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今日から君と待ち合わせ  作者: あやぺん


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約束を本当にする時

 部活が再開になり、久しぶりに部室の空気を吸うと、指先が徐々に震え始めた。

 テストは好成績だったし、昨日は一朗君と映画を観て英気を養ったから大丈夫だと思っていたのに。

 今日から期末試験まで部活の休みはなく、日曜や祝日も練習に当てる日々になる。


「琴音さん?」


 荷物置きに移動せず、出入り口で立ち尽くしていると、麗華が声をかけてきた。美由も「どうしました?」と軽く腕を触ってくる。


「ううん。張り切って練習しましょう」


 歩くのが怖かった。一昨日、剣箏部のグループトークで真由香が送ってくれた動画——彼女が皆にピアノを披露した勇気を思い出し、それを自分の力に変えて足を動かす。

 「心境の変化はない」と言った真由香の手を、私はぎゅっと握って引っ張った。ここで怖気づいたら、先に一歩を踏み出した真由香に顔向けできない。


 荷物を置いて準備を始める。演奏会組は会議室で定期演奏会の準備を話し合い、大会組は今日から全国大会用の楽曲——『満華光』の合奏練習に入る。

 今度の日曜に特別顧問——父が来るので、その事前準備だ。

 耳の奥で、嫌な過去がこだまする。色々な人の台詞が蘇って、頭の中でぐるぐる回る。

 私は孤高の天才になれた。でもその道は選ばなかった。憧れて手を伸ばしたかったのは、同年代の仲間と楽しく演奏することだ。そのために私は自分を偽り、居心地のいい場所にとどまる選択をしてきた。


 各自で基礎練習をし、そのあと基礎練習の合わせに入る。

 何も言わないつもりで唇をきゅっと結び、心の中で「音程もリズムも甘い」と毒づきながら耐えた。

 これまでは遊び半分で実力も半分だったから、物見遊山のように「上手くなっていますね」「注意は少しだけにしよう」と受け流せていたのに。

 大会組に残り、オーディションでその座を勝ち取った以上、「本気で取り組め」という気持ちが胸を占める。

 彼女たちの「本気」と私の「本気」は違う——努力の実り方も、成果の出方も違うと分かっているのに。


(一朗君に聞いておけばよかったな……)


 彼もきっと、練習すれば着実に伸びる人だ。剣道が好きな分、負けず嫌いで努力家なのも私と同じ。

 なにせ、自主トレのメニューや日々のノルマを聞いた時、私と同じ匂いを感じた。彼はどうやって他者の存在を自分の糧にしているのだろう。


 合奏の時間になった。顧問の指示で、少し遅めのテンポにセットしたメトロノームを道標にして、初めての合わせを始める。

 顧問は「どんなにボロボロでも、全体像の把握と課題発見のために最後まで続ける」と宣言した。

 予想通り、合わせはバラバラで、死にたくなるくらい最低の合奏だった。初めての合わせだから、私は全員に合わせたし、自分の担当を全力で弾き切った。

 終わると、メンバーは真由香と私以外は愕然とした顔をしていた。

 演奏中から戸惑いの表情は見えていたが、終わったあとはなおさらそれがはっきりした。私のことを、真由香と小百合以外がチラチラ見ている。

 小百合が俯いて「私は下手だ」という顔をしている。それが、どこか面白い。凡人の小百合には、真由香が彼女に割り当てたパートがどれほど難しくて重要なのか見抜けていないのだろう。


