか」


 父は涙ぐんで微笑んだ。疲労で頭が回らないから、表情を読み解けない。

 深呼吸をしながら歩き、父に座りたいと頼む前にロビーの椅子へ腰を下ろした。

 赤い目の母と祖母に褒められながら、飲み物を口にする。

 真由香も佐島真一も、全員の演奏を聴くだろうからここにはこないだろうと、ぼんやりとした頭で考える。

 

「あのっ!」


 父が、見知らぬ女性に話しかけられた。挨拶をしないといけないのに怠くて眠い……と目が勝手に閉じていく。

 生まれて初めてしたキスは、一晩中、私を眠らせなかった。

 眠り姫はキスで目覚めるのに、私は眠りにつくから……なんだかおかしい。 


 ☆

 

 かなり激しく体を揺すられて目を覚まし、母に「結果発表だ」と言われた。

 ぼんやりしながら移動して、予想通りの結果だったのと、まだ眠くて頭が働かないままコメントをしてしまった。

 用意していた世間ウケのいい言葉ではなく、感謝と部活の合奏のために頑張りましたという台詞で終わり。

 しまったと思ったけど、深々とした礼をしてしまったので、新たに発言はできない。

 授賞式のあとは、軽い取材や演奏を褒めてくれる人たちとの挨拶で疲れた。正直、早く帰ってまた寝たい。


 本番の空気を学ぶという名目で、見学に来てくれていた部員たちと挨拶を終えると、驚いたことに倫が現れた。

 日野原君と友達も一緒で、私と小百合にそれぞれ、差し入れをくれた。友達と作ったお菓子だそうだ。


「わぁ。ありがとうございます。わざわざ聴きに来てくれて、差し入れまで」


「着物、とっても綺麗で似合っているので一緒に写真を撮ってもいいですか?」


「もちろんです」


 小百合と一緒に彼女たちと写真を撮り、倫とツーショットも撮ってもらう。

 その間、小百合たちのお喋りが聞こえてきたので気になった。

 藤野君の両親が来ていて、どうやら彼からだと何か贈り物をされたようで、真由香が小百合にくっついてきゃあきゃあ言っている。

 倫との撮影会が終わると、母に「部活外のお友達?」と笑いかけられた。

 

「ううん。一朗君の妹ちゃんとそのお友達」


「こんにちは、兄が琴音先輩にお世話になっています」


 倫の後に、彼女の友人たちが「友達のお兄さんがお世話になっています」と続ける。


「お母さん、三人ともね趣味で箏を練習しているんだよ。それでお菓子作りが得意なの」


 母は、真一さんと話していた父も呼び、倫たちに挨拶をした。

 日野原君はお喋りなはずなのに「こんにちは」という挨拶台詞以外では黙ってニコニコしている。


「あの、突然で不躾ですが、保護者代わりのお兄様はモデルに興味はないですか?」


 広告代理店勤務の母なら言うかもと思ったら、本当に言った。母は早くも名刺を取り出し、日野原君に差し出した。


「へぇ。琴音ちゃんのお母さんってそういう仕事なんですね。俺、この見た目だから既に盗撮されたり面倒なんで芸能は絶対に嫌です」


「あら、そうなんですか。ごめんなさい。あまりにも綺麗でつい」


 日野原君は「小さい頃からよくあるんで全然」と爽やかに笑った。


「幼馴染の彼女のお母さんは当然、許します」


 彼は私の母に、ウインクと指ハートに笑顔までくれた。驚き顔の後に軽く吹き出した母は、少ししてから目を見開いた。


「あらあなた、一朗君の幼馴染なんですか?」


「田中家のほぼ向かいに住んでる日野原です! 怪我のリハビリ中で部活に出られないから、倫ちゃんの付き添いで来ました。琴音ちゃんと小百合の演奏も聴きたかったし」


 彼は「挨拶が終わったので帰ります」と続けて、倫たちを促した。

 ふと見たら、部活としては解散したけど、美由はまだ残っていた。彼女は麗華たちと一緒にいて、日野原君たちと合流して去っていく。


「今の日野原君って一朗君とかなり違う性格に見えるけど、一朗君って実はああいう性格なの?」


「ううん。全然。一朗君は、お母さんたちと会った時のあの感じだよ。でも、日野原君とは兄弟みたいに仲良しなの」


「そう。妹さんや幼馴染君と顔見知り程度じゃないなんて、大きくなると、知らないコミュニティが増えるわね」


 背中をぽんぽん撫でられて、佐島家と高松家と合流して食事会へ向かうことに。

 律は失恋がまだ辛いからか、真由香にくっついて真一さんと何やら喋っている。

 私はそそそっと小百合に近寄って、藤野君からの差し入れはなんだったのか聞いた。倫たちは来てくれたけど、一朗君とは関係ない様子だったので、正直、かなり羨ましい。

 