「皆さん、個人練やパート練では気づかなかったようですね。この合奏曲『満華光』の難しさを」


 顧問の石塚先生が、優しく微笑んだ。


「先生、皆さんにお話しがあります」


「どうぞ」


 真由香が手を挙げたので、なんだろうと首を傾げる。彼女は立ち上がり、うつむき加減に両手を握りしめて小さな声で言った。


「……実は、この曲を編曲したのは私です」


 驚いたことに、真由香が暴露を始めた。場内が息を飲む。胸が熱くなり、目に涙が滲んだ。


「通して弾いて分かったように、この曲は"敗北女王"の名を返上するために、軍隊のような合わせではなく、繋がりを大切にした曲です」


 普段は大勢の前で話したくない、自己主張などなおさらという真由香が、少し詰まりながらも続ける。


「……先輩たちと最後の大会です。先輩たちのパートには全員、ソロを入れました」


 主旋律は移り変わり、おまけに一人では完結しない箇所が多く、そこにソロを混ぜて、主役を次々と変える。

 誰も脇役だけでは終わらないけど、誰もが枝葉になる設計だ。

 先輩たち一人一人にソロを割り当てて、スポットライトを浴びせる。

 この曲は独奏では決して再現できない、そしてプロの集まりでも完成させられない、今のメンバーのためだけの特別な曲だと語る。


「……本当はこっそり、相澤先生にこの一部だけを皆さんに伝えてもらう予定でした」


 これは自分から三年生への押し付けお礼だったけど、押し付けはやめることにした。

 この編曲は今、合わせてみて分かる通り、諸刃の剣だ。優勝したいだけなら他にも作戦はあり、いくらでも選曲も編曲もする。真由香はここまで言い切った。

 全員——当然、小百合も驚いている。私だってそう。真由香が打ち合わせや相談なく、こんなことを言い出すとは。私は思わず立ち上がった。


「この編曲は……口下手な真由香さんの気持ちの結晶なんです。引っ込み思案の彼女が、中一からずっと一緒の先輩たちと、絶対に優勝したくて編曲しました」


 気持ちを伝えても届かないことは沢山あった。だから、真由香と私は気持ちに蓋をして閉じこもった。

 でもそれをやめよう。私たちは一人なら弱いけど、二人なら強くなれる。そう、手を取り合ったから、私は真由香を一人にはしない。


「曲は変えないで、このまま練習したいです。先輩たちのソロは全部、個人個人の長所を生かすもので、短所は出にくいよう工夫されています」


 このような合奏曲は、わざわざ作ろうとしなければこの世に存在しない。この編曲は、今のこのメンバーだけの特別なものだ。そう、教える。

 

「今のは酷い合奏でしたけど、きちんと弾ければ、どの学校よりも強い感動を届けられます」


 だからお願いと頭を下げようとしたら、驚いたことに小百合が立ち上がった。


「そういうわけで、二年生の総意としては、この曲でいきたいです」


 彼女が、いつもの高松二年部長の口調や雰囲気で続ける。


「私たちは来年ではなく、今年、お世話になった先輩方と共に、"敗北女王"という汚名を返上したいです」


 難しい曲を練習することは決して無駄にならない。週末にある特別顧問の指導を受け、その後にこの曲でいくのか、別の曲にするのか投票で決めたい。

 小百合は凛とした声でそんな話をして、総部長に「遊佐先輩、いかがでしょうか」と話を振った。


「……先生は二年生のこの想いを、ご存知でした?」


 遊佐部長は困惑顔で、顧問の石塚先生に問いかけた。

 

「ええ。去年の代は憧れの曲がありましたけど、今年の代は違うからと、中学三年の時にはもう」


 石塚先生は、打ち合わせの記録を残してあるから、あとで遊佐部長に渡すと微笑んだ。


「記録? そんなのがあるんですか?」


 当事者の真由香が尋ねる。


「佐島さんや相澤さんの、先輩たちへの想いですからね。伝わらずに消えてしまうのはもったいないです」


 座りなさいと言われて、私たち二年生三人は着席した。


「今の三年生は、絶対に全国優勝したいと私や相澤先生に頼みましたね。実力不足なら他の曲にしますが、この素晴らしい曲に、まず手を伸ばすべきです」


 曲の変更はまだ間に合う、顧問として考えてある。石塚先生はそう言い、再度、合奏練習をすると宣言した。


「次はもっとゆっくり。それで、私の指揮でいきましょう。誰が誰と繋がるのか、よく聴きましょう」


 次の合奏は「最悪」ではなかった。けれども、かなり時間がかかり、これだけで部活時間が終わった。

 私は全ての楽譜を読み込んで、その全てを弾けるようにしてあるから、真由香と同じようにこの曲を把握している。

 しかし、他のメンバーは個人練と、とっかかりのパート練をしていただけなので色々と知らない。

 三年生から二年生、そして一年生へと主旋律が移動したり、学年ごとの「これまでの聖廉」らしい、難しい合わせ——軍隊演奏があったりする。

 そういうことを、石塚先生が合奏を時々止めながら、解説していく。

 合奏が終わると、メンバーは私と真由香以外、全員泣いた。特に三年生はかなり。この曲に込められた真由香や私の気持ちが、石塚先生のおかげで届いたのだろう。


「投票は必要なさそうですね。この曲は諸刃の剣ではありません。日々、積み重ねている皆さんなら必ず弾けるものです」


 明日からは、これまでとは違う練習スケジュールをこなし、最後に必ず合奏を行う——話はそれで終わった。

 本日の部活を終わりにすると、演奏会メンバーが呼ばれ、全体ミーティングになった。


 ミーティング後、一年生の部長・副部長、二年生の大会組全員、それから総部長・総副部長は石塚先生に呼び出された。

 父と石塚先生、それに真由香が準備してあった練習メニューを渡された。私は真由香と結託しているからこの内容を把握している。ここで一年部長と副部長は帰された。

 