「……えっと、お花とメッセージカードみたい」


 小百合は両手で持っている紙袋の中身を、私に見えるようにしてくれた。

 暖色系の花で作られた可愛い小さなブーケと封筒が入っている。


「うわぁ、可愛い。藤野君、最高」


「……何も知らなかったから、ご両親が来ることも知らなかったから、びっくりした」


 小百合は恥ずかしそうにうつむいて微笑んだ。とても可愛いので写真に納めて藤野君に送ってあげたい。


「このブーケと写真は撮った?」


「……真由ちゃんが、うん」


 さすが真由香、抜かりない。真由香が私たちのところへ来て、ニヤニヤしながら小百合に軽く体当たりをして、私に話しかけた。


「田中君に報告はしたの?」


「どう言ったらいいかなと思ってまだ」


「コンクールは無事に終わって『特別優秀賞』でしたしかなくない?」


「そうなんだけど、お祝いしてーって感じになるかなって」


「お祝いしてもらえばいいじゃん。琴ちゃんは前に優勝祝いを……」


「あのっ!」


 見知らぬ女性に話しかけられて、寝る前に父に話しかけた人だと思い出す。

 感激したと伝えたかった、写真はお願いできるかと頼まれた。


「もちろんです。そのようにありがとうございます」


「疲れて寝てらしたので、お父様にご挨拶したのですが、私、箏曲部を題材にした漫画を書いているんです」


 彼女——Ami先生はわーっと喋った。父に伝えたけど、大感激して心が震えたので、自分の作品に私を使いたいと。

 アニメ化の話が来ていて、企画内容次第で引き受ける予定。演奏にはこだわりたいから、最近、そういう目で色々な演奏を聴くようにしている。

 真由香が、私に「もしかして」と作品名を耳打ちして、尋ねてと言われたので質問した。

 それは、私も知っている好きな漫画で、真由香はとっても大好きな作品だ。


「そうです。知ってくれていて嬉しいです」


 瞬間、真由香が私の手を握って、何か言いたげな目をした。人見知りで話せないから、代わりに言ってということだろう。


「私も好きですが、友人はもっとです。あの、彼女と写真を撮ったり、サインしていただくことは難しいですか?」


「まさか。ありがとうございます」


「お父さん! 急いでサイン色紙とペンを買ってきて! 色紙がいい!」


 真由香が大きめの声を出した。


「色紙? なんでまた。まあ、真由香の頼みなら」


 いつの間にか父が私たちの近くにいて、真一さんに「行かなくていい」と告げた。


「真由香ちゃん、君へのサインは後日、受け取っておくから」


 父もAmi先生たちに仕事の依頼をされたので、私のことも含めてまた会うそうだ。真由香が「恭二さん最高」とくるりと回る。

 

「真由香はなんでそんなに喜んでいるんだ? そちらの女性は有名人なのか?」


 真一さんは私たちの話を聞いていなかったようだ。 真由香が説明すると、真一さんは万歳をして「その漫画、僕も好きです!」と叫んだ。


「神の降臨じゃないか。おお、神よ。娘と食事する時間はありますか? ありますよね。世界の佐島真一と話したい音楽関係者はごまんといるけど、望みを叶えられる人は稀なんだから」


 娘には受け継がれなかった、佐島真一の悪癖——傲慢さが顔を出した。


「えっ? あの」


 Ami先生が困ったように視線を動かす。その先には女性二人と男性二人がいた。


「ゴーゴーレッツゴー! 恭二、君の席を神に譲ってくれ」


「真一、私も先生とビジネス話をしたい。それに彼女には連れがいるようだ」


「えー、恭二、どうにかして」


 父は真由香に何か言い、真由香が「お母さんに頼んで、後日、食事会の約束を取り付けて」と父親に伝える。


「お父さんの演奏会の招待券も贈ってね」


「OK。レディーゴッド、名刺をくれないか?」


 私の両親がAmi先生の連れを招き、あれこれ話して解散になった。

 箏はマイナー楽器で、他の楽器と比べるとはるかに聴衆は多くないのに、『世間に見つかる』という予感がしたのは何なのかと思っていたけどこういうこと。


「アニメの演奏役もいいけど、琴ちゃんは僕と共演もしような。世界が君を求めてる!」


 真一さんのこの台詞は予想通りだ。舞台という魔物に再び囚われた今の私は、誘われたら断れない。

 誹謗中傷などが怖い、嫌だという気持ちは一朗君が払拭した。小百合と真由香だけでは足りなかった分を、彼が補って、歯車を動かし始めている。


「学校と部活があるから海外には行きませんよ」


「在学中は、国内ならいいってことか?」


「はい。それで、生活に支障がなければ」


「真由香から聞いているよね? 地獄花はコンツェルトなんだ」


「真一さんやトップ奏者たちとの共演は心が躍ります」


「お父さん。お姉ちゃんと共演する時に地獄花を指揮するんでしょう? 琴門ちゃんとは他の曲にして。ピアノと箏曲のコンツェルトを作ったから検討して欲しい。ピアノは私が弾く」


 真由香のこの発言に驚きつつ、どこかで「やっぱり」とも感じた。


「……真由香も弾く? 人前で?」


「学生と共演するコンサートにしてよ。うちの箏曲部とも共演して」


「真由香にこんなお願いをされるなんて初めてだ! エリザにすぐスケジュールを空けさせよう。ニューイヤーコンサートがいい!」


「……お姉ちゃんが嫌じゃなかったら、真由香、ピアノの連弾もしたい」


 突然、真由香がこんなことを言えば、真一さんは号泣すると思ったら、やはりそうなった。

 急にこんな仕事の調整を任される第一マネージャーのエリザさんは気の毒だけど、彼女ならこの自由すぎる佐島真一を上手く使って、いつものように強かに立ち回るだろう。


 父親にキツく抱きしめられた真由香は、口をへの字にした嫌そうな顔を私に向けた。


「琴ちゃんのせいだからね。責任を取って、ずっと付き合って」


「もちろん。そもそも真由ちゃんが私をコンクールに出させたんじゃん。ずっと責任を取って」


 仕返しだと、舌を出してあっかんべーをしたら、真由香が吹き出して、私も笑った。


 かくして、音楽の神様はついに私たちを捕まえた。捕まえられにいった——それが正しいかも。

 これが運命なら、私の初恋もきっと運命だ。

 たとえ違ったとしても、そうする。


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