「相澤さん、今日はいつもとかなり違いましたが、三年生に向けて皆に言いたいことはありますか? 特に三年生に」


 あそこまで、いつもと違う演奏を披露すればこうなる。石塚先生はベテランで指導力があるから、私を助けてくれるだろう。

 でも、私は父を含む大人全員に潰された過去があるから、頭痛と吐き気がしてきた。

 何かを察して、最初から隣にいてくれた真由香が、さらに私に近寄って寄り添ってくれた。彼女の温もりが伝わってきて、勇気が湧いてくる。


「……今日から本気で弾くことにしました」


「私は大変、驚いたのですが、これまでは本気ではなかったのですね」


「部活は独奏ではなく合奏なので、周りに合わせていました……」


「今回は合わせないようですが、どういう心境の変化で、皆さんにどうして欲しいのか、あなたの気持ちを教えて下さい。自己主張したのは、話があるからですよね」


 遊佐部長が言うかもしれないことを、石塚先生に先に言われるとは。

 しかし、考えてみれば石塚先生は『女王聖廉』という、プライドの高いじゃじゃ馬娘たちと十年以上付き合っている。


「……先輩たちと最後の大会なので、嘘つきのままは嫌になりました。私に食われるままなら、大会が近くなった時に調整します」


「嘘をつかなくていいと思うくらい、三年生を信頼したんですね。お父様から、昔のことをそこそこ聞いています」


 石塚先生は、私の肩を軽く叩き、「大人にまでやっかまれて、辛かったですね」と微笑んだ。

 そんな簡単な言葉で癒される傷ではないし、そんな単純なことではないけど、それでいいやと目を閉じる。自然と涙が頬を伝った。


「先輩、後輩で仲の悪い代もありますが、今の三年生は後輩たちに慕われて幸運ですね。あなたたちの人柄ですよ」


 遊佐部長、真山副部長は褒められたけど、困惑顔で私と真由香を見つめている。


「三年生全員に、私と同じくらい上手くなってほしいです。先輩たちなら、それができると思います。なので、父が不在の時のソロ指導は私がしたいです」


 かなり震えると思ったけど、そこまでだった。石塚先生が三年生は慕われているという下地を作ってくれたからだろう。


「それだと引きずられるのでダメです。先輩たちが許してくれるなら、私が演奏指導をします。ソロは全部この曲の花で、その花は全て違う種類なんです」


「真由香さん、私はきちんと弾き分けられます。真由香さんの練習時間が減ると全体の質が下がります」


「弾き分けられても、それは琴音さんの押し付けでしょう? 自分で自分の花を作ることに意味があるんです。私は家で猛練習します」


「演奏してみせて、こう弾いて下さいなんて言いません」


「編曲者が一番、どんな演奏がいいのか伝えられるんです」

 

「それこそ押し付けでしょう?」


「こらっ! 先輩たちの取り合いはやめなさい」


 真由香と言い合いになり、小百合に怒られた。


「石塚先生と相澤先生、それから先輩たち自身に任せて、必要な時だけ協力しなさい。二人は一年生のサポートです」


「一年生のサポートは小百合さんがして下さい。一年生との繋ぎが多いのはその為です」


「合奏で分かったけど、真由香さん、あなた、わざとそうしましたね? おまけに、自分ばかり先輩たちと繋がるようにして。あなたの編曲と知らなければそう思わなかったですけど」


 真由香はこれまで部活では見せない言動をしているけど、さらにそうなり、両耳を手で塞ぎ、小百合に「うるさいですよ」と反論した。


「琴音さんにやたら難しい手も入れましたね?」


「できそうだから、演奏の厚みが増して面白いなって。もうできてるから、追加するつもり」


「それなら、私もできたら、何か追加してくれるんですね」


「今のが完璧になったら、三人のところを難しくしてもいいよ。元々、そのつもりで用意してあります」


 すると、「ちょっと待った」と真山先輩が割り込んできた。それは三年生の部分も同じなのかと。


「……ソロは進化楽譜を三段階用意してあるので、完璧になったら次の段階の楽譜を渡します」


「ソロ以外は?」


「先輩たちの難易度を上げるとしたらソロだけです。三年生は繋ぎ目がやたら難しいですし、受験も大事な吉田先輩たちが、ついてこられないと困りますし」


 真由香は、一年生とのバランスもあるのでと続けた。


「よーし、盗み見連中も集合! 打倒・関倉(かんそう)! 私たちが優勝しますよ!」


 遊佐先輩の掛け声で、盗み見していたらしい三年生の大会メンバーが入室してきて、円陣を組むことになった。


「連中って……。遊佐さん、言葉遣い」


 石塚先生がぼやくと、遊佐先輩は軽く舌を出して「すみませーん」と笑った。


「曲をよく理解している編曲者が味方なのは鬼に金棒! 絶対優勝、我らは女王聖廉、熱演しましょう!」


「我らは女王聖廉!」


「熱演しましょう!」


 予選時の本番前みたいで楽しい。石塚先生は、今年は特に暑苦しいと愉快そうに笑っている。

 私は、私と真由香は、小百合に手を引かれて、この学校やこの部活に入って良かった。


 ☆☆☆


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